【Y】第38回ヤングサロン講演会を開催しました。

 2021年11月21日(日)、都立多摩図書館にて40名参加の下、第38回The Young Salonを開催、講師として拓殖大学名誉教授で当国分寺三田会会員でもある小島眞氏をお迎えし、「インドの最新動向と日米印豪(クアッド)の行方」をテーマにお話し頂きました。コロナ感染者数がかなり落ち着いてきたとは言え、まだ気を緩められる状況ではなく、感染対策には万全を期した上での対面での講演会であり、懇親会の実施も断念せざるを得ませんでしたが、2020年2月以来1年9ヶ月振りのThe Young Salonで、久々に顔を合わせた方々も多く、有意義な集いとなりました。
講演の概要は以下の通りです。

                         記
第38回ヤングサロン講演会
                                             2021年11月21日
                 インドの最新動向と日米印豪(クアッド)の行方
                                        拓殖大学名誉教授 小島 眞
 インドは馴染み難い印象があるかもしれないが、かつて渋沢栄一が紡績業を起こす上で、綿花輸入のための航路開設に関してインドのタタの全面的な協力を得ており、また戦後まもなくのネルー首相の来日時には日本中が歓迎ムードに包まれるなど、50年代頃まで日本と非常に近い関係にあった。その後日本も高度経済成長で付き合う国も増えて疎遠になっていった。そのインドも最近いろいろと注目すべき動きがあり、ここでは6つのテーマに沿ってインドの最新動向を理解する上でのエッセンスを提示し、クアッドの話に繋げていきたい。

1.インドをいかに捉えるべきか
 基本的知識として、インドの人口は13億人超、GDPは日本の半分強、1人当たり所得は2,200ドルぐらいだが、鉄鋼生産は日本を超え自動車生産も世界5位、コメについては世界最大の輸出国である。社会経済面で遅れている部分も多いが、平均寿命は約70歳、識字率74%、貧困率20%強と確実に進展してきている。
 インドを理解する上での基本的要件は、まず世界一多様性に彩られた国であるということ。言語・宗教・カースト・南北の地域差等、インドに関しては平均値では語れない。
 政治形態は連邦制で州政府の権限が大きく、全国一律の改革が難しい。1947年の独立後52年の第1回総選挙以降現在まで17回の総選挙を実施しているが、軍部が政治介入したことはなく、必ず総選挙を経て政権が変わるというルールが確立している。政党としては今や与党のインド人民党(BJP)が圧倒的に強く、かつてネルーやその一人娘インディラ・ガンディーが率いた国民会議派は衰退の一途を辿っている。
 91年頃から国民会議派の下で改革開放がスタートし、対外志向型の政策や規制改革を実施した。特に90年代以降大きく変わったのは、世界のIT革命に乗ってインドのIT産業が飛躍的な成長を遂げたことで、今ではインドのGDPの9%を占める最大の輸出産業となっている。
 各種経済改革を進めてきたインドだが、労働改革は取り残された分野である。硬直的な労働者保護の法律があることで労働集約的な製造業は拡大を阻まれてきた。他方、サービス部門にはこのような規制がなく、IT産業が伸びやすい。もう一つは農業関連の規制が強いことが挙げられる。

2.第1次モディ政権(2014~2019年)の実績
 現首相のモディは後進階級出身で民族奉仕団に加わって実力をつけ、政治活動に移った。2001年から13年間グジャラート州首相としてインフラ整備や外資導入に大きな実績を残し、その実績に基づいてインドの首相に就任。これまで20年間にわたって州や国の首相を続けてきたエネルギッシュな人物である。
 モディ政権の政策理念は、社会の変革と底上げを伴った成長によりインドを強くしたいというもので、新たに始めたのが“Make in India”という海外からの投資による製造業の振興策であり、また画期的なのがクリーン・インディアという農村でのトイレ革命とLPガスの無料接続や貧困世帯向けの保険の改善であった。さらに倒産破産法の成立や間接税の一本化など見るべきものがあったが、日本が学ぶ点が多いのがデジタル・インディアである。2009年にマイナンバーに相当する固有識別番号制度が導入されたが、モディ政権の下でその普及・充実が図られた。本人確認を証明できる公的手立てが提供され、かつて銀行口座を持てなかった貧困層も口座開設が可能となり、現金支給も受益者各人への口座振り込みが可能となった。
 第1次政権末期には経済的減速が顕著になり、再選が危ぶまれたが、選挙直前カシミールでのパキスタンの過激派テロによりインド人治安部隊40名ほどが殺害された。それに対して、国境を越えての空爆を実施し、国民に強いインドという安心感を与えたことで総選挙に圧勝した。

3.第2次モディ政権(2019~)と新型コロナのインパクト
 第2次モディ政権がまず取り組んだのは、イスラム過激派のテロが頻発していたカシミール問題であった。憲法改正によって同州の特別自治権を外し、中央政府の介入を容易にした。もう一つは国籍法改正を通じて、周辺国から流入する人の内イスラム教徒には国籍を与えないというヒンドゥー至上主義的な国籍法を導入したことである。これに対して、ベンガル人の流入増大を恐れるアッサム地方で暴動が起き、さらに全土でイスラム教徒の反発が広がった。
 その最中にコロナ問題が勃発した。最初の感染者が出たのは2020年1月末で、3月末にはロックダウンを実施し、全土封鎖・交通機関の停止に踏み切った。規制が段階的に緩和される中、1日当たりの感染者数も一時は10万人に上ったが、その後は徐々に減少し、本年2月には勝利宣言が出された。しかしそれと同じ頃、マハラシュトラ州で発生したデルタ株への対応が遅れたため、1日当たりの感染者数が今年4~5月頃には最大で約40万人に達し、伝統的な公衆衛生の貧弱さが露呈する結果となった。
 第1波に際しては、全土封鎖に併せて貧困者への福利パッケージを導入し、GDPの10%に相当する財政支出を実施した。第2波に際して重視されたのは、ワクチン接種である。インドはアストラゼネカのワクチンの世界最大規模の生産能力があり、本年4月頃まではワクチン外交を展開していたが、国内の感染拡大に伴い、国内向け供給を最優先した。10月末で1回接種が7.3億人、2回接種が3.2億人に達し、1日当たりの感染者も今年11月には1万人程度に収まってきている。
 経済的影響を見ると、昨年度第1四半期(4~6月)は大きなマイナス成長となったが、第3四半期からプラスに転じ、本年度第1四半期にはかなり回復した。コロナ禍の状況下でもモディ政権は果敢に経済改革を進めてきた。一つは製造業の面で、かつての“Make in India”は総花的でなかなか成果に結びつかなかったが、今回は13部門を対象に認可を受けた企業に対して、投資と売上に応じてインセンティブを与える生産連動型インセンティブスキームを導入した。また労働関連法の改正を実施し、従業員100人以上の事業所では自由に解雇できなかったのを300人以上に拡大した。
 さらには農業三法の導入である。これまでパンジャーブ州など一部の大規模農家は政府によるコメや小麦の買い上げで潤っていたが、大多数の農家は政府に買い上げてもらう余剰がなく、さらに農作物は州指定の市場でしか販売できないという規制があり、自由な販売ができず、企業との連携を有効に推進できない状況にあった。これを打破すべく、昨年9月に農業三法を導入したものの、農業先進州の農民達が連日反対のデモを繰り広げ、今年1月に最高裁が実施猶予の判断を下した。そうした中、一部農民団体の反対運動に根負けする形で、ついに一昨日になってモディ政権は農業三法の撤回声明を出すに至った。

4.軋みを見せる印中関係
 かつて近代インドには中国への警戒論を説いた宗教家や政治家もいたが、インドの初代首相ネルーは非同盟主義を掲げ、非共産圏諸国で最初に中華人民共和国を承認するとともに、中国のチベット支配強化にも宥和的態度をとった。しかし中国は1959年にダライ・ラマがインドに亡命して臨時政府を樹立したことに憤りを感じており、62年に国境紛争が勃発するに及んで、ネルーの対中政策は見事に打ち砕かれた。最近の国境問題についていえば、北東部にアッサム州などを抱えるインドにとってバングラデシュとネパールに挟まれた狭隘部が地理上の泣き所だが、2017年6月に中国がブータン国境内に侵入し、インド・中国・ブータンの国境合流点でインド・中国両軍の睨み合いとなった。徐々に既成事実を作って現状変更を図るのが中国の戦略だが、この時は同年9月に厦門でBRICSの会合を控えていたこともあり、2か月後に両軍とも引き揚げることになった。さらに2020年6月にインド北部カラコルム山脈のガルワン渓谷で両軍が衝突した。それまでの紛争と違いインド側に20名の死者を出すに至り、反中ナショナリズムが高まり、中国製品・中国投資のボイコットが広まった。
 1962年の国境紛争以降、インドは中国をパキスタンと並ぶ仮想敵国と見做していたが、経済面では実利主義をとり、主要なパートナーとして貿易関係も深まっていた。しかし2020年の衝突と前後して対中政策は大きく変わり、中国からの投資規制・中国アプリ禁止・中国製品への輸入規制強化といった措置がとられた。
 領土以外の印中間の争点として深刻なのが水問題である。中国は東南アジアを含めてアジアの主要大河の水源であるチベットを押さえており、インド・バングラデシュを経てベンガル湾に注ぐプラマプトラ川の上流で10以上のダムをすでに建設しており、さらには三峡ダムの3倍規模のダム建設計画があり、果てはプラマプトラ川を黄河に流すという壮大な計画もあると言われている。

