<尚商立国論要旨>

・古来日本は尚武の国と称して武を事にする者を武士と名付けて社会の上流に位置付け、武道を重んずるが故に武士
 を尊ぶ「尚武立国」の風を成していた。
・今日では鎖国時代と違って何をするのも金が必要であり、国を富ます方法は商工殖産の道による以外にないと考
 える。
・その金の依って来る所は商工にあるので「尚武」の文字を借用して「尚商」の新文字を作り、商売を以て国を富ま
 せ、その富を以て国事を経営する事が「尚商立国」の新主義であり、今日の論題となり出した事は喜ぶべきである。
・商を尚ぶ(たっとぶ)とは、商を封建時代の武と同様にすると云うことであり、商道に従事する商人を尊ぶとは、
 武道に従事する武人を尊ぶと同様にして初めて天下に尚商の風を成すのである。
・しかし封建時代にあった武士と平民の尊卑は、維新の社会では「官尊民卑」に変形し、その賤しき人民に商売を
 託しながら尚商立国の主義を称えても、一時の小計策に過ぎず、我輩は敢えて之に依頼しない者である。
・この主義を重んじ本気で取組むのであれば、社会の積弊である官尊民卑を取り除いた上で、商人の身に重きを置
 いて商道を重要なものとし、その後に奨励策を講ずるべきであるが、この事は流石に難しく速成は期待できない。
 我輩はその難しさを忍んで少しでも進歩することを切に祈る所である。
・官途人の驕傲も商人の卑屈も、祖先からの遺伝であって容易に改まる様子にないのは日本社会の勢いであって、
 智者と云えどもその改良には妙案がない。
・朝野の士人が心事を一転し、商を重んじる事昔年の武を重んじる事と同様にして国を立てる事の必要性に気づい
 たら、官途の方から率先して官尊民卑の陋習を除き一歩でも平等の方向に進むであろう。
・尊卑とは相対の語であって、従来のように官途人が独り社会の高処に居て人民が登って来るのを待つのではなく、
 先ず自分から人民に近づく工夫が大切である。
・商工の輩も、官途に対し軽重の平均を得て社会全体の地位に重きを増して来れば、人物も集い来て益々重きを加え
 遂には我が商工業が立国の要素となる日も来るであろう。
・「官尊民卑の陋習を捨て尚商立国の前途に障害を排する」の説も、「廃藩置県」の時と同様に、今日でこそ奇論であ
 るが、数年の後には当たり前の事として之に驚く者もなくなるであろう。
・我輩、過去に照らして将来を想像すれば、今後10年、20年の内には、今日の奇論も必ず奇ではなくなる時期が到
 来し、鄙言の空しからざるを漫に信ずる者なり。

                                          

