【歴】第113回 歴史をひもとく会 開催報告

小平の歴史 -国分寺の歴史もからめて-

11月15日(土)午後2時より、東京都公文書館研修室にて、44名の参加者を集め、第113回例会が行われた。
国分寺三田会には、小平市在住の会員が23名、さらに歴史をひもとく会の世話人14人のうち、半数の7人が小平市民であるので、小平の歴史を学ぶ機会をと願っていたところ、星野さんのご紹介で、今回の講師、中野純先生においでいただき、「小平の歴史―国分寺の歴史をからめて」と題する講演が実現した。

中野純先生(2)≪講師プロフィール≫

中野 純先生
小平生まれの小平育ち
上智大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士課程にて研鑽を積む
国分寺市埋蔵文化財調査に携わり数多くの論文を発表
令和5年より、小平市役所 地域振興部文化スポーツ課にて文化財を研究

≪講演内容≫

旧石器時代から現代に至る約38,000年間の小平の歴史を、約1時間半の講義で、コンパクトに分かりやすく教えていただいた。
小平の古代の歴史は、1974年に発見された鈴木遺跡から読み解くことができる。ここには、旧石器時代から新石器時代に至る12文化層が確認され、長く人が定住したことが分かる。星野さんのお父上が発見された、国分寺の熊ノ郷遺跡、多摩蘭坂遺跡も同時代のものだが、こちらは9文化層から構成されており小平の鈴木遺跡の方が、長く定住者が存在したと推測できる。
石器時代に人の住んだ小平だが、縄文時代の土器の発見はなく、定住者はいなくなったと考えられる。その大きな理由は「水がない」ということだ。このことは、その後の小平に常に影響を及ぼす。
古代になると、東山道が小平を通ったと思われるが、それを裏付ける遺構は見つかっていない。しかし現代の3Dデジタル技術によって、人の目よりも正確に様々なことが分かり始めているので、これからの研究に期待が集まっている。
奈良時代の竪穴式住居跡が一軒だけ、八小遺跡(小平第八小学校内)にあるが、狩りのための作業小屋のようなものだったと考えられている。水がない小平で集落の形成は難しかったのではないか。
中世には、重要な道である鎌倉街道が小平を通っていたと考えられるが、詳しくはわかっていない。室町時代には、戦国大名が小平を通過したと考えられるが、水の補給ができないため、人が住んでいたという伝承もない。
近世になり、水がないという小平の問題を一気に解消したのは、江戸に水を送るために1653年に完成した玉川上水だ。きれいな水を確保するために、尾根筋に40キロの上水を、わずか8カ月で完成。測量技術も未熟だった時代に驚くべきことだ。玉川上水ができると、そこからの分水が可能になり、「小川分水」ができ、これによって小平に水を確保でき、水路と道路を兼ね備えた短冊形地割をもって、小川新田、鈴木新田等の新田開発が進み、人々が定住できるようになった。また、玉川上水沿いの桜が「名勝小金井桜」として有名になり、桜並木と玉川上水に架かる小金井橋と富士山という構図の浮世絵が盛んに描かれた。その絵の右岸こそ小平だ。
近代で特筆すべきは、明治3(1870)年に起きた「御門訴事件」だ。明治政府の農業政策に異議を持つ武蔵野12村(小平の鈴木新田、大沼田新田、野中新田等が含まれる)が、品川県庁へ門訴を決行したが、武力鎮圧され首謀者は投獄されてしまった。これは江戸時代の一揆の名残か、自由民権運動の先駆けか評価の分かれるところだが、小平の農民にとっては一大事件だった。
関東大震災直後には、箱根土地による小平の土地買収が始まり、明治大学(最終的には一橋大学)を中心とした「国分寺大学都市計画」(実際は国分寺ではなく小平)がスタート。国分寺線、多摩湖線も開通。国分寺は別荘地として開発された。(現在の殿ヶ谷戸公園、日立研究所など)
戦前、小平には陸軍技術研究所、陸軍経理学校など陸軍の施設が広範囲に存在した。(現在の小平駐屯地、警察学校、ブリジストン、サレジオ学院、電波研究所等)戦時中、1945年6月にはB29の撃墜事件が起きた。
戦後は、小平、国分寺、小金井の合併説が浮上するも、小平の南側(中央線利用地区)と北側(西武新宿線利用地区)で意見の合致が見られず、成立せず。
近年では、1991年台風の影響により、新小平駅が水没。これは大雨によって、湧水が溢れたことによるもので、JRがポンプでくみ上げ、西国分寺駅近くの真姿の池に放流することとなった。
水がないことによって、定住することは厳しい土地柄であった小平だが、新田開発以降、宅地開発が進み、現在の姿になっている。

