【蕎】第51回 蕎麦っけの会を開催しました!

「蕎麦っけの会」恒例の忘年会は、2017年12月23日(土・祝)夕刻に、いつもの国立「きょうや」を貸し切り開催しました。参加人数は25名で座席が満杯。

渡邉恵夫さん(国分寺三田会会長。S40年。工)による開会のご挨拶と乾杯のご発声でスタート。早々に、女将から「いつも御贔屓に預かり、誠にありがとうございます。」との御礼の言葉がありました。

料理のコンセプトは、勿論「お蕎麦」。蕎麦をベースに、様々な工夫を凝らした美味しい料理が続々と。皆さん、これらを新潟の銘酒「極上・吉乃川」や「久保田・千寿」でガンガンと流し込んでいきました。女将曰く「お酒のスタートから暫くのスピードは、本当に驚異的です!」

歓談の途中で、「六大学の生き字引」の東島昭二さん(S38。文)から、今秋いつの間にか優勝してしまった慶應野球部の裏話や「来春以降も大いに期待できます!」との話があり、一同、やんやんの拍手。続いて、今回初参加の竹野日出雄さん(S47。法)から「実は、国分寺三田会は出戻りでして・・・」のご挨拶がありました。宴たけなわの頃合いに、「蕎麦っけの会」慣例の喜寿の花束を米屋精一さん(S39。経)に贈呈しました。

中締めのご挨拶では、「いつもながらに本当に楽しい忘年会でした♪」とのお言葉が小笠原正文さん(S38。法)からありました。

こうして、今年一年を振り返りつつ、お腹もいっぱい、心もいっぱい、肝臓もいっぱい(?)の楽しい時間を過ごしました。なお、女将から、こっそりと「なんと、過去最高の〇升(とても書けません:野田)も呑んでいただきました。」とのご報告があったことを最後にお伝えします。

世話役 野田(S52。経)

【E】第107回Oh!Enkaの会を開催しました

1.日時  平成29年12月17日(日) 10:00~12:00
2.場所  本多公民館・視聴覚室
3.スケジュール
・ 第1部  カレッジソング(塾歌、オール慶應の歌、慶應讃歌)
・ 第2部  講演 「指揮者はつらいよ」 石寺隆義氏(塾員・昭和41年経済学部卒)
・ 第3部  皆で歌おう(琵琶湖周航の歌、よろこびの歌、諸人こぞりて)
・ エール交歓・若き血

今日は視聴覚室がいっぱいになる59名の参加を得て開催されました。
第1部はいつものように、森川先生の伴奏でカレッジソングで始まりました。発声練習の後「塾歌」「オール慶應の歌」「慶應讃歌」の3曲を歌いました。今日の講師で、アマチュアオーケストラの指揮者を長く務められた石寺氏に指揮を執っていただきました。

