【C】第28回La Madre Cooking 開催報告

「ローストビーフでクリスマスパーティ-!」

   12月19日(月)午前より‘ひかりプラザ生活実習室’にて14名(先生入れて15名)が参加して開催しました。
実習に先立ち、伊藤先生の今年1年間の熱血指導に対して、メンバーを代表して丸山さんから伊藤先生に
感謝の意を表した品を贈呈しました。
調理した料理はクリスマスらしく、①ローストビーフ、②オニオンスープ、③カラフルサラダ、④明太クリ
ームチーズ、⑤柴キャベツの酢漬け、⑥マッシュルームとえびのピンチョス、⑦ホワイトチョコレートと
ラズベリーのパフェの合計7品、バケットを添えてた調理後の食事は大層豪華でした。
<ローストビーフについて>
ローストビーフはイギリスの伝統料理で、一般的には牛肉の塊をオーブンでじっくりと焼きます。
その起源は古く、古代ローマ軍がイギリスに駐留していたときに、牛肉の塊を焚き火で焼いて食べたこと
が始まりと言われています。
かつてイギリス貴族の間では「サンデーロースト」という、日曜日に牛を1頭さばいてローストビーフを
作る習慣があったそうです。しかし、牛1頭分のローストビーフを1日で食べきることはできないので、平
日も同じものを食べ続けることになります。このような食生活を長年続けた結果、ローストビーフはイギ
リスの食文化に深く根付きましたが、それが原因でほかの料理が発展しなかったのではないか、とも言わ
れています。
イギリスの家庭では、ローストビーフを作るときにはポテトを一緒に添えて焼き、天板に残った焼き汁
をヨークシャー・プディングに使い、そして、各人の皿にローストビーフ、ヨークシャー・プディング、ホ
ースラディッシュソース、ポテトを盛り付けて食べるのが一般的だそうです。
<料理実習での調理>
今回は、オーブンを使った伝統的な調理法でなく、フライパンで肉の表面全体に焼き色をつけてからジ
プロックに入れ、70℃の湯を入れた炊飯器の中で40分保温(保温機能を利用)してじっくりと火を通す調
理法(低温調理)を実習しました。
<食材の購入>
小林一夫さん、高橋さん、小林和憲さん、岩下さん、先生、沼野が担当しました。
食材によっては最寄りのスーパーで取扱っていないものもあり、苦労したようです。
<後片付けチェック>
久保田さんと平林さんが、ひかりプラザの職員と一緒に入念にチェックしました。
<写真>
1段目…①感謝品贈呈、②実習前の説明
2段目…①実習指導A、②実習指導B
3段目…①ローストビーフ、②完成です!!
4段目…①チームA(小沼、小林(一)、丸山、宮西)、②チームB(岩下、川口、久保田、平林)
5段目…①チームC(小林(和)、野口、広田)、②チームD(内野、高橋、沼野)

【歴】第99回 歴史をひもとく会 開催報告

古代武蔵国のなりたち

 12月17日(土)午後2時より、国分寺市立もとまち公民館の視聴覚室にて、歴史をひもとく会第99回例会が開催された。お迎えした講師は、慶應義塾大学文学部准教授の十川陽一先生である。
演題は先生の専門である古代史の中から、我々にも馴染みの深い「古代武蔵国のなりたち」という興味深いもので、46名が出席する盛会となった。6ページにもわたる豊富なレジュメとパワーポイントのスライドを駆使しての濃密な内容で、明るく情熱的な語りで参加者を引き込んでいった。

<講師紹介>十川陽一氏紹介写真

十川 陽一氏  慶應義塾大学文学部 准教授
1980年生まれ
2003年(平成15年) 慶應義塾大学文学部史学系日本史学専攻卒業
2010年 博士(史学)
2019年~ 慶應義塾大学文学部准教授

