【応】慶早戦応援会を開催しました

早朝から曇りで時折晴れ間がでる空の下、6月1日(土)神宮球場で2019年春季リーグ戦慶早戦応援会が開催されました。 すでに優勝に無関係の両校対抗戦ですが、試合前から続々と入場者が入り応援席、観客席は学生を含め我々OB達で球場が埋まりました。
試合は1点を争う追う好ゲームでしたが、結局3対2で惜敗しました。 柳町選手が7回に左前打を放ち、史上33人目の通算100安打を達成しました。 点が入ると肩を組み陸の王者を歌い、大騒ぎで応援し楽しいひとときでした。
球場を後にし、国分寺で一服して解散しました。皆さん楽しい1日でした。

DSC_0429
六大学野球慶早戦応援会  世話人 昭和47芳賀 崇

【ゴ】復活第4回国分寺稲門会・三田会懇親合同ゴルフ会報告

復活第4回国分寺稲門会・三田会懇親合同ゴルフ会を6月11日昭和の森ゴルフコースで開催いたしました。またプレイ後終了後は西国分寺「庄や」にて表彰式・懇親会を行いました。
開催日直前まで天候が心配されましたが、幸い天気にも恵まれ、楽しくプレイしました。団体優勝は国分寺稲門会、個人優勝は国分寺三田会の樋口さん、ベストグロスは国分寺稲門会大橋さん・国分寺三田会吉村さんの二人が獲得されました。
表彰式・懇親会には、プレイに参加できなかった稲門会の清水会長も参加して、大変に盛り上がった懇親会となりました。

国分寺稲門会・三田会懇親合同ゴルフ会
・ 開催日   令和元年年6月11日 (火曜日)
・ 場 所   昭和の森ゴルフコース
・ 参加者   国分寺稲門会11名  国分寺三田会16名
・ 時 間   9:21 アウト・インスタート (計7組)
・ 会 費   1500円(参加費・賞品代)
・ 競技方法  新ぺリア方式 個人戦・団体戦(参加者平均ストローク)
・ 個人成績

優勝樋口(三田会)準優勝松村(稲門会)3位吉村(三田会)7位北村(三田会)
10位小林(三田会)15位平林(三田会) 20位伊東(三田会) BB斎藤(三田会)
BG:大橋(稲門会)・吉村(三田会)(79)

・ 団体成績 優勝  国分寺稲門会

ゴルフ会 表彰式・懇親会
・ 場所   西国分寺「庄や」
・ 時間   18:00~
・ 会費   4,000円
・ 参加人数  21名 (プレイ者20名 稲門会清水会長)

【歴】第90回 歴史をひもとく会 開催案内

15世紀後半の関東内乱
『享徳の乱』と武蔵

享徳の乱表紙 (2)先生のご著書はこんな書き出しで始まります

日本列島での戦国時代の開幕は、一般的には応仁元年(1467)に始まる「応仁の乱」が画期とされることが多い。しかし、

〇戦国時代は応仁の乱より13年早く関東から始まった。

〇応仁の乱は「関東の大乱」が波及して起きたものである。

ビートたけしは、そんなこととは露知らず

「応仁の乱の頃、関東は平和だった」とテレビで発言し、峰岸先生周辺の顰蹙を買ったとか・・・

・ 日時 7月20日(土)15:00~17:00 開場 14:30
・          *終了後、先生を囲んで楽しい懇親会を行います。
・ 場所 本多公民館 2階 講座室
・ 演題 「15世紀後半の関東内乱 『享徳の乱』と武蔵」
・ 講師  峰岸 純夫 先生
・  1961年 慶応義塾大学文学研究科修士課程修了
・  1961~1971年 横浜市立港高校・慶應義塾志木高校教員
・  1971~2003年 宇都宮大学・東京都立大学・中央大学の助教授・教授
・         その間に慶應義塾大学・学習院大学などの非常勤講師
・  1990年 慶應義塾大学より文学博士の学位授与

以上

ご参加をお待ちしています!