2024年6月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : kkbn-mita

尚商立国論(五)今日の奇論も10~20年後には奇ならず

・我輩は商工社会の地位を高めて立国の要素とするため、「官途の虚威を殺減して先 ず官尊民卑の陋習を
 除き以て双方平均の地位を得させよう」との一説を開陳した。
・この説は今の世では甚だ奇にして容易に行われるとは思わない。特に封建士族の末流たる今の在官の人
 或いは官途熱望の人々は、我輩の云うその虚威を弄ぶ事を一生の目的としており、容易には耳を傾けない
 であろう。
・伝え聞くに、ある人が徳川家康公に言上し、「御鷹、御茶壺の行列に人を避けさせるは無法なり」と諫
 めると、公は「国を治める者には威力が必要。その筋の鷹、茶壺にもこの威あり。まず人心を畏れさせ
 て高望みを断ち、その代りに年貢を薄くし、安楽ならしむべし。これぞ恩威の政事なり」と。ある人,
 公の言に感服したりとの談あり。
・上下尊卑の名分を正して超えることを許さず、農商工業は之を賤業と名付けて賤民に一任し、その賤民
 を視ること子の如くして、富豪は之を抑え貧弱は之を救助して各々その処に安んじさせる、これ即ち徳川
 政治の筆法である。
・最大多数の最大幸福はこの筆法にあったのであろうと懐旧の情を催す折柄、眼を転じて今の世界を見る
 と「人生の運動は自由自在、一身の自活、一地方の自活、利害得失はすべて各自の負担に帰し、優勝劣敗
 は自然の約束であり、虚威も私恩も関係なく唯無情なる約束に依頼して相互に自家の権利を維持する」だ
 けである。
・この風潮に於いては、恩威の談は最早論外となり「政府たる者は国民の父母や師匠ではなく、単に国法
 の議定者・施行者であって、ただ約束を守ったり守らせたりすることに在り」と覚悟せねばならない。
・文明世界全体の定論は,細やかに民利を奨励するよりもその民利の妨害を除くことが専一であり、これを
 我が封建時代の主義と比較すれば、この定論は全く正反対に立つものである。
・そうであれば我が日本国も世界の大勢に背くことは出来ず、その国是を文明開化と定めた以上は残念な
 がら徳川流の恩威政治は断念せざるを得ない。
・文明の約束主義(法治主義の政治のやり方) になろうとする折柄、一旦恩威の一方を断念したならば,
 根底よりその再生を許すべきではない。
・既に之を断絶すれば、官尊の虚威も無益どころか却って有害となることは明白であり、今 我が商業社
 会の面目を一新して立国の要素とするために、先ず官辺の虚威虚名を捨て商工の地位を高くすると云う
 事は朝野に争う者もないと我輩は信ずるが、さて又一方より見れば、口では争わずに心では服さないと
 いう事も人情世界の常なので、我輩は今日我が意見が行われない事を以て恨みとは思わない。
・唯この一説を世の中に公にして他年の時期を待つのみである。
・故老識者の言を聞くに、廃藩の大挙(廃藩置県)も廃藩した時に発したるものではなかったと云う。
・各藩の藩主、老臣等が数百年来の門閥を以て藩政を専らにして領民を支配して来たが、国を開いて世
 界の国々と文明の事を共にしようとするならば、「先ずは内国の大名を廃止すべし」とは徳川政府の末年、
 洋学の漸進と共に極々ひそかに学者社会中に行われていた言であった。
・そうであったからこそ維新の後廃藩の実施に臨みても、天下の有力者にて誰一人としてその非挙を鳴
 らした者はなかったのである。
・故に「官尊民卑の陋習を捨て尚商立国の前途に荊棘を排する」の説も、今日に在ってこそ奇のように
 思えるが、数年の後には尋常一様の事にして之に驚く者は居なくなると云う事は、今人が廃藩の一事を
 聞いても怪しむ者がないと同様の次第となるであろう。
・文明進歩の速力は非常にして、人の思想の変遷は測ることが出来ない。
・維新以来、わずか20余年の間にも、20年前に発言して生命も危うしと思われた劇論も、10年を過ぎれ
 ば人の耳に逆らわず。10年前には到底行わるべからざる事も、今日に至ればこれを実行して非難する者
 なし。
・我輩、過去に照らして将来を想像すれば、自今10年、20年の後には、今日の奇論も必ず奇ならざるの
 時期が到来して、鄙言(ひげん=自分の意見の謙称)の空しからざるを漫に自ら信ずる者なり。

