【歴】第95回 歴史をひもとく会 開催報告

皇居東御苑への歴史散歩

コロナ禍に見舞われる前、歴史をひもとく会では年に1度「歴史散歩」と称して歴史を訪ね遠方に出かけることを恒例としていました。今回も当初は足利への歴史散歩を計画していましたが延期を余儀なくされ結局中止。5月には、近場の皇居東御苑へと変更しましたがこれも延期。
IMG_4482 (2) 12月16日、素晴らしい好天のもと、ついにやりました! 3度目の正直です!
午前10時半大手門前に集合、好天に恵まれ定刻には全員29名が集合。
案内人の車伸一さん手作りのレジュメと東御苑のパンフレットを配布。入り口では厳重な手荷物チェックとコロナ対策。すぐに車さんの名調子で解説が始まります。
詳しいはずです。車さんは知る人ぞ知る「江戸城天守を再建する会」の小平支部長ですから。
(左写真、車さんの説明に耳傾ける参加者)
当日は、大手門(東御苑内へ)~大手三の門(同心番所)~百人番所~中之門~大番所~中雀門~富士見櫓~松の大廊下跡~本丸跡(大芝生)~富士見多聞~大奥跡~天守台~寛永度天守模型~本丸休憩所(休憩)~展望台~汐見坂~白鳥壕~二の丸雑木林~新雑木林~二の丸庭園~諏訪の茶屋~都道府県の木~平川門~竹橋門跡~清水門(北の丸公園へ)~田安門と回りました。
車さん用意の膨大なレジュメの中から、ごく一部を紹介し当日を再現してみましょう。
そもそも皇居東御苑とは、将軍の住まいと政務の場である本丸御殿があった江戸城の核心部分で、面積は11,373坪、他に天守・大奥などがありました。
大手門最初の大手門(右写真)は江戸城の正面玄関、大名登城の際はここから大手三の門、中之門、中雀門と四つの門を通って本丸御殿にたどり着きました。大手三の門は下乗門とも呼ばれ、駕籠に乗ったまま通れるのは尾張・紀伊・水戸の御三家だけで他の大名はここで降ろされました。お供の者はここで主人の帰りを待ちながら情報交換をしたそうで、それが「下馬評」の語源との説明に、一同「なるほど!」と大喜び。
中之門の石垣は江戸城の中でも最大級の巨石が使用され、目地の殆どない、整層・布積みの石垣は「凄い!」の一言。こんな巨大な石をどうやって運びどのように設置したのか、当時の人たちの技術力に圧倒されるばかりでした。
途中には、同心番所・百人番所・大番所があり入城のチェックを受けます。
百人番所には忍者で知られる伊賀組・甲賀組・根来組などが詰めていました。忍者も平時にはこんなふうに活躍していたんですね。
富士見櫓左写真は江戸城に残る三つの櫓のうち、唯一本丸地区に残る「富士見櫓」です。江戸城遺構として残る唯一の三重櫓で、現存する櫓は、1657年の明暦の大火で焼失後、1659年に再建され、再建後は天守の代わりとして使用されていました。残念ながら当日は途中工事中で見ることができませんでした。浅野内匠頭が吉良上野介に切りつけた「松の大廊下跡」を過ぎると本丸跡・大奥跡の大芝生が目に飛び込んできます。今は何もない芝生を見ながら、ここで展開されたであろう様々なドラマに思いを馳せました。

 

 

 

 

天守台前広場より

 

右写真は「天守台」です。江戸城天守はまず家康が築き、秀忠・家光がそれぞれ建て直しましたが、冨士見櫓同様に明暦の大火で焼失、天守台は前田家が再建しましたが、天守の工事は「江戸の町の再建に金を回せ」という将軍後見役の保科正之(会津藩主)の建言で行われませんでした。車さんはその再建をめざしているのです!

 

 

 

寛永度天守模型などを見学した後、左写真は紅葉残る雑木林に向かう一行です。昭和天皇のご意向で自然のままに残された武蔵野の雑木林が懐かしさを感じさせてくれました。都道府県の木を見学し平川門(桜田門、大手門と並ぶ江戸城三大門)から東御苑を出て、竹橋門跡・清水門跡を経て、田安門に向かいます。
清水門・田安門の門内には、かつて清水家・田安家(8代将軍吉宗が創設した御三卿)の屋敷がありました。
田安門から城内を出ると土橋の右側は牛ケ渕、左側は千鳥ヶ淵。千鳥ヶ淵の水位の方が約10m高くなっています。内堀の一部ではありますが、「淵」と呼ぶのはダムの意味だそうで、家康が江戸に入った直後に自然河川を堰き止めて飲料水用の貯水池を造ったことがその起源です。

楽しかった歴史散歩もここで終了、車さんに感謝し記念写真を撮って名残を惜しみつつ解散しました。

IMG_4521 (2)

次回は3月12日「歴史談義(講師は菅谷・沼野両会員)」です。

(文責=星野、撮影=斎藤・車・塚原)

【ゴ】懇親ゴルフの集い[冬]

国分寺三田会懇親ゴルフの集い[冬]を、12月14日(火)「昭和の森ゴルフコース」で開催しました。
コロナ感染防止の観点から懇親会・表彰式ができないという状況も続いており、
例会ではなく、3~6組での懇親ゴルフの集い[冬]として開催することとしました。
参加者を募集したところ18名の方にエントリー頂きましたが、
1名の欠席が出て17名5組での開催となりました。

1週間前は晴れの予想でしたが、開催日近くになり雨予報が出て、天候を心配しつつ当日を迎えました。
今年一番の冷え込みの朝で、雨も心配される中、皆さん集まられスタートしました。
途中、数ホールの間、雨・霰模様となりましたが、楽しくプレイをして頂きました。
リーダーボードを見ては、順位に一喜一憂、参加された方17名、皆さんホールアウトされました。