講演会・懇親会とも、6月25日までにお申し込みください

*講演会会費 500円  懇親会会費 4500円(会場未定)

・申し込み先 受付担当世話人 車伸一
・  メールにて メールアドレスは会員専用頁 分科会連絡先を参照ください
・  (歴史をひもとく会の会員の方には、別途メール等にて案内をしています。該メール等にて返信ください)

 

【歴】第89回 歴史をひもとく会 開催報告

歴史散歩「江戸の大名屋敷を歩く「六本木~赤坂見附~四谷見附」

== 歴史散歩行程図 ==

== 歴史散歩行程図 ==

5月の爽やかな風と好天に恵まれた5月17日(金)、毎年恒例の歴史散歩、今年は「江戸の大名屋敷を歩く」と題して、六本木ヒルズから赤坂見附での昼食を挟んで四谷駅までの約10キロ強を33名でのんびりと歩きました。

集合は午前10時六本木ヒルズメトロハット前。まず毛利庭園へ、ここは六本木ヒルズとともに長府藩毛利家上屋敷跡です。ここでは四家に分かれてお預けになった赤穂浪士のうちの10人が切腹しており、また父がこの家の家臣だった乃木希典将軍が幕末にここで産まれています。明治維新後は曹洞宗大学林(駒沢大学の前身)。真田家の邸宅などがありましたが、終戦後はニッカがボトリング工場を造り、1967年まで操業していました。ここにあった池や地下水を使ってボトリングをしていたため、池はニッカ池と呼ばれていました。その後テレビ朝日が工場跡地を購入し、池は美しい庭園として保存されていましたがヒルズ建設に伴い現在の毛利庭園の下に埋められてしまいました。

