【歴】第84回 歴史をひもとく会 バスハイク 報告

 ~常陸国分寺へのバスハイク~

斜め前方に筑波山、左後方遥かに霞ヶ浦、雄大な眺望の中、舟塚山古墳の頂上に佇むと、爽やかな緑の風が吹き抜けていきます。会員一行30名は、6月3日朝8時30分に国分寺駅前を出発し、常磐道を経て、古代ロマンの息づく常陸の国へバスハイクにやってきました。その昔、この地は豊かな産物に恵まれ、人口も多く、付近には大豪族の墳墓が点在しています。この古墳は、全長186m、幅100m、高さ11mの規模を誇る東国第2位の前方後円墳で、5世紀後半の築造、大阪の仁徳天皇稜に共通する特徴を備えているとか。同行していただく地元石岡市観光ボランテイアの方々から詳しく説明を受けた後、次なる行先は本日のメインである常陸国分寺・常陸国分尼寺遺跡です。
東山道沿いの武蔵国分寺に対し、ここは、都から神奈川で海に出て、房総を経て常陸に至る東海道の終点に造られています。当時の常陸の国は大国で、北方民族の蝦夷地に対峙する東日本の軍事拠点、経済・宗教文化の中心地でした。そこに国府が置かれ、特設の国営工房も備え、都から多くの有能な人材が投入されていました。
天平13年に聖武天皇により鎮護国家を祈るため、建てられた常陸国分寺は、戴いた資料によると、壮大な七堂伽藍、七重の塔を備えその高さは65mもあったとか。寺領60町歩、常住僧20名を擁したという。その北方に位置する常陸国分尼寺は法華滅罪之寺と云われ、矢張り広大な寺領に常時10名の尼僧がいたと云われている。
昼食後は観光スポット「看板建築巡り」に石岡市のメインストリートを散策。過去の大火で大半の住居が焼失し、路面部を看板の様に奇抜でモダンな装飾を施して、コリント風・アールデコ調の街並に復興したとか。大正・昭和のレトロな雰囲気を存分に堪能しました。
最後に向かったのは「常陸風土記の丘」。近隣遺跡からの出土品展示館や古代の住居を復元したテーマパークです。近隣で取れる砂鉄を利用した鉄製武具の一大産地であったことが判り興味深い。
雲一つない蒼穹の下、雄大な自然の中で歴史スポットを巡り、悠久の時間に思いを馳せて古代のロマンを大いに満喫したバスハイクでした。
テーマパークの出口で手を振って見送ってくれるボランテイアの方々に別れを告げて帰路に着きました。

以上