第2部は立川三田会大石敏雄会長のご紹介で実現しました、昭和41年経済学部卒の石寺隆義氏の「指揮者はつらいよ」と題したミニ講演会です。
石寺氏は中学・高校時代から音楽家を志し、慶應義塾大学で1年間、慶應義塾ワグネル・ソサィエティー・オーケストラに所属、昭和41年に経済学部を卒業後、農林省入省、林野庁、食糧庁、本省各局等を歴任、平成8年に日本中央競馬会理事に就任。退任後は諸法人の役員を務めておられます。
その間40年にわたりアマチュアオーケストラ横須賀交響楽団の指揮者を務められました。
平成11年にイタリア政府から叙勲、平成25年春の叙勲で「瑞宝小綬賞」を受賞 しました。
著書に「ちょっと面白い話」等があります。
農林省時代にはハードな日ソ漁業交渉の担当官としてモスクワに駐在した他、ローマなど海外勤務が豊富です。モスクワ駐在時代には團伊玖磨氏からムソルグスキーの「展覧会の絵」の絵を探して欲しいと頼まれて探し求めたそうです。
今日は、石寺氏から指揮者や作曲家にまつわる非常に興味深い数々のエピソードを、ユーモアを交えて講演いただきました。幾つかを以下に紹介いたします。
①男として一生に一度は上がってみたい「台」は、番台と指揮台だそうです。
前者はともかく、指揮台は大勢のオーケストラ団員を指揮棒1本で自在に操るカリスマに思えますが、実際はそう簡単ではありません。
特にプロのオーケストラともなると団員も音楽への接し方に一家言持っていますから、必ずしも指揮者の言うことを無条件で聞いてくれるわけではありません。指揮者と団員の間には意見の相違があるので一定の緊張関係があります。
「ノダメカンタービレ」というTVドラマがありました。若い指揮者があるコンクールで課題曲を振りましたが、ホルン奏者と意見がぶつかり、険悪な関係となり火花を散らします。最後はお互いに納得してうまくいった、という話です。団員を納得させられる経験と器量があって初めてカリスマとして君臨できます。指揮者も時代により強烈なカリスマ性(フルトヴェングラーやカラヤン等)から、最近は随分民主主義的になりました(アバドやラトル等)。いずれにせよ聴衆が思っているほど楽ではないということです。
オーケストラにはそれぞれ特徴があり、音色も全く違うものになります。特にウィーンフィルは専任指揮者を置きません。ウィーン気質を保持するためあえて専任を置かず、客演指揮者を呼びます。カラヤンでさえウィーンフィルを指揮することは大変だったようです。同じブラームスの交響曲を聴いてもベルリンフィルとウィーンフィルでは全く違います。
②ハイドンの時代の指揮者の役割は、音楽を提供することでした。サロンで食事や会話の妨げに
ならないようなBGM風の優雅な曲が多いのです。これがベートーヴェン以降は劇場型に変わります。優雅な音楽から、フォルテ、迫力、不協和音など聴衆を飽きさせない曲が出てきます。交響曲第3番が典型的です。
専任指揮者として活躍を始めたのは、メンデルスゾーンです。ユダヤ人で実家が銀行家で裕福であったため、指揮に専念できたようです。この頃になると指揮者の役割の一つに、埋もれた名作の発掘・普及があります。メンデルスゾーンはバッハのマタイ受難曲を普及させました。また、新進気鋭の新しい作曲家の作品を取り入れることも重要な役割になります。
③メンデルスゾーンの音楽が繊細なのとは対照的に、新進のワグナーの音楽は音を長く伸ばし、重厚な音楽で、旋法にも画期的な工夫が見られます。ワグナーは革命好きで、ベートーヴェンの交響曲第9番を革命的として高く評価していました。私生活では、指揮者のビューローの妻コジマを愛人とし、トリスタンとイゾルデにその愛を表現しています。これは無調で現代音楽の走りといわれています。
④ブルックナーは田舎のおっさんという感じでオルガニストでもありました。交響曲第3番をワグナーに献呈し、ワグナーも気に入ってくれたので、ウィーンフィルで初演しましたが、団員がブルックナーの指揮を受け入れず、失敗に終わりました。最後に残った聴衆の中にマーラーがいました。マーラーは先見の明がありこの曲を評価していました。
一方マーラーは天才肌のコスモポリタンです。若い奥さん(パルマ)をもらいますが、彼女の社交的なところを気にいらず、閉じ込めてしまいます。パルマも落ち込みますがたまたま知り合ったイタリア人の建築家と不倫関係となります。マーラーは最初のうちは容認していましたが、次第に精神的に侵され、フロイトの診断を仰いだということです。マーラーの曲にはどこか通俗的な部分もあり親しみが持てます。
⑤フルトヴェングラーやカラヤンはマーラーの曲をやりません。マーラーがユダヤ人だったからということです。ナチは当時すでに人気の高かったフルトヴェングラーを宣伝に利用しようとします。ナチの陰謀でカラヤンをライバルとして招聘しました。フルトヴェングラーも次第にナチになびくようになりました。こうした関係から、戦後は不利な状況に置かれたこともあります。フルトヴェングラーの没後はカラヤン帝国となります。そのくらい指揮者の地位は危ういものです。
⑥音楽には絶対音楽と標題音楽があります。絶対音楽に思想は入りません。ブラームスがその好例です。一方標題音楽には思想や筋が入っており、こちらの好例はワグナーです。サガンの「ブラームスはお好き」に題材として取り上げられています。思想が入っていると筋を追ってしまいがちですが、それぞれの楽しみ方があるでしょう。

第3部は再び石寺氏の指揮でこの季節に相応しい歌を歌いました。「琵琶湖周航の歌」は京大ボート部の部歌で、誕生からちょうど今年で100年だということです。塩井代表からメルボルンオリンピックの国内予選で慶應が京大に競り勝ったエピソードなどを紹介していただきました。第1部で歌った「オール慶應の歌」はボートのオールと掛けているとの種明かしもありました。年末なので第九から「よろこびの歌」、クリスマスも近いので「諸人こぞりて」を歌いました。
最後は恒例の平林会員によるエール、肩を組んでの若き血で今年最後の例会をお開きにいたしました。

