2021年11月21日(日)、都立多摩図書館にて40名参加の下、第38回The Young Salonを開催、講師として拓殖大学名誉教授で当国分寺三田会会員でもある小島眞氏をお迎えし、「インドの最新動向と日米印豪(クアッド)の行方」をテーマにお話し頂きました。コロナ感染者数がかなり落ち着いてきたとは言え、まだ気を緩められる状況ではなく、感染対策には万全を期した上での対面での講演会であり、懇親会の実施も断念せざるを得ませんでしたが、2020年2月以来1年9ヶ月振りのThe Young Salonで、久々に顔を合わせた方々も多く、有意義な集いとなりました。
講演の概要は以下の通りです。
記
第38回ヤングサロン講演会
2021年11月21日
インドの最新動向と日米印豪(クアッド)の行方
拓殖大学名誉教授 小島 眞
インドは馴染み難い印象があるかもしれないが、かつて渋沢栄一が紡績業を起こす上で、綿花輸入のための航路開設に関してインドのタタの全面的な協力を得ており、また戦後まもなくのネルー首相の来日時には日本中が歓迎ムードに包まれるなど、50年代頃まで日本と非常に近い関係にあった。その後日本も高度経済成長で付き合う国も増えて疎遠になっていった。そのインドも最近いろいろと注目すべき動きがあり、ここでは6つのテーマに沿ってインドの最新動向を理解する上でのエッセンスを提示し、クアッドの話に繋げていきたい。
1.インドをいかに捉えるべきか
基本的知識として、インドの人口は13億人超、GDPは日本の半分強、1人当たり所得は2,200ドルぐらいだが、鉄鋼生産は日本を超え自動車生産も世界5位、コメについては世界最大の輸出国である。社会経済面で遅れている部分も多いが、平均寿命は約70歳、識字率74%、貧困率20%強と確実に進展してきている。
インドを理解する上での基本的要件は、まず世界一多様性に彩られた国であるということ。言語・宗教・カースト・南北の地域差等、インドに関しては平均値では語れない。
政治形態は連邦制で州政府の権限が大きく、全国一律の改革が難しい。1947年の独立後52年の第1回総選挙以降現在まで17回の総選挙を実施しているが、軍部が政治介入したことはなく、必ず総選挙を経て政権が変わるというルールが確立している。政党としては今や与党のインド人民党(BJP)が圧倒的に強く、かつてネルーやその一人娘インディラ・ガンディーが率いた国民会議派は衰退の一途を辿っている。
91年頃から国民会議派の下で改革開放がスタートし、対外志向型の政策や規制改革を実施した。特に90年代以降大きく変わったのは、世界のIT革命に乗ってインドのIT産業が飛躍的な成長を遂げたことで、今ではインドのGDPの9%を占める最大の輸出産業となっている。
各種経済改革を進めてきたインドだが、労働改革は取り残された分野である。硬直的な労働者保護の法律があることで労働集約的な製造業は拡大を阻まれてきた。他方、サービス部門にはこのような規制がなく、IT産業が伸びやすい。もう一つは農業関連の規制が強いことが挙げられる。
2.第1次モディ政権(2014~2019年)の実績
現首相のモディは後進階級出身で民族奉仕団に加わって実力をつけ、政治活動に移った。2001年から13年間グジャラート州首相としてインフラ整備や外資導入に大きな実績を残し、その実績に基づいてインドの首相に就任。これまで20年間にわたって州や国の首相を続けてきたエネルギッシュな人物である。
モディ政権の政策理念は、社会の変革と底上げを伴った成長によりインドを強くしたいというもので、新たに始めたのが“Make in India”という海外からの投資による製造業の振興策であり、また画期的なのがクリーン・インディアという農村でのトイレ革命とLPガスの無料接続や貧困世帯向けの保険の改善であった。さらに倒産破産法の成立や間接税の一本化など見るべきものがあったが、日本が学ぶ点が多いのがデジタル・インディアである。2009年にマイナンバーに相当する固有識別番号制度が導入されたが、モディ政権の下でその普及・充実が図られた。本人確認を証明できる公的手立てが提供され、かつて銀行口座を持てなかった貧困層も口座開設が可能となり、現金支給も受益者各人への口座振り込みが可能となった。