次にヒルズ前へ戻り、六本木通りをくぐり、六本木トンネルを通って国立新美術館へ。六本木トンネルの左側は23区内唯一の現役米軍基地「赤坂プレスセンター」、今でも軍用ヘリコプターが発着しています。六本木トンネルから国立新美術館へ入る門の向かい側は広大な青山霊園、ここは郡上藩青山家の下屋敷でした。本家の篠山藩青山家の上屋敷は青山一丁目交差点の北西の一角にあり、現在の青山通りの南北に青山一族が住んでいたことからこの一帯が青山と呼ばれるようになったそうです。国立新美術館の敷地は隣接する政策研究大学院大学、日本学術会議を含めすべて幕末四賢侯爵の一人伊達宗城の宇和島藩伊達家の上屋敷跡です。明治維新後は軍用地となり歩兵第三連隊が駐屯しました。後に二・二六事件の主力部隊はここから出動しています。関東大震災後に鉄筋コンクリート3階建ての巨大兵舎が造られ、代表的な復興建築物の一つでした。戦後も建物は残り、米軍接収を経て東大生産技術研究所として長く使われましたが、耐震性の問題から取り壊され、国立新美術館となりました。元の建物の一部が切り取られて敷地内に残されています。国立新美術館敷地内を通り、正門から外へ。左に向かう道(龍土町美術館通り)は道が上下に分かれて並走しています。下の道は江戸時代の道、上の道は明治以降、馬車や自動車が走るようになって造られた道です。江戸時代の道は勾配の変化が急で、車が走るのに適さなかったため、新たに勾配の緩やかな道を造ったそうです。道の左側(青山側)は蓮池藩鍋島家上屋敷があり、その石垣の一部が並走する二本の道の間に残されています。龍土町美術館通りを進み突き当りの東京ミッドタウンへ。ここは萩藩毛利家中屋敷跡です。屋敷跡はその後軍用地となり、戦後米軍に接収されましたが返還後防衛庁となり、防衛庁の市ヶ谷移転後再開発され2007年東京ミッドタウンとしてオープンしています。ミッドタウン敷地西側の境界部分の歩道を進んで檜町公園へ入りました。歩道脇に再開発時の発掘調査で出てきた石組みを再利用した石垣がありました。檜町公園は池を含め江戸時代の毛利家の庭園を受け継いでいるそうです。檜町公園で休憩した後、赤坂へ向かいましたが、このあたりは檜坂、本氷川坂など急な坂道の連続でした。檜坂を下って右へ行き、本氷川坂を上る角のマンションの敷地内に幕末最も活躍していたころ勝海舟が住んでいた邸跡の説明版と木碑がありました。坂本龍馬が初めて勝を訪ねたのもここです。本氷川坂(これは結構きつい坂でした)を上り、赤坂の鎮守氷川神社へ。元は赤坂見附近くにあったそうですが、八代吉宗が現在の地に移転させたそうです。ここは浅野内匠頭夫人の実家があった所でもあります。氷川神社の鳥居の向かい側は松代藩真田家の中屋敷でした。神社を出て左へ行き、さらに左、右と曲がって行くとまた勝海舟邸跡がありました。静岡から東京に戻った勝海舟が、1872年から1899年に亡くなるまで住んだ邸跡です。近年、海舟と龍馬の像が建てられています。その後、赤坂見附まで歩き、駅前の酒蔵「季」でゆっくりと昼食、昼食後は、赤坂見附駅の地下道を通って、弁慶橋の袂、東京ガーデンテラス紀尾井町(元の赤坂プリンスホテルの場所)の前へ。ここから麹町の文藝春秋本社のあたりまですべて紀伊徳川家上屋敷でした。石碑と説明板がありました。東京ガーデンテラス紀尾井町を右に見てまっすぐ進み、清水谷公園へ。公園内には、この付近で明治11年5月14日赤坂仮御所(現迎賓館)へ向かう途中に石川県士族らに暗殺された大久保利通を悼む巨大な哀悼碑が建っています。また、大名屋敷とは関係ありませんが、麹町通り拡幅の際に発掘された江戸時代の玉川上水の巨大な石枡も展示されています。公園を出て右へ、突き当りを左に曲がって紀尾井坂を上りました。「紀尾井坂」は、付近に紀伊徳川家、尾張徳川家、井伊家の屋敷が並んでいたため、それぞれの頭文字を取って名付けられたものです。紀尾井坂を上り切った左側がホテルニューオータニの正面玄関。ここから弁慶橋の袂、つまり東京ガーデンテラスの向かい側まで、すべて彦根藩井伊家の中屋敷跡です。ホテルへの入口右端に石碑と説明板がありました。そのままホテルの庭園へ向かうと天明年間からあったといわれているカヤとイヌマキの巨木がそびえています。ホテルの庭園は池の位置など井伊家時代のものをある程度引き継いでいるといわれています。そのまま庭園を通りホテル内へ入り正面玄関から出ました。ホテルを出て左へ行くと江戸城外堀の出入り口で唯一城門のない喰違見附跡です。城内に紀伊徳川家、尾張徳川家、井伊家という親藩・譜代の屋敷が並んでいたため城門が無くても守りは十分と考えられたとのことです。城の入口は現在は緩やかなカーブの道となっていますが、当時は直角のクランク状になっていたことが説明板で分かりました。明治7年岩倉具視が征韓派の士族に襲われ、弁慶濠へ転げ落ちて命からがら逃げ延びた場所でもあります。喰違見附からホテルニューオータニ方面へ戻り、突き当たりを左折しました。右側の紀尾井ホールから新宿通りまでの上智大学一帯が尾張徳川家中屋敷跡です。道路脇に石碑と説明板がありました。そのまま新宿通りへ出て、午後2時半前、四谷駅前で解散となりました。一人の落後者もなく、ほぼ予定通りの楽しい散歩でした。

 

【Y】The Young Salon第34回講演会のご案内

The Young Salonの会の皆様

この処暖かな日が続いており、皆様お元気でお過ごしの事と思います。
来る7月28日(日)、当国分寺三田会会員小島眞さんの紹介で、塩尻孝二郎氏を講師にお迎えし、講演会を開催致します。  塩尻様は1973年慶應義塾大学経済学部を卒業後外務省に入省され、これまで在大韓民国日本国大使館公使、在アメリカ合衆国日本国大使館公使、インドネシア駐箚特命全権大使、欧州連合(EU)代表部大使を歴任されたわが国の外交官です。
そこで今回はEUに焦点をおいた講演会を開催する事と致しました。
ご既承の通りEUは現在28カ国で構成され、総面積は日本の約11倍(429万km2)、総人口は日本の約4倍(5.1億人)、GDPは日本の3.6倍(17.3兆ドル)の政治・経済統合体です。EUは二度と戦争を起こさないよう平和を維持する為設立されました。爾来地域内での戦争はなくなりましたが、一方で巨大な政治・経済統合体故の様々な葛藤・課題が生じています。
近年南欧諸国の債務危機、英国のEUからの離脱(Brexit)問題の発生、難民・移民受け入れや極右勢力躍進など激しい流れの中で今後どのような道を辿るのか、これからの日・EU間協力関係からも眼が離せない状況にあります。
現在世界は自国ファーストをスローガンに掲げ自分の国だけが良ければよいとの風潮があり、これがまた新たな問題を作り出しているようにも思われますが、今回はこうした問題を考えながら「EUを観て日本を考える」をテーマに塩尻孝二郎先生にお話をお聴き致します。また、時間が許せば大使としてご苦労された事や、エピソードなどを含め、お話を頂きたいと思います。
皆様、この機会を捉え是非講演会にご参加頂きますようご案内申し上げます。
尚、講演会終了後、ご参加頂いた皆様には講師を交えての懇親会を予定しておりますので、準備の都合上、①講演会及び②懇親会夫々への出欠のお返事を7月5日(金)迄にご連絡頂きたく、宜しくお願い致します。

