「ウェス」ご寄付のお願い

来年も新年会(2026年2月8日(日))でウエスを集めます!

 今年の新年会ではウエスをたくさんお持ちいただきましてありがとうございました。
ウエスは国分寺市内の老人ホーム、障害者施設でお使いいただいております。
今年もボランティアセンターよりお願いされましたので来年の新年会で集めようと思います。

      タオル、綿シーツ
     A4またはB5の大きさ
     切りっぱなし

使い古したタオル、綿シーツ、を切ってください。
わざわざ買わないでください。

 ご協力よろしくお願いいたします。

 

「ウエスのご寄付お願い」チラシは ”ここをクリック”してください。

 

【歩】第65回歩こう会「白洲次郎旧居武相荘見学と周辺散策」

当日は早朝こそ肌寒い天気でしたが昼頃からは青空となり暖かい天気に恵まれ、24名にて町田市鶴川地区をハイキングして参りました。今回はクマ出没の観点より、当初の「青梅丘陵ハイキング」を変更しました。

まずは「鶴川香山園(つるかわかごやまえん)」を訪問。ここは江戸時代後期には「お灸点」として中風に効能があると評判になり、全国から人々が集まったそうです。母屋の瑞香殿は寄棟造・本瓦型銅板葺の堂々とした単層建築です。庭園のモミジは見事に紅葉しており、見応えがありました。また敷地内では古墳時代の円墳2基と横穴墓20基が発掘されています。

そこから徒歩20分で本日のハイライトである、白洲次郎・正子夫妻が亡くなるまで居住した「武相荘(ぶあいそう)」へ到着。入場門前には次郎が乗り回していたのと同型のアメリカ車ペイジ・オートモビル「グレンブルック」が展示され、見学者の目を引き寄せています。武相荘は、「カントリー・ジェントルマン」を自称した次郎の居所に相応しい「茅葺屋根」の家でした。また次郎自筆の「葬式無用 戒名不用」の太筆による遺言書に心打たれ、正子夫人の、こじんまりした書斎と書架の膨大な書籍数に随筆家を感じました。

その後は真光寺川沿いに北上し、街中にしては大きな池がある広袴公園(ひろはかまこうえん)へ行き、気持ち良く泳ぐ鴨を眺めくつろぎました。

ランチは駅前へ戻り、中華料理を頂きました。本日歩数は12千歩でした。

今回も事前資料として、三寄稿文を「歩こう会」HPへUPしてありますので、未読の方は是非ご高覧下さい。

 

 

 

第20回「昼カフェ」開催報告

12月8日は小春日和の好天候に恵まれ、第20回の昼カフェが開催されました。

今回は初の試みとして「昼カフェ街に出る」と称していつもの場所を飛び出して立川へ出向き、映画鑑賞と鑑賞後のお茶を頂くという企画でした。

映画は今話題の「てっぺんの向こうにあなたがいる」です。

エベレストに女性初の登頂を果たした田部井淳子さんの不屈の生涯を描いた作品を吉永小百合さんが演じています(吉永さんは田部井さんの生涯の後半部分を、前半はあまちゃんの能年玲奈(のん)さんが演じています。)

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映画は鑑賞者の感動を呼ぶものですが、さわやかな感動と、さわやかな涙を誘う秀作だと思います。

今回初の試みを所謂ミニシアターで行いましたが、団体で希望の日時に予約・鑑賞することが極めて難しい事を実感しました。

当日を迎えるまでミニシアターの担当者と何度メールのやり取り(交渉)を重ねた事か!

