【Y】ヤングサロン第37回講演会を開催しました

2月16日(日)、国分寺労政会館にて34名参加の下、第37回The Young Salonを開催、当三田会会員である中原千明さんを講師にお迎えし、「シニア人材が日本を救う」というテーマでお話し頂きました。 中原さんは1973年に慶応義塾大学を卒業後、都市銀行に入行、不動産や企業年金等幅広い分野で活躍され、退職後61歳で起業、基金運営研究所㈱を設立、一般社団法人年金基金運営相談センター理事長に就任。その後事業を拡大して2013年に㈱CNコンサルティングを設立、シニア人材の雇用と戦力化に尽力、第一戦の経営者として活躍しておられます。 尚、引き続き行われた懇親会には講師を含め19名が参加し、和気藹々の楽しい会となりました。以下に印象的な言葉を抜粋し掲げます。

  1. 自己紹介
    入行後、本部で東日本の営業責任者として厚生年金基金を中心に4兆円という多額の資金を運用するなど様々な業務を行っていたが、その後海外行員の不正問題などによる過重なストレスから髄膜炎を発症。一時社会復帰が絶望視されたが奇跡的に回復。一度は人生も終わったと思った処からの再出発を行った。 日本は生産年齢人口減少がGDPの低下を招き日本経済が落ち込んでいるが、生産年齢人口、15~64歳を10年間伸ばし、75歳位迄とすれば余り悲観しなくても良いのではないかと考えている。
  2. 少子高齢化
    わが国では2025年頃には国民の3人に1人が65歳以上になると見られている。14歳以下の年少人口の山は1955年、続いて段階ジュニアの時代1980年があるが、その後緩やかに減少し、これが生産年齢人口の減少へと繋がる。平均寿命が延びた事で2008年頃迄には人口が増え続けてきたが、それ以降は年少人口の減少により人口増の限界が出てきた。将来的には人口は5,000万人位、独居老人の世帯が3割位で、若い人の単身世帯が1割、計4割が単身になる可能性が高い。
      
               図1 日本の総人口の長期推移:年齢構成別、1880~2115年
    講演資料1

    資料:旧内閣統計局推計、総務省統計局「国勢調査」「推計人口」、国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口」(平成 29 年推計[ 出生中位・死亡中位推計 ])

  3. 高齢者比率の増加による社会保障費の増加
    現状が続けば年金の受給者が増え、支える人がいなくなる事から若い人の負担が増える不安がある。最後は税金を投入する等で厚生年金が破綻する事はないが、全体として貧しくなる。 働き方改革による高齢者雇用機会の創出、年金の支給開始年齢の引上げ、シニア人材、女性、外国人労働者の活用等様々な努力・取り組みがなされているが、シニア人材の活用・頑張りが日本を救う大きな力になると考えている。
  4. シニアが持っている魅力
    シニアは業種を問わず経験が豊富。仕事・趣味・プライベートを問わず色々な人脈があり、コミュニケーション能力がある。また賃金よりもむしろ生きがいを求める人や社会貢献を望む人も多い。
  5. 再就職が難しいのは何故か - シニア人材の問題点と課題
    シニア側の問題点としては過去の実績・手法・栄光にしがみつくことで、組織チームの中で浮いてしまい、結果ぞんざいな態度をとる人や、ポスト・報酬に不満を持つ人もいて、会社が受け入れたとしてもチームとして働く上で大きな問題を抱える人もいる。 米国を始め海外では会社の人材募集において年齢・性別不問という所が殆どだと思う。今後多様性のある人が活躍できる社会になっていくのではないか。シニアに頑張って欲しいというのが自分の考えである。
  6. 現役としての心構え
    健康に生きて
    きちんと食事ができる事に感謝。会社が収益を上げ税金を納め、雇用を増やす事で社会に貢献できる事に感謝。アイデアがあったらすぐに行動に移すことを自分の信条にしている。今日より明日、明日より明後日と日々研鑽し、世の中の観察、その変化に気づく事が極めて重要である。

                       <<< レジュメ <<<

Ⅰ. 取り巻く労働市場環境
日本が直面する厳しい現実『少子高齢化』への対応 ⇒ 減少する人口と増加する高齢者比率

  1. 国民の『約3人に1人が65歳以上』という高齢化社会が到来
  2. 高齢者比率の増過による社会保障費の増加
  3. 国も推し進める『シニア人材の活用』
  4. シニア人材向けの再就職に特化した人材派遣会社・求人サイトの増加

Ⅱ. シニアが持っている魅力
積み上げてきた『経験』は知識に勝る

  1. ベテランならではの安心感
  2. 幅広い人脈
  3. 賃金の多寡に関係ない『旺盛な労働意欲』
  4. 『社会貢献』への意識
  5. 成功体験と失敗体験の蓄積
  6. 即戦力となりうる豊富な人材

Ⅲ. 再就職が難しいのは何故か?
シニア人材が抱える『問題点や課題』を再認識する

  1. シニア人材の受け入れ体制が十分ではないこと
  2. シニア本人の高いプライドや実績への拘り・再就職先の給与やポスト等の待遇に不満を持つ
  3. ・社内に上下関係を作りたがる
  4. ・過去の実績や栄光にしがみついている
  5. 社会環境の変化への対応が苦手・パソコン・スマホ等、新しい機械に慣れるまでに時間がかかる
  6. ・経験のない仕事に『尻込み』してしまう
  7. ハングリー精神の欠如
  8. 健康面・体力面の不安

Ⅳ. 企業が『シニア人材』に求めるものとは?

  1. 会社を離れても『売りになるスキル』を持っていること
  2. 周囲の人に必要とされる人間であること
  3. 心身ともに健康管理をしっかり行うこと
  4. ポジティブであること

◎最後に

生涯現役でいるための心構え

  1. 感謝の気持ち
  2. 今日より明日、明日より明後日
  3. 世の中をよく観察すること

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【C】La Madre Cooking の2019年

平成から令和に移りゆく2019年におけるLa Madre Cookingの活動を振返ってみます。投稿のタイミングが大変ずれましたがご了承ください。

1.心和む実習

いつも温和で優しい先生の真剣かつ熱血感溢れるご指導のもと、食の安心・安全、食品ロスの削減を絶対要件として我々の年齢に合ったカラダに優しい家庭料理を中心に主菜からデザートまで、幅広い範疇の実習を6回行いました。毎回のことですが、緊張感を持ってレシピに接し、先生の説明を聞いたあとは好奇心と早く調理をしなくてはといった思いで頭がいっぱいとなりますが、最後には美味しかったと満足感に浸った充実感溢れる時の流れが心を温かくしてくれました。