次回以降の予定:1月20日(土) 10時~12時 本多公民館(視聴覚室) SONGS
2月18日(日) 10時~12時 本多公民館(ホール)
高橋晴彦氏(バリトン歌手)リサイタル

世話役代表:塩井勝也(S41法)
世話役:斎藤信雄(S38政)、金田 一(S42工)、 高橋伸一(S45法)、 久保田宏(S46工)、
池田敏夫(S47商)、芳賀 崇(S47経)、 平林正明(S47経)、 山田 健(S47経)、
井上 徹(S49政)

【ゴ】第53回国分寺三田会ゴルフ会

国分寺三田会第53回ゴルフ会が、12月としては恵まれた天候の中で、初参加の内野さん(45年)・川口さん(47年)を含む22人が参加「昭和の森ゴルフコース」で開催されました。
優勝は吉村さん、準優勝は小林(一)さん、3位は鶴谷さんがそれぞれ獲得されました。ベスグロは岩下さんでした。
PLAY終了後は、席を「庄や」に移して忘年会も兼ねた成績発表会が、菅谷・小笠原元国分寺三田会会長のご参加も頂き開催され、大変盛り上がり楽しい時間をすごすことが出来ました。た。

第53回国分寺三田会ゴルフ会

・ 開催日   12月12日 (火曜日)
・ 場 所   昭和の森ゴルフコース(昭島市)
・ 時 間   9:35より out・in 各3組
・ 競技方法  新ぺリア方式
・ 競技者   22名

 表彰式・忘年会

・ 場 所  西国分寺 庄や
・ 時 間  19:00~
・ 参加者  23名(競技参加者1名 所用により不参加、忘年会のみ参加者2名)

【蕎】第50回 蕎麦っけの会を開催しました!

記念すべき節目の第50回は、あらゆる蕎麦のガイドブックに「名店」として正々堂々掲載されている日本橋「室町砂場」(明治2年創業。天ざる・天もり発祥の店)にて、2階座敷(最近改装して清々しい雰囲気)を貸し切って午後1時から開催しました。参加人数は15名と「蕎麦っけの会」としては、いささか少人数でしたが一騎当千の強者が勢揃い。

まず「開会のご挨拶」は、永らく当会を主宰されてきました菅谷さん(S37経)から当会の歴史についてのお話、続いて現役時代に当店に頻繁に通われた金城さん(S35経)から「乾杯のご発声」でスタート。

腰の強さと・ほんのり甘い蕎麦の美味しさ、工夫を凝らした料理の数々、ぬる燗の旨さ、仲居さんの接遇の素晴らしさ等、「さすがに歴史ある名店」の雰囲気の中、楽しい懇談の時間を過ごしました。

「中締めのご挨拶」は、「50回記念に相応しい充実したお店と楽しい時間でした♪」とのお言葉を横瀬さん(S36法)から頂戴しました。

まだまだ、陽も明るい午後4時に解散ということから、強者達は三々五々、次の店へと「出陣」していきました。第51回は、12月に恒例の忘年会を国立「きょうや」にて開催予定です。

なお、あまりに楽しい時間であったため、集合写真等を失念しました。この場をお借りして深くお詫び申しあげます。世話役 野田(S52経)

【歴】第81回歴史をひもとく会 スピーチ大会開催報告

IMG_1038tif講演会プログラム

第81回歴史をひもとく会は11月19日(日)本多公民館において、44名の出席のもと開催されました。今回は初めての試みとして、歴史をひもとく会会員による「私と歴史」をテーマとするスピーチ大会とし、会員4名がそれぞれ独自の題材で講演されました。時間の関係から残念ながら用意された内容をすべてお話しできなかった方もおられましたが、各自周到な準備の下に、素晴らしい内容の講演となりました。このスピーチ大会は来年度以降も適時実施していきたいと考えております。

 

