三多摩の歴史~明治時代を中心に
明治維新後の新政府は、近代国家の建設を目指し、国家体制の変革を成し遂げていきます。その過程においては、様々な政変を経つつ専断的な政策・統治を押し進めます。激動の明治中期、地方を統治する仕組みが変革されていく中で、我々の住む多摩地方の様相は当時どのようなものであったのか。
今回、この問いへの答えを求めて、令和6年8月31日(土)に気鋭の史料編纂担当者である東京都公文書館専門員の宮崎翔一氏に講演をいただきました。
宮﨑 翔一氏 東京都公文書館専門員(史料編さん担当)
1983年5月生 神奈川県横浜市出身
専修大学文学部人文学科歴史学専攻卒業
同大学院文学研究科歴史学専攻修士課程卒業 同博士後期課程満期退学
八王子市役所市史編さん室 嘱託専門員(近現代部会担当)
法政大学大原社会問題研究所環境アーカイブズ RA
東京都公文書館 史料編さん担当 公文書館専門員(現在)
<< 講演内容 >>
冒頭、講師は配布資料に書かれた三つのテーマ(①廃藩置県後の地方自治体制の変遷、②三多摩における自由民権運動、③三多摩地域の東京府への移管問題に絡む政治活動)を基に、地政学的な解釈から説き起こし、当時、神奈川県に組込まれていた多摩地域を西北南の三郡に分けた仕組みや、郡区町村制が編成されていった経緯を説明していきます。
次に三多摩における自由民権運動や政党活動の変遷を精緻な資料を基に解説し、明治14年の政変以降、国会開設運動の高まり等が三多摩地域をも巻き込んでいく様相を明快に解き明かしています。自由党や立憲改進党の動向や「壮士」といわれる過激な活動家を巻き込み、三多摩における政界の動向や衆議院選挙をめぐる紆余曲折などを詳細に説明。多摩地区は自由党系の強い地域に在りながら改進党の影響下にあるグループも混在するなど複雑な政治状況を呈しています。
更に三多摩の東京府への行政移管問題については、玉川上水の水源確保・水道管理強化の要請や、甲武鉄道の開通が交通事情の劇的な変化をもたらし、行政区画上でのミスマッチを起こし、境域変更に繋がっていく様を手に取るように解説しています。
何といっても秀逸なのは、講師から配布された資料が当時の古文書と、併記された精緻な説明文、解り易い描写がなされており、現存する資料に根付いた論述は信頼性が高いことです。特に近在の馴染みのある地域の古文書が豊富に掲載され、これに纏わる興味深い話が次々と紹介されて、聴衆も大いに引き込まれ、あっという間に講演時間満了となりました。
迷走する超大型台風10号による天候不順にも拘わらず、会場(東京都公文書館研修室)に詰めかけた51名の参加者は、恰も、学生時代の教室に戻った様な雰囲気で咳払い一つ聞こえず、講師の話を聞き漏らすまいと、全員が真剣に配布資料を食い入るように眺め、古文書の文字を目で追いながら、時々頷いている姿が多く見られたのがとても印象的でした。
その脳裏には、わが町の当時の時代の様相が垣間見えていたのではないでしょうか、興味の尽きないところです。
以 上
(文責:小林千晃)