2.いくつかの回想

〇アジの3枚おろしに手こずる → 野口さんはアジの達人! 料理は修行とセンス、痛感しました。                  〇鯛のかぶと煮の煮汁が最高 → おかわりのご飯のおかずは煮汁です。                         〇米寿の丸山さんが大活躍 → 元気溢れる実習の姿、もりもり美味しそうに食べる姿に感動しました。               〇肉は厚いのがいい → 焼くのが大変と思いきや、旨味がギッシリ! 先生の説明が良く理解できました。                  〇れんこんのポタージュジュにビックリ → 何とも地味で味わい深く驚きました。

3.数字から見た料理実習

登録会員数:26人、専任講師:1名(伊藤先生)、料理実習回数:6回、開催場所:ひかりプラザ生活実習室、実習延参加人数:103名(1回平均17名)、参加率67.3%、1回平均実習費用(先生への謝礼、食材・調味料ほか購入費用):38,061円、1食平均単価:2,095円                                      先生が事前に行う「献立とレシピの検討・作成、食の安心・安全に配慮した食材の選定、特殊な食材・調味料の調達」、そして実習当日には4時間に及ばんとする「面白おかしいレシピの説明、懇切丁寧な個別指導」、更に我々生徒が購入した食材を使って調理した素人料理を先生が生徒と一緒に楽しそう(かつ美味しそう?)に召し上がっていただく一連の価値は、単純計算したランチ代(2,095円)よりはるかに上回る(金額換算は不可能)ものだと思っています。

4.控えめなメイン料理

和食4回、アジアン食1回、洋食1回です。豪華とはいえないごく普通の控えめな家庭料理です。                 ガパオライス(1月)、あじのハーブ焼き(3月)、鯛のかぶと煮(6月)、冷やしカレーうどん(8月)、鶏肉とさつまいもの炒り煮(10月)、豚ロースのピッカータ(12月)                                   3月の実習ではアジの3枚おろしに挑戦しましたが、参加者のほとんどが初めての経験で、教室は熱気に包まれ真剣勝負の修羅場と化していました。さかなのさばきに経験豊富な野口さんから、参加者の目の前で包丁さばきや納得感十分な数々の知識を披露していただき、玄人はだしの知識と腕前に一同感心しました。

5.年齢に調和した食材

鶏肉2回、豚肉2回、魚類2回です。                                         我々の分科会はカラダと懐に優しく年齢に調和した食材がメインの料理教室だと一目瞭然で分かります。福沢諭吉が著書「肉食之説」(肉食を薦めるための宣伝用ともいえる書籍だそうです)の中で推奨した牛肉がテーブルの上に登場することはありませんでした。我々生徒はヒンドゥー教徒ではないので、先生は我々の年齢だけでなく予算(毎回の参加費)的な制約も考慮されているのかも知れません。

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【E】第130回Oh!Enkaの会を開催しました。

1.日時:1月19日(土)午前10時から12時

2.会場:本多公民館 視聴覚室

3.ピアノ伴奏・歌唱指導:森川由美子先生

4.出席者:26名

・準備体操の後、発声練習を行いました。

5.歌唱曲目

・雪の降る街を

歌詞の1番から3番の情景の違いを表現する歌い方を練習しました。

・冬の星座

冬の冴えわたった夜空を思いながら、のびのびと歌いました。

・サンタルチア

曲の終わりの寂の部分を、色のある(カッコ良く)聞こえるような歌い方を練習しました。

・早春賦

歌い出しから2小節で、1オクターブ以上一気に歌い上げる難しい曲ですが、

その高音部を楽に歌うテクニック(始めから高いポジションを狙って歌う)を練習しました。

・ペチカ

楽しい響きが出るような指導を受け、息の出し方、口角の上げ方、横隔膜の使い方を練習しました。

「ペチカ」の周りを囲む楽しい様子が浮かぶ歌い方が出来たようです。

最後に、まるく輪になり「今日の日はさようなら」を歌って閉会となりました。

 

【歴】第92回 歴史をひもとく会 開催報告

幕末大河ドラマと現代社会

ー『篤姫』を例にー

第92回講演会が1月11日(土)本多公民館において56名の出席の下、開催されました。講師はテレビでもお馴染みの東京学芸大学名誉教授 大石 学氏。NHK大河ドラマをはじめ数多くのテレビ番組の時代考証を担当されている大石氏に今回は「幕末大河ドラマと現代社会~『篤姫』を例に~」というテーマでご講演頂きました。大変分かりやすい語り口で、内容も切り口が新鮮で充実しており、大変好評を博したようで、終了時には会場は大きな拍手に包まれました。IMG_2518 (2)

<講師紹介>

1953年東京都生まれ、
東京学芸大学大学院修士課程修了、
筑波大学大学院博士課程単位取得、
東京学芸大学教授・副学長等を経て、
現在は東京学芸大学名誉教授、
独立行政法人日本芸術文化振興会監事、
ご専門は日本近世史

<主な講演内容>

まず、「新選組!」「篤姫」「龍馬伝」「八重の桜」「花燃ゆ」「西郷どん」という幕末から明治維新を描いた大河ドラマのそれぞれの狙いを解説、さらにそれらのドラマに共通するテーマは、「西高東低」と「英雄史観」の克服であり、「江戸の達成」としての明治維新、「官僚革命」と官軍の包容力・懐の深さ、「オールジャパン」そして「女性の活躍」にあったとのこと。

次に「新しい江戸のイメージ」と題して、大河ドラマの江戸は、従来のチャンバラ、勧善懲悪の時代劇ではなく、むしろ江戸という時代における現代劇である。江戸時代は約250年以上内外共に戦いのなかった平和な時代でありこれは世界的に見ても稀有の社会と言える。こうした中で特に江戸の治安の良さには当時来日していた多くの外国人たちが驚いており、数多くの文書に残されている。例を挙げれば「帯刀した者たちの間で流血事件が起きるということはめったになく、この国の人間の性来の善良さと礼儀正しさを存分に物語っている」(仏海軍士官E・スエソン)「槍の刃先、銃の銃口さえもが丁寧に鞘に包まれている」(プロシア外交官ルドルフ・リンダウ)「警察の機能は騒動とか犯罪を強力をもって防遏(ぼうあつ)するというよりは、これを未然に防止するように仕組まれている」(蘭海軍リッター・ホイセン・ファン・カッテンディーケ)幕府の役人は二刀を帯びているが、「長い刀は戦の際の武器で、親しい人間の家では体から離すのが礼儀である。短い刀は専ら自殺用の武器である。それ故友人の家を訪れた際にこれを身につけていても何等無礼ではない」(仏人C・モンブラン)「日本人の間では汚名を蒙り、屈辱を受けた場合には自殺するのがふつうのことであり、そのための道具を手許に用意しておくのが絶対に必要なことである」(蘭人イザーク.ティチング)