<講演内容>

 古代武蔵国は、現在の東京都・埼玉県・横浜市(南西部を除く)にわたる広大な領域を持つ国であり、『延喜式』によれば、多磨・都築・久良・橘樹・荏原・豊島・足立・新座・入間・高麗・比企・横見・埼玉・大里・男衾・幡羅・榛沢・賀美・児玉・那珂・秩父の21郡を所管する東海道の大国となっている。
この地域が最初に歴史に登場するのは埼玉古墳群の稲荷山古墳鉄剣銘で、この地域の豪族が「杖刀人首」として大王宮に奉仕したことがしるされている。
また、『先代旧事本紀』所引の国造本紀には无邪志、胸刺、知々夫の三国造が記されており、前2者の読みは「むさし」だと考えられ、国造に就任しうる氏族が2氏あり、1氏に絞ることができなかった可能性がある。
そして、『日本書紀』に武蔵の国造使主(おみ)と同族の小杵(おき)が国造の地位をめぐって争い、朝廷は使主を国造として小杵を誅したこと、乱の終息後、朝廷の直轄地であるミヤケを設置したことがしるされている。朝廷はこのように地方の内乱に介入することで、その影響力を強めていったと考えられる。
使主は北武蔵の豪族と考えられる一方、小杵は諸説あるが南武蔵の豪族とする説もある。当時、武蔵は東山道に属しており、主要な交通路は北武蔵から関東の中心であった上野(こうずけ)へと通じていたと考えられる。使主の勝利は朝廷の介入によるものだったが、朝廷も北武蔵を重視していたのかもしれない。
この状況は8世紀頃から変化してくる。それまでは東山道から北武蔵を経て南武蔵や相模へ行き、再び同じ道を北武蔵へと引き返してから上野へ向かうものだったが、東海道から相模、南武蔵、武蔵国府を経て東山道と合流するルートが成立してくるのである。南のルート上には国府はないもののいくつかの郡家が点在しており、人や物資の行き来があったのが、東海道と東山道を結びつける、駅路として認知されるようになっていったと考えられる。

『続日本紀』宝亀2年(771)10月己卯条 _

太政官奏すらく、武蔵国、山道に属すといえども、兼ねて海道を承け、公使繁多にして、祗供堪へ難し。其れ東山駅路、上野国新田駅より、下野国足利駅に達る。此れ便道なり。而るに枉まがりて上野国邑おは楽らぎ郡より五箇駅を経て武蔵国に到り、事畢りて去る日に、また同じき道を取りて、下野国に向ふ。今東海道は、相模国夷い参さま駅より下総国に達るまで、其の間四駅にして往還便はち近し。而して此を去りて彼に就くこと、損害極めて多し。臣等商量するに、東山道を改めて、東海道に属さば、公私所を得て、人馬息ふこと有らむ。奏するに可とす。

 そこで、話題としたいのがKeio Museum Commonsの建設に伴って調査された三田二丁目町屋遺跡である。この遺跡からは古代の掘立柱建物と溝状遺構が検出され、円面硯など多くの遺物が出土した。溝状遺構は古代の官衙や豪族の居館の存在を示し、硯など出土も考えるとなんらかの官衙である可能性が考えられるのである。武蔵国分寺においても「三田」銘瓦も出土しており、三田が重要な地であった可能性がある。
ただ、南武蔵では荏原に有力郡家があったと考えられている。影向寺出土瓦から 7 世紀後半には荏原評の存在が確認できることに加え、隣接する橘樹郡の影向寺造営に関与するなど、大宝令以前の南武蔵における橘樹郡を核とした地域の繋がりも窺える。また、万葉集にも以下の歌がおさめられている。

『万葉集』巻 20(防人歌)

(4415)白玉を手に取り持して見るのすも家なる妹をまた見てももや
右一首、主帳荏原郡物部歳徳

(4416)草枕旅行く背なが丸寝せば家なる我は紐解かず寝む
右一首、妻椋椅部刀自売

(4418)我が門の片山椿まこと汝我が手触れなな地に落ちもかも
右一首、荏原郡上丁物部広足

上の歌には物部の名が見られるが、荏原郡内には当時の有力氏族である物部氏の分布が確認されており、主帳など郡司層との関連も指摘されている。
従って、三田二丁目町屋遺跡は郡家ではないものの駅等の官衙施設として新しい東海道からの南ルートの一翼を担っていたのかもしれない。

講師紹介

講師紹介

講演する 十川氏

講演する 十川氏

 

 

 

 

 

