【応】六大学野球慶早戦応援会

国分寺三田会会員の皆様

いつもお世話になっております。世話役の芳賀 崇(S47経卒)です.よろしくお願いいたします。
さて桜も終わり、いよいよ春季六大学野球の開幕が明日になりました。今年は優勝奪還、打倒早稲田を目指し、慶早戦応援会を下記の通り開催いたしますので奮ってご参加ください。

  1. 日時、集合場所 6月1日(土)午前10時JR中央線国分寺駅上りホーム最後部に集合。 (前回通りの場所) 尚、直接球場三塁側に来所OKです.
  2. 持参する物昼食、会費500円
    以上参加を希望される方は切符の手配の関係上5月7日位までに、ご連絡願います。

国分寺三田会
芳賀 崇 以上よろしくお願いします。

【E】第121回Oh!Enkaの会を開催しました。

1.日時:4月6日(土)午前10時から12時

2.会場:いずみホール Bホール

3.ピアノ伴奏・歌唱指導:森川由美子先生

4.出席者:21名

・準備体操の後、発声練習を行いました。

発声練習では胸を引き上げ、横隔膜を使う発声を練習しました。

5.歌唱曲目

・四季の歌:春、夏、秋、冬の季節ごとに表現を変える練習

・花:気持ちよくのびのびと歌うのも良いが、今回は感情を込めた歌い方を練習。

・カチューシャ:2度繰り返す ♪君なき里にも春は忍び寄りぬ♪ の歌い方、

後半の所は発声練習での横隔膜を使った歌い方で練習。

・ピクニック:中間部の ♪ランラララ・・♪ の「ラ」の歌い方の練習。

通して歌う時には、アヒルや山羊さんの動物の鳴き声を擬音で表現。

・空よ:いままでの曲と一変、しっとりと歌う。

・この広い野原いっぱい:詩の内容を上手く表現して歌う練習。

最後にまるく輪になり、「今日の日はさようなら」を歌って閉会となりました。

※感想:今日はいつになく盛り上がりました。

中でもカチューシャでは、左右2組に分かれて別々に歌いましたが、

それぞれ対抗心も旺盛で、元気があって素晴らしい歌声をひびかせました。

歌い終わるとブラボーの声も飛びました。

【ゴ】第57回国分寺三田会ゴルフ会

国分寺三田会第57回ゴルフ会が、4月満開の桜と花冷えの中、「昭和の森ゴルフコース」で、24名枠フル参加で開催されました。優勝は今回で4回目の高橋さん、準優勝は後半39の山田さん、3位は斎藤さんがそれぞれ獲得されました。BG賞は、吉村さんが前半1オーバー、トータル「79」の断トツでした。プレー終了後は、コースでの懇親会の中、成績発表会が開催され、ダブリペリアのハンデキャップに一喜一憂、3名の初参加者の今後の決意表明もあり、大変盛り上がり楽しい時間をすごすことが出来ました。

第57回国分寺三田会ゴルフ会

・ 開催日   平成31年4月2日 (火曜日)
・ 場 所   昭和の森ゴルフコース(東京都昭島市)
・ 時 間   10:24 inスタート 4組、10:45 outスタート 2組
・ 競技方法  新ぺリア方式
・ 競技者   24名

表彰式・懇親忘年会

・ 場 所  昭和の森ゴルフコース
・ 時 間  17:30~
・ 参加者  24名(競技参加者全員)

[歩]第53回歩こう会 「大人の社会見学と皇居外苑散策」の報告

31年3月27日午前10時、「衆議院議員面会所」受付ロビーに参加者38名が集合し、衆議院議員松本洋平事務所のスタッフから見学に際しての注意事項を受けた後、愈々国会議事堂見学がスタート。重厚な石造りの建物に入り、赤いじゅうたんを踏みしめて階段を上ります。第14集会室で待機、暫くして現れた松本洋平議員に面会。当日開催中の委員会を態々中座して、議員自らが国会内を案内して呉れます。

普段、テレビでしか見ることができない議事堂内部は、想像以上に荘厳な雰囲気に包まれて。 広くて長い廊下、同じような部屋が続き、うかうかすると迷い込んでしまいそうです。 昭和11年に竣工した議事堂の建物は、全て国産の資材を使用するのを基本として作られ、例外として、輸入資材は3つのみ。それは当時、国内生産が出来なかった本会議場の天井のステンドグラスと、マスターキー付きのドアノブ、それに廊下に設置されている郵便ポストであるとのこと。

選挙後に議員が初めて登壇する中央玄関、それに続く階段を上がると、4階まで吹抜きの中央広間、更にその上の天皇陛下をお迎えするご休所等々。建物として荘重で美しく、貴重な建造物であることが判ります。本会議場の参観者スペースから眺めると、国権の最高機関として国政が行われ、長い日本の議会政治の歴史が伝わってくる感じがします 見学後、衆議院の入り口前広場で、議事堂を背景に松本議員と共に参加者全員で記念撮影。国会議員食堂でのおいしい昼食をもって午前中の国会議事堂見学会は有意義に終了となりました。付け加えるとすれば、今朝、受付ロビーで起こった想定外事項に対する松本洋平事務所スタッフのてきぱきとした対応力のすばらしさ。生き馬の目を抜くといわれる政界で、流石と感じられるものがありました。  