江戸時代は識字率も高く、庶民が高札に集まって読んでいた。役所も高札をひらがなで書くこともあったという。また、女性像も抑圧された女性像から自立的・社会的な女性像へと大きく変化しており、自ら離婚する女性、知行権を持つ武家女性、家相続をする庶民女性、駆け込みをする女性、心中・不倫などの事件を起こす女性、手習い(寺子屋)の女性師匠などが現れて来た。このことも多くの外国人が書物に残しており、「おそらく東洋で女性にこれほど多くの自由と社会的享楽が与えられている国はないだろう。(中略)女性の地位は東洋よりも、むしろ西洋で彼女たちが占めているところに近い」(英公使館書記官ローレンス・オリファント)「子供たちが男女を問わず、またすべての階層を通じて必ず初等学校に送られ、そこで読み書きを学び、また自国の歴史に関するいくらかの知識を与えられるといっている」(エルギン卿遣日使節録)「日本における女子の地位は、世界の大抵の国とは異なれり。女子は何の汚辱もなく、清き結婚生活を送り、女子は適当の年齢に達するまでは両親の膝下に愛育せらる。余は三四歳の数多の少女の余念もなく嬉戯しつゝあるを見たり」(英軍医デー・エフ・レンニー)「支那の貴女にありては、外人を見るや否や逃げ去るを以て礼となせども、日本にありては吾人(外人)と遇ひたればとて、聊かも恐怖の状を示さず、平然として常とかわる異なることなし。茶屋にては、女子は微笑を以て来り、吾人のまはりに集ひて衣服などを験し、時には握手することをさへ学べり」(英植物学者ロバート・フォルチューン)等の著述が残っているとのこと。

また、大河ドラマにおいては江戸時代像そのものの見方も変化している。それは次の3つの点の変化である。①未開から文明へ(貨幣経済の進展、文字の普及など)、②豊臣秀吉の「惣無事(大名の私闘を禁じる)」政策に続く「Pax Tokugawana 徳川の平和」、③「封建制から early modernへ」=「近代」との断絶から連続へ。具体的には、江戸時代は、統一的国家体制が整備され、民間社会が成熟し、列島の均質化が大いに進んだ時代といえ、現代日本の政治的・社会的問題となっている東京一極集中や官僚指導、あるいは社会の均質化などの諸現象は、江戸時代以来の400年という長い時間の中で形成されてきたものと言えるとのこと。そして「国家―国民」という関係から見れば、日本史上初めて国家が対外関係において国民を管理する時代が到来したということであり、江戸幕府は、日本史上初めて列島規模で国民を管理した権力であったと言えるとのこと。まとめれば、江戸時代は、現代の私たちの国家・社会に連なるさまざまな要素の成立・発展の過程であり、従来の「近代と断絶的な江戸時代像」から「近代と連続的な江戸時代像」へ、今日グローバル化のもとで、変質・解体しつつある日本型社会・日本型システムの成立・発展期としてとらえられるということ。

 

後半は、大河ドラマ「篤姫」と「役割」「家族」論と題して、幕府の中枢にいた女性の視点から見た初めての大河ドラマである「篤姫」の場面やセリフをとりあげ、「篤姫」が「役割」「家族」という視点から現代社会に問題を提起する作品であったことを分かりやすく説明された。多くの参加者が改めて作品に感動し、「目から鱗」という感想を持った方も多かったと思われる。

江戸時代の「士農工商」という区分は、決して厳しい上下関係ではなく、むしろ横の関係で、武士、農民、職人、商人がそれぞれの役割を果たすことで社会が成り立っていた。

幼少の篤姫が母から武家と農民の違いは上下関係ではなく、その役割にあると教えられ、これが生涯を通じて篤姫の思考の根底にあったということ。また、天保の改革で財政を立て直した薩摩の家老調所広郷が、その厳しい政治に不満を抱く篤姫に「それが手前の役割にて」と覚悟のほどを伝える場面、安政の大獄を指揮した井伊直弼を天璋院(篤姫)が責めるのに対し、井伊が「私は役割を果たしたまで」と覚悟と強い信念を天璋院に伝える場面、皇女和宮が婚約を破棄して徳川家茂に嫁ぐ際、お付きの女官庭田嗣子に「こたびの婚儀、私がお受けいたしましたのは、御上から授かったお役目のため、日本国の太平を開かんとするためじゃ」「私はそのお役目を果たすべく江戸に行く」と語った場面、最終回での天璋院と勝海舟との会話で「ただ天璋院様と話していると、生きることに勇気が湧きまする。この世とは、虚しいこと、つまらぬことなどひとつとしてないのだと」「それはそうじゃ。誰もが天命、果たすべき何かを持ってこの世に生まれてくるのだからな・・・」「果たすべき何か・・・」「そうじゃ。天命じゃ」と語り合う場面。これらの役割(役目)論はそれぞれの人間が、それぞれの立場に基づく正義や役割を自覚することによって、運命に立ち向かう(あるいは受け入れる)姿を描いており、従来の時代劇の勧善懲悪という図式ではないということ。

また、次期将軍を巡る争いの中で、松平春嶽ではなく井伊直弼をとることにした家定が篤姫にいう「徳川将軍家を守りたいがためじゃ」「わしの家族をな」という場面、家茂と初めて心が通じたと思った天璋院が家茂に「私はひとり残されたのではなかったのですね・・・。あなたという新しい家族が出来たのですね」という場面。豊臣時代から江戸時代を通じて成立してきた「家」「家族」を単位とする生産・生活の習慣や文化(生活習慣、年中行事、人生儀礼)もこの時代に確立し、現代の私たちの生活に直接つながる要素として列島社会に定着していったということが言えるとのこと。

 以 上

【Y】第36回The Young Salonの会を開催しました

12月14日(土)都立多摩図書館にて49名の参加の下、第36回The Young Salonを開催しました。
講師として慶應義塾大学総合政策学部教授柳町功氏をお迎えし、「今日の韓国と日韓関係」をテーマにお話し頂きました。柳町功氏は1984年慶應義塾大学を卒業、1990年に同大学大学院博士課程単位取得、在学中に韓国の延世大学に2年間留学、その後名古屋商科大学助教授・慶應義塾大学総合政策学部助教授を経て同教授に就任、その間2008年に慶應義塾大学より博士号を取得、UCLA訪問研究員・延世大学客員教授・アジア経営学会常任理事等を歴任、更に、現代韓国論、東アジア経営史・財閥史を専門分野とし、数多くの著作を上梓されています。
尚、引き続き行われた懇親会には講師を含め20名が参加し、和気藹々の楽しい会となりました。
講演のレジュメは以下の通りです。