一番手は、49年政治卒の井上徹氏による「別子銅山と新居浜太鼓祭り」

ご自身の故郷愛媛県新居浜市に1690年から1973年の閉山まで283年の歴史を有した日本三大銅山の一つ別子銅山の日本の近代化への貢献、その裏の苦難の歴史、その繁栄をもたらした別子三翁と言われる三人の経営者の生き方、そして歴史的意義を風化させないための観光開発、世界遺産登録を目指している現在の状況を情熱を込めて語られました。もう一つのテーマ、阿波踊り、よさこいとともに四国三大祭りの一つである「新居浜太鼓祭り」については残念ながら時間の関係から割愛されました。

次は、38年政治卒の斎藤信雄氏による「古事記を訪ねて」

日本に正統な天皇国家を確立したいとして、天武天皇が稗田阿礼と太安万侶に編纂を命じた神話集「古事記」に語られている数々の神話について熱く語られました。主な内容は、イザナギとイザナミによる日本列島の誕生(天地創造)、太陽神天照大御神が天岩屋に身を隠したために高天原が闇となり悪しき神が溢れて災いが起きた。そのため神々が知恵を出し合い天照大御神を岩屋から引き出したという天岩屋神話、須佐之男命の八岐大蛇退治神話、出雲大社と諏訪大社創建のいわれ(国譲り神話)、古事記には南方系神話の影響が強いことなど。

 

三番目は、30年経済卒の丸山茂氏による「歴史散策―歴史から学ぶ―」

IMG_1038tifIMG_1038jpgかつて奈良に住まわれていた講師、奈良の史跡巡りで出会った美しいもの、未知との出会いについて語られました。蘇我入鹿の首が切られて宙に浮かんでいる様子が描かれている談山神社の縁起絵巻、浄瑠璃寺の極楽浄土と九体の如来像、日本一の美女吉祥天女像、いくつかの寺にある慈愛に満ちた十一面観音、東大寺二月堂のお水取り、東大寺南大門の運慶の金剛力士像、薬師寺の三重の塔と薬師如来。また、歴史上の「・・・たら、・・・れば」を考える楽しみについても語られ、秦の始皇帝、項羽と劉邦、関ヶ原の天下分け目の戦い、将軍秀忠の歴史的浮気、などを題材に「れば、たら」を考えることの面白さを、最後に歴史から学ぶとしてご自身の考えられる理想のリーダー像についても述べられました。

 

最後は、39年政治卒の小林隆夫氏による「米百俵と慶應義塾」

小泉元首相により有名となった長岡藩の「米百俵」の逸話、戊辰戦争で敗れ悲惨な経済状況にあった長岡藩の再興に強い意志と行動力で多大な貢献をした小林虎三郎と一歳違いの幼友達で親戚でもあった戊辰戦争で会津とともに散った河合継之助、そして河合継之助の親友であった三島億二郎のそれぞれの生き方、考え方について非常にわかりやすく丁寧に語られました。継之助亡き後、長岡の再興には人材の育成が第一と強く主張して実行した小林虎三郎、虎三郎のその考えに共鳴し、維新後の長岡を指導した三島億二郎、三島は福澤諭吉の思想に共鳴しており、交流もあったことから、長岡から多くの人材が慶應義塾に送られ、その後長岡の指導者となったほか慶應義塾の塾長や要職を歴任した者も多く輩出されていること、三島が明治5年に作った長岡洋学校における授業方法が輪読形式で、生徒間で意見交換し最後に先生が意見を述べるという現在のゼミ形式であり福澤諭吉の「半学半教」の考え方に近かったことなど、これまで知ることのなかった長岡藩と慶應義塾の緊密な関係は新鮮で驚くような話でした。

【E】Oh!Enkaの会「講談と一足早い忘年会」を開催しました。

1.日時   平成29年11月22日(水)17:45~21:00
2.会場   青山荘(元赤坂にある三菱東京UFJ銀行の接待用施設)
3.出席者  国分寺三田会24名、立川三田会2名、若林鶴雲師匠(塾員。S47商卒)、
4.スケジュール、
・ 第1部  講談会  忠臣義士二度目の清書 (別名:大石の妻子別れ)
・ 第2部  忘年会