                                     尚商立国論   終

2024年6月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : kkbn-mita

尚商立国論(四) 官尊民卑の陋習を捨て尚商立国の障害を排す

・日本の商業は人事の下流に位し、商人と名付くる賤民の事なので、固より以て立国の源素とすることは
 出来ない。
・官途人の驕傲(きょうごう=おごりたかぶり)も商人等の卑屈も祖先からの遺伝であって容易に改まる
 様子にないのは、人の罪ではなく日本社会の勢いであるので、智者と云えどもその改良には妙案がない。
・商工奨励の為として、商学校を設け、博覧会、共進会(勧業政策として産物や製品等を公開する会)を
 開き、新聞を発行し集合会議所を作る等、様々な工夫を運らす事は、名実ともに多少の利益はあろうが、
 国家百年の大計として尚商立国と議論の端を発した限りは、大体の主義を一定にしなければならない。
・その大体の主義とは、朝野の士人が心事を一転し、商を重んじる事昔年の武を重じるが如くにして国を
 立てるの必要を発明したならば、官途の方から率先して官尊民卑の陋習を除き一歩でも平等の方向に進む
 事である。
・元来,尊卑とは相対の語であって、従来のように官途人が独り社会の高処に居て、人 民がその高きに登
 ろうとするのを待つのではなく、先ず自分から人民に近づく工夫をする事が大切である。
・人に交わるは馬に乗るが如くで、政府は御者であり人民は馬である。「この馬は御すべからず」と云う
 は馬の罪ではなく、御法が拙なのである。
・今の人民を卑屈なり、無気力なりとして之を捨て置くことは、御者たる政府が自らその拙を表白してい
 るようなものである。
・尚商立国の実効を求めようとするなら、先ず政府の体裁を一変して商売風に改める事が必要と我輩は信
 ずるものなり。
・政府は法律を定め、海陸軍を設け、課税し、貨幣を造り、逓信を司り、外交、内治を整理する等の事務
 を取り扱う一大商店とも云えるもので、人民に対して私恩を施し虚威を張るような古いやり方は無用と知
 るべきである。
・恩威が無用とすれば、官吏が人民に対して尊大である事は政略上少しも益がなく大いに慎むべき所である。
・官私の間に交わされる言語文書なども、その慣行を改めて相対平等の体裁に従わなければならない。
・又政府の上流に居る政治家は、商人と同様一種の専門家と云えるが、之に随従して事務を取り扱う書記
 官以下は普通の職人であって、諸会社や商人に雇われて給料を取る者と何ら変わりがない。
・政府に勤めるか民間に勤めるかの相違のみであるのだから、「書記官」の「官」の字は止めて単に書記と
 するか、或いは支配人等に名を改めて民間にある呼称と同様にして尊卑を平等にするのが穏当であろう。
・書記官の官の字を止めるからには、之に位階を授けると云う事も不釣合であり、その慣行も廃すべきで
 ある。
・書記官のみならず、すべて官途に位階が存する限りは、自ずから商工社会を蔑視する原因にもなるので、
 官民とも一切 無位平等の日本国民とすべきである。
・華族についても新華族を増やす事などは政策上の不得策であり、尚商立国と云う文明の富国論に戻って、
 事の軽重を思案して決するのが妥当であろう。
・以上は官途社会の驕傲尊大と人民社会の卑屈無気力とをならべ、低いものを昇らせるも高いものを降ら
 せるも同じ事なので、むしろ高きを制限して平等にする事が近道と考えて試みに方案を立てたものである。
・この立案に従った時は、商工の輩も官途に対し軽重の平均を得てその社会全体に地位の重きを成し,地
 位重ければ人物も集まり益々重きを加え、遂には我が商工業が立国の要素となる日も来るであろう。
・しかしこの方針に向かった時は、官途の当局者は大いに心身を苦しめるのではないかと考えたが、我輩
 の所見では、その実利に少しも損する事がなく失う所は単なる虚位虚名に過ぎず、苟も国に忠にして百年
 の長計を思う者は自己の虚栄に恋々して国計の発達を妨げることはないものと密かに信じる所である。

2024年6月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : kkbn-mita

尚商立国論(三) 人民は独立自尊の境界を去る事遠し

・今の官途は封建武士の集団ではなく、また文明の世の中でも官民平等の議論があるので、官尊民卑の
 積弊も次第に除去され真成の日本商人が生ずる日もあろうが、実際に於いては中々難しい事のようだ。
・全国無類の富豪大家は稀には卓識高尚の人物もあるが、平均すると全てが無気力な平民であり、その
 生涯の関心事は銭のみである。
・その銭を得た後に志す事は、更に銭を求める事であって、銭の外に心を寄せず、書を読まず、理を講
 ぜず、歴史の由来を知らず、要するに心の調子が頗る(すこぶる)低い者である。
・その低き趣を評すれば、士族の流が無銭にて気位だけが高いのに対し、富豪家の方は有銭にして気位
 の卑しい者というべきで、商業社会全体の利害栄辱の話などは満足にする事が出来ない。
・維新以来、新進の商人が生じて来て之を「紳商(品格や徳義のある商人)」と称し、その中には気力
 の確かな人物も居るが、一たび商人になると一様に商家の風に倣わ ざるを得なくなってしまう。
・俗に云う多勢に無勢、血に交われば赤くなるの諺に洩れず、自家高尚の特色を以て商売社会全体の気
 風を引き立てる事も出来ず、自分の心身も卑屈に陥らざるを得なくなる。
・この輩が他に向って誇る所は、政府の貴顕に容れられて之に近づく道があると云うに過ぎない。
「独立自尊」の境界を去ること遠しと云うべし。
・又富豪の中で政治を志し心志高尚に見える者もあるが、その志を立てると同時に自家を忘れ人民社会
 の利害を忘れて、ただ一身の立身出世を謀るだけである。
・昨日まで官途に軽侮されたその返報に、今度は自分が政治社会に於いて人を軽侮しようとするのみで、
 人民の社会から見れば、従来の仲間から脱走した者として少しも信頼するに足りない。
・古来故郷に錦を飾った者も多いが、その錦はただ本人の栄誉のみであり、これによって故郷の人民が
 地位を高めたと云う話は聞かない。是も一種の脱走人である。
・富豪者のみならず、博識多才、気力充満の学者流の人物も、野に居て人民と称しながら、その人民の
 地位に安んじて自家全体の面目を張る事を知らず、空しく官途の俗栄を栄として身を終わる者が多く、
 後進活発の士も志す所は唯官途あるのみ。
・学者が書を著して序文、題字等を貴顕に求める事があるが、この著者は自らの不文(無学・無教養)
 を表しているか、俗世界を瞞着して著書を売る方便として貴顕を利用するものか、何れにしても君子の
 行う事ではなく学者社会の醜態と評しても良い。
・以上に陳述の通り、下は町人百姓から近来の紳商や高尚と云われる学者士君子に至るまで、自尊自
 重の大義を解する者は少なく、官尊民卑を当たり前の事としている有様では、たとえ政府の側で平等
 の旨を重んじ人民の自尊を促がそうとしても、その旨を解する者は少ない。
・近来人民の自治などと称して既に法律を実施した(明21市町村制公布・同23府県制公布県制公布に
 より地方自治制整備)が、人民社会は依然として旧時の賤民として面目を改めず、誠に当惑の次第である。
・商業社会の改進独立、亦難しと云うべし。