第36回ヤングサロン講演会

2019年12月14日

今日の韓国と日韓関係

慶應義塾大学 柳町 功

<自己紹介>

  1. はじめに
    ・「今日の韓国(国内)問題」と「対日本問題」との根底に流れる理念とは?
    ・文在寅政権としての特徴、それ以前の政権との共通点とは?
    ・キーワードとしての「積弊清算」と「建国史観」
  2. 歴代政権の政治理念
    ・最高権力者列伝:李承晩、尹潽善、張勉、朴正熙、全斗煥、盧泰愚、  金泳三、金大中、盧武鉉、李明博、朴槿恵、文在寅
    ・1987年「民主化宣言」とその後の政治的、経済的変化
    ・大韓民国憲法にみられる理念(1987改正)
    「悠久な歴史と伝統に輝く我々大韓国民は、31運動で建立された大韓民国臨時政府の法統と、不義に抗拒した419民主理念を継承し、・・・」
  3. 文在寅政権の政治理念(建国史観)
    ・大韓帝国・日韓併合(1910)、独立宣言・三一運動(1919)、  大韓民国臨時政府(上海)、解放(1945)、政府樹立(1948)、
    =建国史観(光復説演説 8.15)<2017/2018/2019>
    =「大韓民国」建国は1919か、1948か
    →米軍政期(1945-48)の否定?
    ・韓国と日本の視角差異、理念と現実
    韓国:植民地時代「日帝時代」(1910~45)を重視
    日本:国交回復後(1965~)を重視
    ・理念対立・・・進歩と保守、理念と現実、対財閥・・・バッシングと接近
    ・「歴史の立て直し」(金泳三)「5.18特別法」による全斗煥・盧泰愚の 逮捕(→起訴、死刑・無期判決→大統領特赦)
    大統領=遡及法も、特赦も
    ・政権の主要人物(進歩勢力・・・反体制、反財閥、・・・)
    ・任鍾晳(イム・ジョンソク)=青瓦台・大統領秘書室長(前)。
    林秀卿(イム・スギョン)秘密訪朝事件を主導、逮捕・服役→左翼政治家。
    ・曺国(チョ・グク)=青瓦台・民情首席秘書官、法務部長官(前)。
    ソウル大教授。
    ・張夏成(チャン・ハソン)=青瓦台・政策室長(前)。高麗大教授。
    経済改革連帯、反サムスン。
    ・金尚祚(キム・サンジョ)=公正去来委員会委員長→政策室長(現)。
    漢城大教授。経済改革連帯、反サムスン。
  4. 2018年10月・11月の徴用工判決
    ・司法=大法院(最高裁)の判断(2012)
    「個人請求権は消滅していない」
    ・・・ 個人の損害賠償請求権は、日本の植民地統治が「不法」であり、
    日本企業による「徴用」がこれに直結していたため。
    ・日韓基本条約(1965)への視角差 ・・・
    日本=合法、韓国=不法・無効
    ・文在寅政権になっての判決(2018年10月・11月)
    →「建国史観の外交への遡及的持ち込み」(倉田秀也)
    =「歴史の読み替え」
  5. 司法の影響力強化 →「積弊清算」
    ・司法 →国内政治(曺国問題) ・・・青瓦台・政府「検察改革」 VS 検察   →外交(対日)
    →財閥(崔順実ゲートに、サムスン経営権継承)
    ・検察総長・尹錫悦(58、ユン・ソクヨル) ・・・1987民主化宣言時 (20代)=現在の50代
    崔順実ゲート特別検察官のチーム長、ソウル中央地検検事正
    李明博元大統領の逮捕・起訴(=収賄容疑)
    梁承泰(ヤン・スンテ)前大法院長の逮捕・起訴(=朴槿恵前政権の徴用工 問題介入疑惑)
  6. まとめ
    ・「日本の植民地統治は不法」とする建国史観 → 戦後日韓関係の歪み
    ・新旧両面を持つ「積弊清算」と「建国史観」
    ・理念と現実のズレ
    ・世論(民心)、言論の存在
    ・(グローバル)市場の存在

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【麻】『麻雀会』2020年(令和2年)1月、第7回白鳥杯新春チャンピオン大会開催!

当麻雀会では新春早々の令和2年1月4日(土)、第7回白鳥杯争奪戦チャンピオン大会をJR国分寺駅北口より徒歩2分の雀荘「まあじゃんMAP国分寺店」で開催しました。昨年は国立の雀荘「キャベツ」でしたが、麻雀人口の減少のため閉店となり、新たに国分寺の雀荘店を開拓。このところ国分寺『三千院』⇒国立『キャベツ』⇒『まあじゃんMAP国分寺店』と3回雀荘を変えています。

新春早々の雀荘は、ほぼ当三田会の麻雀卓3卓で占拠する状況。お店はすこし狭いですが、タバコを吸う人も少なく、気分のよい大会となりました。

今年のチヤンピオン大会は、昨年の月例会優勝者から6名(岩堀、利根川、安齋、大石、常谷、篠崎、)とワイルドカードから出場権を得た6名(菅谷、加藤、小林、岩田、平林、咲花)計12名(3卓)での熱い闘いに。小林隆夫さんは昨年体調を崩されていましたが、大好きな麻雀に復帰。今回は12名中半数の6名がS45年卒以降の会員で若手の参加者が増えた大会で盛り上がりました。

先ず、昨年の優勝者安齋さんから優勝カップの返還式。正月らしくシャンパンで乾杯、写真撮影の後にプレイを開始。プレイは10時30分~7時間に及ぶ長期戦なので、体力と知力が勝負の決め手です。また、これまでの得点により途中3回、組合せを再編成します。これは参加者全員に公平に優勝のチャンスを与えるための麻雀卓のリフレッシュ。メンバー一同、大物の手造りを狙い奮闘しました。

熱戦した結果、栄えある「白鳥杯」を獲得したチャンピオン優勝者は、岩堀さん(S39政)。2位は大石さん(立川三田会)。3位は菅谷さん(S37経)。の順となり経験豊富な年配者が上位を独占。今後、若手の奮起が期待される闘いとなりました。

今回は大物手役として篠崎さんが2年連続、四暗刻の役満を和了。役満和了者には今年からご褒美として1人当たり500円をカンパすることにし、新春らしいお祝いを。篠崎さんも賞金をゲットし、大満足でした。また珍しい手役として面前でホンイツ、一通、ドラドラ、中の親の倍満の和了もありました。

新年会は場所を変え、南口の居酒屋『和民』にて開催。参加者の持ち寄った賞品を取り揃え、全員でプレゼント交換。プレゼント交換は入賞できなかった人に優先権があり、順次、多くの賞品の中から自分の好きなものをゲット。話題も弾み、満ち足りた一時を過ごしました。

最後に長年麻雀をやっていると麻雀にも麻雀道があるのではないかとの疑問をもち、少し調べてみました。すると麻雀道を極めていく上でとても重要な言葉を発見。それは麻雀の品格を表わす『牌品高(パイピンカオ)』という言葉です。品格ある打ち手を目指すには13の牌に敬意を払うこと。捨て牌の河に敬意を払うこと。そして相手に敬意を払うこと。この心得が出来るようになると麻雀道『牌品高』(パイピンカオ)が出来てくるようです。麻雀道の品格を目指すと単なる勝ち負けから更に高い次元で麻雀を見つめ直す機会となり麻雀の面白さ、魅力が更に深まるようです。

今年度の闘いは、昨年12月の例会から始まっています。脳の活性化も期待できる健康麻雀に励み、麻雀道を極め、品格ある打ち手を目指す新たな挑戦に。麻雀が益々面白くなりそうです。参加メンバーも若返ってきており、リフレッショできる機会も多いので学生時代麻雀に溺れた経験者は是非一度麻雀会に遊びにきてください。一緒に楽しみましょう。

麻雀会世話役

【蕎】第59回「蕎麦っけの会」を開催しました!