・今回は塩井勝也世話役代表のはからいで青山莊和室での開催です。
・第1部は若林鶴雲師匠をお招きしての講談です。若林鶴雲師匠は塾を卒業後サラリーマンの傍ら「ひげの講談師」として有名な田辺一鶴師匠の弟子として本格的に講談を勉強したそうです。会員からの要望が多く、Oh!Enkaの会では3回目の出演です。最初の演目は田辺一鶴師匠が得意とした「第1回東京オリンピック入場行進」です。録音機でファンファーレを流し、参加96カ国を入場行進順にすべてすらすらと言い、臨場感のある6分間でした。皆がただただ驚き、感激するばかりです。「2020年東京オリンピックは200カ国以上参加するので覚えるのが大変」との発言に、会場は爆笑です。次の演目は「忠臣義士二度目の清書」です。若林師匠は忠臣蔵を得意としています。(昨年2月の演目は「南部坂雪の別れ」、昨年11月の演目は「安兵衛高田馬場駆付け」)。
大石は敵を欺くために遊郭に通い、妻を離縁、長男主税を除く子供と実母と一緒に妻の実家に預けました。遊女を身請けして、妻子を離縁する光景は聞いていても迫力があります。そして、仇討を成し遂げた後は大石の命を受けて生き長らえた赤穂義士の一人、寺坂吉右衛門が大石の妻を訪ね、討入の有様を語ります。口上では四十七士の名前がすらすら出てきます。張り扇を叩きながら独特のリズムと口調で語る講談の世界にすっかり引き込まれました。若林師匠は1か月で一つの演目を覚えるそうです。“講談師は認知症にならない”と感じた次第です。
・第2部は若林師匠を囲んで一足早い忘年会です。丸山茂会員の乾杯のご発声で始まりました。諸先輩の挨拶でも
“大満足”といった感想です。青山莊では普段なかなか飲めない美味しいお酒が格安の価格で飲めます。木村忠司会員が山形県出身ということで、有名な民謡最上川舟歌の話がでました。急遽木村会員+出席していたK・K・メンネルコール(小平界隈男声合唱団)メンバー7人で最上川舟歌を歌いました。この日は酔っているせいか合唱はうまくハモリません。合唱の後、木村会員が一人で正調最上川舟歌を歌いました。歌いこんでおり、見事です。最上川舟歌合唱はハモルと素晴らしいです。別のシラフの機会に披露できることを願っています。
・感激する講談、美味しい会席料理、美味しいお酒、楽しい仲間で会話がはずみ、大満足の夜でした。

 

【E】第106回Oh!Enkaの会・Songsを開催しました。

・     1.日時 平成27年11月18日(土) 10:00~12:00
・     2.場所 本多公民館 視聴覚室
・     3.出席者 24名。歌唱指導とピアノ伴奏は山田玲子先生。
・     4.スケジュール
・       今回は歌中心の“Songs”です。秋の歌、懐かしい歌など、たくさん歌いました。
・       まず、準備体操で体をほぐし、発声練習で声慣らし。
・       前半は、
・       (1)里の秋 (2)荒城の月  (3)村祭り (4)もみじ(輪唱)。
・          もみじは斉唱で歌った後、二手に分かれて輪唱。輪唱の楽しさを感じました。
・       後半は
・       (4)埴生の宿 (5)サンタ・ルチア (6)あの素晴し愛をもう一度
・       (7)見上げてごらん夜の星を。
・          この曲は偶数、奇数誕生月の二手に分かれての発表を行い、
・          ミニコンサートの雰囲気を味わいました。
・       皆さん、青春時代にタイムスリップしたかの様で、楽しく歌いました。
・       最後に、大きな丸い輪を作り、“さよなら集い”を歌いお開きとなりました。

 

 

 

【Y】第26回The Young Salon講演会を開催しました

【テーマ:脳梗塞を防ぐ心房細動の最新治療】

 11月4日(土)、第26回The Young Salonの講演会を開催し、56名の多くの皆様に参加頂きました。講師は当国分寺三田会の会員、古賀さんの紹介により、東京ハートリズムクリニック院長、桑原大志先生をお迎えし、「脳梗塞を防ぐ心房細動の最新治療」をテーマに約2時間の貴重なお話を頂きました。私達に大変関心の深いテーマであり、お話の中で専門用語もありましたが、出席者は講演の内容を熱心に聴き入っている様子が覗え、且つ桑原先生自身の著書が配布されましたので、本日のお話を更に良く理解する為の手引きとして今後有効活用させて頂ければと思います。心房細動不整脈は脳梗塞や心不全となり得る不整脈で国内の患者数は170万人に上るとも言われておりますが、心房細動の根本的な治療法としてカテーテルアブレーションがあり、桑原先生はこの治療で世界トップクラスの治療実績を持っています。