優勝は井上さん、準優勝は菅谷さん、第3位は堤さんとなりました。
ベスグロは、堤さんが88のスコアで獲得されました。
PLAY終了後は懇親会は開催せず、ホールアウト後三々五々ゴルフ場を後にしました。。

国分寺三田会 懇親ゴルフ会

・ 開催日   令和3年12月14日 (火曜日)
・ 場 所   昭和の森ゴルフコース(東京都昭島市)
・ 時 間   10:10 outスタート3組、inスタート2組
・ 競技方法  新ペリア方式
・ 競技者   17名

表彰式・懇親会

・ 開催せず  ラウンド終了後 流れ解散
・ スコア集計表は、参加者全員にメールにて配信しました。

HP掲載写真

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次回ゴルフ会のお知らせ

・令和4年3月下旬 昭和の森ゴルフコースを予定
・out/in スタート 時間未定 3~6組予定
・予約がとれ、準備ができ次第、会員の方にはご案内します。

【Y】第38回ヤングサロン講演会を開催しました。

 2021年11月21日(日)、都立多摩図書館にて40名参加の下、第38回The Young Salonを開催、講師として拓殖大学名誉教授で当国分寺三田会会員でもある小島眞氏をお迎えし、「インドの最新動向と日米印豪(クアッド)の行方」をテーマにお話し頂きました。コロナ感染者数がかなり落ち着いてきたとは言え、まだ気を緩められる状況ではなく、感染対策には万全を期した上での対面での講演会であり、懇親会の実施も断念せざるを得ませんでしたが、2020年2月以来1年9ヶ月振りのThe Young Salonで、久々に顔を合わせた方々も多く、有意義な集いとなりました。
講演の概要は以下の通りです。

                         記
第38回ヤングサロン講演会
                                             2021年11月21日
                 インドの最新動向と日米印豪(クアッド)の行方
                                        拓殖大学名誉教授 小島 眞
 インドは馴染み難い印象があるかもしれないが、かつて渋沢栄一が紡績業を起こす上で、綿花輸入のための航路開設に関してインドのタタの全面的な協力を得ており、また戦後まもなくのネルー首相の来日時には日本中が歓迎ムードに包まれるなど、50年代頃まで日本と非常に近い関係にあった。その後日本も高度経済成長で付き合う国も増えて疎遠になっていった。そのインドも最近いろいろと注目すべき動きがあり、ここでは6つのテーマに沿ってインドの最新動向を理解する上でのエッセンスを提示し、クアッドの話に繋げていきたい。

1.インドをいかに捉えるべきか
 基本的知識として、インドの人口は13億人超、GDPは日本の半分強、1人当たり所得は2,200ドルぐらいだが、鉄鋼生産は日本を超え自動車生産も世界5位、コメについては世界最大の輸出国である。社会経済面で遅れている部分も多いが、平均寿命は約70歳、識字率74%、貧困率20%強と確実に進展してきている。
 インドを理解する上での基本的要件は、まず世界一多様性に彩られた国であるということ。言語・宗教・カースト・南北の地域差等、インドに関しては平均値では語れない。
 政治形態は連邦制で州政府の権限が大きく、全国一律の改革が難しい。1947年の独立後52年の第1回総選挙以降現在まで17回の総選挙を実施しているが、軍部が政治介入したことはなく、必ず総選挙を経て政権が変わるというルールが確立している。政党としては今や与党のインド人民党(BJP)が圧倒的に強く、かつてネルーやその一人娘インディラ・ガンディーが率いた国民会議派は衰退の一途を辿っている。
 91年頃から国民会議派の下で改革開放がスタートし、対外志向型の政策や規制改革を実施した。特に90年代以降大きく変わったのは、世界のIT革命に乗ってインドのIT産業が飛躍的な成長を遂げたことで、今ではインドのGDPの9%を占める最大の輸出産業となっている。
 各種経済改革を進めてきたインドだが、労働改革は取り残された分野である。硬直的な労働者保護の法律があることで労働集約的な製造業は拡大を阻まれてきた。他方、サービス部門にはこのような規制がなく、IT産業が伸びやすい。もう一つは農業関連の規制が強いことが挙げられる。

2.第1次モディ政権(2014~2019年)の実績
 現首相のモディは後進階級出身で民族奉仕団に加わって実力をつけ、政治活動に移った。2001年から13年間グジャラート州首相としてインフラ整備や外資導入に大きな実績を残し、その実績に基づいてインドの首相に就任。これまで20年間にわたって州や国の首相を続けてきたエネルギッシュな人物である。
 モディ政権の政策理念は、社会の変革と底上げを伴った成長によりインドを強くしたいというもので、新たに始めたのが“Make in India”という海外からの投資による製造業の振興策であり、また画期的なのがクリーン・インディアという農村でのトイレ革命とLPガスの無料接続や貧困世帯向けの保険の改善であった。さらに倒産破産法の成立や間接税の一本化など見るべきものがあったが、日本が学ぶ点が多いのがデジタル・インディアである。2009年にマイナンバーに相当する固有識別番号制度が導入されたが、モディ政権の下でその普及・充実が図られた。本人確認を証明できる公的手立てが提供され、かつて銀行口座を持てなかった貧困層も口座開設が可能となり、現金支給も受益者各人への口座振り込みが可能となった。
 第1次政権末期には経済的減速が顕著になり、再選が危ぶまれたが、選挙直前カシミールでのパキスタンの過激派テロによりインド人治安部隊40名ほどが殺害された。それに対して、国境を越えての空爆を実施し、国民に強いインドという安心感を与えたことで総選挙に圧勝した。