2024年6月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : kkbn-mita

尚商国論(二) 日本の商業の賤しき所以

・官尊民卑の陋習がある限り商売の発達は望めないとの大意は前節に記したが、今またそれに続いて之を云う。
・前説の船車の件は今日の事実談であるが、冠婚葬祭の私席に於いても、官吏とあれば他の上流に就き、官に
 奉職する者は貴顕と称し商人とは上下の分を明確にし、不学無術なる官吏が学者士君子の上流に就こうとする
 者さえ居る。
・人間の智徳・学識・年齢・財産等も官途に対しては栄誉の要素とはならないのである。
・天下の栄誉は政府の専有に帰し、敢えて之を争うものがない有様は、尚武にあらず、尚商にあらず、正に之
 は尚政の時代と云って良い。
・国民全般の気風がこの様である上に、政府の成規慣行が更に之を助長している。諸官庁出入り時の上下車の
 場所等に奏任以上・以下の区別があるが、平民は以下の又その以下である。
・文書の用法に於いても、官から民へは驕傲(きょうごう=おごりたかぶり)を極め人民から官に対するには
 卑下のあらん限りを尽くし、その醜は見るに忍びない。
・西洋諸国に例がなく我が国固有なものに、官吏に官位を授かる一事がある。是は単に官吏社会の等級を分け
 る為ではなく、恰も人身に一種の記章を付して、平民との間に尊卑を殊にしようとするものである。
・人権に影響する事之より大なるはなし。
・ 平民で献金等により位を授けられる者もあるが、大金を出して得たるその何位は、寒貧書生(苦学生)が数
 年の仕官で得る位よりも低いものである。又商売人がその稼ぎに祖先の遺物まで含めた金円の代わりに得るそ
 の位階は、小官吏数年の奉職で得られるものと同等のものである。
・この一事を見ても殖産社会の勉強は,栄誉の点に於いては官途の働きに遠く及ばない事を知るべし。
・ 一句之を評すれば、「中人十家の座(中流10家族分の財産)を空う(むなし)して買い得たり一小官吏の栄」
 と云うも可なり。
・また華族なる者は一種独特なものであり、国運変遷の際には之を社会の上流に置いて至当の栄誉を保たせる
 事には異議はないが、この一類が人民に対して人権を異にするが如きは決してあるまじき事である。
・新旧華族を始めとして、所謂官途の貴顕なる者が日本社会の上流に位して、私に公に人民に対して人権を殊
 にしている限りは、農工商は依然として旧時の百姓町民であって一種下等の賤民であり、賤民の行う事柄も又
 賤しいものとされてしまう。
・これが日本の商業の賤しき所以であり、かかる賤業に依頼して国を立てんとするは固よ望外の事である。
・等しく日本国民でありながら、その一部分の者共が遥かに上位に居て、下界の商業の発達を望むは、是れぞ
 所詮「木に縁(より)て魚を求る」(見当違いの者が間違った努力で目的を達しようとする)の類である。

2024年6月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : kkbn-mita

尚商立国論

「尚商立国論」は明治23年8月27日から9月1日まで6回にわたり時事新報の社説として掲載
されたものであり、「独立自尊」の言葉が初めて使われたと云われている論文で、「国を富
ます方法は商工殖産の道による以外にない」とし、それに伴う障害とその排除法を論じています。

(青色文字部分をクリックください)

尚商立国論・目次
 明治23年8月27日~9月1日    時事新報社説
(一) 尚武の国から尚商の国へ
(二) 日本の商業の賤しき所以
(三) 人民は独立自尊の境界を去る事遠し
(四) 官尊民卑の陋習を捨て尚商立国の障害を排す
(五) 今日の奇論も10~20年後には奇ならず
<尚商立国論要旨>
2024年6月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : kkbn-mita

