【E】第107回Oh!Enkaの会を開催しました

1.日時  平成29年12月17日(日) 10:00~12:00
2.場所  本多公民館・視聴覚室
3.スケジュール
・ 第1部  カレッジソング(塾歌、オール慶應の歌、慶應讃歌)
・ 第2部  講演 「指揮者はつらいよ」 石寺隆義氏(塾員・昭和41年経済学部卒)
・ 第3部  皆で歌おう(琵琶湖周航の歌、よろこびの歌、諸人こぞりて)
・ エール交歓・若き血

今日は視聴覚室がいっぱいになる59名の参加を得て開催されました。
第1部はいつものように、森川先生の伴奏でカレッジソングで始まりました。発声練習の後「塾歌」「オール慶應の歌」「慶應讃歌」の3曲を歌いました。今日の講師で、アマチュアオーケストラの指揮者を長く務められた石寺氏に指揮を執っていただきました。

第2部は立川三田会大石敏雄会長のご紹介で実現しました、昭和41年経済学部卒の石寺隆義氏の「指揮者はつらいよ」と題したミニ講演会です。
石寺氏は中学・高校時代から音楽家を志し、慶應義塾大学で1年間、慶應義塾ワグネル・ソサィエティー・オーケストラに所属、昭和41年に経済学部を卒業後、農林省入省、林野庁、食糧庁、本省各局等を歴任、平成8年に日本中央競馬会理事に就任。退任後は諸法人の役員を務めておられます。
その間40年にわたりアマチュアオーケストラ横須賀交響楽団の指揮者を務められました。
平成11年にイタリア政府から叙勲、平成25年春の叙勲で「瑞宝小綬賞」を受賞 しました。
著書に「ちょっと面白い話」等があります。
農林省時代にはハードな日ソ漁業交渉の担当官としてモスクワに駐在した他、ローマなど海外勤務が豊富です。モスクワ駐在時代には團伊玖磨氏からムソルグスキーの「展覧会の絵」の絵を探して欲しいと頼まれて探し求めたそうです。
今日は、石寺氏から指揮者や作曲家にまつわる非常に興味深い数々のエピソードを、ユーモアを交えて講演いただきました。幾つかを以下に紹介いたします。
①男として一生に一度は上がってみたい「台」は、番台と指揮台だそうです。
前者はともかく、指揮台は大勢のオーケストラ団員を指揮棒1本で自在に操るカリスマに思えますが、実際はそう簡単ではありません。
特にプロのオーケストラともなると団員も音楽への接し方に一家言持っていますから、必ずしも指揮者の言うことを無条件で聞いてくれるわけではありません。指揮者と団員の間には意見の相違があるので一定の緊張関係があります。
「ノダメカンタービレ」というTVドラマがありました。若い指揮者があるコンクールで課題曲を振りましたが、ホルン奏者と意見がぶつかり、険悪な関係となり火花を散らします。最後はお互いに納得してうまくいった、という話です。団員を納得させられる経験と器量があって初めてカリスマとして君臨できます。指揮者も時代により強烈なカリスマ性(フルトヴェングラーやカラヤン等)から、最近は随分民主主義的になりました(アバドやラトル等)。いずれにせよ聴衆が思っているほど楽ではないということです。
オーケストラにはそれぞれ特徴があり、音色も全く違うものになります。特にウィーンフィルは専任指揮者を置きません。ウィーン気質を保持するためあえて専任を置かず、客演指揮者を呼びます。カラヤンでさえウィーンフィルを指揮することは大変だったようです。同じブラームスの交響曲を聴いてもベルリンフィルとウィーンフィルでは全く違います。
②ハイドンの時代の指揮者の役割は、音楽を提供することでした。サロンで食事や会話の妨げに
ならないようなBGM風の優雅な曲が多いのです。これがベートーヴェン以降は劇場型に変わります。優雅な音楽から、フォルテ、迫力、不協和音など聴衆を飽きさせない曲が出てきます。交響曲第3番が典型的です。
専任指揮者として活躍を始めたのは、メンデルスゾーンです。ユダヤ人で実家が銀行家で裕福であったため、指揮に専念できたようです。この頃になると指揮者の役割の一つに、埋もれた名作の発掘・普及があります。メンデルスゾーンはバッハのマタイ受難曲を普及させました。また、新進気鋭の新しい作曲家の作品を取り入れることも重要な役割になります。
③メンデルスゾーンの音楽が繊細なのとは対照的に、新進のワグナーの音楽は音を長く伸ばし、重厚な音楽で、旋法にも画期的な工夫が見られます。ワグナーは革命好きで、ベートーヴェンの交響曲第9番を革命的として高く評価していました。私生活では、指揮者のビューローの妻コジマを愛人とし、トリスタンとイゾルデにその愛を表現しています。これは無調で現代音楽の走りといわれています。
④ブルックナーは田舎のおっさんという感じでオルガニストでもありました。交響曲第3番をワグナーに献呈し、ワグナーも気に入ってくれたので、ウィーンフィルで初演しましたが、団員がブルックナーの指揮を受け入れず、失敗に終わりました。最後に残った聴衆の中にマーラーがいました。マーラーは先見の明がありこの曲を評価していました。
一方マーラーは天才肌のコスモポリタンです。若い奥さん(パルマ)をもらいますが、彼女の社交的なところを気にいらず、閉じ込めてしまいます。パルマも落ち込みますがたまたま知り合ったイタリア人の建築家と不倫関係となります。マーラーは最初のうちは容認していましたが、次第に精神的に侵され、フロイトの診断を仰いだということです。マーラーの曲にはどこか通俗的な部分もあり親しみが持てます。
⑤フルトヴェングラーやカラヤンはマーラーの曲をやりません。マーラーがユダヤ人だったからということです。ナチは当時すでに人気の高かったフルトヴェングラーを宣伝に利用しようとします。ナチの陰謀でカラヤンをライバルとして招聘しました。フルトヴェングラーも次第にナチになびくようになりました。こうした関係から、戦後は不利な状況に置かれたこともあります。フルトヴェングラーの没後はカラヤン帝国となります。そのくらい指揮者の地位は危ういものです。
⑥音楽には絶対音楽と標題音楽があります。絶対音楽に思想は入りません。ブラームスがその好例です。一方標題音楽には思想や筋が入っており、こちらの好例はワグナーです。サガンの「ブラームスはお好き」に題材として取り上げられています。思想が入っていると筋を追ってしまいがちですが、それぞれの楽しみ方があるでしょう。

第3部は再び石寺氏の指揮でこの季節に相応しい歌を歌いました。「琵琶湖周航の歌」は京大ボート部の部歌で、誕生からちょうど今年で100年だということです。塩井代表からメルボルンオリンピックの国内予選で慶應が京大に競り勝ったエピソードなどを紹介していただきました。第1部で歌った「オール慶應の歌」はボートのオールと掛けているとの種明かしもありました。年末なので第九から「よろこびの歌」、クリスマスも近いので「諸人こぞりて」を歌いました。
最後は恒例の平林会員によるエール、肩を組んでの若き血で今年最後の例会をお開きにいたしました。

次回以降の予定:1月20日(土) 10時~12時 本多公民館(視聴覚室) SONGS
2月18日(日) 10時~12時 本多公民館(ホール)
高橋晴彦氏(バリトン歌手)リサイタル

世話役代表:塩井勝也(S41法)
世話役:斎藤信雄(S38政)、金田 一(S42工)、 高橋伸一(S45法)、 久保田宏(S46工)、
池田敏夫(S47商)、芳賀 崇(S47経)、 平林正明(S47経)、 山田 健(S47経)、
井上 徹(S49政)