3.第2次モディ政権(2019~)と新型コロナのインパクト
 第2次モディ政権がまず取り組んだのは、イスラム過激派のテロが頻発していたカシミール問題であった。憲法改正によって同州の特別自治権を外し、中央政府の介入を容易にした。もう一つは国籍法改正を通じて、周辺国から流入する人の内イスラム教徒には国籍を与えないというヒンドゥー至上主義的な国籍法を導入したことである。これに対して、ベンガル人の流入増大を恐れるアッサム地方で暴動が起き、さらに全土でイスラム教徒の反発が広がった。
 その最中にコロナ問題が勃発した。最初の感染者が出たのは2020年1月末で、3月末にはロックダウンを実施し、全土封鎖・交通機関の停止に踏み切った。規制が段階的に緩和される中、1日当たりの感染者数も一時は10万人に上ったが、その後は徐々に減少し、本年2月には勝利宣言が出された。しかしそれと同じ頃、マハラシュトラ州で発生したデルタ株への対応が遅れたため、1日当たりの感染者数が今年4~5月頃には最大で約40万人に達し、伝統的な公衆衛生の貧弱さが露呈する結果となった。
 第1波に際しては、全土封鎖に併せて貧困者への福利パッケージを導入し、GDPの10%に相当する財政支出を実施した。第2波に際して重視されたのは、ワクチン接種である。インドはアストラゼネカのワクチンの世界最大規模の生産能力があり、本年4月頃まではワクチン外交を展開していたが、国内の感染拡大に伴い、国内向け供給を最優先した。10月末で1回接種が7.3億人、2回接種が3.2億人に達し、1日当たりの感染者も今年11月には1万人程度に収まってきている。
 経済的影響を見ると、昨年度第1四半期(4~6月)は大きなマイナス成長となったが、第3四半期からプラスに転じ、本年度第1四半期にはかなり回復した。コロナ禍の状況下でもモディ政権は果敢に経済改革を進めてきた。一つは製造業の面で、かつての“Make in India”は総花的でなかなか成果に結びつかなかったが、今回は13部門を対象に認可を受けた企業に対して、投資と売上に応じてインセンティブを与える生産連動型インセンティブスキームを導入した。また労働関連法の改正を実施し、従業員100人以上の事業所では自由に解雇できなかったのを300人以上に拡大した。
 さらには農業三法の導入である。これまでパンジャーブ州など一部の大規模農家は政府によるコメや小麦の買い上げで潤っていたが、大多数の農家は政府に買い上げてもらう余剰がなく、さらに農作物は州指定の市場でしか販売できないという規制があり、自由な販売ができず、企業との連携を有効に推進できない状況にあった。これを打破すべく、昨年9月に農業三法を導入したものの、農業先進州の農民達が連日反対のデモを繰り広げ、今年1月に最高裁が実施猶予の判断を下した。そうした中、一部農民団体の反対運動に根負けする形で、ついに一昨日になってモディ政権は農業三法の撤回声明を出すに至った。

4.軋みを見せる印中関係
 かつて近代インドには中国への警戒論を説いた宗教家や政治家もいたが、インドの初代首相ネルーは非同盟主義を掲げ、非共産圏諸国で最初に中華人民共和国を承認するとともに、中国のチベット支配強化にも宥和的態度をとった。しかし中国は1959年にダライ・ラマがインドに亡命して臨時政府を樹立したことに憤りを感じており、62年に国境紛争が勃発するに及んで、ネルーの対中政策は見事に打ち砕かれた。最近の国境問題についていえば、北東部にアッサム州などを抱えるインドにとってバングラデシュとネパールに挟まれた狭隘部が地理上の泣き所だが、2017年6月に中国がブータン国境内に侵入し、インド・中国・ブータンの国境合流点でインド・中国両軍の睨み合いとなった。徐々に既成事実を作って現状変更を図るのが中国の戦略だが、この時は同年9月に厦門でBRICSの会合を控えていたこともあり、2か月後に両軍とも引き揚げることになった。さらに2020年6月にインド北部カラコルム山脈のガルワン渓谷で両軍が衝突した。それまでの紛争と違いインド側に20名の死者を出すに至り、反中ナショナリズムが高まり、中国製品・中国投資のボイコットが広まった。
 1962年の国境紛争以降、インドは中国をパキスタンと並ぶ仮想敵国と見做していたが、経済面では実利主義をとり、主要なパートナーとして貿易関係も深まっていた。しかし2020年の衝突と前後して対中政策は大きく変わり、中国からの投資規制・中国アプリ禁止・中国製品への輸入規制強化といった措置がとられた。
 領土以外の印中間の争点として深刻なのが水問題である。中国は東南アジアを含めてアジアの主要大河の水源であるチベットを押さえており、インド・バングラデシュを経てベンガル湾に注ぐプラマプトラ川の上流で10以上のダムをすでに建設しており、さらには三峡ダムの3倍規模のダム建設計画があり、果てはプラマプトラ川を黄河に流すという壮大な計画もあると言われている。

