【講】国分寺三田会第12回講演会のご案内

会員各位

国分寺三田会会長
渡邉惠夫

陽春の候、皆様には益々お元気でご活躍の事とお喜び申し上げます。

さて、当会恒例の定期講演会を下記の通り開催致しますので、是非ご出席下さいますようご案内申し上げます。

講師には東京経済大学名誉教授の吉井博明氏をお迎えし、『国分寺市の地震危険と備え』をテーマに講演頂く事と致しました。近年、日本列島では様々な災害が発生していますが、中でも地震は被害の大きさや発生予知の難しさなどから、地震への備えと対応の必要性が高まっています。今回は防災情報の専門家であり、地震災害の分野に精通されている 吉井博明先生に、「首都圏における地震危険」、「過去の地震災害」、「国分寺市の地震被害想定」、「国分寺市民に望まれる地震への備え」など、様々な視点から見た地震危険と備えについてご講演を頂きます。

平成の時代には、阪神淡路大震災、東日本大震災という未曽有の地震災害が発生しました。そして現在、国分寺市周辺に被害をもたらす可能性のある地震として、南海トラフ地震、立川断層帯の地震、首都直下型地震などの発生予測が出されています。このような地震にどう対処していけばよいのでしょうか。被害を防ぐ(防災)ことや、少なくする(減災)為には、日頃からどのような事に注意を払えばよいのでしょうか。是非、先生のお話をお聴き頂き、皆様の安全・安心にお役立て頂ければと存じます。ご家族・ご友人の皆様もどうぞお誘い合わせの上、ご来場下さい。(講演会チラシはここをクリック下さい

講演会後、塾員の皆様には懇親会を開催致しますので、引き続きご参加頂ければ幸甚です。尚、準備の都合上、出欠の御返事は講演会・懇親会夫々について5月20日(月)までにご連絡頂きたく宜しくお願い致します。

ご家族・ご友人が出席の場合も同様のご連絡を期日までにお願い致します。

  1. 演題:“国分寺市における地震危険と備え”
  2. 講師:吉井博明氏(東京経済大学名誉教授)
  3. 日時:2019年6月16日(日)
  4. 開演14:30~16:30(受付14:00~)
  5. 場所:JR国分寺駅北口cocobunji WEST 5階リオンホール
  6. 入場料(講演会):無料。本講演会は一般市民にも無料公開します。
  7. 懇親会:講演会と同じ場所(リオンホール)にて17:10より行います。
    会費:5,000円(男性)、4,000円(女性) 当日、懇親会会場にて申し受けます。(急遽欠席の場合、前日までに連絡を頂きませんと会費を頂きますのでご注意下さい。)

以上

【講】国分寺三田会第11回講演会を開催しました

国分寺三田会第11回講演会

主催:国分寺三田会

後援:国分寺市、国分寺市教育委員会

2018年6月30日(土)、JR国分寺駅北口cocobunji WEST 5階リオンホールにおいて、第11回国分寺三田会定期講演会を開催致しました。講師には北島政樹先生(国際医療福祉大学副理事長・名誉学長、元慶應義塾大学医学部長・病院長)をお迎えし、渡邉惠夫国分寺三田会会長挨拶の後、「がん治療に於ける過去・現在・未来」という演題で講演を頂きました。国分寺三田会会員に加え、近隣三田会・稲門会、KP会、欅友会の皆様を始め多数の一般市民の方々も参加され、出席者総数221名の皆様で会場は埋め尽くされ、たいへん盛況な講演会となりました。講演に続く質問タイムに於いても、一般市民の方とのユーモアある質疑応答、切実な要請に対する親切な対応も含め、幾つもの活発な質疑応答がなされた後、講師よりがんを予防する為の方策(講演概要末尾質問6への回答に記載)が示される等、1時間40分に亘る大変意義深い講演会となりました。講演概要は下記の通りです。