午後は、日本銀行まで、のんびりと皇居外苑を散策しながら、桜の季節を楽しみます。皇居の桜はすでに満開に近く、多くの外国人でにぎわっています。やがて、二重橋に差し掛かると、多くの人々が記念撮影に群がっています。間もなくお代替わりになられる天皇皇后両陛下に思いを馳せながら歩を進めます。

  日本銀行では、前半と後半の2組に分かれての見学です。後半組は、約1時間程、本館前の貨幣博物館を見学しながらの時間調整です。 日本銀行の見学内容は、大別すれば、日銀の果たす機能の解説、歴史建造物の説明、及び営業現場での仕事の理解となります。

日本の中央銀行として金融の中枢であり、紙幣の発行・決済システムの運行・金融政策による物価の安定を担っている訳です。また、建物は、本館と2号館・3号館・新館に分かれ、特に本館は、有名な辰野金吾博士の設計により明治29年に竣工した石積みレンガ造りで外装は花崗岩張り。現在は大規模な免震工事がなされており、残念ながら見学は不可です。実際は5階建てなのに、外観は3階建てに見えるような設計の3号館の壁際で、スタッフの説明と現物を目の当たりにし、今も息づいている貴重な歴史的建造物であることが如実に判りました。   春らしい天候に恵まれ、楽しい1日であったと同時に、参加者からは、数多の事象を自分の目で確かめながら理解できた貴重な経験であったとの感想が多く聞かれました。

以 上

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【蕎】第56回蕎麦っけの会を開催しました

第56回「蕎麦っけの会」は、2019年3月30日(土)に杉並・善福寺川公園緑地でのお花見と阿佐ヶ谷「柿ざわ」(阿佐ヶ谷エリアの「食べログ(蕎麦の部)」評価№1の名店)での蕎麦にて開催しました。

お花見は15名の参加。2年前も同じ緑地で花見を開催しましたが、残念ながら三分咲きであったため、リベンジを期して今回再チャレンジ。

渡辺さん(37年文)の「念が通じ(1カ月前に『満開になりますように!』とのお祈り)」、満・満開の桜となりました。渡辺さん、誠にありがとうございました!

また、お陰様で天気予報の小雨が降ることもなく、全員パック酒と柿ピーを片手に小1時間、桜を愛でながら楽しく散策しました。

さて、「柿ざわ」では、直行組も合流し21名にて盛大に開催。冒頭、久しぶりにご参加の天野さん(26年経)からご挨拶を、また上原さん(59年文)からは通算3回目となるご挨拶を頂戴しました。

趣向を凝らした美味しい料理と各種銘酒、そして蕎麦を心ゆくまで堪能しました。お蕎麦はお替わりが続出するほどの切れのある美味しさでした。

なお、第48回時は、店主から「もうお酒が残り僅少です。こんなに呑まれるならば、事前に言ってください・・。」との悲鳴がありました。今回は、準備万端で「お酒が売るほど」ありました。ご参考まで(^-^)

次回第57回は、夏頃に暑気払いでの「蕎麦っけの会」を催す予定です。

(世話役。野田(52年経))

【E】第120回Oh!Enkaの会を開催しました*

1.日時   平成31年 3月23日(土)10:00~12:00
2.会場   国分寺リオンホールB
3.出席者  会員(国分寺三田会、国分寺稲門会等)51名
・      非会員(国分寺三田会、国分寺稲門会、出演者関係者等)17名
・      計68名
・      ギター:山崎俊道
・      シンセサイザー:山田玲子
4.スケジュール
・塾歌斉唱
・第1部  山崎俊道ギターコンサート
・     (プロフィールは下記をご参照ください)
・第2部  山田玲子シンセサイザー演奏
・第3部  皆で歌おう:①エーデルワイス ②花 ③花のまち ④どじょっこふなっこ
・エール交歓 若き血(指揮:平林正明会員)