  1. 演題:「EUを観て日本を考える」
  2. 講師:塩尻孝二郎氏
  3. 日時:2019年7月28日(日)午後2:30pm~4:30pm(受付:2:00pm~)
  4. 会場:ひかりプラザ2階 203+204号室
    国分寺市光町1-46-8 電話:042-573-4370
    交通アクセス:JR国立駅北口から徒歩5分
  5. 会費:1,000円

【E】第122回Oh!Enkaの会を開催しました

1.日時:5月11日(土)午前10時から12時

2.会場:本多公民館 音楽室

3.ピアノ伴奏・歌唱指導:山田玲子先生

4.出席者:23名

・準備体操の後、発声練習を行いました。

発声練習では良い声を出すための姿勢の取り方を練習しました。

まず、まっすぐ体を伸ばす。胸郭をいっぱい開き、鼻腔よりゆっくり空気を吸って、吐く。

ゆで卵が口にある感じで口腔内を開き、口に指2本縦に入れてハミング。

5.歌唱曲目

・鯉のぼり:歌詞が七五調である事を確認。元気よく歌う。

曲の山は13小節以降に持ってくる練習をする。

・夏は来ぬ:作詞 佐々木信綱。詩をみんなで音読し、詩中のことばを学ぶ。

盛り上がった言葉に”楝(おうち)”→せんだん と

”くいな”→クイナ科の鳥の総称 であった。

歌詞の1番から4番に出てきた季語を使って、5番ができているのは面白い。

・海   :最初は”P”で歌いだし、”見よ昼の海”、”見よ夜の海”で曲を盛り上げて歌い上げる練習をする。

・みかんの花咲く丘:この曲も七五調。滑らかに歌う歌い方を練習する。

1オクターブ以上ある音程差があるのできれいに歌うのは難しい。

8分の6拍子の曲の歌い方を学ぶ。

・おお牧場はみどり:外国の歌は始めに曲があって、後で詩をつけるのでしっくりこない曲もあるが、

この曲はそれを感じさせない。それは第9小節から8小節の詩のつくり方が良く出来ているからとのこと。

曲中の掛け声”ホイ!”、”ヘイ!”が楽しい。

・故郷の人々:締めくくりの曲として、気持ちよく歌う。

最後に、まるく輪になり「さよなら集い」を歌って閉会となりました。

 

【Y】第33回The Young Salon 講演会を開催しました

4月13日(土)午後、国分寺労政会館にて38名参加の下、第33回The Young Salon 講演会を開催しました。講師として1974年慶応義塾大学経済学部を卒業後外務省に入省され、マルセイユ日本国総領事、法務省大臣官房審議官、モントリオール日本国総領事、ドミニカ共和国(兼ハイチ共和国)駐箚特命全権大使、ポルトガル共和国駐箚特命全権大使等の要職を歴任された四宮信隆氏をお迎えし、「国家が破綻する時:ポルトガルのソブリン危機」をテーマにお話し頂きました。尚、引き続き行われた懇親会には講師を含め20名が参加し、和気藹々の楽しい会となりました。講演概要は以下の通りです。