聴講者は満席でした

聴講者は満席でした

講演する 十川氏

講演する 十川氏

【蕎】分科会だより 第60回蕎麦っけの会

2022年12月23日と12月16日に第60回「蕎麦っけの会」を谷保「きょうや」で開催しました。2019年12月21日に第3代代表世話役野田敏明さんによる忘年会から実に3年ぶりの開催となりました。野田さんは翌年の花見を計画されていましたがコロナで中止となり、その後病に倒れついに昨年早世されました
コロナに開催を阻まれた長いトンネルを、“えい、withコロナじゃ”とばかりに思い切って抜け出しました。
また、本会の創設者であり、初代代表世話役の菅谷國雄さんが11月に急逝され、図らずも忘年会兼偲ぶ会にもなってしまいました。
コロナ禍の中、蜜を防ぎつつも菅谷さんのご遺志を尊び参加希望者全員と開催できないかいろいろ模索した結果、2日に分けての開催となりました。
12月23日はまさに菅谷さんご自身が10月初旬お決めになった日程でした。
23日は第2代代表世話役小笠原さん、16日は星野さんの献杯で開宴となり、菅谷さんが愛したお酒「佐久の花」を味わいつついつも通りの懇親に突入、おいしいお蕎麦とお酒を堪能しました。
さらに特に関係の深かった方々から思い出やエピソードをご披露いただき、菅谷さんを偲びました。学生時代からのワンダーフォーゲル部でのご活躍や我々後輩への温かい気配りなど懐かしく聴かせていただきました。
16日(9人)と23日(21人)合わせて30人が参加し、しめやかに楽しく3年ぶりの蕎麦と酒を堪能しました。来年の皆さんのご健康とご活躍を約して散会となりました。
(第4代世話役 山田 健(S47経))

【Y】第42回ザ・ヤングサロン「激動の世界におけるJICAの事業展開」を開催

 2022年11月27日(日)、並木公民館にて32名参加の下、第42回The Young Salonを開催、当国分寺三田会会員でもある小島眞さんの紹介で、講師としてJICA企画部長の原昌平氏をお迎えし、首題をテーマにお話し頂きました。原氏は、1989年に慶應義塾大学経済学部を卒業後、(旧)海外経済協力基金に入社され、大蔵省出向などを経て、1999年から国際協力銀行で中央アジア・コーカサスを担当、2008年から国際協力機構(JICA)でイラク事務所長、南アジア部長、民間連携事業部長、本年10月から企画部長を歴任されている方す。
 一方で、新型コロナ感染症の第8波が始まりつつある状況のなか、感染症対策には万全を期した上で講演会を開催、懇親会の実施は見送りました。講演の概要は以下の通りです。
                      
                        記
第42回ヤングサロン講演会
                                            2022年11月27日
                激動の世界におけるJICAの事業展開
                                 国際協力機構(JICA) 企画部長 原 昌平