文責:上原 安江

スライド3(2)

スライド4(2)

スライド5(2)

【歴】第112回 歴史をひもとく会 開催報告

―奈良は、いつも新しい―

連日の猛暑の中8月30日、東京都公文書館研修室で入室出来ない程、満員の61名が参加し、最近入会された方も多かった。国分寺とゆかりの深い奈良の話を放送番組制作者として新しい視点や感性で奈良の魅力を十二分に話され熱心に聞き入った。
質疑応答の後の懇親会も講師を交えて盛況であった。

≪講師プロフィール≫

武中千里 現在 NHKエンタープライズ エグゼクティブプロデューサー、

国学院大学で放送文化論を教えている。1983年 慶応経済学部 卒業(加藤寛ゼミ)
NHK入局以来「クローズアップ現代」や「NHKスペシャル」等の番組制作に携わり2008年に名古屋放送局に放送部長として赴任した。歴史好きが高じて”今までに無かった””今までとは違った””新しい“奈良を見出した。京遷都1300年に当たる2010年に[あなたの知らない奈良]をBSで6時間の生放送をプロデュースした他 帰京後も[世界遺産ドリーム]や優れたスペシャル番組等を数々制作した。

≪要約≫

正倉院展は昭和21年に始まりほぼ毎年開催されているが毎回初出陳がある。8世紀以前の木造建築は世界でも奈良県にしか存在しない。国宝をはじめとする9000件の宝物があるがすべてが古いものばかりと思っていたが今年は過去にあった宝物から布の一部や絵画の一部から出た塵芥(糸くず、紙くず等)を丹念に復元した品も展示された2008年に出品された‟白瑠璃色碗“は西アジア産で5~6世紀に製作され伝来されたものだが世界にある同じものに比べて“できたてほやほや”当初の輝きをそのまま保っていた。興福寺の五重塔は藤原氏の絶大な勢力を示しているとも言え、様々な姿を探して境内の周りを巡った。「猿沢池南東から鹿と映る五重塔」「ホテル4F北側客室から中金堂と菩提寺と望む五重塔」や「若草山への途中から大仏殿越しに見る五重境」等、新たに感動した。司馬遼太郎もこれほどの贅沢な景観と守りぬいた町の精神に敬意を表しているが同感である。日本有数の美物「阿修羅像」を堀辰雄,白洲正子,川端康成ももそれぞれ今までとは違った視点で書いているが ”残ってきたモノ””遺ってきたヒト”の感じ方,見方がいつも新しく生まれている。「奈良をいつも新しい」を感じる為には知っているものの中から1歩く・見る・感じる 2読む 3訪れる・食べる・吞む・聞く・話すを体験し仲間と交流しながら得るもの。「豊富な歴史がある所から新しいものが生まれる」事は必然といえる。同じ様に番組制作でも「一般的に知らないものは興味がない。知っているものは興味がある」みんなが知るものが企画しやすい。来年奈良は飛鳥・藤原の旧都として世界遺産登録の可能性が高いと締め括った。

PXL_20250830_071712824.MP

PXL_20250830_063722129

 

 

 

 

 

 

IMG_4851PXL_20250830_053224842.MP

【歴】第111回 歴史をひもとく会 歴史散歩 開催報告

群馬太田市への歴史散歩  

金山城、大光院(呑龍さま)、曹源寺さざえ堂、縁切寺満徳寺遺跡公園へ!

