―聖武天皇在位1300年―
天平の壮大な理念と万葉の心
11月9日(土)午後2時より、東京都公文書館研修室にて、第109回例会が開催された。この日は「会員による歴史談義」として、歴史をひもとく会の前代表世話人の星野信夫さんが登壇。
「―聖武天皇在位1300年―天平の壮大な理念と万葉の心」と題し、明快に、楽しく講演。66名の参加者の心は、武蔵国分寺建立当時の天平の世を彷徨い、同時に、今なお息づく聖武天皇の壮大な理念に思いを馳せた。
<< 講師プロフィール >>≫
昭和19年 国分寺の住職の次男として誕生
昭和42年 経済学部卒 卒業後は学習塾経営の傍ら、地域への関心を深め
平成13年から12年間、国分寺市長を務める
現在、国分寺市の観光協会顧問
<< 講演内容 >>
701年に誕生し、714年に即位した聖武天皇は、父(文武天皇)と幼くして死別、病弱な母とは会えないという環境で育ち、幸せな子ども時代ではなかった。即位後は、護国経典である金光明経(こんこうみょうきょう)を重視した曾祖父の天武天皇を目標とし、教師役であった万葉歌人、山上憶良に強さと優しさを学んだ。
天平年間は、自然災害、疫病(天然痘)が多発、新羅や唐からの外圧もあり、仏教に深く帰依する聖武天皇は、「蓮華蔵世界をこの世に築く」という大願を抱き、天平13(741)年には ①「国分寺建立の詔」を、天平15(743)年には ②大仏造立の詔を出した。①では僧寺と尼寺が一対で建てられ(男女平等)、②では自然との一体感を大切にし(共生)、天皇一人が造るのではなく皆で造ろう(協働)という現代にも通じる壮大な理念が盛り込まれた。
また、聖武天皇の理念には、万葉集の和歌(相聞、挽歌、家族の絆、子への愛情、仏性の発露、東国の人情、庶民の心)に込められた様々な深い思いも反映された。
全国の国分寺建立は、中央文化が地方に伝わり、国家の統一、国と地方の関係強化、地方の平準化を推進させる効果があったが、時を経て、仏教の担い手は国家、貴族から、武士、庶民へと大きく広がった。 その後、東大寺の大仏(盧舎那大仏)は戦乱で2度焼失(1180年、1567年)、武蔵国分寺も「分倍河原の合戦(1333年)」により焼失した。しかし、聖武天皇の理念と心は受け継がれ、盧舎那大仏は勧進により再建、武蔵国分寺は唯一焼け残った薬師如来を本尊として再建された。
1889年には国分寺村が発足(741年聖武天皇の「国分寺建立の詔」が発布されたのと同日の2月14日)。聖武天皇が唱えた理念、「共生と協働」は、今や地方行政の重要テーマとなっている。
2時間に及ぶ講演は、最後に、愛子さまが歌会始で詠まれた歌を紹介し、大きな拍手で終了した。
”幾年の難き時代を乗り越えて 和歌の言葉は我に響きぬ”