1.JICAの略歴
 1950年代に技術協力が立ち上がり1974年に国際協力事業団(JICA)発足。 2008年にJICAと国際協力銀行(JBIC)のODA部門が統合され独立行政法人国際協力機構(新JICA)が発足し、政府開発援助における技術協力、有償・無償の資金協力を行っている。 旧JICA発足時に海外移住事業団がJICAに統合されたが、その後時代の趨勢を反映し海外移住事業は縮小されている。
現在常勤の職員は約2000名弱、期限付きのスタッフや海外の現地スタッフを合わせると、全世界でさらに多い人員が開発協力に携わっている。
2.JICAを取り巻く環境
 最新の開発協力大綱は2015年に定められたが、現在見直し中。 2015年に採択されたSDGsの実現に向けてJICAも役割を果たして行く。 今国家安全保障戦略の議論がされており、自由で開かれたインド太平洋構想にODAがいかに貢献していくのかが課題となっている。 また、国内での地方活性化等の政権が掲げている課題への対応も行っている。
 それらの環境の中でJICAの組織ミッションとして「人間の安全保障の実現と質の高い成長の実現」を、またビジョンとして「信頼で世界をつなぐ」を掲げている。 中期計画として ①自由で開かれたインド太平洋の実現に向けて国際社会で日本のリーダーシップを発揮するための貢献 ②国の発展を担う親日派・知日派リーダーの育成 ③気候変動への取り組み ④国内での地方活性化への貢献 を4つの重点領域とし、信頼関係の構築などの4つのアプローチの重視を挙げている。
3.JICAの業務
 法律上では開発途上地域の経済及び社会の開発若しくは復興又は経済の安定に寄与することを通じて、国際協力の促進並びに我が国及び国際経済社会の健全な発展に資することを目的とすると規定されている。 即ち、相手の国の為になることを行なう業務を通じて、国際的に皆で協力しようという気運を作り、日本及び国際経済社会の健全な発展の為に貢献するということ。
 具体的には研修員受入・専門家派遣・機材供与等の技術協力、円借款及び海外投融資の有償資金協力、無償資金協力、海外協力隊によるボランティア、海外移住支援、緊急援助隊による災害援助協力、人材養成等幅広い業務を行っており、その一環として中小企業・SDGsビジネス支援を通じた地方創生にも取り組んでいる。
一般会計におけるODA予算は2011年以降1997年の約半額に減っているが、ODAを使って日本を信頼してくれる仲間を増やすことは非常に重要だと思っている。
4.JICAの組織
 本部機能として地域毎の担当部署と分野毎の担当部署がある。 海外向けの仕事が中心だが国内にも14か所の拠点があり、語学を中心とした協力隊員の訓練、日本に来た研修員の受入れ、研究機関・大学・企業等とのコーディネイション、協力隊員の募集、中小企業との連携等を行う。
 海外では先進国を除くほぼ全世界に拠点を持つが、海外におけるノウハウは長期間その地に勤務するナショナルスタッフに溜まっており、これをいかに生かしていくかが大きな課題。
5.最近のハイライト
 現在コロナが大きな課題で、コロナ対策の支出や南アジアを中心に海外からの出稼ぎの送金の減少等で財政上困っている国々に約3,800億円の円借款による財政支援を行う一方で、病院建設等を通じて治療体制強化、予防体制強化、研究・警戒態勢強化への貢献を進めている。
 次に気候変動対策では、緩和策としてインドでのデリー地下鉄建設やケニアでの地熱発電所改修の支援を、適応策としてフィリピンでの河川改修の支援を、また緩和策・適応策横断型としてインドでの森林開発への支援等を実施。 2050年のカーボンニュートラルが国際公約だが、エネルギー消費の伸びを見込んでいる貧しい国々に一律でそれを求めるのかが難しい課題で、バランスを考えながらより環境への負荷が低いエネルギー源に移行していく為の支援を考えていかなければならない。
 他にも民間部門と公共部門が共同で行う事業への支援や開発途上国の起業家への支援も行っており、その例としてケニアにおけるバイオリサイクル事業への出資やベトナムでの風力発電事業への支援等がある。 また外国人材受入に関して「世界の労働者から信頼され選ばれる・日本」となることを目指した活動など、国内の地方を中心とした国際化を進める取り組みを行っている。
 デジタル化に関しては、いろいろな方々と連携して取り組む必要を痛感している。
 国際紛争への対応として今一番ホットなのはウクライナで、今までに780億円の財政支援を行い、更に日本の災害経験の共有を進めている。 また、JICAの支援で地雷除去の経験を積んだカンボジアの人たちから地雷除去のノウハウを共有してもらうための支援を行っている。
                                     (文責:小林(一) 作成:板橋)

  

【ゴ】国分寺三田会ゴルフ会 2022年冬例会

国分寺三田会ゴルフ会2022年冬例会が、「昭和の森ゴルフコース」で、11月30日(水)に例会形式で行われました。
天候は直前まて気になりましたが、幸いにも前夜の雨・風もおさまり、時々日差しのこぼれるの暖かい1日となりました。初参加の石塚さんを含む21名にエントリーを頂き、アウト・イン各3組の6組での開催となりました。
優勝は樋口さん(初優勝)、準優勝は初参加の石塚さん、3位は斎藤さんがそれぞれ入賞されました。 BG賞は、田中さんが「85」で獲得しました。表彰式をゴルフ場コンペルームにて開催、ケーキセットで歓談後成績発表・入賞者スピートと続きました。
恒例の懇親会は、コロナ禍での自粛を継続して行いませんでした。

 

国分寺三田会ゴルフ会 2022年冬例会

・ 開催日   令和4年11月30日 (水曜日)
・ 場 所   昭和の森ゴルフコース(東京都昭島市)
・ 時 間   8:30 out・inスタート 6組
・ 競技方法  新ぺリア方式
・ 競技者   21名 (全員ホールアウト)

表彰式

・ 場 所  昭和の森ゴルフコース コンペルーム
・ 時 間  15:30~
・ 参加者  21名(競技参加者全員出席)

HP掲載写真PPT

【麻】第189回麻雀会の例会が国立駅北口の雀荘「北家(ペイチャ)」にて再開されました。

麻雀会

第189回麻雀会の例会が2022年11月26日(土)「北家(ペイチャ)」にて再開!