6月4日(水)、歴史をひもとく会第111回例会「群馬県太田市への歴史散歩」として毎年恒例のバスハイクを実施しました。昨年の三島地区散歩は、残念ながら雨にたたられましたが、今年は一転、好天に恵まれ昼過ぎからは日差しに暑さを感じる中での散歩となりました。今回の目的地は、旧石器時代、縄文時代からの遺跡があり、その後新田氏そして徳川氏発祥の地となった群馬県太田市。
36名が参加し、7:30に国分寺駅南口を出発、中央道、圏央道、関越道、北関東道を経由して、まず戦国時代の関東には珍しい石垣の城で新田氏の一族岩松氏築造の山城、金山城跡へ。金山城は上杉氏、武田氏などに何度も攻められながら一度も落城しなかった不落の城。ガイダンス施設で金山城の紹介VTR、展示を見た後、バスで展望駐車場へ、そこから本丸跡(新田神社)への城跡散策。石畳と階段の道を登り、いくつかの堀切、虎口跡、月の池、日の池などを見て、途中何ヶ所かからの素晴らしい眺望も楽しみながら思ったより早く本丸跡に到着。帰りも足もとに細心の注意を払いながらゆっくり下りました。
展望駐車場からバス約10分で「子育て呑龍」で知られる「義重山新田寺大光院」へ。徳川家康により、家康が先祖と仰ぐ八幡太郎源義家の孫新田義重を追善するために創建された浄土宗の寺院。吉祥門は市指定重要文化財、現在の瓦にも徳川の「丸に三つ葉葵」の紋が入っています。増上寺から来た初代住職呑龍上人が、寺領を割いて貧民の子を弟子の名目で養育したことから、その徳を慕って「子育て呑龍」「呑龍さま」と呼ばれています。
バスで「新田乃庄寒山亭」へ。「おきりこみ」と「もっそ飯」の群馬名物の昼食を摂り、日本最大のさざえ堂「曹源寺栄螺堂」へ。新田氏の祖新田義重が京都から迎えた養姫祥寿姫の菩提を弔うために開基したという曹洞宗の寺院。堂内に安置してある全国の観音札所百ヶ寺の観音像を栄螺の殻のように右回りの一方通行で巡拝、素晴らしい観音像群でした。
最後は江戸時代に鎌倉東慶寺と並んで女性を救済する特権を認められていた、鎌倉時代に徳川氏の新田義季を開基、その娘浄念比丘尼を開山として創建された徳川満徳寺跡へ。明治初期に廃寺となり、現在満徳寺遺跡公園として本堂、門、庭園が復元されています。同敷地内に開設されている資料館で市原悦子さんナレーションの「縁切寺の仕組み」「満徳寺の歴史」のVTRを鑑賞、縁切りの仕方については初めて知ったという会員も多かったようです。館内の徳川幕府関連の展示に触れ、庭園を散策して、みなさん、満足気な顔で帰路につきました。
天候にも恵まれ、予定した行程を極めて順調にこなし、18:15無事国分寺駅南口に帰着しました。

 

スライド1

 

 

スライド2

 

スライド3

 

スライド4

 

 

【歴】第110回 歴史をひもとく会 開催報告

欧州に流出し、国内からは消えた幻の古銭とは?

明治維新という日本の革命期、経済状況や貨幣制度の激変により、旧来の価値体系が崩壊していく過程において、我が国の貴重な古銭類が外国人の手に渡り、欧州に流失していきました。現在、欧州の美術館群に所蔵されている日本貨幣コレクションの中には国内には残っていない幻の古銭類が存在しています。それはどのようなものなのか。この問いへの答えを求めて、第110回歴史をひもとく会の講演会は、令和7年2月15日(土)に東京都公文書館研修室にて、会員41名の参加の下で、日本貨幣史の泰斗である朝日大学経営学部教授の櫻木晋一(さくらきしんいち)氏に講演をしていただきました。

スライド3<<講師プロフィール>>

朝日大学経営学部教授 櫻木 晋一 (さくらき しんいち)
1953年 福岡県生まれ、福岡県立福岡高等学校卒業、慶應義塾大学商学部卒業、
慶應義塾大学大学院商学研究科博士課程単位取得退学後、九州帝京短期大学経営情報科講師・助教授を経て、下関市立大学経済学部教授
2019年3月下関市立大学を定年退職後、下関市立大学名誉教授
2001年4月 一年間のケンブリッジ大学留学
2010年6月 博士(史学)[慶應義塾大学]の学位取得、2019年4月 朝日大学経営学部教授(現在に至る)
2023年12月 日本人初のRoyal Numismatic Society(イギリス学会) 2023年度メダル受賞