 記

  2010年からの3年間、まさにポルトガル経済がどん底の時期に、大使として、日本が両国関係のために何ができるかを考えながら仕事を行ってきた。過去の歴史の中で国が破綻することは少なからずあり、典型的なものは戦争だが、ポルトガルの場合は財政がたち行かなくなり破綻にいたった。その中で破綻の原因や政府・国民、また社会がどういう動きをしたか、さらに日本が外交的にどのような関与をしたのかについて話をしたい。
1. ポルトガル共和国と日本
ポルトガルの人口は1,000万人強と、ヨーロッパの中では中規模、面積は日本の約四分の一、一人当たりのGDPは日本の約半分。日本にとっては、1543年の鉄砲伝来や1549年のフランシスコ・ザビエルの来訪から、ポルトガルが欧州との最初の出会いとされるが、一方で日本人が初めて欧州に行ったのもポルトガルである。天正遣欧少年使節より早く、鉄砲伝来のわずか10年後の1553年に鹿児島の洗礼名ベルナルド(日本人)がザビエルに同行してポルトガルに渡り、バチカンで法王に謁見、ポルトガルで亡くなったことがイエズス会の記録に残っている。
2. ユーロ危機
ユーロ危機は、アメリカのサブプライムローン、リーマンショックによる世界同時不況を背景とし、直接的には2009年にギリシャで政権交代があり、前政権が財政赤字をごまかしていたことを公表、信用を失ったギリシャの国債が暴落、利回りが高騰して資金調達が出来なくなったことが発端である。当時のユーロ通貨制度では各国の財政状況は自己責任とされており、財政危機があっても外部からの救済制度が整っておらず、支援策が滞って危機が拡大していった。そもそもEUは、欧州での不戦を決意した仏・独の同盟から発したものであり、ユーロ制度もインフレ(財政規律)問題に強い意識をもつ独の意向が色濃く反映された形で発足した。加盟国の財政状況に厳しい自己責任を問う制度も、これが反映したものである。 2010年、EU・ECB・IMFの3者がトロイカと称する支援グループを作ってギリシャを金融支援したがうまくいかず、アイルランド・ポルトガル・スペイン・イタリアに危機が拡大した。この状況下で2011年末にECB総裁に就任したマリオ・ドラギ氏が、ユーロ救済のためならなんでもやると宣言し、自己責任主義が修正され始めたことで、ユーロ危機は回復の方向に向かって行く。
3. ポルトガルの財政破綻
(1)財政破綻の状況
2010年に財政赤字が急増する中、12月に当時のソクラテス首相が財政緊縮策を打ち出すがうまくいかず、トロイカへの金融支援を要請(bail out)せざるを得なくなり、その責任を取って辞職、総選挙で新首相に就任したコエーリョ氏の下で経済再建が始まることになる。この当時、2011年から2013年にかけては、緊縮政策によりGDPの成長率はマイナス、経済も悪化し、失業率は15%以上に達した。特に若年者失業率は25%ぐらいまで上昇し、公的債務残高の対GDP比は120%を超える状況にあった。
(2)破綻の原因
このような破綻の原因には、次の3つの側面が考えられる。
①ポルトガル自身の問題 まず、生産性の低さ・貯蓄率の低さ・農業依存による産業の未成熟等のための経済の脆弱性が挙げられる。また、輸出入の約7割、対ポルトガル直接投資の約8割がEU域内国という欧州依存の経済構造のため、欧州の景気の影響をもろに受ける経済の体質がある。更に、ユーロ通貨へ参加するため、財政赤字と緊縮財政の悪循環を繰り返してきた財政事情もある。なお、ラテン系特有の国民性からくる財政規律の自覚の低さも背景にあるのかもしれない。 ②ポルトガル以外の問題 また、国際金融市場における投機の問題がある。一儲けを狙った投機筋が暗躍し、ポルトガルだけではなくギリシャやアイルランドがそれに嵌ってしまったとも言えるであろう。
③ユーロ通貨制度の内在的問題 共通通貨制度のため各国ごとの為替変動がなく、ユーロ圏内での国際収支・競争力の調整ができないにもかかわらず、ユーロ通貨制度には上述の通り、財政危機の国への財政支援が禁止され、各国は自己責任で財政健全化を図らねばならなかったことがある。さらに、ユーロ域内では北と南で経済格差があるにもかかわらず、ユーロの信用力で南欧の国もお金を借り易くなったためバブルが生じたが、世界が不況になって一気にそのお金を引き揚げられると、破綻に追い込まれることになる。
4. 財政再建
(1)財政再建プログラム