尚、引き続き行われた懇親会には北島先生を始め86名の方が出席され、国分寺三田会会員である目黒克己氏による開会の辞・乾杯、清水元国分寺稲門会会長の挨拶の後、会食・歓談に移りました。各テーブルでは講師と出席者との会話も弾み、一緒にスナップ写真を撮るなど、和気藹々・盛大な懇親会となりました。 最後は井上徹幹事指揮の下、参加者全員が肩を組み「若き血」を声高らかに歌い、お開きとなりました。

講演概要

 1991年に慶應義塾大学医学部教授に就任時、3大テーマとして下記を掲げた。

  1. 移植医療
  2. 内視鏡外科手術
  3. 外科腫瘍学

移植医療については1995年4月に小学生に初めて肝臓移植手術を行った。当時は阪神淡路大震災が発生し慶應義塾よりも現地に医療団を送った年、またオームのサリン事件が発生した年でもあった。当時肝臓移植手術は保険の適用が無かったが、慶應義塾で資金を提供し、手術の第一例目は無事成功、患者は現在元気に過ごしている。因みにこの年は現在勤める国際医療福祉大学が創立された年でもあり感慨深い。肝臓移植手術はその後1995年~2016年迄既に200~300件に達している他、脳死移植も11例、小腸移植も5例程ある。移植はチーム医療が必要であり、手術の成功は外科、内科、リハビリステーション、家族など総合力の結果である。

さて、昔は患部を大きく開く手術が主流であったが、現在は内視鏡を使い小さな傷で済ませる方向に変化してきている。患者に優しい低侵襲・個別化の手術が求められている。王元監督の胃がんの手術も時間は掛かったが全て内視鏡で行い、手術の翌日には歩く事が出来た。低侵襲のデータ蓄積の成果は、政府の21世紀COEプログラムにより評価され、慶應義塾は多額の研究費支援を得る事ができ、大学院での研究にも役立てられた。以降この仕組みを活用し、東京大学や国立がんセンターを含む国内外の施設との連携によるデータ蓄積、研究成果を挙げ、次なる研究開発に役立てる事に努めてきた。

内視鏡手術に関しては、今から137年も前の1881年に福沢先生が腹腔鏡手術を予見する論説を出されていた。その中では“小さな鏡を使って恰も口の中を見るが如く”と書かれていた。同時に医学は外科より進歩するとも記されていた。しかし留意すべきは、その進歩には医学・工学・産業との連携(融合)が不可欠である。

内視鏡手術は画像を見ながら行う手術であるので、立体感を持たせる為の3D技術が開発された。またがんは必ずしも直ぐ近くのリンパ節に転移しない場合もあり、低侵襲・個別化手術を可能とする為には、がんが最初に転移するリンパ節(センチネルリンパ節)を探す必要があった。そこで、転移先を発見する為に、①患部周辺を色素で染め、②リンパ節に集まる放射性物質を音で検知する技術、また③明るい処でも見える蛍光色素など様々な開発がなされた。更には④手術中患部を映すカラーモードを変換し術者を支援する機械も出来ている。特に食道・胃接合部の胃癌では、腹腔鏡で周りのリンパ節を検査し、転移がなければ口から内視鏡を入れて最小限の範囲で粘膜切除を行う。最近では放射線を使い、センチネルリンパ節の画像をはっきり映し出す機械(スペクトCT)もある。こうした医療機械の進歩、医師の技術進歩が相俟って低侵襲・個別化手術を可能ならしめている。

私が1975年から米国ボストンで学んでいた頃、留学先(MGH)でハーバード大、バーク教授に師事していた。近くにマサチュセッツ工科大学(MIT)があり、先生は常にここと連携していた。先生は、医・工・産・学の連携が必要であり、これがないと外科は進歩しないといつも言っておられた。“知識を持つ事のみに留まらず、科学の裏付けのあるアカデミィック・サージャンになりなさい”と教えて頂いた。

慶應義塾大学病院は2000年3月にアジアで初めてダヴィンチを導入したが、ダヴィンチの欠点は、①大型、②体内でのアーム衝突の危険性、③視野制限、④高コスト、⑤無触覚である。そこで慶應の理工学部と連携し、リニアモーターとコンピューターを使い触覚を持つロボットを開発し特許も得た。これにより、日本から1万キロ離れたスロベニア、また慶應理工学部のある矢上台と医学部のある信濃町間で触覚を伝える事に成功し、外科手術を進化させた。今後医療機械で世界の市場を狙って行く事も出来るだろう。