5.深まるインドと日米両国との戦略的関係
 冷戦時代アメリカは反共の砦としてパキスタンを重視する中、インドはソ連との関係を深めた。特に1971年のバングラデシュ独立に際してインドは独立を支援したため、パキスタンを支援するアメリカはインドの動きを阻止すべくベンガル湾に原子力空母を配置するに至った。しかしソ連の崩壊後、アメリカはインド経済の重要性を認識するようになり、イスラム過激派のテロや中国への対抗上両国関係は改善し、インドにとってアメリカは最大の貿易相手国となっている。
 戦略的関係でも92年から米印2国間でマラバール海軍合同演習を実施しており、2008年には原子力協定、18年には「通信互換性及び安全保障協力」(Comcasa)といった重要な枠組みも締結されている。
 さらに米中対立の中でサプライチェーン再編の動きがあり、アメリカのIT企業のインドへの投資がかなり増えており、それに付随してアメリカの委託先となる台湾のIT企業の投資も増えている。
 日印関係を見ると、貿易面ではパッとしないが2008年頃からインドに対する投資がかなり増え、いろいろな分野で企業が進出している。市場規模が大きく、今後の拡大が見込めることから、企業の間では有望事業展開先として、インドがベトナムなどを抑えて上位にランクされている。特に重要なのは日本のODAを使ったインフラ投資が顕著で、2004年以降日本のODAの最大の供与先となっており、2009年完成のデリーの地下鉄事業を始め、貨物専用鉄道や高速鉄道も完成間近もしくは着工済みである。
 さらに注目されるべきは日印間での戦略的パートナーシップの進展であり、小泉首相時代に日印間の戦略的方向性が打ち出され、2006年に「日印戦略的グローバル・パートナーシップ」が形成された。その後14年には「特別日印戦略的グローバル・パートナーシップ」、15年には「日印ヴィジョン2025」、18年には「日印ヴィジョンステートメント」等での日印関係の更なる格上げが進んでいる。
 最近ではデジタル面でも面白い取り組みがあり、インドの海底ケーブルをNECが手掛けるなど貴重な関係が実現している。また、日本はIT面での人材不足が大きな問題でこういった点でも日印間の関係が深まればいいと考えている。

6.日米印豪戦略対話(クアッド)の結成と今後の展望
 我々がアジアを語る時、この数年はインド太平洋という言葉が定着している。これは安倍元首相が言い出したことで、2007年にインドの国会で演説した際に「インド洋と太平洋の二つの海の合流」という言葉を使い、その後概念として定着してきたもので、その背景としてアジアでインドと中国の両雄が台頭してきたことが挙げられる。アメリカの太平洋軍も18年5月にインド太平洋軍に改称された。
 インド太平洋構想の中核をなすのが日米印豪4ヶ国(クアッド)で、最初の動きは2004年のスマトラ沖地震の際、安倍首相の呼び掛けでこの4か国による支援体制が立ち上がった。その後オーストラリアが中国に配慮して離脱したが、中国が政治・経済・軍事面で一方的な拡張を目指したことから、これに歯止めを掛けて自由で開かれたインド太平洋の枠組みを維持・強化すべく2017年にクアッドが復活した。マラバール海軍演習には17年から日本、次いでオーストラリアも20年から参加するに至った。
 当初インド太平洋広域を対象とした戦略が不明確だったため、インドは慎重な立場をとったが、中国の台頭を意識してインドの躊躇も解消され、2020年10月の4か国閣僚会議で正式にクアッドという名称が採用された。
 本年3月オンラインでのクアッド首脳会議が開催され、「自由で開かれたインド太平洋」のために尽力するというクアッドの精神が確認され、ワクチン製造支援やサプライチェーンに関する協力が協議された。さらに本年9月にはワシントンで対面でのクアッド首脳会議が開催され、先端技術、宇宙、サイバー・気候変動などの分野での協力関係が協議された。

おわりに
 インドは世界最大の民主主義国家として、独立後一貫して議会制民主主義を堅持してきたが、今後も高いレベルの経済成長を維持できるかどうかは、経済改革を不断に実行できるかどうかにかかっている。その中で議会制民主主義がしばしば足枷になることは否定できない。
 今年度8%を上回る経済成長を実現して、コロナ前の規模に回復することはできると思うが、農業改革を目指しながらも農業三法を撤回したことからも窺われるように、既得権をどう克服するか難しい面がある。今後既得権打破を伴う改革にどこまで切り込めるか、モディ政権の手腕が注目される。
 インドはインド太平洋の西側の防波堤であり、その国力・戦略能力からクアッドの重要な構成要素となる。中国にとって核心的な利益を構成する優先地域は南シナ海と台湾だが、その軍事的威圧・一方的現状変更を阻止する上で、インドがクアッドに加わることは、中国に対する二正面からの地政学的圧力を掛けることで意義があると思っている。

質疑応答
Q:インドは先日グラスゴーで開催された仏教サミットで自国を低開発国と言っている。1人当たりのGDPから見れば名目はそうだが、実際には核兵器・空母・原子力潜水艦を保有していることから考えて、彼らの言っていることは本当なのか。
 次に、クアッドの一員としてインドへの期待が強まっているが、一方でインドは中国とパキスタンへの専用兵器としてロシアから地対空ミサイルS400の導入を始めており、やっていることに一連性が無いように思える。この点どう考えていいのか。
A:実は「発展途上国」というのは自己申告で、誰でも使える。中国も都合によって自分を「発展途上国」と言っていて、誰も文句を言えない。ただ、これをいつまでも認めていいのか問題がある。
 次にロシアからのミサイル購入の問題だが、かつてバングラデシュの独立に際して、アメリカとインドは敵対した。また1972年のニクソンの訪中に際して、露払い役としてのキッシンジャーはインドと敵対するパキスタン経由で極秘に中国に入るという意表を突いた行動をした。インドは武器に関しては長期的にロシアから購入しており、現在アメリカからの輸入が増えているとはいえ、まだ過半数はロシアからのものである。アメリカとしても今までのインドとロシアの関係は認めており、今回のミサイルの件を仕方ないことと見ると思う。
 インドはロシアとの関係を中国に対する牽制に使える。もし仮にインドと中国の間で何かあった時に、ロシアがどちらにつくかは分からない。不思議とインドとロシアは友好的な関係にあり、この点は日本と違う。インドを通して見ると、ロシアと中国の複雑な関係が見えてくる。

【Y】ヤングサロン第37回講演会を開催しました

テーマ:「シニア人材が日本を救う」

2月16日(日)、国分寺労政会館にて34名参加の下、第37回The Young Salonを開催、当三田会会員である中原千明さんを講師にお迎えし、「シニア人材が日本を救う」というテーマでお話し頂きました。 中原さんは1973年に慶応義塾大学を卒業後、都市銀行に入行、不動産や企業年金等幅広い分野で活躍され、退職後61歳で起業、基金運営研究所㈱を設立、一般社団法人年金基金運営相談センター理事長に就任。その後事業を拡大して2013年に㈱CNコンサルティングを設立、シニア人材の雇用と戦力化に尽力、第一戦の経営者として活躍しておられます。 尚、引き続き行われた懇親会には講師を含め19名が参加し、和気藹々の楽しい会となりました。以下に印象的な言葉を抜粋し掲げます。

    1. 自己紹介
      入行後、本部で東日本の営業責任者として厚生年金基金を中心に4兆円という多額の資金を運用するなど様々な業務を行っていたが、その後海外行員の不正問題などによる過重なストレスから髄膜炎を発症。一時社会復帰が絶望視されたが奇跡的に回復。一度は人生も終わったと思った処からの再出発を行った。 日本は生産年齢人口減少がGDPの低下を招き日本経済が落ち込んでいるが、生産年齢人口、15~64歳を10年間伸ばし、75歳位迄とすれば余り悲観しなくても良いのではないかと考えている。

 

    1. 少子高齢化
      わが国では2025年頃には国民の3人に1人が65歳以上になると見られている。14歳以下の年少人口の山は1955年、続いて段階ジュニアの時代1980年があるが、その後緩やかに減少し、これが生産年齢人口の減少へと繋がる。平均寿命が延びた事で2008年頃迄には人口が増え続けてきたが、それ以降は年少人口の減少により人口増の限界が出てきた。将来的には人口は5,000万人位、独居老人の世帯が3割位で、若い人の単身世帯が1割、計4割が単身になる可能性が高い。

      図1 日本の総人口の長期推移:年齢構成別、1880~2115年
      講演資料1資料:旧内閣統計局推計、総務省統計局「国勢調査」「推計人口」、国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口」(平成 29 年推計[ 出生中位・死亡中位推計 ])

 

    1. 高齢者比率の増加による社会保障費の増加
      現状が続けば年金の受給者が増え、支える人がいなくなる事から若い人の負担が増える不安がある。最後は税金を投入する等で厚生年金が破綻する事はないが、全体として貧しくなる。 働き方改革による高齢者雇用機会の創出、年金の支給開始年齢の引上げ、シニア人材、女性、外国人労働者の活用等様々な努力・取り組みがなされているが、シニア人材の活用・頑張りが日本を救う大きな力になると考えている。

 

    1. シニアが持っている魅力
      シニアは業種を問わず経験が豊富。仕事・趣味・プライベートを問わず色々な人脈があり、コミュニケーション能力がある。また賃金よりもむしろ生きがいを求める人や社会貢献を望む人も多い。

 

    1. 再就職が難しいのは何故か - シニア人材の問題点と課題
      シニア側の問題点としては過去の実績・手法・栄光にしがみつくことで、組織チームの中で浮いてしまい、結果ぞんざいな態度をとる人や、ポスト・報酬に不満を持つ人もいて、会社が受け入れたとしてもチームとして働く上で大きな問題を抱える人もいる。 米国を始め海外では会社の人材募集において年齢・性別不問という所が殆どだと思う。今後多様性のある人が活躍できる社会になっていくのではないか。シニアに頑張って欲しいというのが自分の考えである。

 

  1. 現役としての心構え
    健康に生きて
    きちんと食事ができる事に感謝。会社が収益を上げ税金を納め、雇用を増やす事で社会に貢献できる事に感謝。アイデアがあったらすぐに行動に移すことを自分の信条にしている。今日より明日、明日より明後日と日々研鑽し、世の中の観察、その変化に気づく事が極めて重要である。

