会員による歴史談義
第103回歴史をひもとく会例会が、令和5年10月7日国分寺市本多公民館視聴覚室で40人が集い開催されました。今回は毎年恒例の「会員による歴史談義」で、講師は貫名泰男会員(S46経)、演題は「馬と歩んだ60年――私の歴史」でした。 日常、馬と全く関わりのない生活を送っている聴衆にとって、言葉の一つ一つが新鮮な驚きをもって感じられる内容の濃い講演でした。
「馬と歩んだ60年――私の歴史」
プロフィール:
小4から乗馬クラブで乗り始める
東京教育大学附属高等学校で馬術部入部、即主将
塾體育會馬術部入部、4年生で主将
三菱油化入社、本社の馬術部にも参加
四日市事業所へ転勤し昭和50年三重国体出場
2012年退職後塾體育會馬術部監督を2019年まで務めその後コーチ
[ 講演概要 ]
1.乗馬を始めたきっかけ
小学4年生から父の影響で乗馬を始めたきっかけの説明があった。
2.現在まで続けた歩み
高校馬術部時代、大学馬術部時代、社会人としての乗馬との関わりに分けて、その苦闘や作業状況に戦績を含めての説明。
高校馬術部では、1年生の時の苦闘と部を纏める事が新1年生にとっては厳しかったが貴重な良い経験になった。
大学馬術部では、厩舎作業内容、馬の世話、飼いの内容および実際の試合の模様等を、動画を含めて紹介。学生馬術連盟、全早慶戦の種目構成の説明、4年生での輝かしい戦績と苦しかった経験等。
レギュラーになれない部員が半数以上になるが、その部員全員の支えでレギュラー達の部生活が成り立っていた点が強調された。
会社では乗馬班で気楽に楽しみ始めていたが、昭和50年の三重国体を見据えての四日市勤務辞令。国体後の5回の転勤中は中断期間が有るものの乗馬は続いた。最後の勤務地札幌では北大を指導して中身の濃い乗馬生活を送る。
3.慶應義塾體育會馬術部監督
監督選任方法、塾体育会について等の説明と、技術指導以外に部の運営 やコンプライアンス指導、部員を塾体育会出身者として恥ずかしくない社会人として送り出すなどの監督任務についての説明。
監督を引き受ける時から高齢で有ることを懸念しつつ70歳を前に辞任を願い出るも認められなかった。7年務めて監督辞任後はコーチとして監督補佐、基礎技術指導、会計指導等を現在まで続けている。
4.乗馬と馬の事
馬の用途は、乗用、競走、荷役、農耕用など。乗馬の小史:人間がいつ頃から馬と言う動物に乗る様になったかが披露された。「銜(はみ)」を馬の歯の欠落部分に噛ませる事を人類が発明したことが歴史的出来事と言える。
5.余録:競走馬生産現場の話
生産 →(競り)→ 育成・調教 →調教師へ
種付け 2月中旬~ 当て馬
※※ 全日本学生馬術競技大会 (兵庫県 三木ホースランドパーク)配信のお知らせ
11月2~6日 塾出場枠 障害:4 (2日 第1回走行、3日 第2回走行) 馬場:3 (4日 団体、5日 個人決勝)
総合:3 (5日 馬場、6日 野外・障害)
日本馬術連盟から実況配信 https://equitation-japan.com/jefm
ovie1.php