未来医療について、①ダヴィンチを進化させた軟性内視鏡手術ロボット(慶應義塾)、②脳梗塞等麻痺のある人に対するニューロリハビリ(慶應義塾、札幌医大)、また③女子医大ではMRIを手術室に置き、手術中患者の組織を調べる事の出来るスマート手術が行なわれており、一昨年広島大学、今年3月から信州大学がこれに続いている。今後自動車にも代わり得る医療技術・機械の輸出産業に繋げていけるかも知れない。現在わが国では未来医療(がん、ロボット、再生医療)に40数億円の予算がついている。私がスーパーバイザーとなっており、今後活用して行きたい。

2009年に日本医工ものづくりコモンズを創った。米国ボストンに白人、黒人、リス、サルなど誰でも入れる公園があり、これがヒントとなった。これまでわが国では医療と物つくりの現場が一緒になる事がなかったが、垣根を越えて、誰でも対等な立場で参加できるプラットホームの実現を図ったものである。これがわが国で医・工連携を成功させるポイントと考えている。現在16の学会が連携し、これからの医療機械を開発している。加えて日本内視鏡外科学会で学会中に機械展示の場に若手医師のツアーも含めた育成事業も推進している。

起業家スティーブ・ジョブズ氏は組織にはトップリーダーがビジョンを持ってイノベーションを行なわなければならないと言っている。イノベーションには2つあり、1つはわが国得意の継続性のある(ハイレベルな)イノベーション(Sustaining Innovation)があるが、これは中々成果が一般に届きにくい。少しレベルを下げて多くの人達に届き易くする事が肝要であり、これがディスラプティブ・イノベーション(Disruptive Innovation)である。この考え方を文科省に提言していた処、テルモの元会長中尾氏(塾員)も同じ考えを持っていた事が分かり、現在同氏と共にものづくりコモンズプロジェクトを進めている。

医学・工学の連携に加え、今後は(ブラックジャックではなく)チーム医療、チームケアーが大切であると考えている。患者が①発病、②診断、③治療、④回復等夫々のステージで適正なチームが必要である。