<<< レジュメ <<<

Ⅰ. 取り巻く労働市場環境
日本が直面する厳しい現実『少子高齢化』への対応 ⇒ 減少する人口と増加する高齢者比率

  1. 国民の『約3人に1人が65歳以上』という高齢化社会が到来
  2. 高齢者比率の増過による社会保障費の増加
  3. 国も推し進める『シニア人材の活用』
  4. シニア人材向けの再就職に特化した人材派遣会社・求人サイトの増加

Ⅱ. シニアが持っている魅力
積み上げてきた『経験』は知識に勝る

  1. ベテランならではの安心感
  2. 幅広い人脈
  3. 賃金の多寡に関係ない『旺盛な労働意欲』
  4. 『社会貢献』への意識
  5. 成功体験と失敗体験の蓄積
  6. 即戦力となりうる豊富な人材

Ⅲ. 再就職が難しいのは何故か?
シニア人材が抱える『問題点や課題』を再認識する

  1. シニア人材の受け入れ体制が十分ではないこと
  2. シニア本人の高いプライドや実績への拘り・再就職先の給与やポスト等の待遇に不満を持つ
  3. ・社内に上下関係を作りたがる
  4. ・過去の実績や栄光にしがみついている
  5. 社会環境の変化への対応が苦手・パソコン・スマホ等、新しい機械に慣れるまでに時間がかかる
  6. ・経験のない仕事に『尻込み』してしまう
  7. ハングリー精神の欠如
  8. 健康面・体力面の不安

Ⅳ. 企業が『シニア人材』に求めるものとは?

  1. 会社を離れても『売りになるスキル』を持っていること
  2. 周囲の人に必要とされる人間であること
  3. 心身ともに健康管理をしっかり行うこと
  4. ポジティブであること

◎最後に

生涯現役でいるための心構え

  1. 感謝の気持ち
  2. 今日より明日、明日より明後日
  3. 世の中をよく観察すること

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【Y】第36回The Young Salonの会を開催しました

テーマ:「今日の韓国と日韓関係」

12月14日(土)都立多摩図書館にて49名の参加の下、第36回The Young Salonを開催しました。
講師として慶應義塾大学総合政策学部教授柳町功氏をお迎えし、「今日の韓国と日韓関係」をテーマにお話し頂きました。柳町功氏は1984年慶應義塾大学を卒業、1990年に同大学大学院博士課程単位取得、在学中に韓国の延世大学に2年間留学、その後名古屋商科大学助教授・慶應義塾大学総合政策学部助教授を経て同教授に就任、その間2008年に慶應義塾大学より博士号を取得、UCLA訪問研究員・延世大学客員教授・アジア経営学会常任理事等を歴任、更に、現代韓国論、東アジア経営史・財閥史を専門分野とし、数多くの著作を上梓されています。
尚、引き続き行われた懇親会には講師を含め20名が参加し、和気藹々の楽しい会となりました。
講演のレジュメは以下の通りです。

第36回ヤングサロン講演会

2019年12月14日

今日の韓国と日韓関係

慶應義塾大学 柳町 功

<自己紹介>

    1. はじめに
      ・「今日の韓国(国内)問題」と「対日本問題」との根底に流れる理念とは?
      ・文在寅政権としての特徴、それ以前の政権との共通点とは?
      ・キーワードとしての「積弊清算」と「建国史観」

 

    1. 歴代政権の政治理念
      ・最高権力者列伝:李承晩、尹潽善、張勉、朴正熙、全斗煥、盧泰愚、  金泳三、金大中、盧武鉉、李明博、朴槿恵、文在寅
      ・1987年「民主化宣言」とその後の政治的、経済的変化
      ・大韓民国憲法にみられる理念(1987改正)
      「悠久な歴史と伝統に輝く我々大韓国民は、31運動で建立された大韓民国臨時政府の法統と、不義に抗拒した419民主理念を継承し、・・・」

 

    1. 文在寅政権の政治理念(建国史観)
      ・大韓帝国・日韓併合(1910)、独立宣言・三一運動(1919)、  大韓民国臨時政府(上海)、解放(1945)、政府樹立(1948)、
      =建国史観(光復説演説 8.15)<2017/2018/2019>
      =「大韓民国」建国は1919か、1948か
      →米軍政期(1945-48)の否定?
      ・韓国と日本の視角差異、理念と現実
      韓国:植民地時代「日帝時代」(1910~45)を重視
      日本:国交回復後(1965~)を重視
      ・理念対立・・・進歩と保守、理念と現実、対財閥・・・バッシングと接近
      ・「歴史の立て直し」(金泳三)「5.18特別法」による全斗煥・盧泰愚の 逮捕(→起訴、死刑・無期判決→大統領特赦)
      大統領=遡及法も、特赦も
      ・政権の主要人物(進歩勢力・・・反体制、反財閥、・・・)
      ・任鍾晳(イム・ジョンソク)=青瓦台・大統領秘書室長(前)。
      林秀卿(イム・スギョン)秘密訪朝事件を主導、逮捕・服役→左翼政治家。
      ・曺国(チョ・グク)=青瓦台・民情首席秘書官、法務部長官(前)。
      ソウル大教授。
      ・張夏成(チャン・ハソン)=青瓦台・政策室長(前)。高麗大教授。
      経済改革連帯、反サムスン。
      ・金尚祚(キム・サンジョ)=公正去来委員会委員長→政策室長(現)。
      漢城大教授。経済改革連帯、反サムスン。

 

    1. 2018年10月・11月の徴用工判決
      ・司法=大法院(最高裁)の判断(2012)
      「個人請求権は消滅していない」
      ・・・ 個人の損害賠償請求権は、日本の植民地統治が「不法」であり、
      日本企業による「徴用」がこれに直結していたため。
      ・日韓基本条約(1965)への視角差 ・・・
      日本=合法、韓国=不法・無効
      ・文在寅政権になっての判決(2018年10月・11月)
      →「建国史観の外交への遡及的持ち込み」(倉田秀也)
      =「歴史の読み替え」

 

    1. 司法の影響力強化 →「積弊清算」
      ・司法 →国内政治(曺国問題) ・・・青瓦台・政府「検察改革」 VS 検察   →外交(対日)
      →財閥(崔順実ゲートに、サムスン経営権継承)
      ・検察総長・尹錫悦(58、ユン・ソクヨル) ・・・1987民主化宣言時 (20代)=現在の50代
      崔順実ゲート特別検察官のチーム長、ソウル中央地検検事正
      李明博元大統領の逮捕・起訴(=収賄容疑)
      梁承泰(ヤン・スンテ)前大法院長の逮捕・起訴(=朴槿恵前政権の徴用工 問題介入疑惑)

 

  1. まとめ
    ・「日本の植民地統治は不法」とする建国史観 → 戦後日韓関係の歪み
    ・新旧両面を持つ「積弊清算」と「建国史観」
    ・理念と現実のズレ
    ・世論(民心)、言論の存在
    ・(グローバル)市場の存在

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【Y】第34回 The Young Salon講演会を開催しました

テーマ:「EUを観て日本を考える」

7月28日(日)午後、ひかりプラザにて45名参加の下、第34回The Young Salon講演会を開催しました。講師として1973年慶應義塾大学経済学部卒の塩尻孝二郎氏をお迎えし、「EUを観て日本を考える」をテーマにお話を頂きました。塩尻氏は塾在学中の1972年に外務公務員上級試験に合格され、卒業後に外務省に入省、駐大韓民国日本国大使館公使、駐アメリカ合衆国大使館特命全権公使、外務省官房長、駐インドネシア共和国特命全権大使、欧州連合(EU)日本政府代表部特命全権大使の要職を歴任され、2014年に外務省を退官後現在は、外務省参与(査察使)、一般社団法人霞関会理事長、一般財団法人日本インドネシア協会副会長、ANAホールディング株式会社常勤顧問等を勤められています。尚、引き続き行なわれた懇親会には講師を含め23名が参加し、和気藹々の楽しい会となりました。講演の概要は以下の通りです。

外務省勤務41年間のうち合計19年間は在外勤務。アジア、アメリカ、欧州で、それぞれ2回ずつ勤務をした。現在、EU、イギリスが混迷している。EU、英国が荒波をどう乗り越えて行くのかを観察しておくことは、日本の今後を考える上で大事であると思う。「EUを観て日本を考える」というテーマでお話ししたい。