講演内容は①講師の研究フィールドである英国の博物館の紹介②貨幣の製造方法の解説③明治初期の外国人による古銭収集活動④日本貨幣史の概説⑤その他海外事情の紹介の5つのテーマに沿って行われました。
①については、25年間に亘る現地での研究の成果が「学問的権威が備わった古銭カタログの作成」として結実しています。長年の古銭研究から得た膨大な知識ベースと精緻な形態学的手法を駆使して得られた成果であり、その中でも筆頭に挙げられるのはオックスフォード大学に残る「冨本銭」の確認です。従来、日本最古と言われてきた「和同開珎」より遥かに遡る時代に存在したこの古銭はもう日本銀行貨幣博物館にも所蔵されていない幻の古銭です。②については、東洋と西洋における製造方法の違い、スタックモールド・エレクトロン貨・銀のインゴットであるホード(hoard)・絵銭といわれるチャーム(charm)等々、耳慣れなくも興味の尽きないお話が続きます。③については、明治初期における三菱会社に雇われた外国人W.ブランセンの収集活動と持ち帰った収集品(金銀銭貨併せて1278枚)がデンマーク国立博物館に所蔵されており、今では貴重な研究対象です。④は、皇朝十二銭の成り立ちから始まり、大判・小判の詳細な解説や幕末から明治にかけての秤量貨幣から計数貨幣への転換期の歴史が語られました。⑤はパリ・スウェーデン・スコットランド・エルミタージュ・イタリアに散らばる有名博物館が紹介されましたが、特に興味深いのは、エルミタージュ博物館に残る大判の側面に模様が残されているお話です(金の削取防止のために10枚重ねて刻印を入れたものだそうです)。

講義には、テーマごとに理解しやすい編集が施された鮮明な画像資料が使用され、講師の、学問に向き合う学者としての謹厳な姿勢の中に、時にユーモアを交えた人間味あふれる語り口が聴く側の心を捉え、解り易い説明と相まって、熱心に聞き入る会員達はすっかり貨幣史の世界に没入し時を忘れた感がありました。

今年の1月中旬に日経新聞が、「世界の決済に占める現物貨幣の割合は14%に過ぎない」と興味深い記事を載せていました。今後、偽造防止やマネーローンダリング(資金清浄)の根絶に向けて、利便性に優れた仮想通貨や電磁決済が発達し、現物決済の縮小化が極限まで進んでいった場合、居場所を失った現物貨幣はどのようになってしまうのか、まだ誰にも解りません。それは神の領域ですから。しかし、秘蔵されている古銭たちが、古色蒼然たる佇まいの中に黄金の輝きを秘めて、人間の限りなきロマンを語り続けるのは確かでしょう。

(文責:小林千晃)

スライド1

スライド2

【歴】第109回 歴史をひもとく会 開催報告

―聖武天皇在位1300年―

天平の壮大な理念と万葉の心

11月9日(土)午後2時より、東京都公文書館研修室にて、第109回例会が開催された。この日は「会員による歴史談義」として、歴史をひもとく会の前代表世話人の星野信夫さんが登壇。
「―聖武天皇在位1300年―天平の壮大な理念と万葉の心」と題し、明快に、楽しく講演。66名の参加者の心は、武蔵国分寺建立当時の天平の世を彷徨い、同時に、今なお息づく聖武天皇の壮大な理念に思いを馳せた。

2024-11-9歴史星野講演会 (6)

 

<< 講師プロフィール >>≫

昭和19年 国分寺の住職の次男として誕生
昭和42年 経済学部卒 卒業後は学習塾経営の傍ら、地域への関心を深め
平成13年から12年間、国分寺市長を務める
現在、国分寺市の観光協会顧問

 

<< 講演内容 >>

701年に誕生し、714年に即位した聖武天皇は、父(文武天皇)と幼くして死別、病弱な母とは会えないという環境で育ち、幸せな子ども時代ではなかった。即位後は、護国経典である金光明経(こんこうみょうきょう)を重視した曾祖父の天武天皇を目標とし、教師役であった万葉歌人、山上憶良に強さと優しさを学んだ。

天平年間は、自然災害、疫病(天然痘)が多発、新羅や唐からの外圧もあり、仏教に深く帰依する聖武天皇は、「蓮華蔵世界をこの世に築く」という大願を抱き、天平13(741)年には ①「国分寺建立の詔」を、天平15(743)年には ②大仏造立の詔を出した。①では僧寺と尼寺が一対で建てられ(男女平等)、②では自然との一体感を大切にし(共生)、天皇一人が造るのではなく皆で造ろう(協働)という現代にも通じる壮大な理念が盛り込まれた。
また、聖武天皇の理念には、万葉集の和歌(相聞、挽歌、家族の絆、子への愛情、仏性の発露、東国の人情、庶民の心)に込められた様々な深い思いも反映された。

