【E】第131回Oh!Enkaの会報告

コロナ禍のために活動を休止していたOh!Enkaの会が3年8か月ぶりに開催されました。
「塾歌」・「若き血」の斉唱時には全員がマスクを着用して小声で歌う等、安心・安全に注意した
開催となりましたが、会員にとっては待ちに待った再開であり、久しぶりに生の演奏を全身で感じ、
会場が一つになった2時間40分でした。

第131回Oh!Enkaの会
1.日時:2023年9月9日(土) 午後2時~4時40分
2.会場:本多公民館 視聴覚室
3.出席者:会員50名、出演者6名、計56名
4.プログラム
  塾歌斉唱 ピアノ伴奏 川端友紀子
  ◆第1部 ピアノ演奏 川端友紀子
    ・フォーレ     組曲「ドリー」(4手連弾)より、子守歌
    ・ドビュッシー  アラベスク第1番
             「ベルガマスク組曲」より、月の光
    ・ショパン    「24の前奏曲」より、第7番
             ワルツ第6番 「小犬」
             ワルツ第4番 「華麗なる大円舞曲」
    ・ブラームス    間奏曲 作品117−1
    ・シューマン=リスト 献呈(君に捧ぐ)
    ・中田喜直    「日本の四季」(4手連弾)より、初秋から秋へ
              五月晴れと富士山
  ◆アトラクション 丸山 茂会員の手品
  ◆第2 部 弦楽四重奏 シニア・アンサンブル・ワグネル
   【クラシック】
    ・ゴセック    :ガボット
    ・レスピーギ   :「 リュートのための古風な舞曲とアリア」より、イタリアーナ
    ・モーツアルト  :弦楽四重奏曲第4番K157第1楽章
    ・ドボルザーク  :新世界交響曲第2楽章より
   【ポピュラー】
    ・ジョプリン   :ジ・エンタテイナー
    ・ジーツィンスキー:ウィーンわが夢の街
    ・モノー     : 愛の賛歌
    ・ヤコブ・ゲーゼ : タンゴ・ジェラシー
   【日本の歌】
    ・中田喜直    :夏の思い出
    ・中田喜直    :ちいさい秋みつけた
    ・井上陽水・平井夏美:少年時代
    ・中村八大    :上を向いて歩こう
  ◆若き血斉唱  ピアノ伴奏 川端友紀子

第131回Oh!Enkaの会概要
最初に塩井世話役代表から挨拶があり、3年8カ月ぶりにOh!Enkaの会を再開できたことの喜びと、
当面はミニコンサートと講演会を中心とした開催となるが、以前にも増して楽しいOh!Enkaの会
にしていきたいとの強い思いが述べられました。
次いで、ゲスト演奏者の川端友妃子様のピアノ伴奏で塾歌を斉唱しました。本来であれば塾歌の他
に何曲かカレッジソングを歌うのですが、もう少し時間がかかるかもしれません。

第1部は川端友紀子様によるピアノ演奏です。ドビュッシー、ショパン、リスト等のロマン派の作曲
家のピアノ曲と中田喜直の曲をについて、曲の生まれた背景やエピソードなど興味深いお話も交え
て演奏していただきました。
最初にお母様の川端博美様との4手連弾でフォーレの子守歌の演奏が始まりました。この曲は、フ
ォーレの友人の娘(後年のドビュッシー夫人)の娘のドリーの誕生祝に書かれたものです。ドビュッ
シーは、本当は歌曲を書きたかったのですが、生活のためにピアノ曲を書いていたそうです。
川端様よりルノアールの絵の紹介がありましたが、ドビュッシーは親交のあった富豪の2人の娘に
曲を書き、同じ富豪と親交のあったルノアールは姉妹の絵(オランジェリー美術館に展示)を描いて
います。
ショパンは初めてピアノレッスンで生計を立てることを確立しましたが、当時のショパンのレッス
ン料は現在とほぼ同じで、1時間2万円、出張レッスン料は3万円(交通費別)だったそうです。また
ショパンは流行に敏感で、作曲家として初めて写真を撮影しています。ショパンのワルツ第6番は
「子犬のワルツ」として知られていますが、ワルツ第4番「華麗なる大円舞曲」は別名「子猫のワ
ルツ」とも呼ばれています。
ブラームスはお金には執着がなく、財産管理は出版社に任せていたそうです。間奏曲作品117-1は
ブラームス晩年(59歳)の作品で、ブラームスの孤独な内面を映し出した作品となっています。
献呈(君に捧ぐ)はシューマンが歌曲として作曲した作品をリストがピアノ曲として編曲したもので
す。当時のリストは超絶技巧を駆使した演奏が大人気で、演奏料も高かったそうですが、晩年は得
た財産で慈善活動にも励んでいました。ちなみにピアノリサイタルはリストが確立したと言われて
います。
第1部の最後には、再び川端様のお母様との4手連弾で中田喜直の「日本の四季」より「初秋から
秋へ」と、「五月晴れと富士山」を演奏していただきました。連弾ならではの迫力と立体的で深
みのある演奏で会場が一層華やかなものになりました。