    1. EUの姿
      (1)壮大な政治・経済統合への歩み
       EUは、欧州の人々が英知を絞って取り組んでいる壮大な事業である。現在BREXITが混迷しているが、EUは、後戻りすることは許されない、前に進まざるを得ない事業であり、歩み続けると思う。人口、GDPそれぞれ日本の4倍、1人当たりのGDPは日本とほぼ同じ。加盟28カ国、そのうちユーロ通貨使用は19か国である。ドイツ、フランス、イギリス、イタリア、スペインの5カ国でEU全体のGDPの80%近くを占めているが、一口にEUと言っても、多様な国々から成っている。EUは一隻の大きな船ではない。「船団」である。大きな船、そうでない船、いろいろな船からなる「船団」である。一体となって進むのは容易ではない。EU連邦、欧州合衆国の議論はあるが、現在は非現実的である。EUという28隻の船から成る船団が、今、荒波の中を進んでいると言える。
      「EU船団」には「掟」がある。政治基準(民主主義、法の支配、人権、少数者の尊重・保護等)、経済的基準(市場経済等)を満たさなければならない。加えて、EUの法体系受け入れなければならないという「掟」である。EU加盟国は、こうした「掟」を守りながら、EUの深化(関税同盟、域内市場統合、共通通商・農業政策、経済・通貨統合、共通外交・安全保障政策等)と拡大(1956年6カ国の原加盟国から現在は28カ国の加盟国)を果たして来た。「深化」について言えば、EUの存在感は、経済分野だけに止まらない。「潮流を作る力」、例えば、環境、人権等の社会的分野、あるいは、外交、安全保障の分野でも際立つものがある。「拡大」については、ベルリンの壁の崩壊後、東欧の諸国がEUに加盟し、現在は28カ国。様々な背景を持つ加盟国が増え、纏まる力、結束力をどう維持するかが、益々大きな課題となっている。
      (2)壮大なコスト手間(議論 コンセンサス)
      EUは28カ国が纏まる為に膨大なコスト、手間をかけている。加盟各国の間で、経済力、考え方、メンタリティーも違う。意思決定では特定多数決で決められる事項もあるが、重要事項や外交関連の決定等では、全ての国が等しく拒否権を有している。公用語は24カ国語(文書も24カ国語で作成)。基本的には、加盟国の全員一致(コンセンサス)で物事を決める。トコトン議論をして、結論を出す。その手間、コストは計り知れないものがある。EUの真髄は、「議論すること」、「違う意見、立場の中で、徹底的に議論して妥協点を見つけること」。そのEUと向き合うには、「説明力」、「説得力」だけでなく、「信じさせる力」が必要と痛感してきた次第である。
      (3)課題・問題点
      第二次世界大戦後、ベルリンの壁崩壊を経てリーマン・ショックまでは、欧州憲法条約の挫折等はあったものの、平和・安全の構築、定着、旧ソ連邦の下にあった東欧諸国の加盟によるEU拡大、共通通貨ユーロの導入等により、EUの吸引力、結束力に繋がった。リーマン・ショック後、ギリシャ問題、欧州債務危機、ウクライナ・ロシア問題、中東からの難民問題、BREXITと荒波に揉まれている。その中でここに来て心配な要素は、「各国の事情」、「各国の利益」がEU各国間の議論においてウェートが大きくなっており、ポピュリズムの高まりと相俟って、EUの纏まりを阻害する要因となってきていることである。BREXITについては、2016年の国民投票で、英国離脱派が掲げる「主権の回復」、「移民の規制」の主張が多くの英国民の支持を得た結果である。「主権の回復」については、EUが立法権を有する分野でEUが定める法令が英国に適用される為、英国議会の関与が十分に及ばないことへの懸念、不満が背景にある。「移民の規制」については、2004年以降の中東欧諸国の加盟拡大により、200万人以上の「EU市民」が就業し、「英国市民」の職を奪い、社会保障をただ乗りし、治安が悪化しているとの懸念、不満が背景にある。2017年からEU離脱の交渉が続けられている。英国の離脱はEU諸国側にとっても大きな損失を伴うが、「EU船団」から抜けようとする国に対しては厳しい。強硬派のジョンソン氏が首相になり、本年10月末の期限までにイギリスはどのような判断をするのか、大変厳しい局面にある。

 

    1. 日本とEUとの関係
      EUは日本をlike-minded country、同じ価値観を共有出来る「同志」と位置付けている。EUの「掟」の根幹は、法の支配、人権、民主主義という普遍的価値の遵守である。日本と、そうした「掟」を持つEUとは、一緒に取り組み、他の諸国をリードするという分野、例えば、法の支配、民主主義、人権と言った社会制度の分野、環境保護、社会保障、教育、衛生等々がまだまだ沢山ある。日EU・EPA(経済連携協定)と共に、本年(2019年)暫定適用を開始した日EU・SPA(戦略的パートナーシップ協定)は、正にこうした40の様々な分野での日本とEUの協力関係強化を目指したものである。

 

  1. 雑感
    今後グローバル化の進展、技術革新により、世の中が変化する速度は益々早くなる。その中で今までの価値観、物の見方も含め変わって行く。EUを観ているとその感を強くする。国の姿も、風や雨、自然の力で岩山の形が変わるように否応無く変わって行く。でも、その中で、受動的ではなく、能動的にどう変えて行くのか、変えないのか、変えさせないようにするのかを良く考えて行かなくてはならない。いろいろな価値観が変って行くことがあっても、究極の価値観、人間の尊厳、民主主義、人権、法治主義は守らなければいけない。もう一つ大事なのは、何かあった時に頼れる、頼りになる同志、仲間が必要だということである。その為には、サポートしなくてはならない、守らなくてはならないと思わせる魅力が必要である。日本は、こうした魅力のある国である。魅力を持ち続けるためには、社会が、人が輝き続ける必要がある。人が輝く為には、生き抜くこと、志を持ってやりたいこと、出来ることを最後までやり抜けることが必要である。人が生き抜けるようにする社会の責任、人は生まれた以上、生き抜く責任がある。これからの社会、国のキーワードは、智慧、責任、スクラムを組める力だと思う。日本は何れもある。これらをもっと強くし、どんな風雨にも耐えられる素晴らしい国であり続けなければいけないと思う。引き続き、「EU離脱の方向の中でイギリスは今後どのようになるのか」「EUの価値観について」の意見交換があり、講演会を終了しました。

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【Y】第33回The Young Salon 講演会を開催しました

テーマ:「国家が破綻する時:ポルトガルのソブリン危機」

4月13日(土)午後、国分寺労政会館にて38名参加の下、第33回The Young Salon 講演会を開催しました。講師として1974年慶応義塾大学経済学部を卒業後外務省に入省され、マルセイユ日本国総領事、法務省大臣官房審議官、モントリオール日本国総領事、ドミニカ共和国(兼ハイチ共和国)駐箚特命全権大使、ポルトガル共和国駐箚特命全権大使等の要職を歴任された四宮信隆氏をお迎えし、「国家が破綻する時:ポルトガルのソブリン危機」をテーマにお話し頂きました。尚、引き続き行われた懇親会には講師を含め20名が参加し、和気藹々の楽しい会となりました。講演概要は以下の通りです。