・今日はまず塾歌斉唱から始まりました。
・続いてすぐ第1部の山崎俊道ギターコンサートが始まりました。
今回のコンサートは、吉村太郎会員のご紹介で実現いたしました。山崎さんは慶應義塾大学工学部から大学院修士課程を経て、プロのギタリストとなり、現在小平三田会会員でもあります。プロフィールは下記をご覧ください。
曲目は
① エアー                    J.ダウランド
② エリザベス女王のガリヤルド     J.ダウランド
③ 魔笛の主題による変奏曲            F.ソル
④ アメリアの誓い                M.リョベート
⑤ グランソロ                  F.ソル
⑥マリエッタ                    F.タレガ
⑦マリア                      F.タレガ
⑧アルハンブラの想い出             F.タレガ
⑨朱色の塔                   I.アルベニス
⑩アストゥーリアス               I.アルベニス
でした。
盛大な拍手に応えてのアンコールは、お馴染み“禁じられた遊び” とヴィラ・ロボスの“エチュード第1番”でした。
皆さん一度は耳にしたことがあるギターの名曲をそろえていただきました。落ち着いてしっとりしたクラシックから、時には情熱的に、異国情緒もたっぷりの素晴らしい演奏でした。
曲の解説は山崎さんの簡潔で要点を得た解説がプログラムに掲載されていますので、そのまま引用いたします。
*エアー、エリザベス女王のガリヤルド
J.ダウランド(John Dowland 1562-1626 英国) 当時のヨーロッパで評判のリュート奏者。1588年オクスフォード大学で音楽学士号取得。1598年から1606年までデンマーク王室リュート奏者。1612年に念願のエリザベス女王の王室リュート奏者となる。
* 魔笛の主題による変奏曲、グランソロ
F.ソル(Fernando Sor 1778-1839スペイン) バルセロナに生まれ、モンセラート音楽院で作曲を学び、後にマドリッド、パリ、モスクワなどで活動の後、パリで没す。弦楽曲、交響曲、バレー曲、歌曲などの作品を残したが、ギターでは古典時代の最も重要な作曲家。
* アメリアの誓い
ミゲル・リョベート(Miguel Llobeto 1878―1938スペイン) バルセロナのギタリスト、作曲家。  カタロニア民謡集のなかの1曲
*マリエッタ、マリア、アルハンブラの想い出
F.タレガ(Francisco Tarrega 1852-1909 スペイン) 作曲家、ギタリスト。多数の作品はギターの芸術性を高める一方、アルベニスやショパン、シューマンなどの曲をギターに編曲、ギターのレパートリーを豊かにした。 マリエッタはマリアの通称、自分の娘の名。アルハンブラの想い出はアルハンブラ宮殿の情景を描いた曲。
* 朱色の塔、アストゥーリアス
I.アルベニス(Isaac Albeniz 1860-1909スペイン) スペイン国民楽派を代表する作曲家、ピアニスト。カタロニアに生まれ、幼少から才能を発揮、スペインやヨーロッパを演奏旅行した。アルベニスはグラナダにいたときアルハンブラの城に住んでいた。城の西にある塔が夕日に染まるので朱色の塔と呼ばれる。ピアノ曲集「スペインの歌」で第1曲に〈プレリュード〉の曲名でアストゥーリアスを置いている。ギターではスタンダードなレパートリーとして定着している。

・第2部は山田玲子先生のシンセサイザー演奏です。
今回は会場のピアノが他団体に押さえられ使えませんでした。世話役一同困り果てていたところへ、山田玲子先生からシンセサイザーを持ち込んでいただけるとの嬉しいお申し出がありました。折角ですので、シンセサイザーで懐かしの映画音楽を演奏していただきました。
曲目は
①シバの女王
②太陽がいっぱい
③エーデルワイス
④ロシアより愛をこめて
⑤男と女(アンコール)
でした。
いろいろな音を自由自在に出せるシンセサイザーを曲に合わせて見事に操っていただきました。 いずれも会員皆さんの青春時代に一世を風靡した名曲です。甘く切ない想いを懐かしんでいただけたのではないでしょうか。

・第3部は「皆で歌おう」です。 シンセサイザーの伴奏でいつもとは趣の違う第3部となりました。 ようやく訪れた春の歌を皆で明るく元気に歌いました。

・最後は全員が肩を組み平林正明会員指揮による「若き血」斉唱です。声高らかにエールの交歓を行いお開きとなりました。

【山崎俊道氏プロフィール】 8才よりバイオリンを始める。ギターを芳志戸幹雄氏に、近年セゴビア音楽院のフランシスコ・クエンカ氏に師事。指揮法、合奏法、音楽理論を各専門家に師事。1976年、小平ギターコンサートをきく会を設立、今年3月で第222回を迎えた。最近では2014年12月、NHKラジオ深夜便に出演。2015年名古屋で、2016年、清里でソロコンサート。2017年3月千葉県文化会館にて講演と演奏。2017年5月、オペラシティー近江楽堂でリサイタル。日本スペインギター協会会員、日本ギタリスト協会会員、フォルマールギタリスタス会員。日本橋ギターアンサンブル講師。手の合理的メカニズムを研究。1965年慶応義塾大学大学院卒。

世話役代表:塩井勝也(S41法)
世話役:斎藤信雄(S38政)、金田 一(S42工)、高橋伸一(S45法)、久保田宏(S46工)、芳賀 崇(S47経)、平林正明(S47経)、山田 健(S47経)、池田敏夫(S47商)、井上 徹(S49政)

♪次回以降の予定
・4月6日(土)午前10時~12時、いずみホールB:Songs
・5月11日(土)午前10時~12時、本多公民館音楽室:Songs
・6月30日(日)午前10時~12時、本多公民館ホール:
・        ありめせつこさんのソプラノコンサート

【歴】第88回 歴史をひもとく会 開催報告

 

武蔵国分寺以前の歴史

 ~古墳時代から律令時代の黎明期を中心として~

人は、古代の話に触れる時、そこはかとなくロマンの雲が湧き出でる。身近なことなら猶更に。そんな趣向の下、第88回講演会は、平成31年2月23日(土)に、ひかりプラザ2Fのセミナー教室にて、わが町国分寺市域に点在する古代の遺構にまつわるお話をメインテーマに、国分寺市の市政戦略室に在籍し、将来を嘱望されている新進気鋭の学芸員、増井有真氏を講師にお招きし、歴史をひもとく会の会員49名の参加者の下で行われました。