第1次政権末期には経済的減速が顕著になり、再選が危ぶまれたが、選挙直前カシミールでのパキスタンの過激派テロによりインド人治安部隊40名ほどが殺害された。それに対して、国境を越えての空爆を実施し、国民に強いインドという安心感を与えたことで総選挙に圧勝した。
3.第2次モディ政権(2019~)と新型コロナのインパクト
第2次モディ政権がまず取り組んだのは、イスラム過激派のテロが頻発していたカシミール問題であった。憲法改正によって同州の特別自治権を外し、中央政府の介入を容易にした。もう一つは国籍法改正を通じて、周辺国から流入する人の内イスラム教徒には国籍を与えないというヒンドゥー至上主義的な国籍法を導入したことである。これに対して、ベンガル人の流入増大を恐れるアッサム地方で暴動が起き、さらに全土でイスラム教徒の反発が広がった。
その最中にコロナ問題が勃発した。最初の感染者が出たのは2020年1月末で、3月末にはロックダウンを実施し、全土封鎖・交通機関の停止に踏み切った。規制が段階的に緩和される中、1日当たりの感染者数も一時は10万人に上ったが、その後は徐々に減少し、本年2月には勝利宣言が出された。しかしそれと同じ頃、マハラシュトラ州で発生したデルタ株への対応が遅れたため、1日当たりの感染者数が今年4~5月頃には最大で約40万人に達し、伝統的な公衆衛生の貧弱さが露呈する結果となった。
第1波に際しては、全土封鎖に併せて貧困者への福利パッケージを導入し、GDPの10%に相当する財政支出を実施した。第2波に際して重視されたのは、ワクチン接種である。インドはアストラゼネカのワクチンの世界最大規模の生産能力があり、本年4月頃まではワクチン外交を展開していたが、国内の感染拡大に伴い、国内向け供給を最優先した。10月末で1回接種が7.3億人、2回接種が3.2億人に達し、1日当たりの感染者も今年11月には1万人程度に収まってきている。
経済的影響を見ると、昨年度第1四半期(4~6月)は大きなマイナス成長となったが、第3四半期からプラスに転じ、本年度第1四半期にはかなり回復した。コロナ禍の状況下でもモディ政権は果敢に経済改革を進めてきた。一つは製造業の面で、かつての“Make in India”は総花的でなかなか成果に結びつかなかったが、今回は13部門を対象に認可を受けた企業に対して、投資と売上に応じてインセンティブを与える生産連動型インセンティブスキームを導入した。また労働関連法の改正を実施し、従業員100人以上の事業所では自由に解雇できなかったのを300人以上に拡大した。
さらには農業三法の導入である。これまでパンジャーブ州など一部の大規模農家は政府によるコメや小麦の買い上げで潤っていたが、大多数の農家は政府に買い上げてもらう余剰がなく、さらに農作物は州指定の市場でしか販売できないという規制があり、自由な販売ができず、企業との連携を有効に推進できない状況にあった。これを打破すべく、昨年9月に農業三法を導入したものの、農業先進州の農民達が連日反対のデモを繰り広げ、今年1月に最高裁が実施猶予の判断を下した。そうした中、一部農民団体の反対運動に根負けする形で、ついに一昨日になってモディ政権は農業三法の撤回声明を出すに至った。
4.軋みを見せる印中関係