 記

  2010年からの3年間、まさにポルトガル経済がどん底の時期に、大使として、日本が両国関係のために何ができるかを考えながら仕事を行ってきた。過去の歴史の中で国が破綻することは少なからずあり、典型的なものは戦争だが、ポルトガルの場合は財政がたち行かなくなり破綻にいたった。その中で破綻の原因や政府・国民、また社会がどういう動きをしたか、さらに日本が外交的にどのような関与をしたのかについて話をしたい。
1. ポルトガル共和国と日本
ポルトガルの人口は1,000万人強と、ヨーロッパの中では中規模、面積は日本の約四分の一、一人当たりのGDPは日本の約半分。日本にとっては、1543年の鉄砲伝来や1549年のフランシスコ・ザビエルの来訪から、ポルトガルが欧州との最初の出会いとされるが、一方で日本人が初めて欧州に行ったのもポルトガルである。天正遣欧少年使節より早く、鉄砲伝来のわずか10年後の1553年に鹿児島の洗礼名ベルナルド(日本人)がザビエルに同行してポルトガルに渡り、バチカンで法王に謁見、ポルトガルで亡くなったことがイエズス会の記録に残っている。
2. ユーロ危機
ユーロ危機は、アメリカのサブプライムローン、リーマンショックによる世界同時不況を背景とし、直接的には2009年にギリシャで政権交代があり、前政権が財政赤字をごまかしていたことを公表、信用を失ったギリシャの国債が暴落、利回りが高騰して資金調達が出来なくなったことが発端である。当時のユーロ通貨制度では各国の財政状況は自己責任とされており、財政危機があっても外部からの救済制度が整っておらず、支援策が滞って危機が拡大していった。そもそもEUは、欧州での不戦を決意した仏・独の同盟から発したものであり、ユーロ制度もインフレ(財政規律)問題に強い意識をもつ独の意向が色濃く反映された形で発足した。加盟国の財政状況に厳しい自己責任を問う制度も、これが反映したものである。 2010年、EU・ECB・IMFの3者がトロイカと称する支援グループを作ってギリシャを金融支援したがうまくいかず、アイルランド・ポルトガル・スペイン・イタリアに危機が拡大した。この状況下で2011年末にECB総裁に就任したマリオ・ドラギ氏が、ユーロ救済のためならなんでもやると宣言し、自己責任主義が修正され始めたことで、ユーロ危機は回復の方向に向かって行く。
3. ポルトガルの財政破綻
(1)財政破綻の状況
2010年に財政赤字が急増する中、12月に当時のソクラテス首相が財政緊縮策を打ち出すがうまくいかず、トロイカへの金融支援を要請(bail out)せざるを得なくなり、その責任を取って辞職、総選挙で新首相に就任したコエーリョ氏の下で経済再建が始まることになる。この当時、2011年から2013年にかけては、緊縮政策によりGDPの成長率はマイナス、経済も悪化し、失業率は15%以上に達した。特に若年者失業率は25%ぐらいまで上昇し、公的債務残高の対GDP比は120%を超える状況にあった。
(2)破綻の原因
このような破綻の原因には、次の3つの側面が考えられる。
①ポルトガル自身の問題 まず、生産性の低さ・貯蓄率の低さ・農業依存による産業の未成熟等のための経済の脆弱性が挙げられる。また、輸出入の約7割、対ポルトガル直接投資の約8割がEU域内国という欧州依存の経済構造のため、欧州の景気の影響をもろに受ける経済の体質がある。更に、ユーロ通貨へ参加するため、財政赤字と緊縮財政の悪循環を繰り返してきた財政事情もある。なお、ラテン系特有の国民性からくる財政規律の自覚の低さも背景にあるのかもしれない。 ②ポルトガル以外の問題 また、国際金融市場における投機の問題がある。一儲けを狙った投機筋が暗躍し、ポルトガルだけではなくギリシャやアイルランドがそれに嵌ってしまったとも言えるであろう。
③ユーロ通貨制度の内在的問題 共通通貨制度のため各国ごとの為替変動がなく、ユーロ圏内での国際収支・競争力の調整ができないにもかかわらず、ユーロ通貨制度には上述の通り、財政危機の国への財政支援が禁止され、各国は自己責任で財政健全化を図らねばならなかったことがある。さらに、ユーロ域内では北と南で経済格差があるにもかかわらず、ユーロの信用力で南欧の国もお金を借り易くなったためバブルが生じたが、世界が不況になって一気にそのお金を引き揚げられると、破綻に追い込まれることになる。
4. 財政再建
(1)財政再建プログラム
ポルトガルはEU・ECB・IMFの3者に支援を要請、2011年6月から3年間で780億ユーロの融資が行われることになった。ただし、当然ながらその国の財政を立て直す厳しい緊縮政策とセットにしての融資であり、しかも一度に全額の融資が行われるのではなく、四半期毎に財政再建が進んでいるかチェックが行われて、それに応じての融資という厳しい条件付きであった。実際、四半期ごとに追加の緊縮策を求められて、不況は深刻になっていった。 財政再建プログラムの内容は、①財政収入の増加 ②支出削減 ③経済体質強化のための改革から成る。財政収入増加策としては付加価値税が23%へ増税、所得税も増税、社会保険料・医療費・公共料金・教育予算等の大幅引き上げ等が行われた。支出削減策としては公務員の給与削減や新規採用の中止、一部大使館の閉鎖等を含む政府機関の削減、年金削減、教育・福祉予算の削減、企業への補助金の削減・廃止等が実施された。大型の公共事業計画は、すべて凍結された。さらに、政府が保有する資産の売却としてポルトガル航空、発電、配電企業や銀行等の国営企業のほとんどが民営化された。EU域外からの資本誘致のために、大統領や閣僚はビジネスマンを引き連れて、手分けして世界中に散らばる状況であった。
(2)国内の苦難(現場の状況)
失業率が高まり、特に若い人が非常に苦しんでいた。また、貧困の拡大も進んだ。リスボンの中心街で市のトラックが止まり、市民へパンとスープの炊き出しを行っていたのを目撃した。地方の市長たちを会食に招待した際、市民への食糧供給が市の財政を圧迫しているのが大問題だという発言もあった。食料を求めて、見知らぬ人が自宅を訪ねてくる話も幾度か耳にした。国際日の式典で、各国大使の面前で大統領や首相が困窮した地方住民に罵倒されるシーンにも遭遇した。主管大臣の財務相は、夫婦で町に買い物に出た際に市民に取り囲まれる事件などもあった。また、別の政府高官は、厳しい緊縮策を求めるトロイカ、特に独の国民世論がポルトガル経済の運命や国民生活まで支配していると私に嘆くこともあった。 中産階級も悲鳴を上げるなか、当時の新聞には「国を覆う絶望感」という見出しが躍る程であった。しかし、意外にもデモなどで暴力事件が起こらなかったのには感銘を受けた。厳しい状況にも係わらず社会の秩序を保つことができた芯の強い国民性という感じを受けた。 もう一つ印象的だったのは、緊縮政策に対し違憲判決がずいぶん出されたことである。日本では考えられないと思うが、公務員給与・ボーナスのカットや年金削減等の政府の緊縮政策に対して憲法裁判所が違憲判決を次々と出し、それに対応して政府が政策の変更を余儀なくされる事態がしばしば見られた。 苦難の状況にあっても、弱者救済や人間性・人権の尊重という欧州的な歴史の中で培われてきた文化や価値観を垣間見る気がしたものだ。
5. 日本の関与
2010年10月の着任早々ポルトガルの国債が急落するのを目のあたりにして、日本も何か支援できないかと考えていたところ、直後に中国の胡錦涛総書記(当時)がポルトガルを訪問し、5億ユーロのポルトガル国債の購入を約束したとの情報を入手した。 日本は国債の購入は実現できなかったが、当時始められたトロイカによるギリシャ支援の資金として「欧州金融安定化ファシリティー(EFSF)」という基金が作られたので、この基金の債券の2割を日本政府が購入することになった。ポルトガル政府からは、予想以上の感謝の表明があった。日本の証券会社もこの債券を購入したようだ。 その後も、日本企業の進出が少しでも容易になればとの考えから、2011年12月に「二重課税防止条約」を締結した。また、NEDOによるエネルギー関連の協力案件や口蹄疫で輸入禁止措置がとられたままだったイベリコ豚の輸入解禁等を実施、さらに経済関係者の交流には大使館も積極的に関与した。
6. 日本の財政は大丈夫か
2018年の日本の公的債務残高は対GDP比で238.2%にのぼっており、ポルトガルの財政破綻時で130%台、ギリシャは100%いっていなかったことに比べて、日本は大丈夫なのかという心配がでてくる。これにはいろいろの説明があるが、日本の場合、国債は殆どが日本人の所有のため、国際金融市場で投機にさらされる恐れが少ないとか、国内にはまだ増税の余力(返済力)があるなどの議論があるようだ。
7. ポルトガルの再生と魅力
(1)ユーロ通貨体制の改革
2011年末にECB総裁に就任したドラギ氏が宣言した「ユーロを守るためには何でもする」との方針で、ECBは①各国の国債の無制限の買い取り措置、及び②各国の銀行へ低金利での長期融資を始めた。また、その資金手当てのため、以前ギリシャやポルトガル支援のため臨時の措置として作ったEFSFを恒久化した「欧州安定化メカニズム(ESM)」という基金が作られた。 しかしユーロ体制には、EU、ユーロ圏の金融政策と各国の財政政策とが分離しているという制度上の基本問題が依然として存在している。金融政策はECBが行い、各国の中央銀行はその指示に従うだけだが、各国の財政は自国政府が手当てするのが基本的な考えだった。しかし、ユーロ危機の反省から、EUレベルで各国の政策を調整し、財政、金融支援もできる体制をつくりつつあるのである。 また、財政破綻は銀行が破綻しそれを救済するために国の財政が悪化するというケースが多い。以前は銀行の救済も各国が自分でやる方式だったが、グローバル化した金融制度の中で、銀行の監督や破綻した際の処理についてEU・ECBが協力して対応し、必要な資金もEU、ECBが基金をつくって手当てするということをやってきている。今後、その取り組みはさらに進められよう。
(2)ポルトガルの努力の成果
財政再建プログラムを実行してきた結果、例えば2019年2月のOECDの「経済審査報告書」では、ここ数年でポルトガル経済は著しく改善、GDPは危機以前のレベルに回復、失業率も2013年のレベルから10ポイント減、危機直後からポルトガル経済を支えた輸出及び観光分野の成長に続いて、今では投資や個人消費等の国内需要も拡大してきており、ポルトガル経済は堅調な結果を継続する見込みとの評価を受けている。 さらに、経済構造を中長期的に強化することを目指して、不良債権の削減、先端産業・技術革新の導入、育成等にも努めている。また昨年度予算では、いよいよインフラ整備計画も再開し、かつて経済危機で凍結されていた3大プロジェクトが昨年から再び動き出している。 政治面では2016年に中央アフリカ共和国にPKO部隊を派遣、2017年には国連事務総長(元ポルトガル首相)の輩出やEU財務相会議の議長を務める等の実績を上げている。社会面では6月10日の「ポルトガル・ナショナル・デー(国際日)」を海外でも開催するようになり、世界中に出ていっているポルトガル系の人達やポルトガル語権諸国との連携を進めるまでになった。 これらは、財政危機の時代には考えられなかった変化だといえよう。
(3)ポルトガルの魅力
国民性は物静かでありながら芯が強い性格だが、口下手・売り込み下手なところがあり、日本人にとってはむしろ一緒にいると快適な人々との印象がある。比較的物価が安く、治安は欧州の中では特に良い。テロのうわさも聞かれない。文化・歴史・観光に関しても魅力に溢れており、例えばワイン・海産物の料理・アズレージョ(タイル)・ファド(国民歌謡)等は是非味わって頂きたいと思う。ユネスコ世界遺産も文化遺産14、自然遺産1、無形文化遺産6を数える。
8.日ポ関係
最後に日本との関係を申し上げたい。言うまでもなく古くて新しい友人だと思うが、丁度自分が着任した2010年が友好通商条約締結150周年にあたり、また2013年には種子島来航(鉄砲伝来)470周年であり、いずれの年も両国の各方面の方々とともに、数多くの記念行事を実施し交流を深めた。 さらに、2014年には日本の首相として初めて安倍首相がポルトガル訪問、その後コエーリョ首相の日本訪問も実現した。現在、日本からの企業進出も80数社に増加した。 財政破綻当時、ポルトガルを訪問した日本人は推定で年間6万人くらいだったが、皆さんが異口同音に言われた「この国には、また来てみたい」という言葉が印象的だった。日本でも少しずつポルトガルの評判が伝わったのか、日本観光客数は現在では年約12万人と倍増しているようだ。 また、昨年には「(一社)日本ポルトがル協会」が創立50周年を迎え、記念行事のひとつとして特別旅行を行った際には、リスボンで大統領が我々を迎えてくれた。歴史的な関係から東京以外の日本各地にも友好協会があり、さまざまな活動を行っている。 このように、ポルトガルは苦難の時期を経て再生を果たしてきたが、経済以外にも文化、歴史、社会、観光そして国民性など非常に魅力的な国であり、日本での人気も高まっている。いま、「ポルトガルの風」が吹いているように感じている。

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【Y】第32回The Young Salon講演会を開催しました

テーマ:「福澤諭吉の晩年~その想いと蓋棺録を読む~」

2月9日(土)午後、国分寺労政会館にて45名出席の下、第32回The Young Salon講演会を開催しました。講師として以前、福澤諭吉の脱亜論をテーマに講演頂いた前、当国分寺三田会会長の菅谷国雄さんを御迎えし、福澤諭吉研究の第2弾として「福澤諭吉の晩年~その想いと蓋棺録を読む~」を演題にお話頂きました。今回講演の趣意は、昨年明治150年、時代の節目・変わり目、世界情勢の変化、ポピュリズムの蔓延等により、我々の理想としている民主主義に危機が訪れている事に講師が焦燥感を抱き、そのヒントを探す中、150年前、わが国の文明化・民主主義の揺籃期に福澤先生が既にその事に気付き、広く国民にメッセージを発していたことが分かり、皆さんに紹介することにあります。