全国の国分寺建立は、中央文化が地方に伝わり、国家の統一、国と地方の関係強化、地方の平準化を推進させる効果があったが、時を経て、仏教の担い手は国家、貴族から、武士、庶民へと大きく広がった。  その後、東大寺の大仏(盧舎那大仏)は戦乱で2度焼失(1180年、1567年)、武蔵国分寺も「分倍河原の合戦(1333年)」により焼失した。しかし、聖武天皇の理念と心は受け継がれ、盧舎那大仏は勧進により再建、武蔵国分寺は唯一焼け残った薬師如来を本尊として再建された。

1889年には国分寺村が発足(741年聖武天皇の「国分寺建立の詔」が発布されたのと同日の2月14日)。聖武天皇が唱えた理念、「共生と協働」は、今や地方行政の重要テーマとなっている。

 

2時間に及ぶ講演は、最後に、愛子さまが歌会始で詠まれた歌を紹介し、大きな拍手で終了した。
”幾年の難き時代を乗り越えて 和歌の言葉は我に響きぬ”

 

2024-11-9歴史星野講演会 (5)

 

2024-11-9歴史星野講演会 (4)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024-11-9歴史星野講演会 (8)2024-11-9歴史星野講演会 (12)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024-11-9歴史星野講演会 (9)

【歴】第108回 歴史をひもとく会 開催報告

三多摩の歴史~明治時代を中心に

 

明治維新後の新政府は、近代国家の建設を目指し、国家体制の変革を成し遂げていきます。その過程においては、様々な政変を経つつ専断的な政策・統治を押し進めます。激動の明治中期、地方を統治する仕組みが変革されていく中で、我々の住む多摩地方の様相は当時どのようなものであったのか。
今回、この問いへの答えを求めて、令和6年8月31日(土)に気鋭の史料編纂担当者である東京都公文書館専門員の宮崎翔一氏に講演をいただきました。

<< 講師プロフィール >>2024-03-03 331.JPG歴史例会講師1(2)

宮﨑 翔一氏  東京都公文書館専門員(史料編さん担当)
1983年5月生 神奈川県横浜市出身
専修大学文学部人文学科歴史学専攻卒業
同大学院文学研究科歴史学専攻修士課程卒業  同博士後期課程満期退学
八王子市役所市史編さん室 嘱託専門員(近現代部会担当)
法政大学大原社会問題研究所環境アーカイブズ RA
東京都公文書館 史料編さん担当 公文書館専門員(現在)

 

<< 講演内容 >>

冒頭、講師は配布資料に書かれた三つのテーマ(①廃藩置県後の地方自治体制の変遷、②三多摩における自由民権運動、③三多摩地域の東京府への移管問題に絡む政治活動)を基に、地政学的な解釈から説き起こし、当時、神奈川県に組込まれていた多摩地域を西北南の三郡に分けた仕組みや、郡区町村制が編成されていった経緯を説明していきます。
2024-03-03 335.JPG講演会次に三多摩における自由民権運動や政党活動の変遷を精緻な資料を基に解説し、明治14年の政変以降、国会開設運動の高まり等が三多摩地域をも巻き込んでいく様相を明快に解き明かしています。自由党や立憲改進党の動向や「壮士」といわれる過激な活動家を巻き込み、三多摩における政界の動向や衆議院選挙をめぐる紆余曲折などを詳細に説明。多摩地区は自由党系の強い地域に在りながら改進党の影響下にあるグループも混在するなど複雑な政治状況を呈しています。
更に三多摩の東京府への行政移管問題については、玉川上水の水源確保・水道管理強化の要請や、甲武鉄道の開通が交通事情の劇的な変化をもたらし、行政区画上でのミスマッチを起こし、境域変更に繋がっていく様を手に取るように解説しています。
何といっても秀逸なのは、講師から配布された資料が当時の古文書と、併記された精緻な説明文、解り易い描写がなされており、現存する資料に根付いた論述は信頼性が高いことです。特に近在の馴染みのある地域の古文書が豊富に掲載され、これに纏わる興味深い話が次々と紹介されて、聴衆も大いに引き込まれ、あっという間に講演時間満了となりました。