休憩の後、アトラクションとして丸山茂会員の手品が披露されましたが、玄人はだしのあ
ざやかな手さばきと軽妙なトークに会場は大いに盛り上がりました。

第2部はシニア・アンサンブル・ワグネル(SEW)による弦楽四重奏(カルテット)です。代表の金澤
様と伊東克会員がゼミのご友人であることがきっかけとなって、2020年2月にはOh!Enkaの会で
のコンサートが検討されましたが、コロナ禍によって見合わせられ、この度3年越しで実現の運び
となりました。カルテットメンバーは全員ワグネル・ソサィエティ・オーケストラ(ワグネル・オ
ケ)出身で、2017年にワグネル・オケOBによって設立されたシニア・アンサンブル・ワグネル
(代表:金澤洋様)に所属されています。合奏の原点と言われる弦楽四重奏を心ゆくまで堪能するこ
とができました。
【クラシック】
最初の曲はベルギー出身の作曲家ゴセックの「ガボット」です。ガボットはフランスのフォーク
ダンスとそれに由来する古典舞曲であり、バイオリンの習い始めには必ず弾く曲だそうです。
次いでローマ三部作(ローマの噴水・松・祭り)で有名なイタリアの作曲家レスピーギがリュート(撥
弦楽器)のための曲を弦楽四重奏用に編曲した「イタリアーナ」と、モーツァルトの初期の頃の作品
で、ミラノ滞在中に作曲されたと言われる「弦楽四重奏曲第4番K157第1楽章」が演奏されました。
クラシックの最後はドボルザークの「新世界交響曲第2楽章」です。ドボルザークがアメリカから故
郷のボヘミヤの自然を懐かしく想う気持ちが伝わってきます。
【ポピュラー】
最初は、アメリカの作曲家ジョブリンの「ジ・エンタテイナー」です。この曲はアフリカ系アメリ
カ人によって酒場などで演奏されていたラグタイム曲であり、1973年のアカデミー賞受賞映画「ス
ティング」のテーマとして使用されたことで注目されました。
2曲目はオーストリアの作曲家ジーツィンスキーの「ウィーンわが夢の町」です。ウィーンへの思
いをノスタルジックな賛美を込めて作曲されました。ウィーン市民にも愛され、多くの歌手によっ
て歌われています。
3曲目はフランスのモノ―によって作曲された「愛の讃歌」です。フランスのシャンソン歌手エデ
ィット・ピアフによって歌われ、シャンソンを代表する名曲として世界中で親しまれています。
ポピュラーの最後の曲はデンマークの作曲家ヤコブ・ゲーゼによる「タンゴ・ジェラシー」です。
情熱的なアルゼンチンタンゴとは異なり、コンチネンタルタンゴのロマンティックで哀愁を帯びた
響きが特徴です。
【日本の歌】
偶然にも川端友妃子様のピアノ演奏曲の作曲者と重なりましたが、1曲目と2曲目は中田喜直作曲の
「夏の思い出」と「小さい秋見つけた」です。中田喜直は東京生まれで、フェリス女学院短期音楽
大学で30年余り教鞭をとられていました。
3曲目は井上陽水・平井夏美共作の「少年時代」です。某TV番組で、大人も子供も好きな歌No1に選
ばれたそうです。
最後の日本の歌は、永六輔作詞・中村八大作曲、坂本九が歌って大ヒットした「上を向いて歩こう」
です。全米でも大ヒットし、その歌詞から日系人にとっても心の支えとなった曲となりました。
【アンコール】
アンコール曲としてモーツァルトの楽曲の中でも有名な曲の一つである「アイネ・クライネ・ナハ
トムジーク」が演奏されました。

最後に、川端友妃子様のピアノ伴奏、井上会員のリードによって「若き血」が斉唱され、お開きとな
りました。

当日のスナップ写真は  ここをクリック”  でご覧いただけます。(斎藤 信雄会員、久保田 宏会員撮影)

演奏者プロフィール
【川端友紀子】
 桐朋女子高等学校音楽科、慶應義塾大学環境情報学部卒業。パリ・エコールノルマル音楽院高等演奏
 ディプロムを取得し第2課程(修士課程)修了、及び室内楽クラスを審査員満場一致で修了。(財)野村国
 際文化財団、Zygmunt Zaleski Stichting財団奨学生。
 7歳で東京ニューシティ管弦楽団とモーツァルトのピアノコンチェルト第8番リュツォウを共演。
 PTNAピアノコンペティション全国大会銅賞、全日空賞受賞。全日本学生音楽コンクール東京大会本
 選入選。マイエンヌ国際ピアノコンクールファイナリスト(フランス)。ワルシャワ音楽院セミナー、
 クールシュヴェル夏期国際音楽アカデミー、クレフェルト国際ピアノマスタークラス、ニース国際音
 楽アカデミー等に参加。フランス、ドイツ、日本でのソロリサイタルをはじめ、マコン夏の音楽祭、
 丸の内トラストシティ・ランチタイムコンサート等、各地のコンサートに出演。ソロのほか、室内楽、
 オーケストラ、声楽伴奏ピアニストとしても活動している。
 桐朋学園大学特別招聘講師。同大学音楽学部附属子供のための音楽教室お茶の水教室講師。日本ピ
 アノ教育連盟会員。立川三田会会員。