 コロナ禍で中止していた月例麻雀会を11月26日(土)国立駅北口の「北家(ペイチャ)」にて約3年ぶりに再開しました。雀荘はコロナ感染予防を徹底するため貸し切りができる雀荘を条件に新たな場所を探していましたが、「北家」がこの条件に当てはまり今回の再開にこぎ着けることができました。
 当日は、当会の貸し切り状態で3卓12名が集合。対面式での熱い戦いが繰り広げられました。コロナ感染が再び拡大する傾向が出てきたため、検温の実施、手指の消毒、部屋の換気の徹底、マスク着用とコロナ感染予防対策をしっかり行った上での対戦となりました。
 冒頭、小林さんから再開の挨拶、利根川さんから麻雀ルールの確認がありプレイ開始。
最初は3年間のブランクで手指の筋力や脳の衰えで配牌の並び変えに手間がかかるなど不安な面がありましたが、熱戦が繰り広げられている内に徐々に慣れ、次第に元の状態に戻ってきました。好きなことを始めると雀士として元気が漲ってくるようです。
 対戦結果は、優勝:大石さん(立川三田会から応援参加)、2位:田村さん、3位:伊東さんとなり、プレイ後は有志による懇親会を暫くぶりで開催。中華料理を食べながら話も大変盛り上りました。この勢いで長年当会と厚い親交のあった大石さんが正式に国分寺三田会にも入会され、今後は、国分寺三田会会員として参戦されることとなりました。また、新入会員として若手の若林さんが初参加されました。いずれもGood News!です。
麻雀好きな方は是非麻雀会へ遊びに来てください。参加の申し込みは利根川さん(S51経)にお願いします。

・例会は、原則として毎月第4土曜日11時~17時(6時間)
・会場はJR国立駅北口の「北家(ペイチャ)」電話: 042-573-0973
・会費:3,000円(会場費1,500円、賞金代1,500円)
・昼食:持ち込み可

麻雀会世話役 平林

【C】料理実習27「中華ちまきは竹の皮の香りがおいしさの決め手!」

秋の色が日増しに濃くなり立冬の足音がひたひたと迫ってくる10月31日、12人が参加して実施しました。
ハイライトは馬肥ゆる秋にふさわしい「中華ちまき(粽)」です。