第59回「蕎麦っけの会」恒例の忘年会は、2019年12月21日(土)、国立「きょうや」で25名の参加にて開催しました。今回は、麻雀分科会との兼ね合いから、いつもより30分遅い18時のスタート。しかし、事前に「予行練習」をされていた方々もチラホラ

冒頭、菅谷さん(37年経)から開会のご挨拶と乾杯のご発声。その後、いつもながらの美味しいお料理がスタート。最初の八寸は創作料理の真髄。蕎麦の実が美味しい~。早々と店のご亭主から「いつも御贔屓にしていただきありがとうございます。ところで、お酒の会でしたっけ?お蕎麦の会でしたっけ」との挨拶に、一同、ドット爆笑。

お酒は新潟の銘酒「吉乃川」ですが、お店の給仕円滑化のため、各テーブルに一升瓶を配っております(写真参照)。宴たけなわの頃には、今年活躍した慶應野球部の優勝の勝因等の詳細なお話を東島さん(38年文)にいただきました。東島さん、いつもいつもありがとうございます!

こうして、楽しい時間を過ごしつつ、美味しいお料理とお蕎麦を堪能した後、締めくくりとして井上さん(49年政)の名指揮による「若き血」となりました。ゆく年くる年、「令和2年はオリンピックの年。良い年でありますように」と、一同心を込めて祈りつつ、中締めとなりました。

なお、会計後、ご亭主から「お酒の量は新記録でした。。。」と耳打ちされましたことを申し添えさせていただきます。次回第60回は4月4日(土)に、お花見も兼ねての会を催す予定です(日程変更の可能性あり)。よろしくお願いいたします。

(世話役。野田(52年経))

【E】第129回Oh!Enkaの会を開催しました

1.日時   令和元年12月15日(日)10;00~12:00
2.会場   本多公民館・視聴覚室
3.出席者  会員(国分寺三田会、国分寺稲門会):47名、
・      非会員(会員家族・同伴者):4名
・      計51名
4.プログラム 講演会
・   演題 : 皇太子の先生になった人 小泉信三
・   講師 : 慶應義塾大学 福澤研究センター 准教授 都倉武之
・       (都倉准教授のプロフィールについては下記ご参照ください)

今日は塾歌斉唱のあとすぐに都倉准教授の講演会が始まりました。
平成から令和に変わった本年ならではの、時宜を得た誠に興味深い講義内容でした。

【講演要旨】
・福澤研究センターは福澤先生を通して近代日本を問うということが設立の趣旨である。慶應義塾が近代日本に対して問題を問いかけ続けているということを訴えていくことが使命である。福澤先生の思想を先生が生きてきた時代とそのあとの時代も含めて、どう解釈して教育に生かしてきたのか、生かし切れなかったところがあるのかを考えてきた。その延長の中で小泉信三先生がどういう教育をされたのか、福澤思想をどう解釈してきたのかも研究対象にしてきた。最近は1968-69年代の学生運動の調査、その中での慶應の位置づけの研究等にも手を広げている。

{はじめに}
・小泉信三(1888~1966)のイメージ
体育会の神様(「練習は不可能を可能にする」・小泉体育賞)としてよく知られている。経済学者であり、反マルクス主義の保守論客である。
戦時中塾長を務め、長男は戦死し「海軍主計大尉小泉信吉」を著し、学徒出陣もあった。戦後は皇室と深く関わり、東宮御教育参与を務め、皇太子のご成婚に尽力された。
戦時中に塾長だったことが小泉信三の評価を難しくしており、否定的評価を抱いている先生方もおり、一方では小泉の下で過ごした時代を誇りに思っている方もたくさんいた。アンチ小泉と小泉万歳の両極端に別れる中、小泉研究はタブーで、15年前は誰も手を付けなかった。研究すること自体を批判され、相当不快な思いもした。続々本が出る現在は隔世の感がある。歴史上の存在として議論され始めたということか。
・2008年11月の慶應義塾創立150年記念式典に天皇・皇后両陛下の行幸啓があった。90年、100年式典にも昭和天皇が行幸されている(75年式典は秩父宮)。
私学に天皇が行幸することは慶應の存在位置が変わったこと、また小泉信三の存在が大きい。その他小泉信三展、福澤諭吉展等にも天皇皇后、秋篠宮がお出でになっている。
・上皇が42歳の誕生日を前にした記者会見で、自分が影響を受けた人として小泉信三、安倍能成(学習院院長)、坪井忠二(東大理系、科学者としての天皇を育てた)を挙げている。
・平成の天皇の時代の評価は高い。国民に寄り添い(災害・事件・弱者)、戦争と向き合う姿勢が評価されている。昭和の時代は戦争あるいは天皇制というイデオロギー的な論争があったが、平成はそうしたイデオロギーから遠い存在になっていった。一方では「象徴天皇」論が深まらなかったという点は否めない。
・今年8月に田島道治の「拝謁記」が公表されたが、田島は主権者としての昭和天皇を象徴としての天皇に軌道修正していった。昭和天皇にとっての「象徴」は、消極的であることに意味があった。
小泉は「象徴」を積極的に解釈して意味を与えることを天皇に促した。その背景に福澤諭吉の思想が活かされた。
天皇は憲法に定めるとおり「世襲制」のものでありかつ「日本国民の総意に基づく」ものである。小泉は、難しい存在であることを天皇が自覚し責任を持つよう求めた。

{1.父小泉信吉と福澤諭吉}
①小泉信吉(のぶきち・1849~1894)は紀州藩出身で、慶應2年に福澤門下に入った。この頃中津、紀州、長岡が塾の三藩といわれ特に門下生が多かった。いずれも幕府に近い藩であり、明治になって政府から距離を置き、もの申す立場がここに芽生えていた。紀州出身者には重要な人物が多くいた。松山棟庵(福澤の主治医・慈恵医大の創立者の一人)、和田義郎(幼稚舎創立者)、鎌田栄吉(25年以上塾長を務めた)等。
・維新の混乱時も福澤と行動を共にし、英国留学を経て大蔵省、横浜正金銀行、日本銀行の要職を歴任した。
・明治20年福澤が呼び戻し塾長となり、大学部の設置に尽力した。その後間もなく福澤と衝突し、修復しないまま若くして亡くなった。
・福澤は信吉を高く評価しており、死後も塾の代表的人物として名を挙げている。「演説は小泉の発案、くれぐれも憶えておいてくれるように」「気品の泉源、智徳の模範」等の発言がある。また、死の翌日長文の弔辞を書き上げ小泉家に届けた。小泉家の子供たちはこれをもって父の姿に学ぶことを怠らなかった。
その中で「その心事剛毅にして寡欲、品行方正にして能く物を容れ、言行温和にして自から他を畏敬せしむる」「能く本塾の精神を代表して一般の模範たるべき人物は、君を措て他に甚だ多からず」と絶賛している。