【川端博美】
 1974年早稲田大学法学部卒業。立川稲門会会員。

【シニア・アンサンブル・ワグネル(SEW) カルテットメンバー】
Violin 金澤 洋1964年 経済学部卒
 
1973年 第一勧銀管弦楽団を設立。
 2001年 みずほ銀行誕生とともにみずほフィルハーモニーが新発足、入団。
 2017年 シニア・アンサンブル・ワグネル(SEW)が新発足、入団。
 2018年 SEW代表に就任、現在に至る。
Violin 金子直子1973年 文学部英米文学科卒
 
1969年大学の入学式でワグネルソサエティオーケストラを聴いて、入団。
 卒業から16年のブランクの後、ワグネルOBオーケストラに入団。
 2018年 シニア・アンサンブル・ワグネル(SEW)に入団。
Viola   関  憲吾1970年経済学部卒
 
7歳〜20歳までバイオリンを習い、塾高ワグネルでビオラに出会う。
 社会人になってからは弦楽四重奏等を中心に室内楽を楽しむ。
 2019年 仕事をリタイア後シニア・アンサンブル・ワグネル(SEW)に入団。
Cello  河元 哲史 1978年経済学部卒。
 
1978年主要大学オーケストラメンバーと弦楽合奏団アンサンブルフランを設立。
 1995年 日立製作所京浜地区の社員を中心に日立フィルハーモニー管弦楽団を設立。現在に至る。
 2022年シニア・アンサンブル・ワグネル(SEW)に入団。

Oh!Enkaの会 世話役代表:塩井勝也(S41法)
世話役:斎藤信雄(S38政)、髙橋伸一(S45法)、久保田宏(S46工)、芳賀 崇(S47経)、
平林正明(S47経)、山田 健(S47経)、池田敏夫(S47商)、井上 徹(S49政)、塚原正典(S54文)

次回(第132回Oh!Enkaの会)の予定
1.日時:2023年12月17日(日)
2.会場:本多公民館 視聴覚室、又は光公民館ホール
3.プログラム
  ・講演会   : 柳澤寿男様(コソボフィルハーモニー交響楽団首席指揮者)
  ・ピアノ演奏 : 吉村美華子様
                                           以上

 【蕎】第62回 蕎麦っけの会

2023年9月8日(金)第62回「蕎麦っけの会」が開催されました。
今回は10月で一時閉館となる国立演芸場を訪れ、落語や演芸を楽しんだ後中野の「さらしな総本店中野北口店」で旨い蕎麦を肴に酒を酌み交わしました。
生憎台風13号が関東を直撃という最悪のタイミングでしたが、幸いにも雨風の影響もほとんどなく無事に楽しく挙行されました。国立演芸場は19名、蕎麦屋は21名が参加しました。
国立演芸場は台風の影響もあり、客席の半数近くが我が団体でした。落語を中心に和妻という和風マジックやものまねを大いに楽しみました。
蕎麦屋は会場の都合で2部屋に分かれましたが日本酒5升近くを空け、大いに相互交流し盛り上がりました。締めの真っ白な“さらしなそば”がお店の特徴を表わしていました。忘年会での再会を約しお開きとなりました。

(第4代世話役 山田 健(S47経))

【Y】第45回ザ・ヤングサロン 社会に目を向けよう「SDGsに関する慶應義塾中等部の取組み」を開催

2023年7月16日(日)多摩図書館2階セミナー室にて22名参加の下、第45回The Young Salonを開催。講師として慶應義塾中等部教諭中村宜之氏(SDGs推進担当)をお迎えし、首題をテーマにお話し頂きました。中村教諭は、2000年に塾理工学部応用化学科を卒業、中等部の非常勤教諭を勤めながら、早稲田大学教育学部教育学科専攻を2002年に卒業され、2002年4月から中等部理科教諭、現在はラグビー部顧問、SDGs委員長、3年生の担任もされています。新型コロナ感染症には万全を期した上で懇親会も実施しました。講演の概要は以下の通りです。
                     記
1.中等部とSDGs
慶應義塾中等部(以下中等部)は戦後日本の体制が変わった1947年に慶應義塾初めての男女共学の一貫校として開校。当時の先生方がなるべく自由な空気をと考えたことから今でも風通しのいい教育を考えている。
私は中等部で2年間の非常勤講師を経て2002年に常勤教諭となったが、当時の中等部部長(学校長)であった法学部平良木教授が環境先進国ドイツの状況を見て、中等部も環境問題に取り組むべきと考え、私をISO14001取得委員長に任命。苦しみながらも環境教育を題材として2005年にISO14001の認証を取得。しかしISOは実際の授業との関りが少なく、もっと実践的なものを模索していた。
2019年5月学校林のある岡山県真庭市を訪問。真庭市は間伐材を使ったバイオマス発電で町の電力を賄うなど官民一体で山の町の良さをSDGsの視点から捉え直し、日本初のSDGs未来都市に選ばれていた。ここでSDGsに感銘を受け、更に日本のSDGsの第一人者で慶應義塾大学大学院の蟹江教授より、2015年に国連で採択されたSDGsが日本で全然広まっておらず、子供たちが学校で学んでいくなかにSDGsが無いと実現できないので、中等部で扱うのであれば一緒にやりたいという話を伺い、2020年4月に3年生の選択授業として「SDGsのすゝめ」を開講。これに現中等部部長井上さんが興味をもち、木造案を含む校舎建替えの検討に絡めてSDGsのゴールである2030年の更に先まで繋がるテーマで校舎のことを考えようと、2020年11月のSDGs宣言に至った。