ポルトガルはEU・ECB・IMFの3者に支援を要請、2011年6月から3年間で780億ユーロの融資が行われることになった。ただし、当然ながらその国の財政を立て直す厳しい緊縮政策とセットにしての融資であり、しかも一度に全額の融資が行われるのではなく、四半期毎に財政再建が進んでいるかチェックが行われて、それに応じての融資という厳しい条件付きであった。実際、四半期ごとに追加の緊縮策を求められて、不況は深刻になっていった。 財政再建プログラムの内容は、①財政収入の増加 ②支出削減 ③経済体質強化のための改革から成る。財政収入増加策としては付加価値税が23%へ増税、所得税も増税、社会保険料・医療費・公共料金・教育予算等の大幅引き上げ等が行われた。支出削減策としては公務員の給与削減や新規採用の中止、一部大使館の閉鎖等を含む政府機関の削減、年金削減、教育・福祉予算の削減、企業への補助金の削減・廃止等が実施された。大型の公共事業計画は、すべて凍結された。さらに、政府が保有する資産の売却としてポルトガル航空、発電、配電企業や銀行等の国営企業のほとんどが民営化された。EU域外からの資本誘致のために、大統領や閣僚はビジネスマンを引き連れて、手分けして世界中に散らばる状況であった。
(2)国内の苦難(現場の状況)
失業率が高まり、特に若い人が非常に苦しんでいた。また、貧困の拡大も進んだ。リスボンの中心街で市のトラックが止まり、市民へパンとスープの炊き出しを行っていたのを目撃した。地方の市長たちを会食に招待した際、市民への食糧供給が市の財政を圧迫しているのが大問題だという発言もあった。食料を求めて、見知らぬ人が自宅を訪ねてくる話も幾度か耳にした。国際日の式典で、各国大使の面前で大統領や首相が困窮した地方住民に罵倒されるシーンにも遭遇した。主管大臣の財務相は、夫婦で町に買い物に出た際に市民に取り囲まれる事件などもあった。また、別の政府高官は、厳しい緊縮策を求めるトロイカ、特に独の国民世論がポルトガル経済の運命や国民生活まで支配していると私に嘆くこともあった。 中産階級も悲鳴を上げるなか、当時の新聞には「国を覆う絶望感」という見出しが躍る程であった。しかし、意外にもデモなどで暴力事件が起こらなかったのには感銘を受けた。厳しい状況にも係わらず社会の秩序を保つことができた芯の強い国民性という感じを受けた。 もう一つ印象的だったのは、緊縮政策に対し違憲判決がずいぶん出されたことである。日本では考えられないと思うが、公務員給与・ボーナスのカットや年金削減等の政府の緊縮政策に対して憲法裁判所が違憲判決を次々と出し、それに対応して政府が政策の変更を余儀なくされる事態がしばしば見られた。 苦難の状況にあっても、弱者救済や人間性・人権の尊重という欧州的な歴史の中で培われてきた文化や価値観を垣間見る気がしたものだ。
5. 日本の関与
2010年10月の着任早々ポルトガルの国債が急落するのを目のあたりにして、日本も何か支援できないかと考えていたところ、直後に中国の胡錦涛総書記(当時)がポルトガルを訪問し、5億ユーロのポルトガル国債の購入を約束したとの情報を入手した。 日本は国債の購入は実現できなかったが、当時始められたトロイカによるギリシャ支援の資金として「欧州金融安定化ファシリティー(EFSF)」という基金が作られたので、この基金の債券の2割を日本政府が購入することになった。ポルトガル政府からは、予想以上の感謝の表明があった。日本の証券会社もこの債券を購入したようだ。 その後も、日本企業の進出が少しでも容易になればとの考えから、2011年12月に「二重課税防止条約」を締結した。また、NEDOによるエネルギー関連の協力案件や口蹄疫で輸入禁止措置がとられたままだったイベリコ豚の輸入解禁等を実施、さらに経済関係者の交流には大使館も積極的に関与した。
6. 日本の財政は大丈夫か
2018年の日本の公的債務残高は対GDP比で238.2%にのぼっており、ポルトガルの財政破綻時で130%台、ギリシャは100%いっていなかったことに比べて、日本は大丈夫なのかという心配がでてくる。これにはいろいろの説明があるが、日本の場合、国債は殆どが日本人の所有のため、国際金融市場で投機にさらされる恐れが少ないとか、国内にはまだ増税の余力(返済力)があるなどの議論があるようだ。
7. ポルトガルの再生と魅力
(1)ユーロ通貨体制の改革