5.深まるインドと日米両国との戦略的関係
 冷戦時代アメリカは反共の砦としてパキスタンを重視する中、インドはソ連との関係を深めた。特に1971年のバングラデシュ独立に際してインドは独立を支援したため、パキスタンを支援するアメリカはインドの動きを阻止すべくベンガル湾に原子力空母を配置するに至った。しかしソ連の崩壊後、アメリカはインド経済の重要性を認識するようになり、イスラム過激派のテロや中国への対抗上両国関係は改善し、インドにとってアメリカは最大の貿易相手国となっている。
 戦略的関係でも92年から米印2国間でマラバール海軍合同演習を実施しており、2008年には原子力協定、18年には「通信互換性及び安全保障協力」(Comcasa)といった重要な枠組みも締結されている。
 さらに米中対立の中でサプライチェーン再編の動きがあり、アメリカのIT企業のインドへの投資がかなり増えており、それに付随してアメリカの委託先となる台湾のIT企業の投資も増えている。
 日印関係を見ると、貿易面ではパッとしないが2008年頃からインドに対する投資がかなり増え、いろいろな分野で企業が進出している。市場規模が大きく、今後の拡大が見込めることから、企業の間では有望事業展開先として、インドがベトナムなどを抑えて上位にランクされている。特に重要なのは日本のODAを使ったインフラ投資が顕著で、2004年以降日本のODAの最大の供与先となっており、2009年完成のデリーの地下鉄事業を始め、貨物専用鉄道や高速鉄道も完成間近もしくは着工済みである。
 さらに注目されるべきは日印間での戦略的パートナーシップの進展であり、小泉首相時代に日印間の戦略的方向性が打ち出され、2006年に「日印戦略的グローバル・パートナーシップ」が形成された。その後14年には「特別日印戦略的グローバル・パートナーシップ」、15年には「日印ヴィジョン2025」、18年には「日印ヴィジョンステートメント」等での日印関係の更なる格上げが進んでいる。
 最近ではデジタル面でも面白い取り組みがあり、インドの海底ケーブルをNECが手掛けるなど貴重な関係が実現している。また、日本はIT面での人材不足が大きな問題でこういった点でも日印間の関係が深まればいいと考えている。

6.日米印豪戦略対話(クアッド)の結成と今後の展望
 我々がアジアを語る時、この数年はインド太平洋という言葉が定着している。これは安倍元首相が言い出したことで、2007年にインドの国会で演説した際に「インド洋と太平洋の二つの海の合流」という言葉を使い、その後概念として定着してきたもので、その背景としてアジアでインドと中国の両雄が台頭してきたことが挙げられる。アメリカの太平洋軍も18年5月にインド太平洋軍に改称された。
 インド太平洋構想の中核をなすのが日米印豪4ヶ国(クアッド)で、最初の動きは2004年のスマトラ沖地震の際、安倍首相の呼び掛けでこの4か国による支援体制が立ち上がった。その後オーストラリアが中国に配慮して離脱したが、中国が政治・経済・軍事面で一方的な拡張を目指したことから、これに歯止めを掛けて自由で開かれたインド太平洋の枠組みを維持・強化すべく2017年にクアッドが復活した。マラバール海軍演習には17年から日本、次いでオーストラリアも20年から参加するに至った。
 当初インド太平洋広域を対象とした戦略が不明確だったため、インドは慎重な立場をとったが、中国の台頭を意識してインドの躊躇も解消され、2020年10月の4か国閣僚会議で正式にクアッドという名称が採用された。
 本年3月オンラインでのクアッド首脳会議が開催され、「自由で開かれたインド太平洋」のために尽力するというクアッドの精神が確認され、ワクチン製造支援やサプライチェーンに関する協力が協議された。さらに本年9月にはワシントンで対面でのクアッド首脳会議が開催され、先端技術、宇宙、サイバー・気候変動などの分野での協力関係が協議された。

おわりに
 インドは世界最大の民主主義国家として、独立後一貫して議会制民主主義を堅持してきたが、今後も高いレベルの経済成長を維持できるかどうかは、経済改革を不断に実行できるかどうかにかかっている。その中で議会制民主主義がしばしば足枷になることは否定できない。
 今年度8%を上回る経済成長を実現して、コロナ前の規模に回復することはできると思うが、農業改革を目指しながらも農業三法を撤回したことからも窺われるように、既得権をどう克服するか難しい面がある。今後既得権打破を伴う改革にどこまで切り込めるか、モディ政権の手腕が注目される。
 インドはインド太平洋の西側の防波堤であり、その国力・戦略能力からクアッドの重要な構成要素となる。中国にとって核心的な利益を構成する優先地域は南シナ海と台湾だが、その軍事的威圧・一方的現状変更を阻止する上で、インドがクアッドに加わることは、中国に対する二正面からの地政学的圧力を掛けることで意義があると思っている。

質疑応答
Q:インドは先日グラスゴーで開催された仏教サミットで自国を低開発国と言っている。1人当たりのGDPから見れば名目はそうだが、実際には核兵器・空母・原子力潜水艦を保有していることから考えて、彼らの言っていることは本当なのか。
 次に、クアッドの一員としてインドへの期待が強まっているが、一方でインドは中国とパキスタンへの専用兵器としてロシアから地対空ミサイルS400の導入を始めており、やっていることに一連性が無いように思える。この点どう考えていいのか。
A:実は「発展途上国」というのは自己申告で、誰でも使える。中国も都合によって自分を「発展途上国」と言っていて、誰も文句を言えない。ただ、これをいつまでも認めていいのか問題がある。
 次にロシアからのミサイル購入の問題だが、かつてバングラデシュの独立に際して、アメリカとインドは敵対した。また1972年のニクソンの訪中に際して、露払い役としてのキッシンジャーはインドと敵対するパキスタン経由で極秘に中国に入るという意表を突いた行動をした。インドは武器に関しては長期的にロシアから購入しており、現在アメリカからの輸入が増えているとはいえ、まだ過半数はロシアからのものである。アメリカとしても今までのインドとロシアの関係は認めており、今回のミサイルの件を仕方ないことと見ると思う。
 インドはロシアとの関係を中国に対する牽制に使える。もし仮にインドと中国の間で何かあった時に、ロシアがどちらにつくかは分からない。不思議とインドとロシアは友好的な関係にあり、この点は日本と違う。インドを通して見ると、ロシアと中国の複雑な関係が見えてくる。