2.選択授業「SDGsのすゝめ」
初の教科横断の試みで、理科の私・社会科の足立さん・大学院の蟹江教授の3名で11人の生徒をみている。主な授業内容は①中等部のSDGs分析、②講演会・外部講師授業、③近郊見学
①中等部のSDGs分析
SDGsの17の目標、169のターゲットに対して自分達が関わっている18項目を選定、電気・ガス・水の節約とか基準服(制服)のリユース、学校林の間伐材の利用、寄附付き商品の考案、募金といった活動がどんな影響を持つか、環境問題をはじめ社会・経済問題にどこまで関わっていくかを子供達と一緒に考えて一覧表を作成。社会問題・経済問題・環境問題がSDGsの3つの柱だが、この表で中等部の活動は経済問題がやや薄いものの大体どの問題にも関わっているのがみえてくる。
トレーサビリティの考察では岡山の学校林の木材を使ったリサイクルボックスに関して、苗を植え、木を育て、伐採、製材、製作するまでがSDGsの169のターゲットのどれに該当するかを分析してもらった。また、自分達が使っている机やノート或いは販売しているペンケースやバッグがどこから来てどこに行くのかを分析するという作業をしたが、数多くのものをこうやって見るのは無理で、そこで出てくるのが認証制度の話。以来子供達も認証制度の大事さを理解し、お菓子やトイレットペーパーや包装紙の認証に興味を持つようになった。
②講演会・外部講師授業
いろいろな講演会で特に衝撃的だったのは、バリ島で各種事業をされていて社会問題を解決する為のプロジェクトに資金援助をしているEarth Companyの濱川知宏氏で、濱川氏からは逆に中等部はどれくらいエコな学校かと聞かれた。何もできていない実情を打ち明けると、それに気づけたならいいのではないか、この後中等部がどうなっていくかを今度聞かせて欲しい、と言われた。
アパレルブランドCLOUDY代表銅冶勇人氏はアフリカ旅行中に見たスラム街にショックを受け、現地のろうけつ染め布地を製品化して販売、売上の10%をアフリカへの寄付とし学校建設などに取り組んでいる。銅冶氏には、ただお金をあげればいいのではなくその先をしっかり見て欲しいという講演をしてもらった。これらの講演に触発されて始めたのがブランケットの作成やアフリカの布地を使ったペンケース・バッグの作成で、当初中国の工場で製造していたが、子供達の意見を基に現地製に切り替えた。
山櫻の市瀬社長にも講演を依頼した。同氏はSDGs最先進国のスウェーデンを度々訪問、EVが道路を走るだけで充電できるインフラを作っている等の最新情報を中等部に教えてくれている。
また、2020年に朝日新聞よりSDGsを広める為に英語で書かれている169のターゲットを日本語版とし、子供達のアイデアでキャッチコピーを作って欲しいとの話があり、最終的に慶應中等部・青山学院中等部など数校かの生徒が中心となって取り組み、横浜で発表会が行われた。
③近郊見学
中等部の近郊見学として、Apple銀座のビル内部の木質化、GINZA SIXの木質化と屋上庭園、松屋銀座のSDGs関連商品、ユニセフハウスの見学を実施。ユニセフハウスで「この地球は先祖からゆずり受けたものではない。未来の子どもたちから借りているものだ」との言葉に接して意識が変わったという子どももいた。今年は、カポックという植物の種の周りの羽毛のような綿を植物由来の原料として利用しようとしている宮下パークにある会社を訪問、実際のカポックの綿を使ったコートを見せてもらった。