福澤先生は1835年1月10日に大阪中津藩屋敷で生まれ、蘭学を志して21歳の時に長崎へ、その後、大阪緒方洪庵の適塾を経て1858年築地鉄砲洲に蘭学塾を開きました。これが慶應義塾の起源で昨年創立160年を迎えております。先生は1901年2月3日に66歳で亡くなられましたが、今回の講演では福澤先生の晩年に焦点を当てています。講演の概要は下記の通りです。
尚、引き続き行われた懇親会には講師を含め26名が参加し、和気藹々の楽しい会となりました。

  • 福澤諭吉の著作と年譜
  1. 咸臨丸でアメリカへ渡航
    最初のトピックスは咸臨丸(軍艦)に乗り込みサンフランシスコに渡った事。艦長は軍艦奉行・木村摂津守、指揮官・勝麟太郎(勝海舟)・そして福澤諭吉は木村摂津守の従僕として乗り組んでいた。勝海舟との出会いもこの時が最初である。
  2. 初期の大事業
    三度の洋行を経た先生は「西洋事情」「学問のすすめ」「文明論之概略」を刊行、ここに先生の初期の大事業が集約されている。江戸から明治へ時代が激変する中で「文明化とは何か」「今この国は何をすべきか・国民はどの様に生きれば良いのか」一般大衆に平易な言葉で問いかけ、その精神の発達、智徳の向上を啓蒙する諸編は40代壮年期・福澤の珠玉の著作であり、特に「文明論之概略」は福澤研究の古典とも言うべき存在になっている。(学問のすすめ:当時の人口3500万人、販売数360万部、初編~17編)
  3. 40代半ば・最も気力が充実した時期の提言
    明治10年から時事新報創刊までは何れも、先生40代半ば・最も気力が充実した時期に「国権」「民権」「分権」に対する提言を平易な言葉で直言している。これらは19世紀初頭フランスの思想家(のちの外務大臣)アレクシ・ド・トクビルの「アメリカのデモクラシー」をベースにしたものであるが、明治新政府の専政に対し、西南戦争に至る迄の没落士族の不満が根底にある。明治12年の「民情一新」では英国型の議院内閣制度の必要性を説いた政冶論に加えて、蒸気・鉄道・電信・印刷と云った「人民交通の便」が民情を一新し文明開化をもたらすと述べている。
  4. 時事小言、時事新報、脱亜論
    時事小言の中で、先生は日本と西洋との兵備の比較(わが国の脆弱さ)を示し、富国強兵を訴えている。 江戸から明治へ、特に文明開化の揺籃期を迎えた明治10年代の福澤先生の我国を取り巻く認識、即ち①欧米列強によるアジア侵略・その野心②中国・朝鮮の固陋と混迷③日本の国力の脆弱さ、これらを総合して、時事新報の社説として国民に訴え政府に直言した。しかし、日清戦争後は戦争の狂騒に警鐘を鳴らし、明治34年に亡くなった福澤先生は、その後の軍部独走や大陸進出に関与する余地もなかった、と云うのが私の結論である。
  5. 慶應義塾大学
    大学部は明治23年に設立された。小泉信吉(のぶきち)塾長のもと、ハーバードから3名の教授の派遣を受け、総勢59人の学生を迎えて始業式が行われた。しかし官学との兵役免除など差別待遇が存続し、早々に大学部存続の危機に見舞われた明治29年、小幡篤次郎塾長のもと大学部の廃止が提案されたが、先生はこれに反対、その後義塾基本金募集を行い、31年に至り漸く幼稚舎・普通部・大学部の一貫した学制組織を打ちたてる事となった。
  6. 痩せ我慢の説
    明治24年の「痩せ我慢の説」については、明治24年の脱稿以後永年に亘ってその胸底に秘していたものを、先生が亡くなる寸前、時事新報の社説として明治34年から連載されたものである。
  7. 最晩年
    福澤先生は今から118年前の1901年(明治34年)2月3日に逝去された。その3年前の明治31年9月に脳出血が発症し、一時重体であったったが約3ヶ月を経て殆んど全快。大患から復帰した先生は、時勢の変化・修身処世の乱れを見て、「修身要領」を発表し当時の人心に大きな影響を与えた。34年1月25日に脳出血を再発、2月3日帰らぬ人となった。
  • 変革期の理想と老余の煩悩
  1. 膨大な著作・論説・書簡にみる福澤先生の思い
    晩年の明治30年、先生自らが刊行を決意した福澤全集緒言に記載された著作数は「唐人往来」から「痩せ我慢の説」まで全部で56編ある。又存命中、時事新報の紙上に執筆された論説は約5千編ある。更に先生は一生の間に1万通を超える手紙を書いたのではないかと推測され、昭和46年の「福澤諭吉全集」には2130通の書簡が掲載され、その後「福澤諭吉書簡集」も編纂されている。先生の言論人としての人生を通じて明治10年代から20年代、先生壮年期の主張は平易な言葉の中に強い意志をこめた発言が多くあった。そして又、晩年になって本音を語っているなかで、若い時と晩年の発言を繋いで見れば先生の本音がよく理解できるのではないか、これが本日のテーマである。
  2. 福翁自伝
    明治31年に脱稿された「福翁自伝」によれば先生が生涯変わることなく貫いた思想・心情が語られている。旧幕府はもとより新政府にも仕官を嫌い、空威張りの群れに入らぬ由縁、特に役人の醜態(空威張り・酒・妾など)に対する潔癖なまでの、特に不品行に対する嫌悪、忠臣義士の浮薄(痩せ我慢の説の遠因)に対する警鐘を鳴らし続けた。特に明治10年代に入ると、日本国中の士族・百姓・町人が少しばかり文字を学んで皆役人になりたい、金儲けに熱心で高尚な精神に至るという気概がない。晩年の先生の時世を憂うる煩悩の最たるものであった。
  3. 禁酒
    先生の「自伝」によれば、若い頃自分は大酒飲みであったが、32~33歳頃より苦しみながらも禁酒を始めたと書かれている。
  4. 日清戦争、朝鮮問題
    明治28年の春には日清戦争が終結し日本は勝利をおさめた。この戦争は福澤先生にとって開化路線の日本と固陋・旧弊・儒教・華夷思想の清国との戦いであり、年来の主張が実をむすんだ出来ごとで、満足な結果であった。当時経済状況も良く、「自伝」にも満足を表明しているが、戦勝に酔って軍事に傾きがちな世情を危惧した言葉を発信している。またこの戦後は、福澤先生が朝鮮問題について、朝鮮の政治的・文化的違和感と失望から、政治的恋愛が醒め、自分が係った諸問題を整理し始めた時期である。
  5. 時事新報(醜態の批判)
    明治29年の8月、先生は「時事新報」の社説に「紳士の宴会」や「宴会の醜態」を掲載、紳士・紳商と称する人が連日連夜宴会を催し、芸者を侍らせて泥酔昏倒する醜態を厳しく批判し、それに代わる文明の交際方として「茶話会」を提唱している。経済人が「私徳」を厳重にすることを忘れるな、と強く言って居られた。
  6. 老余の福澤先生
    このように、この時期の福澤先生は軍事的熱狂への危惧や、経済人の醜態への批判の気持ちを募らせ、かつての衆人精神発達の議論「文明論」へと再び傾斜していった。明治30年7月に一書に纏めて刊行された「福翁百話」では個人の行動と精神のあるべき姿が述べられているが、これは20年以上前に書かれた「文明論之概略」の冒頭緒言を思わせる言葉である。老余の福澤先生が再びその原点を述べた著作となっている。先生は「福翁百話」の著作動機を日原昌造宛の書簡で、俗界のモラル・スタンダードの高からざる事、終生の遺憾と述べ、自分の考える文明の精神が社会に理解されているのか、ある種の無力感を漂わせている。先生の終生の願い、即ち自主性や個人の誇りというものを備えた倫理感が日本社会に根づく事の難しさを肌で受け止めて居られたのである。この様に晩年の福澤先生は、日清戦争後の軍事熱の狂騒、経済界の醜態、朝鮮問題への挫折感、そして「文明論」の真意が理解されていないのではないかという失望、慶應義塾の財政と存続など焦燥の思いがつのり、「老余の煩悩」に苛まれる日々を送って居られたのではないかと思われる。