②福澤における父の意味への着目
・小泉信三は、福澤にとって父親の存在は非常に大きく、父を慕いその名を辱めぬことを期していたことを発見した。これは小泉が皇室に求めた役割を考えることにつながる。
・福澤の父(百助)の生涯は封建制度・身分社会に束縛され満足な学問が出来なかった。その姿を見て儒教に批判的な人格が形成された。「門閥制度は親の敵で御座る」
・父の存在が大きいということを最初に小泉が言い出した。「モラルバックボーン」
・これを指摘した小泉も同じく父の存在の影響を強く受け、自分を律していた。

{2.慶應義塾における小泉信三}
①慶應義塾のサラブレッド
・小泉信三は明治21年三田に生まれた。
・父が早世したあと、小泉家は福澤邸に同居、後に福澤が新居も手配した(今も残っている)。
・妻とみは阿部泰蔵の娘であり、兄と小泉は大の親友であった。(阿部泰蔵は門下生でウェーランドの講義を聴いていた一人・明治生命の創設者)
・小泉は幼少時福澤と接していたが、たわいもないことだけ覚えていることを悔やんでいた(福澤は青い鳥)。
・福澤の死の翌年に普通部に入学した。
・小泉は塾の学風が気に入っており、特に教員や塾員に対しても、さん付けで呼んでいたことが、人をその肩書きによらず、その真実の徳と功とによって評価しようとする一種の気風を吹き込む効果があった、と言っている。

②スポーツの良き理解者
・庭球部の名選手であり、キャプテンも務めた。後に部長も務めた。当時官学が強かったが、私学として対抗し倒していった。明治の終わり頃には官学は淘汰された。
・スポーツが教育上どういう意味を持つかを深く考えた。学徒出陣の際に最後の早慶戦を実行した。
・「スポーツが与える三つの宝」~練習が不可能を可能にする体験・フェアプレーの精神・友
・小泉は「文武双全」という言葉を使っている(「文武両道」は儒教的)。
・スポーツの教育的意義を重視しており、教育としてのスポーツは人格形成に資すると考えていた。「かりに対校競技に熱中した体験を持たずに終わった学生生活は、学生生活というに値しない、という者があっても、それはさほどの言い過ぎとは思われない。たかが運動競技などというのは、出世主義の秀才あたりの言い草に過ぎない」(毎日新聞コラム)

③リベラルな経済学者
・福田徳三(政治学科・経済理論の先駆者)に学び、強い影響を受けた。
・教員となり、当時席巻していたマルクス主義に対抗して保守論陣を張った。戦後の左翼的風潮にも対抗した。「儒教に対する福澤、マルクス主義に対する小泉」

④困難な時代の塾長(1933~1947)
・日吉開設、藤原工大開校、三田の環境整備を行った。
・塾生の規律・気品に厳しく、自ら注意することもあった。
・戦中の塾長として、官学主体の論調の中、塾存続に苦悩、苦労した。
・学徒出陣、空襲を経験し、また子息を亡くし、自らも重傷を負うという苦難に満ちた時期であった。
・戦時下の言論界での福澤批判(特に徳富蘇峰の功利主義・個人主義・独立自尊の批判)の矢面に立ち、自ら反論した。
・私学存続の厳しい道のりの中、福澤創始の私立を守ることへの小泉信三固有の使命感を持っていた。
・戦後は戦争責任論については塾内で微妙な関係にあり、教壇に戻ることはなかった。

{3.東宮御教育参与としての小泉信三}
・戦争末期から終戦をまたいで戦後まで、政府には小泉待望論があった。
・特に戦後の待望論の背景には、民主主義の祖としての福澤諭吉、「帝室論」の存在、戦争中の態度(軍部・政府に阿らない)、戦中の不幸な体験、マルクス主義批判のリベラリストという要素がある。
・一方では塾内にも小泉否定論はあった。戦争責任やマルクス主義批判や皇室と関わりを持つことは政府迎合、御用学者と批判する向きもあった。
・東宮の教育責任者を要請された時、官職に就くことを固辞し、民間人として東宮御教育参与(昭和21年)、東宮御教育常時参与となった(昭和24年)。戦後間もない頃から内閣顧問、文部大臣、宮内庁長官を要請されたが一貫して断っている。(昭和23年宮内庁長官には田島道治が就任している)

①福澤の「帝室論」(明治15年刊行)を皇太子と小泉が音読し、意味について議論した。
・「政治社外」(天皇を政治と切り離すべきである)として、天皇は国民を見守る存在であり、民心の収攬、緩和力になるべきである。また、文化面では学術・技芸の奨励・擁護することが皇室のあるべき姿である。
帝室は「万年の春」である。政治は灼熱・極寒の世界であり、それを上から暖かく見守っている存在である。
・「尊王論」もテキストとして用いていたと思われる。
天皇はなぜ尊いのか。人は古くて珍しいもので、役に立たないものを大事にする。生きている人間(天皇)なら更にそうである、と論じている。万世一系、皇祖皇宗を論ぜず、神性を否定したドライな皇室の意義づけをした。
福澤は、皇室の政治利用・絶対化への強い警戒を持っていた。

②「ジョージ五世伝」の購読
・ジョージ五世(英国王在位1910-36)は「立憲君主」としてのリーダーシップを発揮した。
・首相の遠く及ばない「特殊の感覚と見識」、「道徳的警告者たる役目」を持っていた。
・ジョージ五世はバジョットの「英国憲政論」を学んだ。
君主の政府・大臣に対する3つの権利として、(1)諮問に対して意見を述べる権利(2)奨励する権利(3)警告する権利を挙げている。
昭和天皇も「英国憲政論」を学んだが、後日「独白録」において、これを3つ踏み外したと述べている。田中義一辞職、2.26事件、終戦である(天皇が自ら意思表示をした)。
・小泉は、「立憲君主は道徳的警告者たる役目を果たすことが出来るといえる。そのためには君主が無私聡明、道徳的に信用ある人格として尊信を受ける人でなければならぬこと勿論である」と説いた。

③皇室の「民主化」
・小泉は皇太子を当たり前の青年として扱った。慶應流に、人を尊重しつつ特別扱いをしないと言うことを示した。日常の振る舞い、マナーについても教えた。
・スポーツについてもしきたりや流儀を教えようと硬式テニスを勧めた。
・民間人とのご成婚に道筋を付け、報道協定等についても尽力した。
・小泉の慶應義塾での経験や気風が大いに影響している。
・小泉は皇太子にとって父親代わりであり、皇太子は小泉にとって息子代わりとしてのお互いの気持ちがあった。