【花】第37回 「花と緑と文化の会」例会

                紅葉・黄葉を求めて
                                           昭和46 久保田 宏
 10月27日(水)紅葉・黄葉を求めて、昭和記念公園を訪れました。参加者は15名です。前日の天気予報では曇りでしたが、当日の朝の予報では昼過ぎから雨の予報に変わっていました。
 9時30分、西立川口ゲートから入場。観賞の中心はイチョウとモミジ。
長さ300mにもなる銀杏並木は開園直後とあって、誰も歩いておらず、見事な黄緑色のトンネルを作っていました。イチョウはやっと色付き始めたところでしたが、並木道の入口の写真スポットで集合写真を撮りました。
 続いて日本庭園に向かいましたが、庭園に着いた頃から雨が降り出し東屋で小休止。東屋からの紅葉の観賞になりました。池を通しての小雨に濡れる紅葉も風情のあるものになりました。
 雨も止みそうもないので小雨の中、傘を差して出発しました。幸いにも30分ほどで雨が上がり、秋の草花を楽しみながら立川口ゲートまで散策しました。

【ゴ】懇親ゴルフの集い[秋]

 国分寺三田会懇親ゴルフの集い[秋]を、10月5日(火)「昭和の森ゴルフコース」で開催しました。
コロナ感染防止の観点から懇親会・表彰式ができないという状況もあり、
例会ではなく、3~6組での懇親ゴルフの集い[秋]として開催することとしました。
参加者を募集したところ21名の方にエントリー頂きましたが、
2名の欠席が出て19名5組での開催となりました。

前週の金曜日に台風が関東沖を通過して一時は強い雨風となりましたが、
その後の好天に恵まれ、当日も朝から晴天で皆さんプレイを楽しみに集まられました。
プレイ中は、10月にしては、ちょっと暑い、汗をかくという場面もありました。
ゴルフ場内の十月桜も満開で、スコアの方もデッドヒートとなりました。
参加された方19名、皆さんホールアウトされました。

優勝は岩下さん、準優勝は山本さん、第3位は堤さんとなりました。
ベスグロは、優勝した岩下さんが85のスコアで獲得されました。
PLAY終了後は、懇親会は開催せずスコア集計表を配布して解散となりました。

国分寺三田会 懇親ゴルフ会

・ 開催日   令和3年10月5日 (火曜日)
・ 場 所   昭和の森ゴルフコース(東京都昭島市)
・ 時 間   9:35 outスタート3組、inスタート2組
・ 競技方法  新ペリア方式
・ 競技者   19名

表彰式・懇親会

・ 開催せず  ラウンド終了後 流れ解散
・ スコア集計表は当日一部の方にお渡ししましたが、参加者全員にメールにて配信しました。

HP掲載写真ppt

 

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次回ゴルフ会のお知らせ

・ 12月14日(火) 昭和の森ゴルフコース
・ out/inスタート 10:10 6組予約済
・ 準備でき次第会員の方にはご案内します。

 

 

【総】第20回定期総会・講演会を開催しました。

令和3年9月20日(月・祝)14時より第20回定期総会をオンラインにて開催しました。コロナ禍の中初めての試みでありました。
総会は、塾員センター2名、会員65名の出席を得て、井上幹事長(昭49政)の司会により進行しました。開会にあたり前原会長に代わって平林副会長(昭47経)の挨拶があり、引き続き恒例により議長に平林副会長を指名して総会審議に移りました。総会はオンラインによりパワーポイントの画面を共有して行われました。
2020年度活動報告・会計報告・監査報告、2021年度活動計画・収支計画、役員選任の各議案についての説明を経て全議案とも承認され滞りなく議事は進行しました。
議事に続き、新役員・幹事(平林会長(昭47経)、坂田会計(昭46文)、江端幹事(昭52商)、二見幹事  (昭57文))の紹介が行われました。
続いて来賓の慶応義塾塾員センター小島部長の挨拶をいただき、最後に今年米寿を迎えられた新田会員(昭32政)、賀谷会員(昭32政)、目黒会員(昭34医)の紹介と新入会員2名の紹介がありました。以上をもって総会は無事閉会しました。
第二部として講演会が開催されました。慶應義塾福澤研究センター教授西澤直子氏による「中津士族たちの明治維新」の講演でありました。維新史の中での福澤諭吉と中津藩について斬新な視点から広範にわたる興味深いお話をいただきました。質疑応答の後髙橋副会長(昭45法)による挨拶で閉会しました。
恒例の懇親会は、時節柄断念せざるを得ず、代りに有志によるオンライン交流会を山田副幹事長(昭和47経)の司会で開催しました。岩田副会長(昭45工)の乾杯の音頭で始まり、丸山会員(昭30経)の卒寿のお祝い、長寿の秘訣、講演会の感想、分科会活動報告等が話題になり、一年半振りにオンラインで再会した会員も多く、お酒も進み大いに盛り上がりました。

*HP会員専用頁に下記を掲載しています。会員の方はご覧ください。 ⇒ここをクリック
  <総会コーナー>第20回総会
    (1)第20回定期総会資料(会員送付用)
    (2)第20回定期総会議案説明資料
    (3)講演会レジュメ「中津士族たちの明治維新」)
  <写真コーナー>総会
    スナップ写真(スクリーンショット)

 

210920総会集合写真(オンライン参加)

          参加者全員で集合写真(自宅からオンライン参加)

 

 

 

 

 

【ゴ】懇親ゴルフの集い[夏]

国分寺三田会懇親ゴルフの集い[夏]を、7月6日(火)「昭和の森ゴルフコース」で開催しました。
コロナ感染防止の観点から懇親会・表彰式ができないという状況もあり、
例会ではなく、3~6組での懇親ゴルフの集い[夏]として開催することとしました。
参加者を募集したところ15名の方にエントリー頂きましたので、4組での開催となりました。

梅雨のさなかということで雨を心配していましたが、朝から雲は高く皆さんプレイを楽しみに集まられました。
途中一瞬でしたが、雨がパラパラとする時間もありましたが、上がってみれば軽く日焼けする1日でした。
エントリーされた方15名、皆さんホールアウトされました。