3.学校行事
①遠足
江の島の海岸にゴミ拾いに行った。“面白いゴミコンテスト”を実施、また拾ったマイクロプラスチックを使って“KEIO75”の文字を作り、秋の展覧会に展示した。
“海のゴミは川から、川のゴミは街から、街のゴミは人の心から”(現地のキャッチコピーより)
②林間学校
昨年の林間学校は南三陸となった。宿泊したホテルが分水嶺に囲まれ片方が海であとの三方が山。その山に降った雨はすべて志津川湾に流れ込む。ここは暖流と寒流がぶつかる海藻が豊かな地域でラムサール条約湿地に登録されており、牡蠣の養殖が盛んでもある。
ここの山はFSC認証を取ってしっかりした管理がなされており、海はASC認証という養殖の国際認証を取っている。そんな地域に学校林があり、学校林を訪れながら現地のことを学ぼうと、海水で塩造りをしたり海藻で押し葉を作り、栞や葉書作りを体験してきた。
3日前にほかの学年が南三陸に行ってきたばかりで、最終日には語り部バスに乗って震災学習もしたとのことで、ちょっと遠くて費用もかかるが学習には最適な場所と思うし、この先も残せたらいいと思う。
③75周年講演会
75周年講演会では、中等部生二組の講演に続き、蟹江教授と元NHKクローズアップ現代のキャスターを務めていた国谷SFC特任教授のお二人にSDGsの講演をしていただいた。

4.学校林
日本全国に160haの学校林があり、我々が行っているのは西端の岡山落合の森と東端の南三陸志津川の森。
岡山にはブランドとして美作ヒノキが、南三陸には南三陸スギと、それぞれいいところがある。
岡山では結構活動していて、カラマツ・広葉樹それぞれの場所で間伐をしたり、北欧の教育プログラムであるLEAFプログラムに沿って葉っぱの匂いを嗅いだり触ってみたり、目をつむって何が聞こえるか感じてみたりして、最終的には森の役割は何かということをインストラクターが導いてくれるというようなことをやってきた。また今年の春に75周年の植樹として三重のヒノキを植林してきた。9月には生徒達と一緒に下草刈りに行く予定。
南三陸は学校林を含めてすべてFSCの森になっており、その認証を受けた南三陸スギでベンチや教卓を作ってもらった。この教卓は18校の教室すべてに置いてある。

5.教科などの取り組み
各教科の取り組みということで、家庭科・理科・美術科・選択授業等々それぞれが協力してやってくれている。家庭科では生ゴミをコンポストで堆肥化、理科では家庭の生ごみをミミズコンポストで液肥化、ミツバチの飼育と観察・環境づくりと蜂蜜搾り、美術科では環境漫画家の方の講演でポスター制作に関するアドバイスをもらい169のターゲットから一つを選んでポスターを作った。
選択授業で、書道の先生が新しくできた慶應義塾ミュージアムコモンズとのコラボレーションにより芸術とSDGsという視点で研究されている。
あと、これからの夏休みに地理研究会・社会研究会と一緒に岡山に行く計画を立てており、また料理と手芸の会が自分達で作ったお菓子をプラスチックではなく紙の包装で配ろうとしている。

以上が中等部のSDGsへの取り組みで、この先少しづつできる範囲でやっていこうと思っている。

質疑応答
Q:中等部の段階でこれまでSDGsを実施されているのは感動した。特に169のターゲットの表、チェック指標があそこまでやられているのは驚き。ただ、先生がおっしゃった通り政治・経済がらみのチェックが少なく、環境関連にチェックが多く入っている。近代化は開発と環境の戦いで、先進国イコール工業化は疑いのないコンセプトであり、日本を含む先進国は環境破壊をやってきた。開発と環境は政治・経済がらみになることが多いが、この問題を中等部の段階でどう説明されているかいないのか伺いたい。
A:自分達が言うより、実際に社会に出て、ある業界の人から裏話も含めた業界の実情を話してもらい、いろいろな仕組みを知ってもらってどう考えるかと問いかけていくのが中学でできる精一杯のところ。実際に子供達は周りに目を向けられるようになってきており、それがこれまでの課題を解決する一つの要因になるのではないかと感じている。

 

 

 

 

【歴】第102回 歴史をひもとく会例会 開催報告

武蔵国分寺の話

〜国分寺建立の背景と武蔵国分寺の大伽藍〜

7月8日(土)、国分寺本多公民館視聴覚室において、第102回例会が開催され、蒸し暑い中ではあったが、37名の方が参加された。

IMG_6220(2)講師は国分寺市教育委員会ふるさと文化財課文化財保護係長(学芸員)の増井有真氏。先生は国分寺市の文化財保護と普及活動の中心となって活動しておられ、武蔵国分寺跡史跡指定100周年記念事業を中心となって推進された。歴史をひもとく会においても、2019年の2月23日の第88回例会で「武蔵国分寺以前の歴史~古墳時代から律令時代の黎明期を中心として~」と題してご講演いただいている。

 

ご講演内容要約

国分寺建立の意味を考える際には、なぜ建てられたか、そして人々がどのような思いをかけたのかが重要である。

それを知るためには、7〜8世紀の時代背景を知る必要がある。7世紀は豪族の連合政権に近かった4〜6世紀の古墳時代から、一転中央集権を目指した時代といえる。また、同時に国家の基本的理念として仏教が採用されていった時代でもある。中央集権を国家目標とした契機は3つ考えられる。