 

【 増井有真氏略歴 】IMG_9120A

立正大学大学院(文学研究科史学専攻)卒。石造文化財調査研究所・品川区立品川歴史館・武蔵国分寺跡資料館を経て国分寺市市政戦略室勤務(観光協会事務局兼職)の傍ら、市内外で講演活動を継続中。
◇著書・論文 見学ガイド「武蔵国分寺のはなし」他多数。

 

冒頭、講師は歴史に埋もれた「もし・・・」の話として、「幻の熊ノ郷遺跡」から説き起こします。前国分寺住職の星野亮勝氏(当分科会の代表世話役、星野信夫氏の実父)が偶然に発見した土器の破片を考古学者に調査依頼したにも拘わらず、忘れられてしまい、後から発見された「岩宿遺跡」にその座を譲ってしまった。もし・・であれば考古学史上の旧石器時代研究の原点となっていたかもしれないというお話。縄文時代の重要文化財「勝坂式土器」の発掘、考古学の学術用語発祥の遺跡「本町(国分寺村石器時代)遺跡」、弥生時代に当たる「花沢遺跡」等々、国分寺駅周辺の地から貴重な学術資料が相次いでいることを紹介していきます。紀元3世紀から、多摩川流域に多くの古墳が作られて、古墳時代後期の6~7世紀になると、国分寺崖線の斜面には、横穴式の古墳が作られていったようです。やがて時は移り、古墳時代が終焉し、飛鳥の時代に入ると、仏教の伝来により、支配イデオロギーとしての国家仏教を軸とした秩序の形成が行われていきます。そして、乙巳の変(大化の改新)・壬申の乱を経て中央集権的な律令国家体制が進み始め、国府の設置・道路網の整備・国分寺の建立が行われます。我々の住んでいるこの国分寺市域は古代において枢要な地歩を占めていたことがよく判ります。

 

休憩を挟んで、後半は主に古代道路のお話です。

7世紀後半から8世紀にかけて国の支配体制を全国に及ぼすために、五畿七道の整備が行われ、都と国府を結び、中央と地方間を迅速に往還できる道路が作られました。駅制と呼ばれる交通・情報伝達システムに基づく駅路として整備されたのが「東山道・東海道・山陽道・山陰道・北陸道・南海道・西海道の七道」です。一定の区間に駅家を設置し、駅馬・駅使が置かれて、駅家間を結ぶ駅務に当たっていました。当時のメイン道路である東山道は、上野から下野に延びているため、武蔵国に来るには、途中で東山道武蔵道を南下しなければならなかったのです。この東山道武蔵道が国分寺市内を通っており、国分寺市泉町地区の古代道路の発掘は平成7年から開始されています。その発掘にまつわる詳細かつ興味深い説明が続きます。瞠目すべき事に、現代の高速道路建設に当たり、国が科学技術を動員して行った道路計画の立案線と古代道路が極めて近似していたそうです。将に古代人の英知が現代に通じていることに驚くと共に、ローマ街道と同じく、将に道がその時代を作ったと云えるのではないでしょうか。

 

「旧じゃこあなへかむ」の歴史の糸に導かれて語られる珠玉の話題、講師の明快な語り口と分かり易いトークに魅了され、出土品にまつわる興味深い話が次々と紹介されて、古代世界に大いに引き込まれてあっという間に講演時間満了となりました。

会場内には私語一つ聞こえず、頻りに講師の話に頷いたり、感じ入ったり・・・・恰も遥かな時代に思いを馳せ、ロマンの雲の中を漂っている様な表情の方も見受けられました。

 

因みに、今回は主催者側の要望で多岐にわたるお話を盛り込んでいただいたので、予定時間内に収まり切らない悩みもありました。もし次の機会があれば、今回の内容を分割して、じっくりお話ししていただきたいとの希望が多く寄せられています。

以 上

【Y】The Young Salon第33回講演会のご案内

The Young Salonの会の皆様

このところやっと暖かな日も現れ始め、長かった冬も峠を越えそうなこの頃ですが、 皆様如何お過ごしでしょうか。
来る4月13日(土)、当国分寺三田会の沼野さんの紹介で、四宮信隆氏を講師にお迎えし、講演会を開催致します。  四宮先生は1974年慶應義塾大学経済学部を卒業後、外務省に入省され、これまでマルセイユ日本国総領事、法務省大臣官房審議官、モントリオール日本国総領事、ドミニカ共和国(兼ハイチ共和国)駐箚特命全権大使、ポルトガル共和国駐箚特命全権大使を歴任されたわが国の外交官です。現在日本ポルトガル協会会長を務めておられます。

今回は講演会テーマとして「国家が破綻する時:ポルトガルのソブリン危機」を取り上げました。その中でポルトガル破綻の状況・原因、政府の緊縮政策と国民の苦闘、国際社会の支援、ユーロ危機と制度改革、経済の再生やポルトガルの魅力などについて語って頂くこととしております。
ご既高承の通り、ポルトガルはヨーロッパから最初に海路で中国や日本等東アジアに接触を持った国、日本へはフランシスコ・サビエルがキリスト教を伝えました。鉄砲の伝来もポルトガルからです。探検家ヴァスコ・ダ・ガマの名前や、ブラジル植民地化の歴史については中学校の教科書にも載っていたかと思います。