でも、その甲斐があって参加者は皆満足し、次回を期待する、との反応を得る事が出来ました。

鑑賞後はいつもとは違う立川駅前の洒落たフルーツパーラーで大盛のフルーツを堪能しました。

次回は連続して初の試みにチャレンジです。

「¥2,000で日本屈指のアマチュア・オーケストラを鑑賞する会」でワグネルOBオーケストラの定期演奏会を鑑賞します(残念ですが予約は締め切りました)。

(52年経済 岡村宏司)

【C】La Madre Cooking 「男の一人料理」

“9月8日”は何の日? “ハヤシの日”!』

≪男の一人料理≫
今回の料理実習は、参加人数が10名迄に制限され、参加者と伊藤先生の距離感がグッと縮まった実習。静かに冬の到来を告げる‘小雪’に入った11月28日(金)、幸いにも当日は穏やかな日和。参加者10名は「ひかりプラザ」に集合し、先生からの微に入り細を穿つ説明を受けたのち、二人ずつ5テーブルに分かれて、これまで実習では作らなかった料理に取り組みました。
今回の‘うたい文句’は「男の一人料理」。「ハヤシライス」「ごぼうときのこのきんぴら」「ブロッコリーの温サラダ」「キャベツのスープ」と、和洋折衷で盛り沢山。レシピを頼りに、どうにか作り終えたあとは、先生と一緒のランチタイム。達成感が得られた「男の一人料理」でした。

≪ハヤシライス≫
「簡単に作りたい」という我々の希望で、敢えて市販のルウを使った、お手軽なハヤシライス。食品メーカーが「香り立つスパイス&ハーブとまろやかなトマトの風味が豊かなハヤシソースです」と宣伝するだけあって、出来上がったハヤシライスは、まろやかで食べやすく、アッという間に完食。
とは言え、先生が考えていた実習は、じっくりと手間をかけたハヤシライスを作ることだったようです。男の一人料理であれば、手間を厭わないのが本来でしょうが、それはまたのお楽しみ。
ところで、私は“ハヤシの日”のことは初耳でした。丸善のHP等には、『慶應義塾で福澤諭吉に認められた早矢仕有的(ハヤシユウテキ)は、実業家の道に進み、明治2年に丸善を創業。西洋料理に詳しかったことから、親交のある外国人を、肉と野菜の煮物にご飯を添えた料理でもてなしていた。その料理は「早矢仕さんのライス」と呼ばれ、やがて‘ハヤシライス’という名で評判になった。これらの食文化を伝えるために、丸善は、早矢仕の誕生日“9月8日”を“ハヤシの日”として制定した』とあります。
早矢仕は、牛肉好きで知られる福澤諭吉の影響を受けて、牛肉料理を考案したものと思います。‘ハヤシライス’は『文明開化』の象徴のひとつとして今に残っています。

≪ごぼうときのこのきんぴら≫
 ごぼうは噛み応えしっかり、きのこは旨味タップリ。懐かしさを感じるごぼう独特の香りと甘辛の味が食欲をそそりました。料理法の‘きんぴら’は、江戸前期の中頃(1660年前後)に流行った「金平浄瑠璃」に登場する、架空の主人公‘坂田金平(キンピラ)’に由来します。「きんぴらごぼう」という料理名は、ごぼうの固くしっかりした食感を、坂田金平の力強さに例えたと言われています。
今も定番の惣菜「きんぴらごぼう」。江戸後期に発刊された、倹約料理の見立て番付『日々徳用倹約料理角力取組』には、精進方・小結(第3位)として三役入り。江戸庶民にとっては、日々の惣菜でした。当時の「きんぴらごぼう」は、我々が口にする、醤油に砂糖やみりんを加えた甘辛い味とは少し違っていました。輸入された砂糖は高価で料理に使えなかったので、醤油ベースのキリっとした味だったようです。
2025.11.28料理キンピラ               👅都立図書館

≪ブロッコリーの温サラダ、キャベツのスープ≫
・「ブロッコリーの温サラダ」
BB焼き色をつけて甘みが増したブロッコリーと、バター風味のスクランブルエッグがよく馴染んだ
BBまったりした味でした。
・「キャベツのスープ」
BBキャベツと玉ねぎをコンソメで煮込んだ穏やかな味に、ほっこりしました。