④ロボットではない、考える「象徴」
・2008年御進講の際のノート(御進講覚書)が発見された。
・小泉は皇太子に自分で物事を考えよと言うことを強く言った。皇室の位置と責任の自覚を強く促し、日本の皇室がなぜ残ったのか、民心が皇室を離れなかったのはなぜなのか、今後どのようにあるべきかを考えることは義務であるとした。
・「君徳といふことについて御考へになっていたゞきたい」「君主の人格その識見は自ら国の政治によくも悪くも影響するのであり、殿下の御勉強とは修養とは日本の明日の国運を左右するものと御承知ありたし」ということを皇太子に説いた。
・小泉が与えた、生涯にわたる課題を踏まえ、「平成皇室」の象徴天皇があったと言える。小泉信三が作り上げた人格が与えた影響は大きい。

{おわりに}
・慶應義塾は人格を作っていくために教育を重視している学校であり、さらに福澤と小泉の背後にそれぞれの父の存在があって人格が形成されたことを小泉は意識していた。その二人の影響の下に平成という時代があり、またその小泉は、自分の父が自分自身のモラルの柱になったことを自覚したように、皇室の存在が国民にとってそのような(自分にとっての父のような)存在になることを期待したのではないか。

【講演要旨終わり】

・最後は全員が肩を組み平林正明会員指揮による「若き血」斉唱とエール交歓でお開きとなりました。
※なお、「帝室論」については国分寺三田会ホームページ・福澤諭吉コーナに小林隆夫会員による要約版が掲載されていますのでご参照ください。
また、NHKで放映されたビデオを塩井代表がお持ちです。ご希望の方はお申し出ください。

【都倉武之プロフィール】
慶應義塾福澤研究センター准教授
専門は近代日本政治史・政治思想史・メディア史。
1979年生まれ。
2007年慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程満期単位取得退学。武蔵野学院大学助手、専任講師を経て2007年慶應義塾福澤研究センター専任講師。2011年より現職。
『近代日本と福沢諭吉』(共著、慶應義塾大学出版会、2013年)、『福澤諭吉の思想と近代化構想』(共著、慶應義塾大学出版会、2008年)ほか。
2004年より小泉信三研究を開始し、『父小泉信三を語る』(共編、慶應義塾大学出版会、2008年)、『アルバム小泉信三』(共著、慶應義塾大学出版会、2009年)などがある。

世話役代表:塩井勝也(S41法)
世話役:斎藤信雄(S38政)、金田 一(S42工)、高橋伸一(S45法)、久保田宏(S46工)、芳賀 崇(S47経)、平林正明(S47経)、山田 健(S47経)、池田敏夫(S47商)、井上 徹(S49政)

♪次回以降の予定
・1月19日(日) 午前10時~12時 本多公民館・視聴覚室 Songs
・2月23日(日)午前10時~12時 本多公民館・視聴覚室(予定)
・       コソボ室内交響楽団 指揮者 柳澤寿男
・       ピアノ 吉村美華子(柳澤寿男夫人)

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講師 都倉武之 准教授

 

【ゴ】第59回国分寺三田会ゴルフ会

国分寺三田会第59回ゴルフ会が、未明までの雨もあがり時々日差しがもれて暖かいゴルフ日和の中「昭和の森ゴルフコース」で、初出場の青木さんを迎え22名が参加して行なわれました。
優勝は2回目の出場の小川さん、準優勝は小島さん、3位は岩下さんがそれぞれ獲得されました。 BG賞は、樋口さんが「84」で獲得しました。新ペリアのハンデの綾で順位が上下し、にぎやかな成績発表となりました。
PLAY終了後は、席を変え西国分寺「庄や」で忘年会を兼ねた成績発表会が開催され、ゴルフ会不参加の吉村さんにも参加頂き、大変盛り上がり楽しい時間をすごすことが出来ました。

第59回国分寺三田会ゴルフ会

・ 開催日   令和元年12月10日 (火曜日)
・ 場 所   昭和の森ゴルフコース(東京都昭島市)
・ 時 間   7:48 out・inスタート 6組
・ 競技方法  新ぺリア方式
・ 競技者   22名

表彰式・懇親忘年会

・ 場 所  西国分寺 庄や
・ 時 間  18:00~
・ 参加者  18名(競技参加者5名不参加 懇親会のみ参加者1名)

【E】Oh!Enkaの会 年末コンサートを開催しました

1.日時   令和元年11月30日(日)14;00~16:30

2.会場   本多公民館・ホール

3.出席者  会員(国分寺三田会、国分寺稲門会):53名、
・      非会員(会員家族・同伴者):62名
・      計115名
・      ヴァイオリン:佐藤 祥子
・      ピアノ伴奏 :山田 玲子
・      テノール  :下村 雅人
・      ピアノ伴奏 :下村 敬子
・      (プロフィールは下記をご参照ください)

4.プログラム
・第1部   佐藤祥子さんのクラシック演奏(ピアノ伴奏 山田玲子さん)
・      ①ユーモレスク(ドヴォルザーク)
・      ②G線上のアリア(バッハ)
・      ③ロマンス ト長調(ベートーヴェン)
・      ④4つのロマンティックな小品(ドヴォルザーク)
・      ⑤ウィーン奇想曲(クライスラー)
・      ⑥ロンドンデリーの歌(クライスラー)
・      ⑦愛の喜び(クライスラー)
・      ⑧ホラ スタッカート(ディニーク)
・      ⑨序奏とタランテラ(サラサーテ)
・      アンコール
・      ・枯葉
・      ・ラヴェンダーの咲く庭で

・第2部   下村雅人さんのテノール独唱(ピアノ伴奏 下村敬子さん)
・      ①忘れな草 Non ti scordar di me(デ・クルティス)
・      ②牧場の夕暮れ(下村大和)
・      ③Stand Alone(久石譲)
・      ④誰も寝てはならぬ(プッチーニ)
・      ⑤泣かないお前 Tu, ca nun chiangne(デ・クルティス)
・      ⑥落葉松(小林秀雄)
・      アンコール
・      ・君に会えなくて寂しい Mi manncherai
・      ・電話(湯山昭)