<実習の内容>
中華ちまき、棒棒鶏、ネギと生姜の卵スープ、キャベツとキュウリの中華風和え物です。
〇ちまきの具材:もち米、豚ロース、干しシイタケ、干しエビ、白子タケノコ(京タケノコ)、ニンジン、ネギ
〇棒棒鶏:一般的にはむね肉を使用するが、コクとうま味を増すためにもも肉を使用
〇スープ:鶏肉の茹で汁を使用。茹で汁にはたんぱく質・ビタミンB群に加え、睡眠の質改善に役立つトリプトファ
ン、抗酸化作用や持続力の向上に効果があるイミダゾールジペプチド、骨粗しょう症に効果のコラーゲンが多く含ま
れ無駄にできない。
<ちまきの出来栄え>
私は、竹の皮にもち米と具材を炒めたおこわの前段階のようなものを正四面体に満足に包み込むことができず、同じ
テーブルで調理しているメンバーが既に中華せいろに詰め終わっていたこともあり、中途半端な状態でせいろのわず
かな隙間にあわてて押し込みました。蒸し上がった中華ちまきが不格好に崩れかかっていたことは言うまでもありま
せん。実習内容を伝えることははばかりたく、今回はちまきの由来などについて触れることにします。
<ちまきの由来>
ちまきの由来は中国の故事にあり、楚国の政治家で詩人でもある屈原(くつげん)の死を供養するためのものとのい
い伝えがあります。
1.楚の政治家屈原
楚国の王族であった屈原(約23百年前に活躍)は、博識の上政治的手腕にも優れていたため王に信任されて要職に
就くが、他の官僚の妬みにあい失脚。最後には長沙(現在の湖南省)に左遷されてしまう。王に見放された屈原は、
楚の未来を憂い汨羅江(べきらこう)に身を投げ、失意のうちにその一生を終えた。
2.ちまきの誕生伝説
6世紀に成立した『続斉諧記(ぞくせいかいき)』によると、屈原の入水後、その死を悼んだ村人は、命日の5月5日に
供養として竹筒に米を入れ、汨羅江の淵に投げ込むが、蛟龍(こうりゅう:龍の一種)が住んでおり、投げ込んだ供物
を食べてしまう。ある時、屈原の霊があらわれ「厄除けに楝樹(れんじゅ)の葉で包み、邪気を祓うとされる五色の糸
で巻けば蛟龍は食べないであろう。」と告げた。その後、村人は教え通りに供物を作るようになった。これがちまき
の始まりだといわれている。
3.日本への伝来
927年(延長5)に完成した『延喜式』に「粽料糯米(もちごめ)二石」と記載されているほか、934年(承平4)ご
ろの『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』にも、「真菰(まこも)葉をもって米を包み、灰汁をもってちまき
を煮る」と記され、奈良時代から平安時代前期にはちまきが伝来し存在したとされている。
ちまきは、古くは「茅(ちがや)」というイネ科の葉で包まれていたので「茅巻き(ちがやまき)」と呼ばれてい
た。「茅」は「ち」とも言うことから、「ちがやまき」が次第に転訛して「ちまき」と呼ばれるようになったとされ
ている。
<ちまきの種類>
1.中国
もち米と一緒に豚肉やタケノコ、シイタケなどに甘辛く味付けしたものを、竹の皮で正四面体状に巻いてイグサで縛
り、蒸し上げた料理は「肉粽」(ロウツォン)と呼ばれる。日本では「中華ちまき」と呼ばれる。
2.日本
日本国内のちまきはその昔、灰汁の中で煮込んで作られていた。これは、灰汁が持つ殺菌力や防腐作用がもち米の保
存に適しているので、武士が戦へ向うときに携帯して食べる食料として用いられていたといわれている。
その後、日本の各地で改良され、防腐作用のある笹の葉が使われ、包まれている中身も、もち米を包んだもの、あん
こ入りの餅、くずもちを包んでいるものもある。
ちまきの形は三角形や円錐形、長方形に包むものもある。三角形は、毒蛇の形をあらわし、毒蛇に見立てられたちま
きを食べることによって免疫がつき、病気や災難から身を守ることができると考えられている。なお、端午の節句に
ちまきを食べるのは関西を中心とした地域で、関東では「かしわ餅」が一般的。
京都では有名な祇園粽がある。祇園粽は、八坂神社が出している厄除けちまき、外側も中身も笹のみで巻かれている
ため食べられない。「蘇民将来之子孫也」という赤い紙が付いているのが特徴で、八坂神社のご祭神で、ヤマタノオ
ロチ退治でも有名な素戔嗚尊(すさのおのみこと)の伝説に由来する。厄病や災難から守ってくれるご利益があり、
祇園祭の宵山の日に授けられ、一年間玄関先に飾る。私も厄除けにと山鉾のお会所で幾度か買い求めている。
<ちまき作りの記録>
1枚目…これから食すちまきランチ、2枚目…中華せいろで蒸し上げた中華ちまき、3枚目…実習前の雑談、
4枚目…丸山さんテーブル実習シーン、5枚目…丸山さんテーブル(池田、井上、広田、丸山)、
6枚目…斎藤さんテーブル実習シーン、7枚目…斎藤さんテーブル(沼野、樋口、伊藤先生、斎藤、久保田)、
8枚目…宮西さんテーブル実習シーン、9枚目…宮西さんテーブル(宮西、内野、小沼、川口)

文責・写真:沼野義樹

【歴】第98回 歴史をひもとく会 開催報告

会員による歴史談義

歴史をひもとく会第98回例会(会員による歴史談義)が、 秋の青空が爽やかに広がった10月29日(土)国分寺本多公民館において、感染対策に十分に留意して開催されました。出席者35名。第一部は、樋口稔さんによる「私の音楽愛好史」、第二部は車伸一さんによる「東京23区に残る中世の主な城跡」でした。

 

第一部 「私の音楽愛好史」IMG_5047 (2)

講師:樋口 稔(昭和45年経済学部卒業)

昭和45年経済卒(駒場東邦高校)
青沼ゼミ
スキーやゴルフの名手、知る人ぞ知るクラシック音楽の愛好家です!