≪実習の写真記録≫
★調理の様子★  <先生の説明>  <テーブル毎の様子>

★完成です!★  <完成した料理>   <先生と一緒の記念写真>

≪今後の予定≫
次回の料理実習は12月23日(火)です。

(文責・写真 昭48 沼野義樹)

 

【歴】第113回 歴史をひもとく会 開催報告

小平の歴史 -国分寺の歴史もからめて-

11月15日(土)午後2時より、東京都公文書館研修室にて、44名の参加者を集め、第113回例会が行われた。
国分寺三田会には、小平市在住の会員が23名、さらに歴史をひもとく会の世話人14人のうち、半数の7人が小平市民であるので、小平の歴史を学ぶ機会をと願っていたところ、星野さんのご紹介で、今回の講師、中野純先生においでいただき、「小平の歴史―国分寺の歴史をからめて」と題する講演が実現した。

中野純先生(2)≪講師プロフィール≫

中野 純先生
小平生まれの小平育ち
上智大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士課程にて研鑽を積む
国分寺市埋蔵文化財調査に携わり数多くの論文を発表
令和5年より、小平市役所 地域振興部文化スポーツ課にて文化財を研究

≪講演内容≫

旧石器時代から現代に至る約38,000年間の小平の歴史を、約1時間半の講義で、コンパクトに分かりやすく教えていただいた。
小平の古代の歴史は、1974年に発見された鈴木遺跡から読み解くことができる。ここには、旧石器時代から新石器時代に至る12文化層が確認され、長く人が定住したことが分かる。星野さんのお父上が発見された、国分寺の熊ノ郷遺跡、多摩蘭坂遺跡も同時代のものだが、こちらは9文化層から構成されており小平の鈴木遺跡の方が、長く定住者が存在したと推測できる。
石器時代に人の住んだ小平だが、縄文時代の土器の発見はなく、定住者はいなくなったと考えられる。その大きな理由は「水がない」ということだ。このことは、その後の小平に常に影響を及ぼす。
古代になると、東山道が小平を通ったと思われるが、それを裏付ける遺構は見つかっていない。しかし現代の3Dデジタル技術によって、人の目よりも正確に様々なことが分かり始めているので、これからの研究に期待が集まっている。
奈良時代の竪穴式住居跡が一軒だけ、八小遺跡(小平第八小学校内)にあるが、狩りのための作業小屋のようなものだったと考えられている。水がない小平で集落の形成は難しかったのではないか。
中世には、重要な道である鎌倉街道が小平を通っていたと考えられるが、詳しくはわかっていない。室町時代には、戦国大名が小平を通過したと考えられるが、水の補給ができないため、人が住んでいたという伝承もない。
近世になり、水がないという小平の問題を一気に解消したのは、江戸に水を送るために1653年に完成した玉川上水だ。きれいな水を確保するために、尾根筋に40キロの上水を、わずか8カ月で完成。測量技術も未熟だった時代に驚くべきことだ。玉川上水ができると、そこからの分水が可能になり、「小川分水」ができ、これによって小平に水を確保でき、水路と道路を兼ね備えた短冊形地割をもって、小川新田、鈴木新田等の新田開発が進み、人々が定住できるようになった。また、玉川上水沿いの桜が「名勝小金井桜」として有名になり、桜並木と玉川上水に架かる小金井橋と富士山という構図の浮世絵が盛んに描かれた。その絵の右岸こそ小平だ。
近代で特筆すべきは、明治3(1870)年に起きた「御門訴事件」だ。明治政府の農業政策に異議を持つ武蔵野12村(小平の鈴木新田、大沼田新田、野中新田等が含まれる)が、品川県庁へ門訴を決行したが、武力鎮圧され首謀者は投獄されてしまった。これは江戸時代の一揆の名残か、自由民権運動の先駆けか評価の分かれるところだが、小平の農民にとっては一大事件だった。
関東大震災直後には、箱根土地による小平の土地買収が始まり、明治大学(最終的には一橋大学)を中心とした「国分寺大学都市計画」(実際は国分寺ではなく小平)がスタート。国分寺線、多摩湖線も開通。国分寺は別荘地として開発された。(現在の殿ヶ谷戸公園、日立研究所など)
戦前、小平には陸軍技術研究所、陸軍経理学校など陸軍の施設が広範囲に存在した。(現在の小平駐屯地、警察学校、ブリジストン、サレジオ学院、電波研究所等)戦時中、1945年6月にはB29の撃墜事件が起きた。
戦後は、小平、国分寺、小金井の合併説が浮上するも、小平の南側(中央線利用地区)と北側(西武新宿線利用地区)で意見の合致が見られず、成立せず。
近年では、1991年台風の影響により、新小平駅が水没。これは大雨によって、湧水が溢れたことによるもので、JRがポンプでくみ上げ、西国分寺駅近くの真姿の池に放流することとなった。
水がないことによって、定住することは厳しい土地柄であった小平だが、新田開発以降、宅地開発が進み、現在の姿になっている。