【講演概要】

【1】心房細動とは

心房細動はその出現様式や持続時間により3種類(発作性、持続性、慢性)に分類される事、心房細動は心房細動起源という異常な心房筋による高頻度の興奮や、一旦始まった心房細動を持続させる心房細動基質が原因である事、心房細動が発生すると他の部分にも伝導され、規則性がなくなり血栓等を発生させこれが脳梗塞等を引き起こすものである。

心房細動の原因は下記の通りである。特に①、②、③は3大原因と考えられている。

  1. 加齢:歳をとると心臓も疲れ、傷み、心房細動の原因となる心房細動起源や心房細動基質がつくられる。
  2. 高血圧、心臓病:高血圧による心臓へのストレス、また心臓病は心臓への負担をかけて 心房細動の原因となる。
  3. 飲酒:節度のある飲酒が必要である。ビールは中ビン1本、日本酒1合、焼酎0.6合、ウイスキーダブル1杯程度であれば、例え連日飲酒しても心房細動を含め健康被害は免れる。上記飲酒量の3倍以上は多量飲酒となり心房細動発症のリスクを高める。
  4. 睡眠時無呼吸症候群:無呼吸中の低酸素血症が心臓に負担をかけ心房細動になり易い。
  5. 甲状腺機能亢進症:甲状腺で全身の細胞の活動を活性化させるホルモンが必要以上につくられると、眼球突出や頻脈などの症状が現れる。この頻脈の一つが心房細動である。

心房細動の3大症状は動悸、息切れ、めまいであるが、心房細動の患者はそうでない人に比較して約5倍の確率で脳梗塞を引き起こすと言われている。また日本人の死亡原因は平成25年には癌、心臓病、脳血管障害の順に多いが、脳血管障害の4分の3が脳梗塞である。以下、心房細動が引き起こす重病について述べる。

  1. 脳梗塞:脳梗塞とは脳を栄養する血管が閉塞し、脳が壊死に陥る病気であるが、心房細動による脳梗塞は重症化し、しかも全く予兆がない。心房細動が死亡のリスクを上げる最たる要因が脳梗塞である。
  2. 認知症:心房細動と認知症の関係のメカニズムは不明であるが、心房細動が血栓を生じやすい事などを考えると、長期間血栓が少しずつ脳に飛び小さい血栓ができて、徐々に脳機能が低下する可能性がある。
  3. 心不全:心不全は心臓の機能が低下し、体が必要とするだけの血液を送り出せず、息切れなどを自覚する状態を言う。心房細動による早い心拍が続くと心臓は疲弊し心不全を発症する。
  4. 心筋梗塞:心筋梗塞患者全体から見ると、その原因として心房細動を有している人は少ないが、心房細動の患者が急激に激しい胸痛を自覚する場合は、心房内にできた血栓が、心臓が栄養とする冠動脈を閉塞した事が考えられる。

【2】心房細動の治療法

心房細動が発症したら何らかの治療方法が必要で、対症療法の薬物療法と 非薬物療法(カテーテルアブレーション、外科手術)がある。

(1)心房細動の薬物療法
薬物療法は症状の緩和と脳梗塞の予防が目的であり、3つの方法がある。

  1. 抗凝固療法(脳梗塞の予防) 心房細動になると心臓内の血流が滞り、血液の塊である血栓が出来やすくなりこれが脳に詰まると脳梗塞を発症するので、血液をさらさらにする薬の投与が検討される。薬剤としてはワルファリンとDOAC等がある。
  2. リズムコントロール(症状の緩和) 心房細動そのものが起きないように、または起きても直ぐに治るようにする治療方法であり、薬剤としてはアオダミンなどがある。
  3. レートコントロール(症状緩和、心機能悪化の予防) 心房細動はそのままにして、心房細動によって心拍数が速くならないようにする治療方法であり、薬剤としてはベラパミル、ビソプロロール、ジギタリスなどがある。

(2)カテーテルアブレーション
心房細動起源や心房細動基質を探し出し、カテーテルの先端を押し付けて 電気を流しその心筋を焼く治療である。ターゲットの多く(85%)は肺静脈 にある。

カテーテルアブレーションにより心房細動がどの程度治るのかは、様々な条件により異なり、また心房細動期間が短い程高くなる。因みに、発作性心房細動(心房細動の発作が1週間以内に治まるもの)に対するカテーテルアブレーションの治癒成功率は、1回の治療で1年後に70%、5年後に60%。再発した患者が再度アブレーションを受ける事により、最終アブレーションの1年後に90%、5年後に80%の人が再発なく過ごせている。