日頃は米国や中国、北朝鮮問題のニュースがTV、新聞ニュース欄を賑わしておりますが、今回はわが国とは古くから歴史上深い繋がりのある国、「ポルトガル」についてお話をお聴きしてみたいと思います。

また、時間が許せばこの機会に海外での特命全権大使の任務とはどのようなものなのか、ご苦労された事やエピソード等を含め、お話を聴いてみたいと思います。 皆様、この機会を捉え是非講演会にご参加頂きたくご案内申し上げます。

尚、講演会終了後、ご参加頂いた皆様には講師を交えての懇親会を予定しておりますので、準備の都合上、①講演会及び②懇親会、夫々への出欠のお返事を3月20日(水)迄にご連絡頂きたく、宜しくお願い致します。

  1. 演題:「国家が破綻する時:ポルトガルのソブリン危機」
  2. 講師:四宮信隆氏
  3. 日時:2019年4月13日(土)午後2:30pm~4:30pm(受付:2:00pm~)
  4. 会場:国分寺労政会館 第3会議室     国分寺市南町3-22-10     JR中央線、国分寺駅南口から徒歩5分
  5. 会費:1,000円

The Young Salon
世話役 前原憲一 小林一夫 板橋章一

【E】第119回Oh!Enkaの会を開催しました。

1.日時   平成31年 2月17日(日)14:00~16:30
2.会場   本多公民館ホール
3.出席者  会員(国分寺三田会、国分寺稲門会等)46名
・      非会員(国分寺三田会、国分寺稲門会、出演者関係者等)28名
・      計74名   ヴァイオリン:佐藤祥子    ピアノ:梶ひとみ
4.スケジュール
・第1部  カレッジソング斉唱:①塾歌 ②都の西北 ③慶應讃歌
・第2部  ヴァイオリンとピアノのコンサート
・     ヴァイオリン:佐藤祥子
・     ピアノ   :梶ひとみ
・     (プロフィールは下記をご参照ください)
・第3部  皆で歌おう:①早春賦 ②青春時代 ③時計台の鐘
・エール交歓 若き血(指揮:井上徹会員)

・今回はOh!Enkaの会と二水会との共催でした。
・第1部はいつものようにカレッジソング斉唱です。梶ひとみさんのピアノ伴奏で塾歌斉唱、都の西北、慶應讃歌と進
みました。
・第2部はヴァイオリンとピアノのコンサートです。ヴァイオリンは佐藤祥子さん、ピアノは梶ひとみさんです。ウィ
ーンのイメージを中心に選曲いただいたとのことでした。
曲目は①クライスラー   ベートーヴェンの主題によるロンディーノ
・   流麗で親しみやすい名曲。TVのヴァイオリン教室のテーマ曲とのこと。
・  ②ベートーヴェン  ヴァイオリンソナタNo.5「春」より第1楽章
・    お馴染みの名曲。美しいメロディーのような爽やかな春が待ち遠しいですね。
・  ③イザイ      無伴奏ヴァイオリンソナタNo.4より 第1楽章 (Vn. ソロ)
・   超絶技巧を駆使した難曲。何重にも重なる音やメロディー、でも聴きやすかったです。
・  ④シューベルト   即興曲 Op.90-4 (Pf.ソロ)
・   即興曲とはいえ、右手の流れるような旋律の中にも左手でシューベルトらしい人生観が感じられる哀愁を帯び
・   た格調高いピアノソロでした。
・  ⑤クライスラー   ウィーン奇想曲
・   ワルツのリズムの中にウィーン街中の浮き立つような気分やざわめきを感じられる曲でした。
・  ⑥クライスラー   愛の悲しみ
・   クライスラーの代表的な名曲。甘く、切ない初恋か、ややもすると途切れそうな愛・・・・ 皆さんもかつて
・   こんな思いをしたのでは?
・  ⑦ファリャ     スペイン舞曲
・   今は上演されないオペラから残された名曲。情熱的なラテンのリズムに 心弾み気分が浮かれました。
・  ⑧ブラームス    ヴァイオリンソナタNo.1雨の歌
・   全3楽章をたっぷり聴かせていただきました。ブラームスらしい流れるような美しい旋律や物憂げなヴァイオ
・   リンのつぶやき、童心に帰ったようなどこか懐かしいメロディー、曲も良ければ演奏も良い至福のフィナーレ
・   でした。
・客席からの盛大な拍手に応えてアンコールを2曲演奏していただきました。
・  ⑨マスネ      タイスの瞑想曲
・   この曲を知らない人はいないというヴァイオリンで最も愛されている曲。優美で洗練された弦の運びに皆うっ
・   とりでした。
・  ⑩クロール     バンジョーとフィドル
・    佐藤さんの留学時代の思い出の曲とか。ヴァイオリンのピチカート奏でるバンジョーの響きがとても印象的で
・   した。いかにもアメリカらしい陽気で軽快な楽しい曲でした。
・お二人の息の合った素敵なアンサンブルに会場全体心奪われ、ゆったりとした上質で典雅な気分にひたることができた午後のひと時でした。
・第3部は「皆で歌おう」です。春の訪れが待ち遠しく「早春賦」を皮切りに「青春時代」「時計台の鐘」を歌いました。
・最後は井上徹会員の指揮による「若き血」斉唱です。全員が肩を組み、広いホールで声高らかにエールの交歓を行いお開きとなりました。