文責:上原 安江

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畑の会 雨は降らねど、笑いは絶えず

9月になっても夏の名残が色濃く、畑の空気はまだ真夏。週末を中心に集まる「畑の会」も、汗だくで土と格闘する日々が続きました。

8月末あたりからは、なぜか国立駅北側の畑一帯だけ雨雲が避けて通るようで、プロの農家さんも嘆くほどの“結界地帯”状態。カラカラの畑を前に、オクラ・ピーマン・ナスを収穫しながら、ジャガイモの種芋をいつ植えようかと空を見上げる日々が続きました。

01_夏野菜
👆
02_オクラ03_収穫中04_アンデスレッドの花
👆左から、オクラ、落花生、アンデスレッド(じゃがいも)の花

 

ようやく9月に入って気温も落ち着き、満を持して「さんじゅうまる」「普賢丸」「長崎こがね」「アンデスレッド」の4種を植え付け。一緒に植えたニンジンや枝豆は、あまりの暑さにほとんど育たず、自然の厳しさを実感しつつも、水遣り、草取り、育苗、夏野菜の撤去など、一人ひとりができることを持ち寄り、“One for All,All for One”の精神で乗り越えました。

 

途中、落花生マルチ事件や、メンバーの膝痛・入院といったアクシデント、さらには畑近くでの爆発事故(!)と、まるでドラマのような数カ月。それでも畑は着実に季節を進め、白菜とキャベツは二度の播種を経てなんとか育苗に成功。大根(青首・聖護院・紅芯)も元気に育ち、聖護院は直径10センチ超の立派な姿に。

 

葉物のほうれん草や春菊も順調で、特に春菊は独特の香りと旨みが格別。「これが市販のとは違うんだよね」とメンバーのつぶやきに、みんなで頷く瞬間も。

 

秋の収穫では、春から育てたサトイモと落花生が大豊作! みんなで分けてもずっしり重く、サトイモはねっとりホクホク、落花生は甘くて香ばしい。自然の恵みに思わず笑みがこぼれました。
05_春菊06_里芋
👆濃厚な味の春菊と大収穫の里芋

 

これからは虫たちとの闘いの季節。ヨトウムシ、イモムシ、ガ、バッタ…農薬に頼らず、見つけては地道に捕殺。「残酷? いえ、美味しくいただくための真剣勝負です!」と笑いながら、また土に向かいます。

 

冬はおでん用の大根や、鍋にぴったりの青菜の収穫が楽しみ。そして11月からは若手メンバーも加わり、10名体制でますます賑やかに。世代を超えて汗を流し、土に触れ、笑い合う日々。そんな畑時間を、これからも大切に育てていきたいと思います。
 (H11 平田 由紀)