2011年末にECB総裁に就任したドラギ氏が宣言した「ユーロを守るためには何でもする」との方針で、ECBは①各国の国債の無制限の買い取り措置、及び②各国の銀行へ低金利での長期融資を始めた。また、その資金手当てのため、以前ギリシャやポルトガル支援のため臨時の措置として作ったEFSFを恒久化した「欧州安定化メカニズム(ESM)」という基金が作られた。 しかしユーロ体制には、EU、ユーロ圏の金融政策と各国の財政政策とが分離しているという制度上の基本問題が依然として存在している。金融政策はECBが行い、各国の中央銀行はその指示に従うだけだが、各国の財政は自国政府が手当てするのが基本的な考えだった。しかし、ユーロ危機の反省から、EUレベルで各国の政策を調整し、財政、金融支援もできる体制をつくりつつあるのである。 また、財政破綻は銀行が破綻しそれを救済するために国の財政が悪化するというケースが多い。以前は銀行の救済も各国が自分でやる方式だったが、グローバル化した金融制度の中で、銀行の監督や破綻した際の処理についてEU・ECBが協力して対応し、必要な資金もEU、ECBが基金をつくって手当てするということをやってきている。今後、その取り組みはさらに進められよう。
(2)ポルトガルの努力の成果
財政再建プログラムを実行してきた結果、例えば2019年2月のOECDの「経済審査報告書」では、ここ数年でポルトガル経済は著しく改善、GDPは危機以前のレベルに回復、失業率も2013年のレベルから10ポイント減、危機直後からポルトガル経済を支えた輸出及び観光分野の成長に続いて、今では投資や個人消費等の国内需要も拡大してきており、ポルトガル経済は堅調な結果を継続する見込みとの評価を受けている。 さらに、経済構造を中長期的に強化することを目指して、不良債権の削減、先端産業・技術革新の導入、育成等にも努めている。また昨年度予算では、いよいよインフラ整備計画も再開し、かつて経済危機で凍結されていた3大プロジェクトが昨年から再び動き出している。 政治面では2016年に中央アフリカ共和国にPKO部隊を派遣、2017年には国連事務総長(元ポルトガル首相)の輩出やEU財務相会議の議長を務める等の実績を上げている。社会面では6月10日の「ポルトガル・ナショナル・デー(国際日)」を海外でも開催するようになり、世界中に出ていっているポルトガル系の人達やポルトガル語権諸国との連携を進めるまでになった。 これらは、財政危機の時代には考えられなかった変化だといえよう。
(3)ポルトガルの魅力
国民性は物静かでありながら芯が強い性格だが、口下手・売り込み下手なところがあり、日本人にとってはむしろ一緒にいると快適な人々との印象がある。比較的物価が安く、治安は欧州の中では特に良い。テロのうわさも聞かれない。文化・歴史・観光に関しても魅力に溢れており、例えばワイン・海産物の料理・アズレージョ(タイル)・ファド(国民歌謡)等は是非味わって頂きたいと思う。ユネスコ世界遺産も文化遺産14、自然遺産1、無形文化遺産6を数える。
8.日ポ関係
最後に日本との関係を申し上げたい。言うまでもなく古くて新しい友人だと思うが、丁度自分が着任した2010年が友好通商条約締結150周年にあたり、また2013年には種子島来航(鉄砲伝来)470周年であり、いずれの年も両国の各方面の方々とともに、数多くの記念行事を実施し交流を深めた。 さらに、2014年には日本の首相として初めて安倍首相がポルトガル訪問、その後コエーリョ首相の日本訪問も実現した。現在、日本からの企業進出も80数社に増加した。 財政破綻当時、ポルトガルを訪問した日本人は推定で年間6万人くらいだったが、皆さんが異口同音に言われた「この国には、また来てみたい」という言葉が印象的だった。日本でも少しずつポルトガルの評判が伝わったのか、日本観光客数は現在では年約12万人と倍増しているようだ。 また、昨年には「(一社)日本ポルトがル協会」が創立50周年を迎え、記念行事のひとつとして特別旅行を行った際には、リスボンで大統領が我々を迎えてくれた。歴史的な関係から東京以外の日本各地にも友好協会があり、さまざまな活動を行っている。 このように、ポルトガルは苦難の時期を経て再生を果たしてきたが、経済以外にも文化、歴史、社会、観光そして国民性など非常に魅力的な国であり、日本での人気も高まっている。いま、「ポルトガルの風」が吹いているように感じている。