プロフィール
◆佐藤祥子さん
・4歳よりヴァイオリンを始める。大学では英語を専攻するが、オーケストラ部の活動の中で音楽の楽しみに目覚める。留学先のアメリカのグリ・ンネルカレッジにて音楽副専攻。子育てが一段落したところ、受けた高槻音楽コンクールで入選。現在、室内楽やオーケストラ(光が丘管弦・楽団)で活動する一方、合唱も始める。市原利彦、ケネス=ゴールドスミス、小川有紀子の各氏に師事。
◆梶ひとみさん
・武蔵野音楽大学ピアノ科卒業。ソロ、伴奏、室内楽、バレエの稽古や合唱団のピアノなど多様な音楽活動を行っている。1989年、川崎市のオー・ディションに合格し推薦音楽会に出演。都留音楽祭にてチェンバロ、フォルテピアノを学ぶ他、津軽三味線とのコラボレーションなど新し・い分野にも挑戦している。また1996年より「看護音楽療法」のピアニストを務め、2007-17年、川崎市立看護短期大学にて「芸術 音楽」の・講義を受け持つ。ピアノおよび室内楽を志村直子、土屋律子各氏に師事。佐藤祥子さんとは長年アンサンブルを組み「デュオ ドリーム」と・して2000年よりひたち室内楽フェスティバルに参加している。

世話役代表:塩井勝也(S41法)
世話役:斎藤信雄(S38政)、金田 一(S42工)、高橋伸一(S45法)、久保田宏(S46工)、
・   芳賀 崇(S47経)、平林正明(S47経)、山田 健(S47経)、池田敏夫(S47商) 井上 徹(S49政)
♪次回の予定
・3月23日(土)午前10時~12時、リオンホールBで山崎俊道さんのギター演奏に山田 玲子先生のシンセサイザー演奏が加わります。
♪次々回の予定
・4月6日(土)午前10時~12時、いずみホールBでSongsです。

【Y】第32回The Young Salon講演会を開催しました

2月9日(土)午後、国分寺労政会館にて45名出席の下、第32回The Young Salon講演会を開催しました。講師として以前、福澤諭吉の脱亜論をテーマに講演頂いた前、当国分寺三田会会長の菅谷国雄さんを御迎えし、福澤諭吉研究の第2弾として「福澤諭吉の晩年~その想いと蓋棺録を読む~」を演題にお話頂きました。今回講演の趣意は、昨年明治150年、時代の節目・変わり目、世界情勢の変化、ポピュリズムの蔓延等により、我々の理想としている民主主義に危機が訪れている事に講師が焦燥感を抱き、そのヒントを探す中、150年前、わが国の文明化・民主主義の揺籃期に福澤先生が既にその事に気付き、広く国民にメッセージを発していたことが分かり、皆さんに紹介することにあります。

福澤先生は1835年1月10日に大阪中津藩屋敷で生まれ、蘭学を志して21歳の時に長崎へ、その後、大阪緒方洪庵の適塾を経て1858年築地鉄砲洲に蘭学塾を開きました。これが慶應義塾の起源で昨年創立160年を迎えております。先生は1901年2月3日に66歳で亡くなられましたが、今回の講演では福澤先生の晩年に焦点を当てています。講演の概要は下記の通りです。
尚、引き続き行われた懇親会には講師を含め26名が参加し、和気藹々の楽しい会となりました。