一つ目は天皇をも凌駕しかねない巨大権力をもった豪族が出現、それを排除する必要があり、乙巳の変により中大兄皇子らが蘇我氏を滅ぼしたが、このような事態の再来を防ぐため、中大兄皇子は自ら権力を握り、皇親政治により中央集権を強化していった。

二つ目は白村江の戦いで唐・新羅の連合軍に敗北した結果、唐による日本列島侵攻が現実的な危機となり、中央集権的な軍事体制の創設が急務となった。

三つ目は壬申の乱という内戦により、皇位継承のルール確立が必要となり、そのためには強い中央政府が必要となった。

中央集権の制度的骨格となったのが律令制だが、その中で地方の行政制度も確立されてゆき、武蔵国が置かれることとなった。中央から派遣された国司が国全体を統括したが、国司がいるのが国庁、それを囲むように国衙が造られ、周囲の街並みを含めて国府と称した。

武蔵国は国の格としては大国であり、21郡がおかれ、当初は東山道に属したが後に東海道に転属した。武蔵国府は現在の府中市にあり、武蔵国府関連遺跡の範囲は東西6.5km、南北1.8kmに及ぶ。

このような時代背景の中、国分寺建立の中心となった聖武天皇が登場する。聖武天皇は藤原氏の血を引く初めての天皇である。乙巳の変の立役者の一人中臣鎌足が藤原の姓を与えられたことで、藤原氏は成立したが、聖武天皇は鎌足の息子不比等の娘宮子と文武天皇の間に誕生した。しかし、彼は幼少期、母親の宮子の病のため母親を知らずに育ったことや、天皇即位後、宮子に「大夫人」の称号を与える勅を出したものの、長屋王の反対により勅を撤回せざるを得ないという事件、藤原氏と長屋王の権力闘争から長屋王が死に追い込まれた長屋王の変を経験した上、その治世は飢饉や天然痘の流行、藤原広嗣の乱などが相次ぐ波乱にとんだものだった。彼はそれらの災厄を全て自身の不徳と捉え、自身を責め続けたが、国民の幸福実現のためには仏教の力が必要との結論にいたった。そして、741年2月国分寺建立の詔がだされた。

「・・・金光明最勝王経には『もし広く世間でこの経を読み、敬い供養し、広めれば、われら四天王は常に来てその国を守り、一切の災いもみな取り除き、心中にいだくもの悲しい思いや疫病もまた消し去る。そしてすべての願いをかなえ、喜びに満ちた生活を約束しよう』とある。そこで、諸国にそれぞれ七重塔一基を敬って造り、併せて金光明最勝王経と妙法蓮華経を各十部ずつ写経させることとする。私もまた、金文字で金光明最勝王経を写し、塔ごとに一部ずつ納めたいと思う。」

聖武天皇はその後、華厳経と出会ったことから、大仏建立へと向かっていった。

このようにして、武蔵国分寺は建立されることとなったが、四神相応の地であることと国府の街並みから適度に離れていなければならないことからこの地に造られたと考えられる。規模は寺地が東西2km。南北1.5km、僧・尼寺を含む寺院地が東西870m、南北540mで、この規模は、東大寺を除くと諸国の国分寺の中で最大である。

国ごとに官寺をおく制度は中国にもあるが、尼寺を置くのは日本独自のもので、光明皇后の発案だという説がある。聖武天皇の仏教による国家運営には光明皇后の影響は非常に大きかったと考えられる。

当初は七重塔を中心とするプランでスタートしたが、造営が進まないことに剛を煮やした聖武天皇が国司ではなく、郡司層を中心としたプロジェクトに変更、協力の見返りに郡司職の世襲を認めたことから、郡司層の積極的な関与が実現し、計画が拡大・加速され、すでに建設されていた七重塔より西に拡張された結果、現在確認されているようなプランとなった。七重塔は2回建て替えられたことが、発掘調査から判明しているが、1回目と2回目の間に場所を変えて建設しようとした跡なども調査により見つかっている。ただし、これは途中で断念されたらしい。七重塔以外の施設としては、金堂、講堂、中門、塀、南門、東僧坊、北方建物、鐘楼、堂間通路などが判明している。また、国分寺を支える施設として、政所院、大衆院、苑院、花園院、東院、中院、修理院、講師院などの施設の存在が明らかとなっている。

最盛期は9世紀で、10世紀中頃から11世紀にかけて衰退し、1333年の分倍河原の戦いの折に焼失したが、薬師如来は残って現在に伝えられている。途中、塀が掘立柱から築地塀に造り替えられるなど地震対策が見られる。

国分寺の造営は20年余りが費やされたと考えられるが、境界となる溝の総延長は7800m、延べ5850人を動員、使用された礎石は約500個、延べ17000人を動員、瓦の数は約50万枚、瓦工延べ6700〜7800人、仕丁延べ13400〜15600人が動員されたと考えられるが、当時の武蔵国の人口は約13万人と考えられるので、農民にはかなり大きな負担となったと考えられる。総工費は現代の貨幣価値に換算すると、848億5千万円という巨額になると試算されている。