2024-03-03 340.JPG歴史例会3

迷走する超大型台風10号による天候不順にも拘わらず、会場(東京都公文書館研修室)に詰めかけた51名の参加者は、恰も、学生時代の教室に戻った様な雰囲気で咳払い一つ聞こえず、講師の話を聞き漏らすまいと、全員が真剣に配布資料を食い入るように眺め、古文書の文字を目で追いながら、時々頷いている姿が多く見られたのがとても印象的でした。
その脳裏には、わが町の当時の時代の様相が垣間見えていたのではないでしょうか、興味の尽きないところです。

以 上
(文責:小林千晃)

世話人代表挨拶

世話人代表挨拶

講演会 司会

講演会 司会

講演会 会場

講演会 会場

【歴】第107回 歴史をひもとく会 歴史散歩 開催報告

三島への歴史散歩  

山中城、スカイウォーク、三嶋大社、柿田川へ!

雨に煙る山中城跡障子堀

雨に煙る山中城跡障子堀

5月28日(火)、歴史をひもとく会第107回例会「三島地区歴史散策(バスハイク)」を実施しました。生憎の雨模様、しかも昼過ぎからはかなりひどくなるという予報でしたが、途中傘を畳んでいる時間もかなりあり、覚悟していたほどの荒天ではありませんでした。
総勢34名、7時半に国分寺駅南口を出発、一路西へ、予定より早く三島の山中城跡に到着、山中城跡を1時間散策して日本最長の歩行者専用吊り橋三島スカイウォークを遊覧する組とスカイウォークには行かず、山中城跡を2時間じっくり巡る組に別れ、昼食の伊豆フルーツパークで合流しました。

雨の中を歩く

雨の中を歩く

霧も出てきました

霧も出てきました

 

 

 

 

 

 

山中城は、戦国末期の永禄年間に北条氏により小田原城の西の防御のため築城された山城で、山田川と来光川の源流に挟まれ、急峻な斜面に囲まれた標高580メートルの自然の要害の地に造られており、城の範囲は、東西500メートル、南北1,000メートルに及んでいます。城の特徴としては、平坦面の造成にこだわらない尾根を区切る「すりばち曲輪」、上から見ると障子や田畑の畝に見えることからそう呼ばれている「障子堀」「畝堀」などで、これらは北条氏の城独特の形であり、関東ローム層の滑りやすい土壌を見事に活かした造りとなっています。前日来の雨の影響で山中城跡には水たまりも多く出来ており、かなり足場の悪い所もありましたが、両組とも全員無事踏破しました。

一瞬見えた駿河湾

一瞬見えた駿河湾

さらに視界が広がりました

さらに視界が広がりました

また、雨のスカイウォークでは、残念ながら景色はほぼ何も見えませんでしたが、それでも一瞬雲が切れ、駿河湾を望むことが出来ました。

 

 

 

三嶋大社

三嶋大社

フルーツパークで昼食

フルーツパークで昼食

午後は源頼朝が崇敬し、源氏再興を祈願したという東海随一の神格の神社三嶋大社に参拝し、最後に静寂の中、東洋一の湧出量を誇る、国指定天然記念物の柿田川湧水群のきれいな湧き水を見学、17時半に無事国分寺に戻りました。

 

 

 

マリンブルーの柿田川湧水

マリンブルーの柿田川湧水

湧水から流れ出た柿田川

湧水から流れ出た柿田川

悪天候が幸いしたかもしれませんが、訪問先の混雑も、道中の渋滞もなく、土産を買う時間も含めてすべて予定通りの楽しいバスハイクになりました。会員のみなさんのご協力の賜物と感謝いたします。

 

 

 

 

三嶋大社にて

三嶋大社にて

【歴】第106回 歴史をひもとく会 開催報告

古代武蔵国の豪族たちと律令国家

第106回例会は3月17日(日)午後2時より多摩図書館セミナールームで、慶應義塾大学文学部准教授の十川陽一先生を講師に招き開催された。今回は一昨年第99回で講演頂いた「古代武蔵国のなりたち」の続編である。会員52名が出席する盛会となった。引き続き懇親会も先生を囲んで29人が参加して楽しく終始した。

 

講演会、 20240317- 046(3)

<< 講師プロフィール >>

十川 陽一氏  慶應義塾大学文学部 准教授
1980年生まれ
2003年(平成15年) 慶應義塾大学文学部史学系日本史学専攻卒業
2010年 博士(史学)
2019年~ 慶應義塾大学文学部准教授