優勝は堤さん、準優勝は吉村さん、第3位は内野さんとなりました。
ベスグロは、デッドヒートが続いていましたが、優勝した堤さんが83のスコアで獲得されました。
PLAY終了後は、懇親会は開催せずスコア集計表を配布して解散となりました。

国分寺三田会 懇親ゴルフ会

・ 開催日   令和3年7月6日 (火曜日)
・ 場 所   昭和の森ゴルフコース(東京都昭島市)
・ 時 間   10:03 outスタート2組、inスタート2組
・ 競技方法  新ぺリア方式
・ 競技者   15名

表彰式・懇親会
・ 開催せず  ラウンド終了後 流れ解散
・ スコア集計表は当日一部の方にお渡ししまたが、参加者全員にメールにて配信しました。

HP掲載用写真

 

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☆ ゴルフ会 中止・延期の報告 

 第11回(復活第5回)国分寺稲門会・国分寺三田会合同懇親ゴルフ会

7月開催の予定で準備をしていましたが、コロナ感染予防のため開催を延期することにしました。
昨年開催の予定でしたが、コロナ禍のため1年延期していました。そして、今回さらに1年延期することとしました。
あらためて、来年の6月~7月頃に開催することとなりました。

【講】国分寺三田会第13回講演会をオンライン(Zoom)で開催しました。

■開 催 日:2021年(令和3年) 6月 20日(日)14 時 00 分~16 時 10 分
■開催場所:オンライン(Zoom)方式
■講演テーマ:『先端生命科学が拓く地方創生』
■講師:冨田勝氏(慶應義塾大学環境情報学部教授)
■主催:国分寺三田会
■出席者数:80名(当初参加予定者86名)

 新型コロナウイルスによる緊急事態宣言の中、上記の通り参加者の安心・安全を考慮して完全なオンラインでの講演会を開催しました。
冒頭、全員で『塾歌』を斉唱、前原会長代行で平林副会長がオンライン講演会に至った経緯と冨田勝先生を紹介した後、慶應義塾大学先端生命科学研究所所長でもある冨田勝先生に『先端生命科学が拓く地方創生』をテーマに約2時間の講演を頂きました。今年は後援協力の依頼を一切行わず、参加者も国分寺三田会会員に限定しての講演会となりましたが、慶應関係者3名・国分寺三田会OB1名を含む80名の方に参加いただきました。
 当初、オンライン講演会では臨場感に欠けるのではとの懸念の声もありましたが、冨田勝先生のお話は,多岐にわたる動画を上手に活用され、臨場感にも溢れ、大変分かり易く、画期的な講演会であったと称賛の声が多く寄せられました。
オンライン講演会に参加された感想として、
〇一年振りに会員同士の顔が見られ懐かしさで胸が一杯になった。
〇講演会を視聴して、慶應義塾大学が鶴岡キャンパスの成功・発展によって日本の科学、経済、社会に大きな貢献をし
 ていることを痛感。一塾員として大きな誇りを感じることができた。等々・・・オンラインならではの交流の楽しさ
 も目立ちました。
また、講演会プログラムに多くの音楽を盛り込み、視聴者に飽きのこない工夫もされました。
〇開始前:今春の東京六大学野球優勝、全日本大学野球選手権優勝を祝いカレッジソング
                  ・・・「ダッシュ慶應」、「丘の上」、「慶應賛歌」等。
〇休憩時間:冨田勲氏(冨田勝氏のお父様)が作曲された大河ドラマ「花の生涯」「勝海舟」
〇最後の閉めは『若き血』を全員自宅で斉唱。
 井上幹事長による冨田勝先生への感謝のエールでお開きとなりました。
〇エンデイングの音楽は松田聖子の「瑠璃色の地球」で癒されながら退出しました。

冨田勝先生の講演概要は下記の通りです。
講演会のご案内で添付された参考文献も参照ください。(2021.4. P68~71)
冨田勝氏著 三田評論掲載『鶴岡タウンキャンパス開設20年』 ~福澤スピリットで結実した学問による地方創生~
                    (ここをクリックで閲覧できます)

『先端生命科学が拓く地方創生』講演概要

1.慶應義塾大学先端生命科学研究所
1999年山形県・鶴岡市・慶應義塾の3者の協定で2001年4月に研究所をオープンすることが決まり、2000年の秋に私が所長に任命された。
研究所の主力技術はメタボローム解析という究極の成分分析技術で、一度の測定で対象のサンプル内にどういう物質がどのくらい入っているか分析できる。それまでの研究はまず仮説を立て、そこに結び付く代謝物を分析するもので、メタボローム解析はそれとは真逆のやり方だったが、2011年に研究チームは血液のメタボローム解析で肝臓疾患の人だけがある代謝物の濃度に違いがあることを突きとめた。これにより鶴岡に世界最高の技術があると評価され、世界中から企業や研究者が押し寄せることになった。
現在慶應鶴岡発ベンチャー7社の従業員は550人、これに慶應を入れると約670人の雇用を生み出しており、これは鶴岡市の労働人口の1%にあたる。さらに国の研究機関やIT企業が鶴岡に入ってきている。ゼロから産業を創る、地域の為でなく日本ひいては人類・社会の為に産業を興す、それがうまくいけば結果的に地元も潤う。