樋口さんの自分史のなかでクラシカル音楽との出会いについての説明し、それと対比して音楽の歴史に係る説明がなされた。特にピアノに関連する話を中心に短い4曲をカセットデッキに収録し披露して、これ枕に話を展開して説明した。

1曲目 「愛国行進曲」(昭和12年国民精神総動員令によって一般公募され国民歌謡唱となり日本初のミリオンヒットとなった)は小学校入学前に自宅の手回しの壊れかけた蓄音機でこの曲を聞くと気持ちがよくなり気に入っていた。しかしお母さんからは懸けてはダメと言われていた。

2曲目 SP盤は収録時間が短く楽曲の途中で途切れ音質の低下も著しいがピアノについてはレコード録音に代わる自動ピアノがあり紙のロールに記録していた。「パデレフスキーの自作自演のメヌエット」(20世紀最大のピアニストとも評され又、ポーランドの初代大統領でもある)。

3曲目 お母さんのピアノ教室で生徒が弾いた最も印象に残る曲「ハイドン ピアノソナタ37番第1楽章 エッシェンバッハの演奏」ハイドンの時代はクラビィーア楽曲でありチェンバロ=ハープシュコードで演奏され音量、音色が異なる。今エッシェンバッハが指揮者としても大活躍している。

4曲目 ウクライナ侵攻はクラシカル音楽界にも影響が出て国際コンクール連盟からチャイコフようスキーコンクールは除名された。ウクライナは世紀の大演奏家を輩出している。最後に早期の停戦を願ってウクライナ出身のヴァイオリンニスト アイザック・スターンの演奏で「クライスラー作曲 クープランのスタイルによる”才たけた貴婦人“」(樋口さんがクライスラーの中では最も好きな曲)で締め括った。

 

第二部 「東京23区に残る中世の主な城跡」IMG_5060 (2)

 講師:車 伸一(昭和46年経済学部卒業)

昭和46年経済卒(慶應義塾高校)
体育会 フェンシング部
歴史散歩の案内人を務めるなど、江戸のまち歩きの達人ですが、今回のテーマは中世(室町~戦国)です。

まず日本の城について、空堀と土塁で構成されていた中世の土の城と、天守が聳え石垣で囲まれた近世(安土城以降)の石の城との違いについて解説があり、現在の東京23区の中には戦国時代まで約100の中世の城があったといわれていること、その中から今日は12の城について紹介する旨が述べられた。
次に中世(室町時代から戦国時代)の関東の政治体制とその動きについて、28年も続き関東における戦国時代の始まりといえる享徳の乱および長尾景春の乱を中心に語られ、その中で今日紹介される12の城がこの2つの乱とどう関係していたか、扇谷上杉氏の家宰であった太田道灌がこれらの乱においていかに活躍したかについて簡潔に触れられた。
その後、いよいよ城跡の紹介となり、太田道灌が築城した江戸城(千代田区)、稲付城(北区)、豊島氏の城であった石神井城(練馬区)、練馬城(練馬区)、平塚城(北区)、道灌(扇谷上杉氏)が千葉氏に与えた赤塚城(板橋区)、志村城(板橋区)、石浜城(荒川区または台東区)、千葉氏が築いた中曽根城(足立区)、板橋氏が築きその後千葉氏に属した板橋城(板橋区)、足利一門の名家奥州吉良氏が築いた(世田谷城世田谷区)と奥沢城(世田谷区)の12の城について、築城者、築城時期、城跡の地形、主な城主、前述の2つの乱との関係、廃城となった時期と理由、城跡の現在地について、自らが撮影した写真と共に一つ一つ詳細な紹介があった。
参加者からは、現在の東京都心部にこれほど多くの城があったとは知らなかった。一度案内して欲しい等の声が聞かれた。

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< 次回の例会 >

令和4年12月17日(土)  もとまち公民館 14:00~

講師  十川陽一  慶應義塾大学文学部准教授
演題  「古代の武蔵国のなりたち」
会員の皆さんには、準備出来次第ご案内いたします。

 