  • 福澤諭吉の著作と年譜
  1. 咸臨丸でアメリカへ渡航
    最初のトピックスは咸臨丸(軍艦)に乗り込みサンフランシスコに渡った事。艦長は軍艦奉行・木村摂津守、指揮官・勝麟太郎(勝海舟)・そして福澤諭吉は木村摂津守の従僕として乗り組んでいた。勝海舟との出会いもこの時が最初である。
  2. 初期の大事業
    三度の洋行を経た先生は「西洋事情」「学問のすすめ」「文明論之概略」を刊行、ここに先生の初期の大事業が集約されている。江戸から明治へ時代が激変する中で「文明化とは何か」「今この国は何をすべきか・国民はどの様に生きれば良いのか」一般大衆に平易な言葉で問いかけ、その精神の発達、智徳の向上を啓蒙する諸編は40代壮年期・福澤の珠玉の著作であり、特に「文明論之概略」は福澤研究の古典とも言うべき存在になっている。(学問のすすめ:当時の人口3500万人、販売数360万部、初編~17編)
  3. 40代半ば・最も気力が充実した時期の提言
    明治10年から時事新報創刊までは何れも、先生40代半ば・最も気力が充実した時期に「国権」「民権」「分権」に対する提言を平易な言葉で直言している。これらは19世紀初頭フランスの思想家(のちの外務大臣)アレクシ・ド・トクビルの「アメリカのデモクラシー」をベースにしたものであるが、明治新政府の専政に対し、西南戦争に至る迄の没落士族の不満が根底にある。明治12年の「民情一新」では英国型の議院内閣制度の必要性を説いた政冶論に加えて、蒸気・鉄道・電信・印刷と云った「人民交通の便」が民情を一新し文明開化をもたらすと述べている。
  4. 時事小言、時事新報、脱亜論
    時事小言の中で、先生は日本と西洋との兵備の比較(わが国の脆弱さ)を示し、富国強兵を訴えている。 江戸から明治へ、特に文明開化の揺籃期を迎えた明治10年代の福澤先生の我国を取り巻く認識、即ち①欧米列強によるアジア侵略・その野心②中国・朝鮮の固陋と混迷③日本の国力の脆弱さ、これらを総合して、時事新報の社説として国民に訴え政府に直言した。しかし、日清戦争後は戦争の狂騒に警鐘を鳴らし、明治34年に亡くなった福澤先生は、その後の軍部独走や大陸進出に関与する余地もなかった、と云うのが私の結論である。
  5. 慶應義塾大学
    大学部は明治23年に設立された。小泉信吉(のぶきち)塾長のもと、ハーバードから3名の教授の派遣を受け、総勢59人の学生を迎えて始業式が行われた。しかし官学との兵役免除など差別待遇が存続し、早々に大学部存続の危機に見舞われた明治29年、小幡篤次郎塾長のもと大学部の廃止が提案されたが、先生はこれに反対、その後義塾基本金募集を行い、31年に至り漸く幼稚舎・普通部・大学部の一貫した学制組織を打ちたてる事となった。
  6. 痩せ我慢の説
    明治24年の「痩せ我慢の説」については、明治24年の脱稿以後永年に亘ってその胸底に秘していたものを、先生が亡くなる寸前、時事新報の社説として明治34年から連載されたものである。
  7. 最晩年
    福澤先生は今から118年前の1901年(明治34年)2月3日に逝去された。その3年前の明治31年9月に脳出血が発症し、一時重体であったったが約3ヶ月を経て殆んど全快。大患から復帰した先生は、時勢の変化・修身処世の乱れを見て、「修身要領」を発表し当時の人心に大きな影響を与えた。34年1月25日に脳出血を再発、2月3日帰らぬ人となった。
  • 変革期の理想と老余の煩悩
  1. 膨大な著作・論説・書簡にみる福澤先生の思い
    晩年の明治30年、先生自らが刊行を決意した福澤全集緒言に記載された著作数は「唐人往来」から「痩せ我慢の説」まで全部で56編ある。又存命中、時事新報の紙上に執筆された論説は約5千編ある。更に先生は一生の間に1万通を超える手紙を書いたのではないかと推測され、昭和46年の「福澤諭吉全集」には2130通の書簡が掲載され、その後「福澤諭吉書簡集」も編纂されている。先生の言論人としての人生を通じて明治10年代から20年代、先生壮年期の主張は平易な言葉の中に強い意志をこめた発言が多くあった。そして又、晩年になって本音を語っているなかで、若い時と晩年の発言を繋いで見れば先生の本音がよく理解できるのではないか、これが本日のテーマである。
  2. 福翁自伝
    明治31年に脱稿された「福翁自伝」によれば先生が生涯変わることなく貫いた思想・心情が語られている。旧幕府はもとより新政府にも仕官を嫌い、空威張りの群れに入らぬ由縁、特に役人の醜態(空威張り・酒・妾など)に対する潔癖なまでの、特に不品行に対する嫌悪、忠臣義士の浮薄(痩せ我慢の説の遠因)に対する警鐘を鳴らし続けた。特に明治10年代に入ると、日本国中の士族・百姓・町人が少しばかり文字を学んで皆役人になりたい、金儲けに熱心で高尚な精神に至るという気概がない。晩年の先生の時世を憂うる煩悩の最たるものであった。
  3. 禁酒
    先生の「自伝」によれば、若い頃自分は大酒飲みであったが、32~33歳頃より苦しみながらも禁酒を始めたと書かれている。
  4. 日清戦争、朝鮮問題
    明治28年の春には日清戦争が終結し日本は勝利をおさめた。この戦争は福澤先生にとって開化路線の日本と固陋・旧弊・儒教・華夷思想の清国との戦いであり、年来の主張が実をむすんだ出来ごとで、満足な結果であった。当時経済状況も良く、「自伝」にも満足を表明しているが、戦勝に酔って軍事に傾きがちな世情を危惧した言葉を発信している。またこの戦後は、福澤先生が朝鮮問題について、朝鮮の政治的・文化的違和感と失望から、政治的恋愛が醒め、自分が係った諸問題を整理し始めた時期である。
  5. 時事新報(醜態の批判)
    明治29年の8月、先生は「時事新報」の社説に「紳士の宴会」や「宴会の醜態」を掲載、紳士・紳商と称する人が連日連夜宴会を催し、芸者を侍らせて泥酔昏倒する醜態を厳しく批判し、それに代わる文明の交際方として「茶話会」を提唱している。経済人が「私徳」を厳重にすることを忘れるな、と強く言って居られた。
  6. 老余の福澤先生
    このように、この時期の福澤先生は軍事的熱狂への危惧や、経済人の醜態への批判の気持ちを募らせ、かつての衆人精神発達の議論「文明論」へと再び傾斜していった。明治30年7月に一書に纏めて刊行された「福翁百話」では個人の行動と精神のあるべき姿が述べられているが、これは20年以上前に書かれた「文明論之概略」の冒頭緒言を思わせる言葉である。老余の福澤先生が再びその原点を述べた著作となっている。先生は「福翁百話」の著作動機を日原昌造宛の書簡で、俗界のモラル・スタンダードの高からざる事、終生の遺憾と述べ、自分の考える文明の精神が社会に理解されているのか、ある種の無力感を漂わせている。先生の終生の願い、即ち自主性や個人の誇りというものを備えた倫理感が日本社会に根づく事の難しさを肌で受け止めて居られたのである。この様に晩年の福澤先生は、日清戦争後の軍事熱の狂騒、経済界の醜態、朝鮮問題への挫折感、そして「文明論」の真意が理解されていないのではないかという失望、慶應義塾の財政と存続など焦燥の思いがつのり、「老余の煩悩」に苛まれる日々を送って居られたのではないかと思われる。