以上が先生にお話の概要だが、要約しきれないほど詳細で、かつ先生の国分寺愛がこめられた情熱的な語りで、素晴らしいご講演であった。

講演会終了後、国分寺駅北口のデンズキッチンにて懇親会を開催した。懇親会には講師の増井様も出席され盛り上がった懇親会となりました。

 

【ゴ】第12回(復活第6回)国分寺稲門会・国分寺三田会懇親合同ゴルフ会

12回(復活第6回)国分寺稲門会・三田会懇親合同ゴルフ会を7月7日青梅ゴルフ倶楽部で開催いたしました。またプレイ終了後は同ゴルフ場のコンペルームにて表彰式を行いました。
開催日直前まで天候が心配されましたが、幸い天気は晴れ(真夏日)となり、楽しくプレイしました。団体優勝は国分寺三田会、個人優勝は国分寺稲門会の高柳さん、ベストグロスは国分寺稲門会大橋さんさんが獲得されました。
4年ぶりの開催とあって、各パーティとも会話も弾み、表彰式も順位発表・団体戦結果発表と盛り上がりました。

国分寺稲門会・三田会懇親合同ゴルフ会
・ 開催日   2023年(令和5年)7月7日 (金曜日)
・ 場 所   青梅ゴルフ倶楽部
・ 参加者   国分寺稲門会11名  国分寺三田会17名
・ 時 間   8:28スタート 東、中 各4組 (計8組)
・ 会 費   1000円(参加費・賞品代)
・ 競技方法  新ぺリア方式 個人戦・団体戦(参加者平均ストローク)
・ 個人成績  プレイ参加者 国分寺稲門会11名(ホールアウト10名)、国分寺三田会16名(全員ホールアウト)

優勝高柳修一(稲門会) 準優勝堤康人(三田会) 3位松村英明(稲門会) 4位小野澤純一(稲門会)
5位大橋忠弘(稲門会) 7位小川俊彦(三田会) 10位吉村太朗(三田会) 15位鶴谷錬一(三田会)
20位今西啓之(稲門会) BB増本千明(稲門会)
BG:大橋忠弘(稲門会)(87)

・ 団体成績 優勝  国分寺三田会

ゴルフ会 表彰式
・ 場所   青梅ゴルフ倶楽部 コンペルーム
・ 時間   14:40~
・ 会費   なし 各自精算にて
・ 参加人数  28名 (プレイ者27名、 国分寺三田会岩田)

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次回以降ゴルフ会のお知らせ

・ 10月4日(水) 昭和の森ゴルフコース
   out/in 8:00 同時スータト 各3組 全6組
   懇親会も企画しています(懇親会のみの参加も可)。
   準備が整いましたらご案内します。

【花】第44回花と緑と文化の会例会を開催しました。サマーランド(あじさい園)

第44回の例会は6月21日(水)、東京サマーランドあじさい園に紫陽花を観に出かけました。参加者は8名。あじさい園はサマーランドの分園であるが、あじさいの開花時期にのみ開園されます。
秋川丘陵の自然の中に作られた東京サマーランドのあじさい園は山全体が見どころです。
あじさい園では、約60品種、15,000株のあじさいが群生しており、特に見どころは、純白のあじさいアナベルが群生する「アナベルの雪山」です。
散策路はアスファルト道やウッドチップ道で整備されていて、両側に咲く、あじさいを眺めながら登って行くと、自然と「アナベルの雪山」に導かれる。
「アナベルの雪山」は麓から見上げても良し、丘の上から見渡しても良し、そのスケール感は素晴らしい。

【花】第43回花と緑と文化の会例会を開催しました。昭和記念公園(桜とチューリップ)

第43回例会は3月29日、昭和記念公園に桜とチューリップを観に出かけた。今年は桜が散る前に、気温が上昇しチューリップも咲き出し、二つの花を同時に見ることができた。(参加者14名)。9:30(開門時刻)に集合したのだが、開門との時には長い行列ができる程で、みんな3年振りの花見を楽しもうと訪れた人である。
園内の桜(残堀川沿いの桜並木、みんなの広場の桜)は正に満開、大満足である。渓流広場に植えられたチューリップも綺麗に咲きそろいオランダのキューケンホフ公園のオリジナルジナルデザインを踏襲した花園に、みんな足を止め写真を撮りあいゆったりと時間を過ごした。「みんなの広場」では3年振りのミニ花見の宴を楽しんだ。

【花】第42回花と緑と文化の会例会を開催しました。神代植物公園(観梅)

第42回の例会は2月22日、神代植物公園に観梅にでかけた(参加者13名)。
寒波到来の底で分厚いコートを着て行ったが、園内は樹木が防風林になり日溜まりは暖かい。下見(2/17)の時には咲いていた野草(セツブンソウ、オオミスミソウ、ユキワリイチゲ)は2/19の暖かさで終わってしまった。替わって梅林は開花が進み6,7分咲き。うめ園ではゆっくりと梅を眺めることができた。お昼は深大寺そばを食す。

