【歴】第97回 歴史をひもとく会 開催報告

源氏物語の新解釈

―醜女末摘花と夕顔怪死事件の真相―

IMG_4798 (2) 7月30日(土)午後2時より国分寺市立四小の「ホールひだまり」にて、歴史をひもとく会第97回例会が開催された。久しぶりに外部からお迎えした講師は井真弓(いのもとまゆみ)先生。東京女子大で国文学を学び大阪大学で博士号を取得され、現在は東京女子大・法政大等で講師をされている。

 演題は「源氏物語の新解釈―醜女末摘花と夕顔怪死事件の真相―」と興味深いものであったが、コロナ禍と猛暑ということもあり、出席はいつもより若干少なめの36名。8ページにわたる豊富な資料を用意され、明るく歯切れ良い口調で講義が始まった。まずは「第一部、醜女末摘花の真実の姿とは」である。

 源氏物語は映画・ドラマで何度も演じられているが、光源氏が愛した紫上や藤壺は大原麗子のような美女が演じるのに、末摘花は泉ピン子というように源氏物語きっての不美人という扱いを受けている。そのような女性が何故に当代きっての人気者である光源氏の相手となり得たのだろうか。光源氏は生涯にわたり多くの女性と愛を深めるが、そのきっかけは様々である。末摘花の場合、父が常陸宮(親王)で母もやむごとなき筋の方ということから、光源氏は興味を抱き始める。

 先生は末摘花の真実の姿を様々な観点から明らかにしていく。持ち物(七絃の琴、秘色の器,鏡台の唐櫛笥や唐櫃、香)や装束(衣服が白茶けている、毛皮に執着する等)にふれた後、いよいよ問題の「容貌」の話に入る。まず高身長・色白で額は突起していて面長、鼻は「普賢菩薩の乗り物(象)のように長い、鼻高で先が赤色」と表現する。ここで、末摘花の「花」は「鼻」を暗示しているのだと理解できる。末摘花の顔立ちの表現は、来日した外国人(インド人の菩提僊那、ソグド人の安如宝等)から考え出されたのかもしれないとのお話に納得。

 末摘花の性格については、一途さ(貞節)、控えめ、従順、父への孝心(遺訓順守)を挙げ、さらに「昼寝の夢に故宮(末摘花の父)の見えたまひければ」とあるように、性格形成の要因に「亡き父の霊力」があるのではないかと指摘された。また、光源氏が須磨退去後に末摘花を訪ね、あまりの零落した姿に驚いて手厚い支援を進めた心境として「人の心ばへ(本性)を見たまふに、あはれに思し知る」(蓬生巻)ということがあったのではないかと説明された。最後に、雨夜の品定めで左馬頭(さまのかみ)が「女性の美徳は容姿ではなく心根の強さ」と述べている点にもふれ、二人の出逢いについて蓬生巻の最後の言葉「昔の契り(前世からの因縁)なめりかし)」と締めくくられたのが印象的であった。

 休憩を挟んで第二部は「夕顔怪死事件の真相とは」に入る。夕顔とは光源氏の乳母の隣家に住む女性で板塀に咲く白い夕顔の花にちなんで名づけられている。

 夕顔との逢瀬を重ねるうちに、源氏は彼女を牛車に乗せ隠れ家(五条近くの古びた院)に連れ込む。とある晩、夕顔と二人で寝入っていたところ枕元に「いとをかしげなる女(物の怪)」が現れ「己がいとめでたしと見たてまつるをば、尋ね思ほさで・・・」とつぶやいた。夕顔はあまりの恐怖に命を失うのだが、この物の怪の言葉をどう解釈するかで正体は異なる。

 従来の口語訳では「私がまことに立派な方とお慕い申し上げているのに(源氏が六条御息所のもとを)尋ねようともお思いにならず」というように、物の怪の正体を六条御息所ととらえる解釈ばかりであった。しかし、文法的には「私がまことにご立派と考えるお方(六条御息所)を源氏は尋ねようともお思いにならず」と解釈できる、すなわち文法的に解釈すると「私(物の怪)」は六条御息所ではないと先生は述べられた。

 夕顔の命を奪った物の怪の候補としては、A「廃院のあやかし」、B「六条御息所の生霊」、C「AとBの融合」、D「源氏の心の鬼(良心の呵責)」が従来考えられてきたが、先生の文法的解釈をふまえれば、定説のBは考えられず他のいずれか、あるいはそれらの融合と考えられる。

 Aの「廃院」とは源氏が夕顔との逢瀬の場とした隠れ家(古びた院)のことだが、その院は光源氏のモデルと考えられている源融(みなもととおる)の邸宅「河原院」が廃院となったことを想定していると考えられる。源融は陽成天皇退位の際に皇位継承権を主張したが、藤原基経により臣籍降下して源姓となったものが皇位を継承したことはないと退けられている。つまり、廃院となった河原院には源融の怨念すなわちあやかし(妖怪)がこもっていると考えられるのである。また先生は物の怪の怒りの理由として、桐壺帝が六条御息所との付き合いを軽く考えている光源氏をたしなめる言葉を挙げられた。次から次へと恋の相手を代える源氏ではあるが、さすがに父の言葉は心に響きDの心の鬼(良心の呵責)へと繋がったのだろう。

 すなわち、夕顔怪死事件は「六条御息所の生霊」だけの仕業ではなく、「六条御息所の生霊、廃院のあやかし、源氏の心の鬼」が複合した物の怪によるものだったのである。そのほかにも先生のお話は登場人物と史実との重ね合わせや六条御息所と明石の君との類似性などにも及び、興味深く熱い語りが続き、出席者一同圧倒されるうちに予定を30分ほど超過して講演は終了した。

(文責、星野信夫)