IMG_2769

 

 

 

【応】六大学野球慶早戦応援会

国分寺三田会会員の皆様

いつもお世話になっております。世話役の芳賀 崇(S47経卒)です.よろしくお願いいたします。
さて桜も終わり、いよいよ春季六大学野球の開幕が明日になりました。今年は優勝奪還、打倒早稲田を目指し、慶早戦応援会を下記の通り開催いたしますので奮ってご参加ください。

  1. 日時、集合場所 6月1日(土)午前10時JR中央線国分寺駅上りホーム最後部に集合。 (前回通りの場所) 尚、直接球場三塁側に来所OKです.
  2. 持参する物昼食、会費500円
    以上参加を希望される方は切符の手配の関係上5月7日位までに、ご連絡願います。

国分寺三田会
芳賀 崇 以上よろしくお願いします。

【E】第121回Oh!Enkaの会を開催しました。

1.日時:4月6日(土)午前10時から12時

2.会場:いずみホール Bホール

3.ピアノ伴奏・歌唱指導:森川由美子先生

4.出席者:21名

・準備体操の後、発声練習を行いました。

発声練習では胸を引き上げ、横隔膜を使う発声を練習しました。

5.歌唱曲目

・四季の歌:春、夏、秋、冬の季節ごとに表現を変える練習

・花:気持ちよくのびのびと歌うのも良いが、今回は感情を込めた歌い方を練習。

・カチューシャ:2度繰り返す ♪君なき里にも春は忍び寄りぬ♪ の歌い方、

後半の所は発声練習での横隔膜を使った歌い方で練習。

・ピクニック:中間部の ♪ランラララ・・♪ の「ラ」の歌い方の練習。

通して歌う時には、アヒルや山羊さんの動物の鳴き声を擬音で表現。

・空よ:いままでの曲と一変、しっとりと歌う。

・この広い野原いっぱい:詩の内容を上手く表現して歌う練習。

最後にまるく輪になり、「今日の日はさようなら」を歌って閉会となりました。

※感想:今日はいつになく盛り上がりました。

中でもカチューシャでは、左右2組に分かれて別々に歌いましたが、

それぞれ対抗心も旺盛で、元気があって素晴らしい歌声をひびかせました。

歌い終わるとブラボーの声も飛びました。

【ゴ】第57回国分寺三田会ゴルフ会

国分寺三田会第57回ゴルフ会が、4月満開の桜と花冷えの中、「昭和の森ゴルフコース」で、24名枠フル参加で開催されました。優勝は今回で4回目の高橋さん、準優勝は後半39の山田さん、3位は斎藤さんがそれぞれ獲得されました。BG賞は、吉村さんが前半1オーバー、トータル「79」の断トツでした。プレー終了後は、コースでの懇親会の中、成績発表会が開催され、ダブリペリアのハンデキャップに一喜一憂、3名の初参加者の今後の決意表明もあり、大変盛り上がり楽しい時間をすごすことが出来ました。

第57回国分寺三田会ゴルフ会

・ 開催日   平成31年4月2日 (火曜日)
・ 場 所   昭和の森ゴルフコース(東京都昭島市)
・ 時 間   10:24 inスタート 4組、10:45 outスタート 2組
・ 競技方法  新ぺリア方式
・ 競技者   24名

表彰式・懇親忘年会

・ 場 所  昭和の森ゴルフコース
・ 時 間  17:30~
・ 参加者  24名(競技参加者全員)