尚商立国論(一) 尚武の国から尚商の国へ

・古来日本は、尚武の国と称して、武を事とする者を武士と名付けて社会の上流に位し、天下の栄誉は武士の右
 に出るものなし。
・浪人と称する無籍の者でも、武芸の達人とあれば衆人の尊敬する所となり、王公もこれを臣ではなく師として
 扱う例あり。
・武道を重んずるが故に武士を尊び、「尚武立国」の風を成している。
・この事は古来より当然の勢いとなっているが、我輩はいま希望している所から少々怪しむべきものと考える。
・即ち、近世世上で行われている「尚商立国」の議論が是である。
・開国既に三十年、政事に、武事に、文事に、全て西洋の風を学んで、その進歩は見るべきもの多しと云えども、
 ただ意の如くならないのは経済の一事である。
・政治・法律は別として財政だけは智者も常に無説に苦しみ、如何なる妙案も、費用不足の一声で片付けられて
 しまう。
・外国人と、その智徳を比較しても我に誇るべき物も多いが、ただ貧富の一事だけは「三舎を避けざる(=おそ
 れて遠ざける)を得ない。
・交際上、常に彼に先を制せられるは、金力の強弱軽重によるもので,「銭の向う所、世界に敵なし」と云った
 所である。
・最近になって朝野の士人もようやく心事を転じ、文明世界の立国は、国民の富事が最重要であり、今の日本に
 於いて国を富ます方法は商工殖産の道に依る外はないと考えるようになった。
・鎖国の時代には武を以て国を立てたが、今日はその武を張るには先ず金が必要であり、その金の依って来る所
 は商工にあるが故に、「尚武」の字を借用して「尚商」の新文字を作り、商売を以て国を富ませ、その富を以
 て国事を経営し政治、武事、文事、外国交際にと、全て意の如くなる日を期すべし。
・これ即ち「尚商立国」の新主義であり、今日一流の論題となったのは、国運進歩の懲(ちょう)であり、我輩
 ひそかに喜ぶ所である。
・只、今日の有様を見るに、尚商立国の議論は、単に想像の希望のみに止まり、実際にはその痕跡も見られない
 のは不審である。
・「言わざるに非ず、為さざるなり」とは正に今日の適評である
・抑々、商を尚ぶ(たっとぶ)の要を知ること封建時代の武に於けるが如くならんには、商道に従事する商人を
 尊ぶこと武道に従事する武人を尊ぶが如くにして始めて、天下に尚商の風を成すのである。
・それにより有為の人物も争ってこの道に赴き、人と道が相まって益々勢力を増し、社会の上流に商人の地位を
 出現し、人間万事を支配して以て国を立てる工夫を運らす(めぐらす)筈である。
・しかし維新以来今日に至るまでの実際を見ると、これ等の工風に乏しいのみか、時としては逆行の痕跡さえな
 きに非ず。
・封建の時代に士族と平民と尊卑を区別したその区別は、維新の社会では変形して官尊民卑の区別を生じ、天下
 の栄誉は官職に占められ、平民社会は依然として旧事の百姓町人と異なる事が無い。
・維新の法律で平民に苗字・乗馬を許したのは、その地位を高めたのではなく、ただ人民社会の士農工商を相互
 に平等にしたのみであって、この人民が官職に対しては更に幾等も下り、両者の間には常に尊卑を明確にし、
 官途にあるものは常に尊く、民間に群をなすものは卑し。
・汽船、汽車に乗るときは、官民の区別なしに銭多き者が上客で、少なき者が下客だが、船車を去る時は先の下
 等客たる官吏が傲然と上等客の上に位して威張り、これを誰も怪しまないのは、交際風の一斑を見せている。
・官尊民卑は、封建の士尊民卑に由来して日本国民の骨に徹した習俗であり、俄かにその変化を期待することは
 出来ない。
・このような卑しき人民に商売を託しながら、尚商立国の主義などと称して、商業の組織を計りその奨励策を講
 ずる者もあるが、多くは一時の小計策であって、我輩は敢えて之に依頼しない者である。
・朝野の士人がその主義を重んじ、自らその責に任じようとするならば、社会積弊の在る所を明確にして、先ず
 その幣を除いた上で商人の身に重きを付して商道を重からしめ、然る後に奨励策を講ずるべきである。
・その事は甚だ難しく、速成は期待出来ないが、既に立国の大計とあるからには、その難き(かたき)を忍んで
 一方に進歩することを我輩は切に祈る所である。

2024年6月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : kkbn-mita

第20回総会

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2023年9月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : kkbn-mita