かつて近代インドには中国への警戒論を説いた宗教家や政治家もいたが、インドの初代首相ネルーは非同盟主義を掲げ、非共産圏諸国で最初に中華人民共和国を承認するとともに、中国のチベット支配強化にも宥和的態度をとった。しかし中国は1959年にダライ・ラマがインドに亡命して臨時政府を樹立したことに憤りを感じており、62年に国境紛争が勃発するに及んで、ネルーの対中政策は見事に打ち砕かれた。最近の国境問題についていえば、北東部にアッサム州などを抱えるインドにとってバングラデシュとネパールに挟まれた狭隘部が地理上の泣き所だが、2017年6月に中国がブータン国境内に侵入し、インド・中国・ブータンの国境合流点でインド・中国両軍の睨み合いとなった。徐々に既成事実を作って現状変更を図るのが中国の戦略だが、この時は同年9月に厦門でBRICSの会合を控えていたこともあり、2か月後に両軍とも引き揚げることになった。さらに2020年6月にインド北部カラコルム山脈のガルワン渓谷で両軍が衝突した。それまでの紛争と違いインド側に20名の死者を出すに至り、反中ナショナリズムが高まり、中国製品・中国投資のボイコットが広まった。
1962年の国境紛争以降、インドは中国をパキスタンと並ぶ仮想敵国と見做していたが、経済面では実利主義をとり、主要なパートナーとして貿易関係も深まっていた。しかし2020年の衝突と前後して対中政策は大きく変わり、中国からの投資規制・中国アプリ禁止・中国製品への輸入規制強化といった措置がとられた。
領土以外の印中間の争点として深刻なのが水問題である。中国は東南アジアを含めてアジアの主要大河の水源であるチベットを押さえており、インド・バングラデシュを経てベンガル湾に注ぐプラマプトラ川の上流で10以上のダムをすでに建設しており、さらには三峡ダムの3倍規模のダム建設計画があり、果てはプラマプトラ川を黄河に流すという壮大な計画もあると言われている。
5.深まるインドと日米両国との戦略的関係
冷戦時代アメリカは反共の砦としてパキスタンを重視する中、インドはソ連との関係を深めた。特に1971年のバングラデシュ独立に際してインドは独立を支援したため、パキスタンを支援するアメリカはインドの動きを阻止すべくベンガル湾に原子力空母を配置するに至った。しかしソ連の崩壊後、アメリカはインド経済の重要性を認識するようになり、イスラム過激派のテロや中国への対抗上両国関係は改善し、インドにとってアメリカは最大の貿易相手国となっている。
戦略的関係でも92年から米印2国間でマラバール海軍合同演習を実施しており、2008年には原子力協定、18年には「通信互換性及び安全保障協力」(Comcasa)といった重要な枠組みも締結されている。
さらに米中対立の中でサプライチェーン再編の動きがあり、アメリカのIT企業のインドへの投資がかなり増えており、それに付随してアメリカの委託先となる台湾のIT企業の投資も増えている。
日印関係を見ると、貿易面ではパッとしないが2008年頃からインドに対する投資がかなり増え、いろいろな分野で企業が進出している。市場規模が大きく、今後の拡大が見込めることから、企業の間では有望事業展開先として、インドがベトナムなどを抑えて上位にランクされている。特に重要なのは日本のODAを使ったインフラ投資が顕著で、2004年以降日本のODAの最大の供与先となっており、2009年完成のデリーの地下鉄事業を始め、貨物専用鉄道や高速鉄道も完成間近もしくは着工済みである。
さらに注目されるべきは日印間での戦略的パートナーシップの進展であり、小泉首相時代に日印間の戦略的方向性が打ち出され、2006年に「日印戦略的グローバル・パートナーシップ」が形成された。その後14年には「特別日印戦略的グローバル・パートナーシップ」、15年には「日印ヴィジョン2025」、18年には「日印ヴィジョンステートメント」等での日印関係の更なる格上げが進んでいる。
最近ではデジタル面でも面白い取り組みがあり、インドの海底ケーブルをNECが手掛けるなど貴重な関係が実現している。また、日本はIT面での人材不足が大きな問題でこういった点でも日印間の関係が深まればいいと考えている。
6.日米印豪戦略対話(クアッド)の結成と今後の展望
我々がアジアを語る時、この数年はインド太平洋という言葉が定着している。これは安倍元首相が言い出したことで、2007年にインドの国会で演説した際に「インド洋と太平洋の二つの海の合流」という言葉を使い、その後概念として定着してきたもので、その背景としてアジアでインドと中国の両雄が台頭してきたことが挙げられる。アメリカの太平洋軍も18年5月にインド太平洋軍に改称された。