最後に、医学はサイエンスを背景としたアート・技術であり、その基礎は温かい心(ヒューマニティ)である。これが本当の医学であると考えている。

胃がんの手術を行った王元監督と対談したが、王さんは“昨日は顧みず、明日は考えず、今日1日1日をきちんと生きる”と言っておられ、この生き方に感銘した次第である。

【質疑応答】

  1. 質問1:再生医療について 京都大学の山中教授によるiPS細胞や、大阪大学における免疫細胞など、再生医療について先生のお考えを教えて下さい。
    回答1神戸でiPS細胞を使った網膜の治療がなされたが、未だ継続的に実施されていない。患者の幹細胞を培養しての再生医療もサルまでは成功しているが、未だ確立されていない。近々大阪大学においてiPS細胞を使っての心臓外科治療も予定されており期待している処である。
  2. 質問2:日本の手術レベル 日本の手術レベルは世界の中でどのような位置にあるのか。また手術後、 抗がん剤の副作用が苦しいと聞くが、将来はどうなるのでしょうか。
    回答2日本の手術レベルは、症例も多くまた研究も進んでいる事から世界最高位にあると思う。一例だが、私が慶應にいる頃ソウル大学から来られていた若い医師が現在ソウルナショナル大学外科の主任教授として活躍している。 抗がん剤については、①患者の組織を用いて抗がん剤の感受性テストや、②ゲノム解析により最適な抗がん剤の使用が可能となり、抗がん剤の副作用を抑える効果も出てきている。また漢方を使った東洋と西洋医学の融合も行なわれてきている。抗がん剤でがんが退治されても再発の可能性があるが、これは癌幹細胞が抗がん剤に強く、これからも癌幹細胞を叩く薬の開発が必要とされている。
  3. 質問3:最先端医療 自分の夫が現在がんの治療中であり、今からでも最先端の治療を受けたいと考えているが、可能であればどこか紹介頂けないでしょうか。
    回答3出来ると思う。(⇒講演会後、個別対話で紹介された)
  4. 質問4:抗がん剤 自分は前立腺がん、骨のがん、肺がん、他に近眼、老眼でもある。(笑) 使用中の抗がん剤が効かなくなってきているようなのでアドバイスが欲しい。また、がんの原因を無くす薬は将来できないのでしょうか。
    回答4現在の薬で副作用が出ていないのであれば、続けたら良いと思う。全てのがんに有効な薬はない。がんの種類により異なる抗がん剤が使われる。がんの再発は癌幹細胞ががん化する事によるものであり、癌幹細胞にダメージを与える薬の研究開発が進められている。
  5. 質問5:がんの予防 現在2人に1人が何らかのがんになると聞いているが、本当でしょうか。 またどのような事に気をつければ良いでしょうか。
    回答5厚生省から出ているデータを見ても2人に1人ががんになる事は事実だと思う。がんも早期に見つかれば良いが発見が遅れると薬を選ぶのも難しくなる。出来れば年に1回は健診を受けて頂きたい。オバマ大統領はプレシジョン・メディソン、すなわち健康な時にゲノム(染色体)解析をすべきだと言ったが、日本でも既に11のゲノム中核病院が選ばれ、その下にゲノム病院も指定されている。中核病院ではゲノム診断をしてくれる。
  6. 質問6:がんの予防 どうしたらがんに罹らずに済むか。またがんに罹っても酵素や気功等を信じて手術も受けない人がいるが、知識の啓蒙活動についてどのように考えておられるか。
    回答6:この件については国が如何に指導するかと言うよりもセルフケアー、本人の自覚が大切である。自分から進んで健診を受けるなど自己管理が大切である。私の持論は下記の通りである。
    1無:①タバコは控えるべし(禁煙)
    2少:①食事、②アルコールは8分目に抑えるべし。(医食同源)
    3多:①多くの運動(2足は二人の医師:歩くことは循環器内科医・脳外 科医を)、②多くの睡眠、③多くの人に会う(多接)

<北島政樹先生プロフィール>

1966年  3月 慶應義塾大学医学部卒業

1975年  3月 慶應義塾大学にて医学博士の学位を受ける。
4月 Harvard Medical School&Massachusetts General Hospital 外科フェローとして2年間留学

1989年  4月 杏林大学第一外科教授

1999年 10月 慶應義塾大学病院病院長

2001年  7月 慶應義塾大学医学部長

2007年  4月 慶應義塾大学医学部名誉教授 国際医療福祉大学副学長・三田病院 病院長

2009年  6月 国際医療福祉大学三田病院がん治療研究センター長 7月 国際医療福祉大学学長

2016年  4月 国際医療福祉大学副理事長 名誉学長

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【講】国分寺三田会創立15周年記念講演会を6月11日に開催しました

2017年6月11日、国分寺駅ビルLホールにおいて、藤崎一郎氏(前米国特命全権大使、現日米協会会長、特選塾員)をお迎えし、渡邉国分寺三田会会長挨拶の後、「トランプ時代の日米中関係」をテーマに、約1時間半の講演会を開催しました。昨年に引き続き立川・国立両三田会の協力、また国分寺市及び国分寺市教育委員会の後援の下、当三田会会員の他、近隣三田会・稲門会や多数の一般市民の皆様を含め189名が出席し、質疑応答も活発で大変盛況な講演会となりました。
2017年1月に米国第45代大統領に就任したトランプ大統領は、現在、日本をはじめ世界各国に非常に大きな影響を与えていますが、今回藤崎氏の時宜を得たお話は、参加者の皆様に大変有意義のものとなりました。講演の骨子は下記の通りです。