2.慶應鶴岡発ベンチャー企業
1)HMT(ヒューマン・メタボローム・テクノロジーズ)社
  2003年創業、2013年東証マザーズ上場。慶應を誘致して13年目に庄内地方として9社、そして庄内に本社のある
  企業としては唯一の上場企業となった。
  基本的には受託分析で、企業からサンプルを受け取り有料で分析して返すというビジネス。最近ではアンジェスと 
  いう国産のDNAワクチンを作っている会社と提携。
2)Spiber(スパイバー)社
  人工のクモの糸を作るところから発想を得て、クモの糸に限らずタンパク質素材を微生物につくらせることを可能
  にした企業。
  アプリケーションは多々あるが今一番力を入れているのはアパレル。ナイロン・ポリエステルは、石油由来という
  こともあるが、最終的にマイクロプラスチック・ナノプラスチックとなって海にいき地球環境に悪影響を及ぼす。
  一方タンパク質素材は何年か後に土に還るという生分解性があり、さらにアニマルフリーでもある。
  代表者の関山和秀氏が大学生の時の飲み会で、たまたまクモの糸が話題になったのが発端だったが、天然のクモの
  糸は重さ当たりの強靭性が鋼鉄の340倍といわれ、既に米軍やNASA等名だたる組織が人工のクモの糸の研究に取
  り組みながら成功しておらず、当初周囲の反応は否定的だった。しかし、タンパク質由来の新素材を実用化するこ
  とは持続可能な社会をつくる上で大きな役割を果たすと考え、研究を応援した。
  本人ができると思ったら気の済むまでやるべきで、例え失敗しても時間の無駄ではなく、その過程で人は成長す
  る。今は人毛に替わるカツラの素材としてアデランスとの共同研究も進めているが、課題は量産化。本年3月タイ
  に鶴岡第二工場の100倍の規模の工場が完成、2023年にはさらにその10倍の工場がアメリカにできる予定。
3)Saliva Tech(サリバテック)社
  医療機関と提携して唾液による癌のスクリーニング検査を行っている。ストローと小さな容器の専用キットが実用
  化されビジネス化されており、国内1300の医療機関でおよそ3~4万円で検査を受けられ5種類の癌のリスクを調
  べることができる。唾液を解析センターで専用装置にセットし、癌のリスクをAからDの4段階で判定する。自宅で
  唾液を採取して送るというサービスも去年始めた。更に血液での鬱病の補助検査も実用化に向けて研究中。
4)メタジェン
  世界初となる便を常温保存できる検便キットを作った。便の中には病気を治してくれる腸内細菌がおり、世界中か
  ら便を集めて取っておけば、将来そこから菌を取り出して薬にできる可能性がある。但しその為には冷凍技術は使
  えず常温保全が必要となる。腸内細菌のバランスは最近非常に注目をあつめており、免疫や糖尿病・動脈硬化、更
  に精神疾患にも関与していると言われており、新型コロナの重症化にも関わっているとの研究結果もある。
5)ヤマガタデザイン
  社長の山中大介氏はSFC出身だがバイオとは関係なく、アメリカンフットボール部OBで、卒業後大手不動産会社
  に7年間勤務後鶴岡で街づくりの会社を始めた。
  前からサイエンスパーク内に宿泊施設が欲しいという話があり、山中氏がたまたまSFCの教授をやられていた坂茂
  氏にデザインを頼み込み、スイデンテラスが完成した。サイエンスパーク、学園都市と言うと日本では研究所の団
  地みたいになってしまうが、研究者がそこに移る時の最後の課題は家族を説得することで、家族からここに住みた
  いと言って貰えるような街づくりを目指している。

3.人材育成
今藤沢キャンパスの学生が鶴岡キャンパスの寮に泊まって毎日実験をやるバイオキャンプと呼ぶカリキュラムがあり、ここでは1年生から研究を開始する。週末には学生たちは山形の自然や文化を満喫するが、これも授業の一つ。大切にすべきことはひらめきとかアイデアであり、つまりサイエンスもアートであり自然や文化に触れて感性を磨くことが重要だと思う。
2009年以降、市内の普通高校と酒田東から多くの高校生を助手や研究生として受け入れている。市内の高校生全員にチラシを配っているが、応募条件の一つは“世界的な生命科学者になる意欲を持っていること”、もう一つは“特別研究生に採用されたら研究成果をアピールすることでAO入試若しくは推薦入試に臨む気概を持っていること”。つまり中途半端にセンター試験の勉強をせず、好きな研究をやり詰めて出した結果をアピールすることで大学に採ってもらう気概を持っている高校生は受け入れて全面的に援助するという制度。慶應の5つの高校からも3~4人ずつ選抜し、2~3泊で実験・実習をやるイベントがあり、2つの小学校の6年生と中学校の1年生合わせて30名に鶴岡に来てもらって同様のイベントを行っている。
また、世の中の問題で文系だけで解決できる問題なんてないし、理系だけでも解決できないという観点から、文理融合を目指して大企業の会社員も受け入れている。大企業の経営者と話をすると、皆うちの社員は優秀だが人と違うことをやる人がいないと言う。人と違うことをする人がいないと社会も組織も進歩しないし、そういう人を応援するのが慶應の理念だと思っている。
2018年  3月に損害保険ジャパン日本興亜と包括連携協定を結んだのを皮きりに第一生命と明治安田生命とも協定を結び、その後日本ユニシスと、またつい最近SMBC日興証券とも同様の協定を結んで、現在10名の会社員が文理融合で活躍している。彼らは自分でテーマを選んで研究を行っており、ゼロから考えることで力が付き面白いアイデアが出るとかんがえている。
福沢先生に“異端妄説の譏(そしり)を恐れることなく、勇を振って我思う所の説を吐くべし”という言葉があるが、私はこれを“流行や権威に迎合する優等生ではなく、批判・失敗を恐れず勇気を持ってやれ”と理解しており、これが福沢スピリットの原点であり慶應義塾の理念のはず。私は鶴岡ではこの理念を愚直に守っている。そのスローガンの一つが“普通は0点”。世間では65点ぐらいが普通だろうが、このキャンパスでプレゼンして、でもそれ普通だね、と言われたらそれは全否定つまり0点を意味する。普通のことは普通の人がやってくれたらいいのであって、私たちは普通の人がやらないことやろう。皆と同じことを上手くやる人は優等生ともてはやされるが、私たちは脱優等生を応援する。