インド太平洋構想の中核をなすのが日米印豪4ヶ国(クアッド)で、最初の動きは2004年のスマトラ沖地震の際、安倍首相の呼び掛けでこの4か国による支援体制が立ち上がった。その後オーストラリアが中国に配慮して離脱したが、中国が政治・経済・軍事面で一方的な拡張を目指したことから、これに歯止めを掛けて自由で開かれたインド太平洋の枠組みを維持・強化すべく2017年にクアッドが復活した。マラバール海軍演習には17年から日本、次いでオーストラリアも20年から参加するに至った。
当初インド太平洋広域を対象とした戦略が不明確だったため、インドは慎重な立場をとったが、中国の台頭を意識してインドの躊躇も解消され、2020年10月の4か国閣僚会議で正式にクアッドという名称が採用された。
本年3月オンラインでのクアッド首脳会議が開催され、「自由で開かれたインド太平洋」のために尽力するというクアッドの精神が確認され、ワクチン製造支援やサプライチェーンに関する協力が協議された。さらに本年9月にはワシントンで対面でのクアッド首脳会議が開催され、先端技術、宇宙、サイバー・気候変動などの分野での協力関係が協議された。
おわりに
インドは世界最大の民主主義国家として、独立後一貫して議会制民主主義を堅持してきたが、今後も高いレベルの経済成長を維持できるかどうかは、経済改革を不断に実行できるかどうかにかかっている。その中で議会制民主主義がしばしば足枷になることは否定できない。
今年度8%を上回る経済成長を実現して、コロナ前の規模に回復することはできると思うが、農業改革を目指しながらも農業三法を撤回したことからも窺われるように、既得権をどう克服するか難しい面がある。今後既得権打破を伴う改革にどこまで切り込めるか、モディ政権の手腕が注目される。
インドはインド太平洋の西側の防波堤であり、その国力・戦略能力からクアッドの重要な構成要素となる。中国にとって核心的な利益を構成する優先地域は南シナ海と台湾だが、その軍事的威圧・一方的現状変更を阻止する上で、インドがクアッドに加わることは、中国に対する二正面からの地政学的圧力を掛けることで意義があると思っている。
質疑応答
Q:インドは先日グラスゴーで開催された仏教サミットで自国を低開発国と言っている。1人当たりのGDPから見れば名目はそうだが、実際には核兵器・空母・原子力潜水艦を保有していることから考えて、彼らの言っていることは本当なのか。
次に、クアッドの一員としてインドへの期待が強まっているが、一方でインドは中国とパキスタンへの専用兵器としてロシアから地対空ミサイルS400の導入を始めており、やっていることに一連性が無いように思える。この点どう考えていいのか。
A:実は「発展途上国」というのは自己申告で、誰でも使える。中国も都合によって自分を「発展途上国」と言っていて、誰も文句を言えない。ただ、これをいつまでも認めていいのか問題がある。
次にロシアからのミサイル購入の問題だが、かつてバングラデシュの独立に際して、アメリカとインドは敵対した。また1972年のニクソンの訪中に際して、露払い役としてのキッシンジャーはインドと敵対するパキスタン経由で極秘に中国に入るという意表を突いた行動をした。インドは武器に関しては長期的にロシアから購入しており、現在アメリカからの輸入が増えているとはいえ、まだ過半数はロシアからのものである。アメリカとしても今までのインドとロシアの関係は認めており、今回のミサイルの件を仕方ないことと見ると思う。
インドはロシアとの関係を中国に対する牽制に使える。もし仮にインドと中国の間で何かあった時に、ロシアがどちらにつくかは分からない。不思議とインドとロシアは友好的な関係にあり、この点は日本と違う。インドを通して見ると、ロシアと中国の複雑な関係が見えてくる。