 

 

【歩】「第58回歩こう会:国立競技場スタヂアムツアーと神宮外苑散策」

実施日6月16日は、約1週間続いていた梅雨特有のぐずつき模様とうって変わり朝から素晴らしい晴れ日!参加者の多くの方より祝福を受け国分寺駅を出発。

先ず「神宮外苑」をゆっくり1時間掛けて散策。現在当地は「再開発」を巡り議論が過熱していますが、銀杏並木は青々とした緑陰でした。

次いで本日のメインである「国立競技場」へ。国立競技場見学は事前予約制なので、3ケ月前には仮予約をしておりました。ルートは、①屋外設置の1964年大会&2020年大会の聖火台 ②B2階にある陸上競技選手のサインウオール ③メダリスト達が上がった「表彰台」。皆さん上に乗り写メの嵐 ④ロッカールーム ➄そのまま続くトラックへ!気分はまるでアスリート!通常一般人がトラックに出る事は不可能です。トラック上には現物のハードル(高さ1m!)・スターテイングブロックあり。➅4階展望デッキから眺める眼下のピッチと、天井からぽっかり見える青空。その対比は言葉になりませんでした。客席のスタンド席を上げた状態「ピクセル模様」も圧巻です。⑦5階「空の杜」のデッキより新宿の街並みを眺めた後、国立競技場を後にしました。

千駄ヶ谷駅に近いイタリアンレストランにてランチ。外にもテーブル席を出す、お洒落なCAFÉ。多くの会員より「平生はなかなか行く事の出来ない所へ来る事が出来、とても素晴らしかった」とのお言葉を賜りました。

これからも魅力ある企画を提案して参りますので、ご期待下さい。

 

 

【C】La Madre Cooking第31回 テーマは「元気の出る肉料理]

豚のしょうが焼きは肉とタレが決め手!!

<実習の概要>
夏も間近な6月23日(金)、実習は夏バテ予防の「元気の出る肉料理」、講師の伊藤先生と受講生11名が集まりました。メインは家庭や町なかの定食屋でもお馴染みの「豚のしょうが焼き」、肉料理を引き立てる副菜は「小松菜の酢醤油和え」「たたき胡瓜」、汁物は新ジャガイモの旨味が伝わる「じゃがいもとわかめの味噌汁」、一汁三菜の献立でした。実習で使用した食材は9品、ひとりでも手軽に作れ、家庭的かつ身の丈に合った経済的な献立です。本会の名称‘LA Madre Cooking‘そのものが色濃く現れていました。食品が止め処なく高騰している昨今、まさに「神献立」です。参加者には、先生のご指導を直接受ける時間がたっぷりあり、実習での一人当たりの作業密度も非常に濃く、充実した時間でした。

<豚のしょうが焼きを作る>
作り方のレシピは色々あるようですが、決め手は「豚肉」と「生姜」だと思いました。豚肉は、今回の食材当番の小沼さんが購入された、見た目はもちろん、触感からも美味しさが伝わる「豚の肩ロース」、「我こそ肉なり!」と語りかけているように感じました。
タレは、酒・醤油・みりんに加え、おろした生姜を混ぜて作りました。先生はこだわりがあるようで、市販のタレやチューブに入ったすりおろし生姜を使わないところがいい!
豚肉をタレに15分ほど漬け、中火に熱したフライパンで豚肉を焼き、最後に残ったタレを強めの火で煮詰めれば完成。何と言っても、その手軽さがこの上なくいい!
調理時間は、副菜の二品と味噌汁を含めて1時間チョット。味噌汁の具材は、若林さんが持参された自然農法で栽培の採り立てのジャガイモです。新ジャガの香りと甘味を味わうことが出来ました。
 調理した「豚のしょうが焼き」は、みりんの上品な甘みと、おろし生姜の辛みと香りのあるすっきりとした味わい。くどさのない甘辛味が食欲をそそります。
料理を作るって本当に楽しいものですね!

<豚のしょうが焼きの効用>
豚肉に豊富に含まれているビタミンB1は糖質のエネルギー化に欠かせないもので、体力増強や疲労回復に効果大。生姜と組み合わせれば、夏バテ防止にも威力が増します。ビタミンB1をしっかり摂れば、肥満防止・睡眠障害の改善・脳の活性化などの効果も期待できるそうです。
「豚のしょうが焼き」は、ビタミンB1を補う手っ取り早い救世主です。

<豚のしょうが焼きの発祥>
今や全国で定番の「豚のしょうが焼き」、その発祥は昭和20年代。1951年創業の「銭形」(東京・銀座)が、トンカツより手早く大量に作れる肉料理として考案ました。豚肉を薄切りにして、しょうが・醤油・みりん・酒を合わせたタレで焼いた料理を「豚のしょうが焼き」と名付けてメニューに加えたそうです。 銭形はいい仕事をしました。

(文責・写真 昭48沼野義樹)