質疑応答

  • いろいろな技術者の方々が異なる分野で研究されていると思うが、どんな仕組みで彼らのアイデアを導きだしているのか。
    ⇒ 研究者も人間だから研究しながら楽しいと思える環境を整えることが必要。その考えに基づき当初からジャグジー・サウナ・仮眠室を完備している。リラックス施設はけしからんという発想をやめないと日本のサイエンスは進歩しない。
  • ハヤブサが貴重なサンプルを持ち返ったが、メタボロームで早く解析できないか。
    ⇒ 既にJAXAと話を進めている。但し、解析そのものはすぐだがそれは元データに過ぎず、解析結果にどんな意味があるか考えたり、それを裏付ける実験が必要となる。
  • タイやアメリカにクモの糸の工場を作るとの事だが、今は経済安全保障ということが言われている。なぜ日本国内ではなくタイ・アメリカなのか。
    ⇒ 研究開発本部は日本で、持って行くのは大きなタンクの部分のみ。コスト上ネックとなるのは微生物の餌となるバイオマスで、タイはバイオマスが豊富なことから量産化の部分のみタイに置こうというもの。また一国に頼るのは安全保障上危ないのでアメリカにも工場を作る予定。
  • 2年前分科会で鶴岡見学を計画したが地震で中止。今後も塾員向け見学会を実施するか。
    ⇒ 今後共観光とセットにした塾員向けツアーを実施するが、いずれにせよワクチン後。
  • 先生が所属する環境情報学部のアイデンティティーをどのように評価されているか。
    ⇒ 今までの教育は学部に学問分野の名前がついていたが、これからは学問分野をマスターするのでなく、例えば地球環境とか高齢者福祉といったイシューに取り組むべき。そのイシューの解決の為に、文理を問わずあらゆる分野の勉強をして、それを卒業論文にするのがSFCのスタイル。
    教育で一番重要なのはモチベーションで、好きなテーマを見つければ基礎がなくとも研究を始められるし、研究をスタートすれば何を勉強すべきかわかる。そうなると勉強は楽しくなる。これからはオンデマンドで学んでいく力をつけるべきで、大学を卒業しても勉強だと思う。SFCにおけるあなたの専門は、と聞かれた時、そこにはイシューがくる。それに向けて各学問分野をオンデマンドで勉強する。そしてまたテーマを替えてまたオンデマンドで勉強する。そうやって自分が成長していくと思う。

以上

<冨田勝氏略歴>

1957年東京生まれ。慶応大学工学部卒業後、米カーネギーメロン大学に留学し、コンピューター科学部で修士課程(1983)と博士課程(1985)終了。その後、カーネギーメロン大学助手、助教授、准教授、同大学自動翻訳研究所副所長歴任。1990年より慶応義塾大学環境情報学部助教授、教授、学部長、評議員を歴任。
米国National Science Foundation大統領奨励賞(1988)、日本IBM科学賞(2002)、科学技術政策担当大臣賞(2004)、文部科学大臣表彰科学技術賞(2007)、International Society of etabolomics功労賞(2009)、福澤賞(2009)、大学発ベンチャー表彰特別賞(2014)、Audi Innovation Award(2016)、鶴岡市市政功労者(2016)、国際メタボローム学会終身名誉フェロー(2017)、山形県特別功労賞(2017)第68回河北文化賞(2019)などを受賞。

 

【花】第36回「花と緑と文化の会」例会

「はけの道を巡り、武蔵野・野川公園へ」  

                                     昭和46 久保田 宏

 第36回の例会は新緑が芽吹き、武蔵野の雑木林がもえぎ色に輝く武蔵野公園、野川公園を訪れた。
 4月25日、参加者は9名。JR武蔵小金井駅を9時半に出て駅前の道を南のへ下る。途中の「はけの道」を左折。     “はけ”下の金蔵院に立ち寄る。小金井市指定の天然記念物である樹齢300年を超す、ムクと欅の大木を眺める。当院を出て直ぐ左にオニイタヤの巨木(小金井市の天然記念物)がある。樹高が高く遠くから撮らないと全貌が写真に入らない。
 小金井神社の脇を通り野川に出る。川沿いの住宅の庭は春の花が満開で、のんびりとしたプロムナードである。11時には武蔵野公園に到着。公園の中程にはこんもりと土を盛った小山(くじら山)があり、保育園児達の恰好の遊び場になっている。園児達に続いて私達も“くじら山”に登った。そこからは対岸の“はけの道”と国分寺崖線、新緑の雑木林の中の農家が見渡せ、気持ちの良い里山風景が望まれる。
 武蔵野公園には、都立の公園や街路樹に植える木々を育てる苗圃(びょうぼ)があり、その中を散策。ハナミズキなどの花の咲く樹木も植えられていたが、残念ながらどれも咲く時期は終わっていた。
 西武多摩川線のガードをくぐると野川公園である。この公園は東八道路で南と北の区域に分かれ、北側は自然の地形を利用した公園になっていて、自然観察園は北の区域にある。自然観察園は“観察園”と名前があるように湧水を巡る木道が整備されていて、四季折々の草花を観察することが出来る。私達が訪れた日には、クリンソウ、オドリコソウ、が花を咲かせていた。
 東八道路を陸橋で渡り、気持ちの良い芝生が拡がる野川公園の南地区を散策。ここは元国際基督教大学のゴルフ場であっただけに、実に気持ちの良い散歩道であった。
 12時に野川公園の正門に到着。散会となった
次回は、秋に“紅葉を楽しむ散策”を考えています。お楽しみに。