【Y】第41回ザ・ヤングサロン「生涯現役でいるために〜ヨガで健康寿命をのばすアプローチ〜」を開催

 2022年10月23日(日)、光公民館にて24名参加の下、第41回The Young Salonを開催、ヨガ講師の冨永ゆ
かこ氏お迎えし、ヨガの講義と実技を行ないました。コロナ感染症対策には万全を期した上で対面で行ない
ました。しかし懇親会の実施は見送りました。ザ・ヤングサロンとしては、久しぶりの実技をともなう講演会
で、とても有意義な時間となりました。講演の概要は以下の通りです。

                     記
第41回ザ・ヤングサロン講演会
     テーマ:生涯現役でいるために〜ヨガで健康寿命をのばすアプローチ〜
                                      ヨガ講師 冨永ゆかこ
1.講師紹介
 YIN YOGA in ASIA 最高指導者Victor Chng先生、YIN YOGA JAPAN代表 川端友季湖先生のもと、タイ・
 バンコクで指導者養成コースを修了。在タイ14年を経て2020年より国分寺に在住。現在は西国分寺を
 中心に少人数ヨガクラスを開催。セレオ国分寺での屋上ヨガ、清正公寺での寺ヨガ(日本橋浜町)など
 開催。11月26日には国分寺市のぶんぶんウォーク・史跡指定100周年記念事業イベントにて、史跡ヨガ
 を担当されるヨガ講師です。
2.はじめに 進化した陰ヨガとは
 ・古典的なハタヨガ、古代中国の陰陽論・中医学をベースに、最新の筋膜リサーチや解剖学のideaを
  加えて進化したヨガ
 ・静かな動きの中に最小限の筋肉の力を使って、最小限の負荷をかけてポーズを維持する。
 ・Energy movement 気のめぐりを整える(循環、調和、足に向かって下していく)
 ・Fascia Release 呼吸で内側から筋膜リリース(解剖学や最新の筋膜リサーチに基づく)
 ・Re-Alignment 着実の体の構造が変わる(歯の矯正のように・・・)
  平均寿命と健康寿命の差は、男性(81歳-70歳)11年、女性(88歳-74歳)14年あり、
  この健康寿命をのばすアプローチです。
3.本日のポイント
 1)正しい姿勢を身につける
   姿勢は大事!→歪み・腰痛・肩こり・膝痛・・・に関係。呼吸にも影響する。
  ・まずは背骨(脊椎)を整える
   真っ直ぐな背骨=自然なS字のカーブがある状態
   衝撃をクッションで吸収できる
  ・横隔膜と骨盤底を平行な状態に⇒最も呼吸ができる
  (実技)<正しい立ち方、座り方>
     立っているときは、左右の足の裏に均等に体重が乗る
     座っているときは、左右の座骨に均等に体重が乗る
     尾骨と頭頂を同じ線でつなげる
     髪の毛一本を上から引き上げられている感じ
     背中のバックラインをギュッと閉めない
     
 2)みずみずしい体に
   人体の60%以上は体液(卵子の時は99%が水分);私たちの体は水で形づくられている
  ・骨や内臓を包んでその構造をキープしているFascia(結合組織)は、ネットやスポンジの様に
   全身に3Dに広がっていて、その繊維上にも水分が存在している。ヨガで多方向に動かしていくことで、
   水が循環し、全体に水分が行き渡っていく(乾いたスポンジに水を含ませていくイメージ、水の入れ
   替えができる)
  ・体の中の水分を良い状態に保つことも大事、水は流れないとよどんでしまう
  ・どこかが痛い、かたい:水分が減って乾いた状態になっていたり古くなっていたりする
  ・Fascia結合組織:ミルクレープのイメージ
   (実技)筋膜のつながりを感じてみよう!筋膜のつながりを確かめる姿勢

 3)関節の可動域と安定性を高める
  ・引っ張るでもなく、伸ばすでもなく、ストレッチでもない動き(ハリのある水分を保った肌のイメージ)
  ・下半身の3つの関節、足首・ひざ・股関節の調和した動き方
    ⇒怪我をしにくい
    ⇒省エネでエコな体の使い方
  (実技)長生き筋肉「内転筋」を使う練習

4.実技 休憩、換気の後、講師の指導で約1時間の実習を行なった。
     詳細は、下記の写真を参照にしてください
                                  (文責:小林(一) 写真:青木)