<< 講演内容 >>

律令国家の地方支配は、国司と郡司によって遂行され、地方豪族を巻き込みながら地方末端まで行政機構と官人制を展開した。

第一部は「国司と郡司」。郡司たちの任命は、家柄要因が強く、適任者が無ければ能力に依り、その候補者の能力差が無ければ国造からの登用が行われた。また、地方豪族たちはなぜ律令制を受容するのかという豪族の思惑が実例を挙げて語られた。その他、位階が上がるとどのような特典が得られるか、豪族たちによる郡司になるための自己推薦や私穀献上等の中央への活動、郡司の構成や制度の変化についての内容も近年の研究の進展を織り込んで語られた。

第二部は「地方支配体制の形成と展開」。古代国造制から、国・郡・里としての地方支配体制への移行と、租庸調による税制の仕組み解説。その中で租は意外に重税ではなかったことや、庸調の詳しい解説も興味深いものであった。また、郡司層の蓄財、貨幣経済推進のための蓄銭叙位令により蓄財と位階との結びつきも見られたこと等。

第三部は「武蔵国分寺と豪族たち」。国分寺造営開始後の督促内容を「続日本紀」の実文を引いて語られ、これに対する造営遅延に付いても再三細かい指示が下った事の詳しい解説がなされた。

今講演に当たって、先生のご専門が律令官人制なのを踏まえて、可能ならば古代武蔵国における国司・郡司の関係と律令制の様な内容を織り込んで頂けると幸甚との希望をさせて頂いたところ、快く聞き入れて今回の演題にして下さっただけでなく、当会の生い立ちをも勘案して、国分寺造営の開始から遅延や苦難まで織り込んでお話し下さった事を、先生への感謝を込めて記します。

 

講演会、 2023-09-23 028

講演会、 2023-09-23 040

講演会、 2023-09-23 036
講演会、 2023-09-23 060

 

 

 

【歴】第105回 歴史をひもとく会 開催報告

スペイン・京都で体験する滞在型旅行の醍醐味

新春 最初の「歴史をひもとく会」は1月13日(日)本多公民館(視聴覚室)にて、伊東 克会員によるスペインと京都に数多く滞在し幅広く歴史、文化を肌で感じ、探究した内容の講演であった。質疑応答では参加者の中でスペイン京都それぞれの経験を踏まえた紹介もあり参加者44名 楽しく聞き入り盛況のまま終了した。

 

<< 講師プロフィル>>伊東氏顔写真

昭和39年経済学部卒 伊東ゼミ
40歳代より世界の風物・文化に惹かれて各地を旅する。
訪れた国は55か国に上る。旅の醍醐味を覚え、文化、歴史をより深く味わう目的で、スペインは3度訪れ、延べ7か月滞在する。 この間スペイン語習得で語学校に入学。
2012年頃からは京都滞在型旅行(年間平均45日)し、訪れた神社・仏閣は300以上に上る。

 

<< 講演内容要約 >>

第一部は高校時代スペイン内戦を題材にした映画 ”誰がために鐘は鳴る”に感銘を受け、以来特別に関心を持ち続けて3回 延べ7か月に及びスペイン語学校に入りながらスペイン各地を廻った体験談。最初は一人旅のセルビアから始まった。スペインはセルビアを含めて南半分を700年に亘りアラブに占領されていた。レコンギスタ(国土回復運動)により1492年回復した。2回目は、ご家族で行ったバルセロナ;ガウディとモンタネールの天才建築家建造物(サグラダファミリヤ、グエル公園、カタルーニャ音楽堂等)に感動し周辺のタラゴナやサンチャゴ・デ・コンポステーラではキリスト教の巡礼の歴史等考察した事。3回目の旅でマドリード;特にアランフェス宮殿の美しさにロドリーゴの音楽と共に感激した事等々。その他、ご自身の旅行中予期せぬ事件に遭遇した事を交えて幅広く紹介された。
第二部は京都検定1級資格を持つ幅広い歴史、文化の識者ですが今回は正信に始まり400年続いた絵師集団狩野派の成立と千利休等に見いだされた永遠のライバル長谷川等伯の歴史考察を”元信” ”永徳” ”探幽” ”等伯“の作品を交えて解説された。

IMG_6635IMG_6640

 

 

 

 

 

 

 

IMG_6648伊東さん講演6643(2)