心房細動により心臓が拡大し心機能が低下した患者の多くはカテーテルアブレーションにより心臓は小さくなり心機能も改善する。但し、全ての医学的治療について言える事であるが、カテーテルアブレーションによる脳梗塞、心タンポナーデ(心臓に穴が開く)、食道炎等の合併症がある。

【3】心房細動にならない為には、

健康的な生活習慣を保つ事が大切であり、鍵を握るのが食事と運動である。諸悪の根源は肥満であり、体重/(身長)が25以上の場合は体重削減に努める必要がある。但し、急激に体重を減らすのは禁物で年間に5~7%の削減に留める事が適切である。

食事: 五大栄養素(炭水化物、脂質、タンパク質、ビタミン、ミネラル)をとる事に心掛け、バランスのとれた食物を毎日規則的にとる事が肝要。飲酒については既に述べた通り飲み過ぎない事が大切である。

運動: 有酸素運動を日々継続して行う事が必要。全く汗をかかない運動では健康改善効果は得られにくく、一方やり過ぎは心房細動のリスクを高めてしまうので注意すべきである。

以上本日の講演の概要ですが、心臓医療・不整脈等について疑問点や質問などあれば下記宛てメールで連絡頂ければ、先生より回答を頂けますので、是非ご利用下さい。

尚、講演会後は、23名が西国分寺駅近くの居酒屋に集合し、美味しいお酒と料理で盛り上がりました。

【連絡先】

東京ハートリズムクリニック

電話:03-6371-0702

東京都世田谷区粕谷3-20-1

Mail:info-thr-tokyo-heart-rhythm.clinic

東京ハートリズムクリニックホームページ:www.tokyo-heart-rhythm.clinic

世話役:前原憲一

写真1

写真2

 

【E】 第105回Oh!Enkaの会を開催しました。

1.日時   平成29年10月21日(土)10:00~12:00
2.会場   いずみホール・Bホール
3.出席者  会員および同伴者45名、ピアノ伴奏:山田玲子先生
・      「こまんたれう゛」: 黒田 彩さん、大庭麗奈さん、宮田奈美さん
4.スケジュール、
・  第1部  カレッジソング(塾歌、踊る太陽、慶應讃歌)
・  第2部  ハーモニカコンサート
・       黒田 彩 複音ハーモニカ独奏
・         ①北国の春、②長良川艶歌、③嘆きのセレナーデ、④さくらさくら
・       ハーモニカトリオ「こまんたれう゛」演奏
・         ①雪国(吉 幾三)、②てぃんさぐぬ花(沖縄民謡)、③けだるい太陽(ロシアン・タンゴ)
・         ④アディオス・ムチャ―チョス(アルゼンチン・タンゴ)、⑤鈴懸の径、
・         ⑥演歌チャンチャカチャン(メドレー)、⑦熱き心に(小林 旭)
・         アンコール:まちぼうけ
・  第3部  皆で歌おう、季節の歌
・         ①紅葉、 ②旅愁、 ③里の秋  ④故郷の空
・  エール交歓 平林会員 若き血