    明治32年、晩年の福澤先生

    明治32年、晩年の福澤先生

●蓋棺録を読む
同じ時代に生きた明治人がどの様に福澤諭吉を見ていたのか、哀悼録等で当時の「福澤感」(方々の想いの一端)をお伝えしたい。

  1. 福地桜痴
    (君は欧米の文明を咀嚼してこれを日本化せるもの、君を外して誰ありとするかな、君の訃報を聞いて流涕滂沱(涙が止めどない様)これを弔する詞知らず。)明治34年2月4日日出国(やまと)新聞:福澤先生哀悼録
  2. 徳富蘇峰(猪一郎)
    「国民新聞」に「福澤諭吉氏を弔する」を掲載している。 (人は氏を目して、拝金主義の俗物と云うが、これ未だ氏が武士的真骨頂ある快男子たるを知らざるのみ。その行の高き、家族的生活の清潔なる、その侠骨の稜々たる、その愛国の血性ある、武士的真骨頂と見る。想うに明治100年の後に於いて、もし福澤諭吉氏の感化なるものを求めば、そは福澤全集にあらずして、福澤氏自身の性行人格なるべき哉)
  3. 山路愛山
    明治26年「国民新聞」所載の「明治文学史」の中で愛山は(福澤諭吉君を敬服するところは、彼が何処までも自己の品位は即ち自己に在ることを知り、官爵を捨て、衣貌を捨て自らを律し、生涯を通じて平民的模範を与えたることである。)
  4. 内村鑑三
    明治のクリスチャンの中でも内村鑑三は、その徹底した宗教的潔癖性から、福澤の経済主義・物質主義が拝金主義の流弊を生んだことを憎んだ。
  5. 木村介舟(喜毅)
    先生は我国の聖人なり。その碩徳偉業宇宙に光り輝き、幾多の新聞皆口を極めて讃称し、天下の人熟知する所、予が蝶々を要せず。 40余年先生との交際、先生より受けたる親愛恩情の一斑を記しこれを子孫に残さんとする
  6. 新渡戸稲造
    ただ新しい知識を注ぎ込むと云うよりも、新しい知識を得たいという志を起こすような教育をせられた。単に知識を注ぎ込むということなら教育屋にでも出来るがこれが真の教育であると思いました。心と心の交わり、私はただ一度先生にお目にかかっただけですが、頭の中に強く残っています。
  7. 印旛郡長沼総代・小川武平
    同村総代小川武平氏の弔詞は左の如し。 ・・・・明治33年3月遂に沼地引き戻しの許可の指令に接しましたのも、先生の賜物非ずしてなんぞや。先生の訓誡、村民の金科玉条なり。遺訓を胸に刻み村の幸福を失墜することなく参ります。明治34年2月7日 下総国長沼 小川武平 泣血拝
    (註)当時印旛郡長沼の惨状にも拘わらず沼地を政府に上納の命が下り、一村死を待つばかりの時に、福澤先生が政府に親展書を出してくれた。このお蔭で、その後沼地は村に引き戻され村民が蘇生した。その恩を弔詞で述べたものである。
  • まとめ
    本日は福澤先生の膨大な著作・論説・書簡の中から、今の我々の心に強く訴える珠玉のメッセージを選んでお伝えした。最後に小林秀雄の「福澤諭吉の炯眼」を紹介して本日の結びとしたい。これは「考えるヒント」の「福澤諭吉」と題するコラムを纏めたものであり、小林秀雄は文書の最後で次のように指摘している。
    ◎精神の自立を薦めようとする福澤先生は「民主主義は人々の心の内を腐らせる」ことに気付いた我国最初の思想家であると。
    福澤先生はノブレス・オブリージュを訴えたのではないだろうか。人々の志が高くならないと民主主義は定着しない、現在世間一般のポピュリズムが蔓延する中にあって民主主義は難しい。(志を高め、ポピュリズムを乗り越える努力が今求められている。)

【Y】第31回The Young Salon講演会を開催しました

テーマ:「中国問題」

12月15日午後、ひかりプラザにて、48名の参加の下、第31回The Young Salon講演会を開催しました。講師には、1975年慶應義塾大学経済学部を卒業後、国連日本政府代表部公使、上海総領事、香港総領事、カンボジア駐在特命全権大使などの要職を歴任された隈丸優次氏を迎え、「中国問題」をテーマとして取り上げました。講演の骨子は下記の通りです。

  1. 中国は人権より国家主権を優先する国として、欧米各国から異質な国として思われ始め、その対応に各国は急速に不安を覚えている。
  2. トランプ氏の「アメリカ第一主義」により、これまで米国主導で世界を支えてきた理念・体制・普遍的価値に変化を来している。米国においても、・ロシア・中国と同じように「力」を基本価値とする考え方が強まり、これが軍備拡張の流れを生み、世界情勢を危険水域に導きつつある。わが国としてはこれまでとは違った自主的な外交政策が必要とされよう。
  3. 中国は文化大革命以降78年から「改革開放」が始まり、その後天安門事件が発生したが、その後の経済発展が中国共産党の弱体化ではなく、むしろその支配の強化に繋がった。2001年に中国がWTOに加盟し、北京五輪がきまったことにより、中国愛国主義が一段と進んだ。中国共産党は改革開放を進めると同時に国内統制を強化した。
  4. 米中関係はこれまでの協調体制から急速に競争関係、敵対関係へと変容を遂げつつある。習近平氏は「中国の夢」の実現を図り米国を超えようとしている。他方、「American First」を掲げる米国は孤立したのでは覇権を守れないとのジレンマがある。
  5. 世界の多くの国において、東南アジアを含め、現在民主化の停滞と強権主義の横行がある。中国は支援、貿易、投資を通じて影響力の強化を図っている。一方欧米諸国は自国(地域)内の問題に忙殺される等、世界各地に手が回らないのが実情。
  6. わが国は三本柱(総合力による外交、日米同盟の堅持、ASEANとの共生)の元、外交活動を活発にし、「自由、民主、人権、自由経済、透明性、法治など」の価値を基本とする世界秩序が守られるように努め、国際連帯を進めることが重要。中国とは、その戦略を注視し警戒しながらも対話をし、意思疎通を図って行くことがこの地域の安定と繁栄のために肝要である。

尚、引き続き行われた懇親会には講師を含め22名が参加し、和気藹々の楽しい懇親会となりました。

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【Y】第30回 The Young Salon講演会を開催しました

 【テーマ:”モンゴル草原を馬で走る、秘境シベリアでのイトウ釣り”(ノモンハンでの慰霊の報告を兼ねて)】

 10月20日(土)午後、本多公民館講座室にて、23名の参加者の下、第30回The Young Salon講演会を開催しました。講師として御迎えした小田孝志さんは慶應義塾大学(経済)を45年に卒業され、また当国分寺三田会の会員でもあります。卒業後東京新宿ライオンズクラブに入会、また御茶ノ水ロータリークラブでは会長を務められ、合計30年を超える社会奉仕活動の経歴を持っておられます。趣味の世界ではこれまでオーストラリア、カナダ、メキシコ、モンゴルの大自然の中で数多くの乗馬を経験され、特にモンゴルでの乗馬に魅せられ、爾来10年間毎年モンゴルの大草原を馬で駆け巡っているとの事です。 講演では第一部でモンゴルの概況をお話頂きました。モンゴルの国土は日本の4倍、人口は日本の横浜市より少ない300万人。信じられない位人口密度の低い国で、隣の町へ車で移動する場合は、安全面から日本車が一番多く走っているとの事、また非常に親日的な国であるとの事です。その昔、モンゴル帝国が世界を制覇した最大の武器は馬(小柄で足は短いが持久力に富む)と弓(小型で命中率は劣るが先端に火をつけて射ると村々は大火災)で、またモンゴル軍の鎧は皮製で金属製のヨーロッパに比べると素早く動ける利点があった由。1万人の兵が10万頭の馬を引き連れて村々を襲う凄まじい攻撃を防ぐ為、万里の長城が築かれた事も理解できます。四方八方、見渡す限りのモンゴルの大草原を小田さんが馬で駆け巡る姿にわが国ではとても体験できない迫力が伝わってきました。 講演の第二部はモンゴル秘境探検とノモンハンの慰霊です。 マイナス10度もの極寒の秘境シベリアで、テントで野営しながらのイトウ釣り、オオカミの遠吠えを背に、ぞっとする危険を感じながらの魚釣りは、通常では手を出せない冒険です。講師は先月(9月)、日本人2万人が亡くなったノモンハン事件の戦禍が残るこの地での慰霊祭を企画し行なって来られました。講師が映像で示した姿には鉄砲を担いで行軍する兵隊の姿、日本軍の戦車や飛行機の残骸が紹介されました。この事件ではソ連軍も2万5千人が亡くなったと言われていますが、改めて戦争の悲惨さを思い知らされました。 講演会後は引き続き有志による懇親会で大変盛り上がり、実に楽しい一日でした。

 

【Y】第29回 The Young Salon講演会を開催しました

【テーマ:AI、IoTがもたらす交通革命】

 2018年8月11日(土)、本多公民館2F講座室において第29回The Young Salon講演会を開催しました。
講師には山内弘隆氏(一橋大学大学院教授)をお迎えし、テーマ「AI、IoTがもたらす交通革命」の下、約2時間の講演を頂きました。会場には38名の皆様にお集り頂き盛況な講演会となりました。
引き続き行われた懇親会でも、山内先生を含め16名の皆様に参加頂き、大変盛り上がりました。以下講演要旨です。