    明治32年、晩年の福澤先生

    明治32年、晩年の福澤先生

●蓋棺録を読む
同じ時代に生きた明治人がどの様に福澤諭吉を見ていたのか、哀悼録等で当時の「福澤感」(方々の想いの一端)をお伝えしたい。

  1. 福地桜痴
    (君は欧米の文明を咀嚼してこれを日本化せるもの、君を外して誰ありとするかな、君の訃報を聞いて流涕滂沱(涙が止めどない様)これを弔する詞知らず。)明治34年2月4日日出国(やまと)新聞:福澤先生哀悼録
  2. 徳富蘇峰(猪一郎)
    「国民新聞」に「福澤諭吉氏を弔する」を掲載している。 (人は氏を目して、拝金主義の俗物と云うが、これ未だ氏が武士的真骨頂ある快男子たるを知らざるのみ。その行の高き、家族的生活の清潔なる、その侠骨の稜々たる、その愛国の血性ある、武士的真骨頂と見る。想うに明治100年の後に於いて、もし福澤諭吉氏の感化なるものを求めば、そは福澤全集にあらずして、福澤氏自身の性行人格なるべき哉)
  3. 山路愛山
    明治26年「国民新聞」所載の「明治文学史」の中で愛山は(福澤諭吉君を敬服するところは、彼が何処までも自己の品位は即ち自己に在ることを知り、官爵を捨て、衣貌を捨て自らを律し、生涯を通じて平民的模範を与えたることである。)
  4. 内村鑑三
    明治のクリスチャンの中でも内村鑑三は、その徹底した宗教的潔癖性から、福澤の経済主義・物質主義が拝金主義の流弊を生んだことを憎んだ。
  5. 木村介舟(喜毅)
    先生は我国の聖人なり。その碩徳偉業宇宙に光り輝き、幾多の新聞皆口を極めて讃称し、天下の人熟知する所、予が蝶々を要せず。 40余年先生との交際、先生より受けたる親愛恩情の一斑を記しこれを子孫に残さんとする
  6. 新渡戸稲造
    ただ新しい知識を注ぎ込むと云うよりも、新しい知識を得たいという志を起こすような教育をせられた。単に知識を注ぎ込むということなら教育屋にでも出来るがこれが真の教育であると思いました。心と心の交わり、私はただ一度先生にお目にかかっただけですが、頭の中に強く残っています。
  7. 印旛郡長沼総代・小川武平
    同村総代小川武平氏の弔詞は左の如し。 ・・・・明治33年3月遂に沼地引き戻しの許可の指令に接しましたのも、先生の賜物非ずしてなんぞや。先生の訓誡、村民の金科玉条なり。遺訓を胸に刻み村の幸福を失墜することなく参ります。明治34年2月7日 下総国長沼 小川武平 泣血拝
    (註)当時印旛郡長沼の惨状にも拘わらず沼地を政府に上納の命が下り、一村死を待つばかりの時に、福澤先生が政府に親展書を出してくれた。このお蔭で、その後沼地は村に引き戻され村民が蘇生した。その恩を弔詞で述べたものである。
  • まとめ
    本日は福澤先生の膨大な著作・論説・書簡の中から、今の我々の心に強く訴える珠玉のメッセージを選んでお伝えした。最後に小林秀雄の「福澤諭吉の炯眼」を紹介して本日の結びとしたい。これは「考えるヒント」の「福澤諭吉」と題するコラムを纏めたものであり、小林秀雄は文書の最後で次のように指摘している。
    ◎精神の自立を薦めようとする福澤先生は「民主主義は人々の心の内を腐らせる」ことに気付いた我国最初の思想家であると。
    福澤先生はノブレス・オブリージュを訴えたのではないだろうか。人々の志が高くならないと民主主義は定着しない、現在世間一般のポピュリズムが蔓延する中にあって民主主義は難しい。(志を高め、ポピュリズムを乗り越える努力が今求められている。)