尚商立国論(五)今日の奇論も10~20年後には奇ならず

・我輩は商工社会の地位を高めて立国の要素とするため、「官途の虚威を殺減して先 ず官尊民卑の陋習を
 除き以て双方平均の地位を得させよう」との一説を開陳した。
・この説は今の世では甚だ奇にして容易に行われるとは思わない。特に封建士族の末流たる今の在官の人
 或いは官途熱望の人々は、我輩の云うその虚威を弄ぶ事を一生の目的としており、容易には耳を傾けない
 であろう。
・伝え聞くに、ある人が徳川家康公に言上し、「御鷹、御茶壺の行列に人を避けさせるは無法なり」と諫
 めると、公は「国を治める者には威力が必要。その筋の鷹、茶壺にもこの威あり。まず人心を畏れさせ
 て高望みを断ち、その代りに年貢を薄くし、安楽ならしむべし。これぞ恩威の政事なり」と。ある人,
 公の言に感服したりとの談あり。
・上下尊卑の名分を正して超えることを許さず、農商工業は之を賤業と名付けて賤民に一任し、その賤民
 を視ること子の如くして、富豪は之を抑え貧弱は之を救助して各々その処に安んじさせる、これ即ち徳川
 政治の筆法である。
・最大多数の最大幸福はこの筆法にあったのであろうと懐旧の情を催す折柄、眼を転じて今の世界を見る
 と「人生の運動は自由自在、一身の自活、一地方の自活、利害得失はすべて各自の負担に帰し、優勝劣敗
 は自然の約束であり、虚威も私恩も関係なく唯無情なる約束に依頼して相互に自家の権利を維持する」だ
 けである。
・この風潮に於いては、恩威の談は最早論外となり「政府たる者は国民の父母や師匠ではなく、単に国法
 の議定者・施行者であって、ただ約束を守ったり守らせたりすることに在り」と覚悟せねばならない。
・文明世界全体の定論は,細やかに民利を奨励するよりもその民利の妨害を除くことが専一であり、これを
 我が封建時代の主義と比較すれば、この定論は全く正反対に立つものである。
・そうであれば我が日本国も世界の大勢に背くことは出来ず、その国是を文明開化と定めた以上は残念な
 がら徳川流の恩威政治は断念せざるを得ない。
・文明の約束主義(法治主義の政治のやり方) になろうとする折柄、一旦恩威の一方を断念したならば,
 根底よりその再生を許すべきではない。
・既に之を断絶すれば、官尊の虚威も無益どころか却って有害となることは明白であり、今 我が商業社
 会の面目を一新して立国の要素とするために、先ず官辺の虚威虚名を捨て商工の地位を高くすると云う
 事は朝野に争う者もないと我輩は信ずるが、さて又一方より見れば、口では争わずに心では服さないと
 いう事も人情世界の常なので、我輩は今日我が意見が行われない事を以て恨みとは思わない。
・唯この一説を世の中に公にして他年の時期を待つのみである。
・故老識者の言を聞くに、廃藩の大挙(廃藩置県)も廃藩した時に発したるものではなかったと云う。
・各藩の藩主、老臣等が数百年来の門閥を以て藩政を専らにして領民を支配して来たが、国を開いて世
 界の国々と文明の事を共にしようとするならば、「先ずは内国の大名を廃止すべし」とは徳川政府の末年、
 洋学の漸進と共に極々ひそかに学者社会中に行われていた言であった。
・そうであったからこそ維新の後廃藩の実施に臨みても、天下の有力者にて誰一人としてその非挙を鳴
 らした者はなかったのである。
・故に「官尊民卑の陋習を捨て尚商立国の前途に荊棘を排する」の説も、今日に在ってこそ奇のように
 思えるが、数年の後には尋常一様の事にして之に驚く者は居なくなると云う事は、今人が廃藩の一事を
 聞いても怪しむ者がないと同様の次第となるであろう。
・文明進歩の速力は非常にして、人の思想の変遷は測ることが出来ない。
・維新以来、わずか20余年の間にも、20年前に発言して生命も危うしと思われた劇論も、10年を過ぎれ
 ば人の耳に逆らわず。10年前には到底行わるべからざる事も、今日に至ればこれを実行して非難する者
 なし。
・我輩、過去に照らして将来を想像すれば、自今10年、20年の後には、今日の奇論も必ず奇ならざるの
 時期が到来して、鄙言(ひげん=自分の意見の謙称)の空しからざるを漫に自ら信ずる者なり。

                                     尚商立国論   終

2024年6月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : kkbn-mita