  1. 交通経済学とは
    (1)慶應義塾大学の交通論
    私は慶應義塾大学で藤井彌太郎先生に、また増井健一先生の「交通経済学」で交通論を学んだ。交通経済学の研究では、社会的にも大きな影響力のある鉄道がテーマになる。チャンドラー氏はその著書「経営者の時代」の中で鉄道を取り上げ、またケンブリッジの経済学者A.C.Pigouは1920年の著書「厚生経済学」第4巻で“差別化”について述べているが、その題材が鉄道である。彼のもう一つの理論として“混雑”がある。混雑は車が道路の処理能力以上ある為に発生すると言うもので、これらが交通経済学の出発点である。慶應義塾大学では交通論をこうした経済学的な分析から論じている。
    (2)一橋大学の交通論
    一方、一橋大学においては関一先生が一橋大学を卒業し大蔵省に入省した後、再び学校に戻り交通論が教えられたが、より実学的であると思う。関先生はその後大阪市長に転向し、大阪で御堂筋の拡幅、公営住宅の整備、大阪市立大学の開校等都市整備に尽力、「シティプランニング」という外国語を「都市計画」と訳したのも関先生である。交通関係では日本発の公営地下鉄「御堂筋線」の建設、費用回収の一環として駅周辺の土地所有者に負担頂く方式を導入した。鉄道建設は駅周辺の地価を上げる効果がある事から、受益者に負担を求めたものである。(受益者負担型)
    他方、阪急電鉄の小林一三氏は沿線に宅地を造成し開発利益を創出、また大阪の中心から離れた宝塚に歌劇・遊園地等の拠点を創り鉄道の利用率を高めるなど、多角的手法により鉄道の建設費用を確保した。
    (開発利益還元型)
    もう一つの開発費用捻出方法は、鉄道開設に伴う地価上昇が鉄道周辺住民の固定資産税の増額を生み、役所に増収をもたらす事から市に相応の出資を求める方法である。(出資型)
    (3)交通の需要予測の考え方
    地域間の移動手段や、夫々の手段による移動人数等を変数として、「4段階推定方式」により交通の需要予測が実施されている。交通については他の需要予測に比べより緻密な予測値を算定しているが、実際に予測通りの結果になるかは難しいのが実情である。
  2. AIIoTがもたらす交通革命
    (1)AIとは何か
    AIの基本構成は、ある入力に対し機械が判断し出力するというものであるが、この判断は、従来に比べ圧倒的に多量のデータ(ビッグデータ)が取れるようになった事から、機械がこのデータを使った学習(deep learning)により、判断力を高め、且つコンピュータ技術を駆使し迅速な出力を可能にするというものである。またデータ自体その量の多さに加え、種類(質)も進化している。
    ①入力
    システム・センサー技術等の発達により画像認識等も高度化している。最近 では感情を読み取れる技術発展もあるようである。
    ②処理
    グラフや表による見える化、IoTを使った検出物の劣化状態の把握、通信技術 の進化(5G等通信技術他)などにより処理スピードも迅速化している。
    ③論理
    蓄積データからの検索・プランニング、コンテクスト(文脈)からの推論プランニングの最適化、対話・質疑応答も可能
    ④出力
    画像、音声、バーチャル・リアリティ、ロボット等により出力。
    このように、AIはその構成により外部からのインプットがあると、機械が計測し、判断し、実行に移すループの中で計画を最適化する。その際に出力されるデータは更に蓄積・フィードバックされ、益々AIの力を高めて行く。こうして将来はAIが人知を超えるシンギュラリティの時代が訪れるかも知れない。
    (2)自動運転の現状
    さて、それではAIは交通に如何なる影響をもたらすのか。自動運転の分野ではインフラ協調型として道路と一体になり、自動運転を開発する方法があるが、これまでの処この方式は中々進展がなく、車にセンサー・カメラを備えて周囲の状況を捉えながらの開発が進められている。最近米国で自動運転車の事故があり水をさされた感があるが、大きな流れは変わっていない。
    自動運転技術はレベルが0~5の段階で表示され、現在は車の前後左右をコントロールしてドライバーを支援するレベル2の段階にある。レベル3では特定の場所でシステムが全てを操作出来るが、緊急時はドライバーが対応するというもので、本年中にこのレベルの車が発売される可能性もある。レベル4では特定の場所でシステムが全てを操作、また最終のレベル5では場所の限定なくシステムが全てを操作する段階に到達する。現在様々な地域で実験がなされているが、地方都市・山間地等で地域限定の完全自動バスを走らせる計画もある。将来的にはタクシー、バス、乗用車が完全自動運転化される可能性がある。鉄道についても自動運転化の開発が進められている。
    (3)AI活用事例・マッピング
    AIについて現状では未だ人の眼には余り目立たないが、ホームからの転落防止、問合せ対応、遅延時間予測、列車の混雑予測、多言語案内、接客・案内の自動化、ダイヤ改正の支援、データの集約・分析等、幾多の活用事例がある。これら各事例の現状と将来動向について「事例マッピング」に纏めてみた。
    ここで言える事は、現状AIは車の配車等「オペレーション分野」で実用化され最適化が進んでいる。また「メインテナンス分野」でも常時カメラ等で情報を捉え分析を行うなど実用化が進んでいるが、「計画分野」では実験段階・技術開発段階にあると言える。未だ交通革命に繋がる域にまでは達していないのが実情である。何か別の画期的な技術が出て、相俟ってブレークスルーが生じる可能性はあるが、今暫くの間は静かな時代が続くかも知れない。

<山内弘隆先生プロフィール>

1985年3月  慶應義塾大学大学院商学研究科博士課程修了
1986年4月~1987年3月  中京大学商学部講師
1987年4月~1991年3月  中京大学経済学部講師
その後、一橋大学講師・助教授を経て
1998年4月 一橋大学商学研究科教授
2005年1月~2008年12月  一橋大学商学研究科長兼商学部長
2017年4月~ 一橋大学大学院経営管理研究科教授

講演風景1

【Y】The Young Salon第28回講演会を開催しました

【テーマ:運動器って何?肝腎カナメの股関節】

4月7日(土)、第28回The Young Salonの講演会を開催し、59名の皆様にご来場頂きました。講師は前々回に続き当国分寺三田会の会員、古賀さんの紹介により、東京ヒップジョイントクリニック院長狩谷哲先生をお迎えし、演題「運動器って何?肝腎カナメの股関節」の下、約2時間の講演を頂きました。先生は1969年長野県松本市に生まれ現在49歳、これまでに執刀された手術件数は約1,300件、現在毎月平均20件の手術を行ない、また定期的にリハビリに通う患者数は約500人の方がおられるそうです。本講演会では狩谷先生よりシニアの一般的な運動疾患の種類や症状、運動機能の低下が原因の腰痛、股関節患者の手術などについてお話を頂きました。続いて理学療法士(小山やよい氏・鈴木直揮氏)により様々な腰痛撃退体操について紹介され、最後にQ&Aのコーナーでは活発な質疑応答が展開されました。加えて、今回狩谷先生の著書「1時間で股関節痛が嘘のように消える、人生が変わる股関節手術」が配布されたので、ご講演の内容と併せ皆様には今後有効活用して頂ければと思います。尚、追加の質問等あれば、末尾に記載の「東京ヒップジョイントクリニック・ホームページ」にアクセスして頂ければと思います。それでは、ご講演の概要を下記に紹介致します。
【講演概要】
狩谷哲先生による講演
人が自分の体を自由に動かす事が出来るのは骨、関節、筋肉や神経で構成される運動器の働きによるものである。この機能が低下すると、元気に動き回る事が困難になり、要支援や要介状態になる危険が高くなる。健康寿命は現在男性・女性で平均寿命より夫々9.13年・12.68年下回っており、この原因は下記に示すように運動器の機能低下(ロコモティブシンドローム)に因るところが最も大きい。
<1位>運動器の障害  <2位>脳卒中  <3位>認知症
・     平均寿命(A) 健康寿命(B) (A)-(B)
・男性    79.55      70.42      9.13
・ 女性    86.3        73.62                 12.68

体には数多くの関節があるが、最大のものは股関節で、骨盤と脚の骨を繫ぎ、また上半身と下半身を繫ぐ要の関節である。私達の「立つ」・「歩く」・「走る」等の動作を安定して行えるのも運動器のお蔭であり、「股関節」は体の中で最も大きく且つ酷使されている。
股関節疾患の代表例が「変形性股関節症」である。関節を滑らかにする為のクッションの役割をしている関節軟骨がすり減ったり、関節が変形したり、硬くなったりする病気である。わが国の患者数は数百万人と推定される。
治療には保存療法(薬物療法、運動療法・筋力強化、体重管理、温熱療法)と手術がある。
手術を受けるか判断する上で重要な事は「現在の日常生活での支障・何に困っているか」と、「今後どうしたいか」である。手術により痛みは取れるが、術後は患者本人がリハビリにより筋力や柔軟性を養う事が大切である。日本では手術は総合病院で行う事が一般的であるが、欧米ではプライベートクリニックと病院が提携して人工股関節置換術を行う特化型システムが採られ、術後も集中的に看護・リハビリテーションを行なっている。この仕組みが手術の待ち時間、入院期間の短縮、医療費の削減等に繫がっており、東京ヒップジョイントクリニックはそのメリットを取り入れ開院したものである。当院で行う人工股関節置換術に要する時間は平均50~60分、術後は手術の翌日から起立訓練を開始し、10日前後で退院可能である。入院と手術の費用は約200万円であるが、高額療養費制度の利用と3割負担で自己負担額は10万~20万円である。
手術の方式も当院ではナビゲーション使用の最小侵襲手術(MIS)により筋肉など体への負担を最小限に図っている。手術後、人工股関節不具合等による再手術の割合は10%~15%である。

理学療法士(小山やよい氏・鈴木直揮氏)による講演
腰痛の原因は多々ある。診断は難しく85%の患者は特定困難であるが、股関節も原因となる。
股関節の動きが悪くなると、骨盤の動きが悪くなり、背骨が代償。これが背骨についている筋肉を過剰に働かせ腰痛を引き起こすものである。予防としては、

①. 体重の維持または減量
注意すべきは肥満であり、体重の維持または減量に努める事が大切である。1kg体重増加による股関節への負担は3~7倍増加する。肥満を判断する体重と身長の関係はBMI値で示され、この値を25未満に維持する事が大切である。
【BMI値】:体重÷身長(単位:メートル)の2乗=25以上の場合⇒肥満
例:70kg ÷(1.7m)²=24.22<25:⇒25未満の場合は普通体重として問題ない
②. 適度な運動の継続
③. 体を冷やさない
④. 過度な飲酒は避ける
推奨する1日平均純アルコール量は次の通り。また週2日は休肝日を設けると良い。
・ビール(中ビン1本)、日本酒(1合)、ワイン(グラス1.5杯)、缶入り酎ハイ(1.5缶)
⑤. 長時間の座位姿勢は禁物

【腰痛撃退体操コーナー】
★股関節の異常チェック、正しい座り方、
★腰痛撃退!簡単股関節体操:①「骨盤運動」、②「ハムストリングスストレッチ、
③「テニスボールを使った臀部のストレッチ」、④「大腿四頭筋ストレッチ
★体幹を鍛えるトレーニング①、②
以上本日の講演概要ですが、本講演を通じて更にご質問等あれば下記宛てメールでご連絡頂
ければ先生より回答頂けますのでご利用下さい。
講演会後、28名が西国分寺駅近くの居酒屋に集合、美味しいお酒と料理で盛り上がりました。

【連絡先】
東京ヒップジョイントクリニック
https://www.tokyo-hip-joint.clinic/
電話:03-5931-8700(完全予約制)
東京都世田谷区南烏山6丁目36-6 3F

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世話役 前原憲一