・第1部はカレッジソングです。森川由美子先生は所用があり、Oh!Enkaの会にはお馴染みの山田玲子先生に
ピアノと歌唱指導をお願いしました。朝ということもあり、まずは発声練習です。カレッジソングは3曲歌いました。「慶應讃歌」の歌詞3番は「学窓を出た我々塾員達がいつまでも母校を偲び、塾員であることを終生の誇りとして歌えるもの」であり、歌えることの喜びを味わいました。
・第2部はゲストに全日本ハーモニカ連盟・常任理事の 黒田 彩さん(Aya)、大庭麗奈さん(Reina)、宮田奈美さん(Nami)をお招きして ハーモニカ・コンサートを開きました。この3人は、フランス語のコマンタレヴ(ごきげんいかが?)をもじった「こまんたれう゛」という名前のトリオグループで演奏活動をしています。
最初はAyaさんによる復音ハーモニカ独奏です。微妙に調律をずらした同じ音が上下2列に並んでおり、上下の穴を同時に吹く事で、ビブラートがかかったような郷愁を誘う美しい音色を奏でます。復音ハーモニカは日本では最初はおもちゃ的に扱われていましたが、佐藤秀廊が復音ハーモニカの奏法を開発し、芸術性を高めたそうです。
次はAyaさん、Reina さん、Nami さんのアンサンブル演奏です。曲に合わせていろいろな種類のハーモニカを持ち替えて演奏します。トークも上手く、会場を楽しませてくれました。ハーモニカの種類はたくさんあるそうです。
今回は①復音ハーモニカ(ビブラートがかかった音が出せる)、②クロマティックハーモニカ(ピアノの白鍵盤だけでなく黒鍵盤の音も出せる)、③コードハーモニカ(コード演奏専用)、④バスハーモニカ(低音部専用)のアンサンブルを楽しませてくれました。演歌が多いと思っていたらOh!Enkaの会=演歌が好きな人の集まりと思っていたらしく、会場の爆笑を誘いました。圧巻は“演歌チャンチャカチャン”です。10曲の演歌メドレーです。もちろん演歌だけでなく、歌謡曲、日本の伝統的な歌曲、タンゴ、セミクラシック等いろいろなジャンルの曲を楽しませてくれました。ハーモニカは奥の深い楽器ということをつくづく感じた次第です。
第3部は皆で歌おうです。山田玲子先生のピアノ、「こまんたれう゛」の皆さんのハーモニカで秋らしい歌を4曲歌いました。塩井世話役代表から曲の紹介をしていただきました。“里の秋”は昭和16年に書いた斎藤信夫の「星月夜」という詞が原作で、もともと戦争高揚のために作られたが、結局歌われることはなく、戦後、歌詞を作り変えて昭和20年、NHKラジオの特別番組「外地引揚同胞激励の午後」で歌われていたというのは興味深い話です。
・最後は平林正明会員の指揮による「若き血」斉唱です。全員が肩を組み、広いホールで声高らかにエールの交歓を行いました。
◆次回 :11月18日(土) 10:00~12:00  本多公民館・視聴覚室  Song‘s
◆次々回:12月17日(日) 10:00~12:00  本多公民館・視聴覚室
日本中央競馬理事・石寺隆義氏(塾員S41)のミニ講演会「指揮者はつらいよ」

世話役代表:塩井勝也(S41法)
世話役:金田 一(S42工)、高橋伸一(S45法)、久保田宏(S46工)、芳賀 崇(S47経)、
・   平林正明(S47経)、山田 健(S47経)、池田敏夫(S47商)、井上 徹(S49政)

【C】La Madre Cooking (料理教室)を開催しました。

10月16日(月)第8回料理教室を18名の参加のもとに開催しました。今回初参加は2名。斉藤正雄さん、常谷敦彦さんです。お2人とも台所に立つことは殆どなく、料理を覚えて奥様をびっくりさせたいそうです。
今回のテーマは「だしのとり方・せん切り野菜の切り方」で、下記4品を作りました。

  1. 豚バラ角煮
    豚バラ肉を5cm角に切り、フライパンで全面に焼き色をつけ、それをおからとたっぷりの水の中に入れ、ふたをして1時間茹でます。おからを洗い落とし、水と砂糖、みりん・醤油の煮汁の中で落とし蓋をしながら30分煮ます。最後に水菜をさっと茹で角煮に添えて出来上がり。
  2. せん切り野菜のサラダ
    キャベツ、きゅうり、人参、セロリそしてカイワレ大根を細くせん切りし、そこに酢・サラダ油・塩・コショウ・砂糖を混ぜたドレッシングをかけて出来上がり。簡単です。
  3. 菊花豆腐のすまし汁
    昆布を冷水に30分以上つけた後、鍋肌に気泡がでてきたら昆布を取り出し、かつお節を入れ沸騰しかつお節が沈んだらペーパータオルでこし、少しの塩と醤油を入れたら料亭なみのだしが出来上がりました。そこに豆腐を細かく賽の目に切り、お湯の中に入れると菊の花のように豆腐が広がり、それにだし汁を入れ上品なお吸い物が完成。
  4. アーモンドとおからのクッキー
    生おから、アーモンドパウダー、きび砂糖をビニール袋の中でよく混ぜ、それを人数分に分けて、オーブンで焼き、でき上がり!

以上、4点をチーム毎に手分けして作り、試食に移りましたが、皆大満足。タッパーウェアに詰めて奥様に届ける愛妻家が何人も見受けられました。次回は12月です。

DSC_0294

世話人:古賀 良三