今日はOh!Enkaの会恒例の年末コンサートでした。
塩井世話役代表の令和元年を振り返る挨拶の後コンサートが始まりました。

・第1部はヴァイオリニスト・佐藤祥子さんのクラシック演奏です。ヴァイオリンの名曲中の名曲を選りすぐっていただきました。会員の皆さんからのリクエストも入れていただきました。
ピアノ伴奏の山田玲子さんからそれぞれの曲の解説がありました。とても分かりやすい解説で勉強になりました。
「G線上のアリア」はヴァイオリンの第4弦(一番下)のみで弾かれますが、ふくよかな響きがたっぷりとあふれていました。
「4つのロマンティックな小品」は流麗・躍動・野性・哀愁とそれぞれ味わいのある民族色豊かな小品群です。
「ウィーン奇想曲」は山田さんの大のお気に入りの曲だそうです。世紀末の耽美的な世界を感じられる曲です。
「愛の喜び」、こんな時代もあったと、昔誰もが経験した(と思われる)喜びに満ちあふれたクライスラーの代表的な名曲です。
「ホラ・スタッカート」ではワンボウスタッカートという難しいテクニックを披露していただきました。村の大騒ぎが間近に聞こえるような楽しい曲です。
「序奏とタランテラ」はフラジオ奏法とか両手ピチカートなど超絶技巧を駆使した曲ですが、前半は滑らかな美しい旋律でした。
アンコールに応えて、山田さんのピアノソロで「枯葉」です。特に前半が大変に美しい編曲でとても「枯葉」とは思えない全く違った印象でした。ヴァイオリンのアンコールは「ラヴェンダーの咲く庭で」、いかにも映画音楽らしい情景描写が見事な曲でした。

・第2部は下村雅人さんのテノール独唱です。
こちらもテノールならではの聴き応えのある名曲を並べていただきました。
下村さんと伴奏する奥様との息はもちろんぴったりですが、絶妙な掛け合いトークもとても楽しく、会場をアットホームな雰囲気で満たしてくれました。
昭和・平成・令和と変わってきた時代を、身近な黒電話や洗濯機の題材で懐かしみました。会場の世代に合わせていただいたのでしょうか。とても盛り上がりました。
演奏では、冒頭ピアノ前奏に続き、会場後方から十八番のカンツォーネを歌いながら登場するという演出で一気にお客様を引きつけました。
続いて「牧場の夕暮れ」、九州の隠れた大作曲家(?)下村大和の日本歌曲です。実は下村さんのお父上でした。ほのぼのとして心安まる何か昔を懐かしめる名曲です。
次は「Stand Alone」、NHKドラマ“坂の上の雲”の主題歌で、青雲の志を力強く歌っていただきました。
「誰も寝てはならぬ」はオペラ“トゥーランドット”で最も有名なアリア。最後の“ヴィンチェロ、ヴィンチェロ”でよく知られています。とても○歳とは思えない若々しくブリリアントな熱唱でした。
続いて再びカンツォーネ「泣かないお前」、泣かないお前に泣かされる哀れな男の歌のようですが、陽気なイタリア人が歌い飛ばすととても嘆き節には聞こえません。
ここで一息、下村さんのご指導で「漕げよマイケル」を題材に会場の皆さんにも“ハレルヤ”の声を出してもらいました。中味はアンケート調査のようなもじりでした。
最後に「落葉松」、野上彰作詞小林秀雄作曲の名曲。下村さんの解説によると一般的には恋の歌とされているようですが、戦時中の焼夷弾を連想しているとの説もあるそうです。そのつもりで聴くと、なるほど、鎮魂歌のようにも聞こえました。
アンコールはピアニカを取り出し、イタリア人になりきってのカンツォーネと、これはご自身も歌うのは珍しいとおっしゃっていた湯山昭の「電話」というコミカルな日本歌曲でした。
今日のお天気のように爽やかで楽しい1部2部でした。
最後に下村さんの指揮で「故郷」を全員合唱で歌いお開きとなりました。

【佐藤祥子さんプロフィール】
4歳よりヴァイオリンを始める。大学では英語を専攻するが、オーケストラ部の活動の中で音楽の楽しみに目覚める。留学先のアメリカのグリンネルカレッジにて音楽副専攻。子育てが一段落したところ、受けた高槻音楽コンクールで入選。
現在、室内楽やオーケストラ(光が丘管弦楽団)で活動する一方、合唱も始める。
市原利彦、ケネス=ゴールドスミス、小川有紀子の各氏に師事。

【山田玲子さんプロフィール】
東京芸術大学作曲科卒業。東京成徳大学幼児教育科音楽講師勤務。子育ての為10年間で退職する。家族4人と音楽仲間が出演するファミリーコンサートを毎年主催している。来年6月14日に29回コンサートをこもれびホールで予定している。
又、唱歌や昔の流行歌を歌う会「歌の泉」を主催。
合唱歴40年。現在はア・カペラコーラス「LOCUS」に所属。ポルケタンゴのメンバー。趣味は水泳と家庭農園。

【下村雅人さんプロフィール】
国立音楽大学声楽科卒業。イタリア声楽コンコルソ入賞、飯塚新人音楽コンクール優秀賞、2009年6月に佐賀県音楽大賞受賞、モーツァルトの「魔笛」武士役でオペラ界にデビュー。以後、プッチーニの「ジャンニスキッキ」リヌッチョ、「ボエーム」ロドルフォ、またヴェルディ「椿姫」アルフレード、モーツァルト「魔笛」王子タミーノ等に出演、その後も数々のオペラに出演する。又、岩城宏之率いるオーケストラアンサンブル金沢とヘンデル「メサイア」で共演。そしてベートーヴェン「第九」をはじめ、モーツァルト作曲「レクイエム」、サンサーンス作曲「クリスマスオラトリオ」等、宗教曲のテノールソリストとしても幅広く活躍する。現在、新しいスタイルのオペラやコンサートの構成・演出・出演と幅広く活動する。2011年東日本大震災において、震災後逸早く音楽家へ発信し、「小平チャリティーコンサート」発起人となり毎年息の長い支援を続けている。義援金は日本赤十字社を通して被災地・毎日希望奨学金制度・岩手の学び希望基金・福島の子供たちを八ヶ岳へ招く「小平の会」へ寄付を送る。二期会会員。

【下村敬子さんプロフィール】
国立音楽大学教育音楽学科卒業。マリンバの伴奏者として芸術鑑賞教室やコンサートに多数出演。現在、下村敬子ピアノ教室を主宰。 “音楽のある生活”をテーマに地域に根差した音楽活動を展開、教室には幼児から高齢者の方まで幅広い年齢層の生徒さんが通う。連弾や歌遊びのレパートリーも広く、ユーモアに富んだ指導に定評がある。一方で声楽や合唱団の伴奏者として数多くの演奏会に出演。東日本大震災直後よりチャリティーコンサートを主催し、被災地支援を続けている。夫婦のコンサート“二人のつむぎ歌”を各地で開催。伴奏法を水谷真理子氏に師事。

世話役代表:塩井勝也(S41法)

世話役:斎藤信雄(S38政)、金田 一(S42工)、高橋伸一(S45法)、久保田宏(S46工)、芳賀 崇(S47経)、平林正明(S47経)、山田 健(S47経)、池田敏夫(S47商)、井上 徹(S49政)

♪次回以降の予定
・12月15日(日) 午前10時~12時、本多公民館視聴覚室:都倉武之准教授講演会 「皇太子の先生になった人―小泉信三」