「ごま和えの奥義を習得!」
[実習の概要]
昔から農耕を始める時季の目安とされてきた‘雨水’が始まる2月19日、「料理の会」も雨水に時を合わせたかのように、我々生徒16名と講師の伊藤先生が、毎回お世話になっている「ひかりプラザ」に集合して2024年のスタートを切りました。今年、料理の腕が上達するか否かは「先生のみぞ知る」ことです。
最近は身体が追いつけないほど寒暖差が激しい日々が続き、当日は季節外れの3月下旬並の暖かさ、2日後からは冬が復活して重ね着が余儀なくされています。今朝(23日)の空には雪がちらつき、身体が温まる料理が何よりも有難く思えます。
【実習での心構え】
先生は実習のなかで、料理で大切なことは「スピードではなく、美味しさです」と仰いました。料理のセンスがなく、手を動かすだけで精一杯の私には、黒船襲来の如く「えらいこっちゃ」との心境でした。
【実習の献立】
今回の献立は、ぶりの照り焼き、ほうれん草のごま和え、のっぺい汁、主食は炊きたてのご飯です。献立ごとに食した感想と関連する余話を以下に記します。
≪ぶりの照り焼き≫
◎ブリの背側(皮が銀色)特有のやわらかで脂が乗った身にタレがよくなじみ、焼けた皮と照りの香ばしさが食欲をかき立てました。香りづけに使った柚子のほのかな匂いは、ぶりの照り焼きを上品な主菜に仕上げました。
〇江戸時代の料理書「黒白精味集」(1746)では、ブリはマグロ・サバ・イワシ等と同じ「下魚」に格付けされています。ブリはマグロと同じく脂が乗った赤身魚(分類的には青魚ですが)、さっぱりした味を求めた当時の江戸市民は脂身を持つ赤身魚を嫌っていました。同書における「上魚」の第一位は、今でも祝い事に付きものの鯛(将軍家では「大位」が当て字)でした。
〇今では天然モノより脂が乗って美味しいと言われる養殖モノ、ブリの養殖は1928年に香川県東かがわ市引田で初めて成功、また1970年には近畿大学水産研究所が「ブリヒラ」を開発しました。ブリヒラはブリ(雌)とヒラマサ(雄)の交配による近畿大学独自の魚種で、ブリの脂のりとうま味にヒラマサの歯ごたえと変色しにくい特徴を兼ね備えたハイブリッド魚です。SDGsへの関心の高まりに伴って、ブリヒラの持続可能性に注目した関東の一部スーパーや大手回転寿司チェーンでは販売が始まっています。
≪ほうれん草のごま和え≫
◎美味しかった!のひと言です。ゴマの風味がほうれん草の旨味を一層引き立てていました。この美味しさの秘訣は、ほうれん草の洗い方、茹で方、醤油洗いにあるとのこと。醤油洗いによってほうれん草の余分な水気が抜けて下味が薄く付き、和え衣の味が薄まらないようになるからとの解説でした。「ごま和え」の奥義を知ることが出来ました。
〇私は4年ほど前、江戸時代の料理書「万宝料理秘密箱(玉子百珍)」(1785)に載る「利久卵」名付けられた、卵と「白ごま」を食材にしたチーズケーキのような料理を作ったことがあります。この「利久」とは、戦国時代からから安土桃山時代にかけて活躍した茶人・千利休を指します。「利久」が付いた料理は「利久卵」以外にも「利久煮」「利久焼き」「利久揚げ」「利久仕立て」「利久和え」「利久飯」など数多くあります。
これら料理に共通していることは「ゴマ」を使った料理だということです。なぜ「利久」がゴマを使った料理なのかという疑問ですが、千利休がゴマを使った料理を好んだから、後世の人が利休はゴマ料理が好きだったろうと勝手に想像して付けた、など諸説ありますが、千利休の名前から付けられた料理名であることは間違いないようです。また、「休」でなく「久」の字が使われた理由については、忌み言葉で嫌がれる「休」より縁起のいい「久」が使われたという説が濃厚のようです。
≪のっぺい汁≫
〇根菜の素朴なうま味とまろやかな風味をしっかり味わうことが出来、汁のとろみが身体を優しくほっこり温めてくれました。このようなクセのない郷土料理こそが、安心して食べることの出来る健康的な料理に違いないと実感した次第です。
〇「のっぺい」の語源は汁が粘って餅の様なので「濃餅」と表記され、粘っていることを意味する 「ぬっぺい」が「のっぺい」に訛ったと考えられています。
〇新潟県の代表的な家庭料理「のっぺ」と日本各地で食べられている「のっぺい汁」の大きな違いは、とろみのつけ方にあります。「のっぺ」は里芋の自然なとろみが付いているのに対し、「のっぺい汁」は実習と同様に片栗粉でとろみを付けます。「のっぺ」は汁物というより煮物と言った方が相応しいようです。
【5つの調理テーブルに分かれて実習】
【完成した一汁二菜と会食前の慰労写真】
(文責・写真 昭48沼野義樹)