(1) 米国を含め現在、世界中が内向きに向かっているという議論があるが、そう決めつけるのは疑問である。トランプ氏は自国第一主義を掲げて大統領に当選したが、クリントン氏との有権者得票数差は僅差であり、米国全体が内向きになっているとは考えにくい。またヨーロッパ諸国の場合、人道的な見地から、数多くの難民を受け入れる等、グローバルな視点での勇気ある決断が行なわれた影響が大きく米国と一緒くたに議論できない。

(2)トランプ氏が選挙期間中に発言した内容はオバマ前大統領に大同小異の政策に転換されている。誰が大統領になっても同盟国との協力関係は国益に欠かせない以上、今後共日本に対する安全保障政策に大きな変化はないだろう。

(3)米国は現在共和党が政府、議会(上・下院共)、司法(最高裁)を抑えている。この状況は過去60年間を振り返っても珍しいケースであり、この機会を捉えて共和党は念願の政策実現を目指すだろう。それ故新事実が出てくれば別だが党内からトランプ大統領に反対する勢力や対抗する議論は生まれ難い。

(4) 米国歴代大統領の政策は夫々異なりニクソンショック、対北朝鮮政策、イラク戦争など日本を含む各国は多くのアメリカの変化を経験してきた。米国はいろいろ試行錯誤しつつ自らの発意で矯正してきた事を歴史が示している。幸い安倍政権はトランプ氏といい関係をきづいており、我々は今後未経験の大変な時代に突入するのかという不安を騒ぎたてるより、中長期的に米国との良好関係維持に努めるべきである。

尚、引き続いて行なわれた懇親会には、藤崎氏をはじめとして97名が出席され、塩井副会長の開会の辞・乾杯の後、会食・懇談に移りました。美味しい食事とお酒で創立15周年に相応しい盛大な懇親会となりました。またこの講演会を契機に数名の方が当三田会に入会されました。

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【講】国分寺三田会創立15周年記念講演会のご案内

会員各位

国分寺三田会創立15周年記念講演会のご案内

国分寺三田会会長 渡邉惠夫

日増しに暖かさを加える頃となりましたが、皆様お元気でご活躍の事とお喜び申し上げます。
さて、当会恒例の定期講演会は今回『国分寺三田会創立15周年記念講演会』として下記の通り開催する事と致しますので是非ご出席下さいますようご案内申し上げます。
講師には、前駐米大使で現在日米協会会長の藤﨑一郎氏をお迎えし、『トランプ時代の日米中関係』をテーマに講演頂く事と致しました。本年1月20日、米国で激しい選挙戦の結果、トランプ政権が誕生しましたが、米国第一主義の下、様々な政策が掲げられています。世界情勢が激しく揺れ動く中、今後如何なる展開へと繫がって行くのでしょうか。今回は私達に特に関心の深い日米中関係を中心にお話を頂く事としております。
講演会後、懇親会を開催致しますので引き続きご参加頂ければ幸甚です。
尚、今回の講演会は出席者多数が予想されますので、出欠の御返事は講演会・懇親会夫々について4月末日までにご連絡頂きたく宜しくお願い致します。

    1. 演題:“トランプ時代の日米中関係”
    2. 講師:藤﨑一郎氏(前駐米大使、日米協会会長)
    3. 日時:平成29年6月11日(日)開演15:00~16:30(受付14:30~)
    4. 場所:国分寺駅ビル8階Lホール
    5. 入場無料(講演会)先着200名迄
    6. 懇親会:講演会と同じ場所(Lホール)にて17:00より行います。
    7. 会費:5,000円(男性)、4,000円(女性)当日、懇親会会場にて申し受けます。
    8. <講演会のチラシはここをクリック下さい>

以上

<講演会事務局>前原憲一、金田一、藤枝とし子、高橋伸一、古賀良三、久保田宏、池田敏夫、 沼野義樹、利根川康俊

【講】国分寺三田会第9回定期講演会を開催しました

第9回国分寺三田会定期講演会
主催:国分寺三田会、 協力:立川三田会、国立三田会
後援:国分寺市、国分寺市教育委員会、国分寺市社会福祉協議会

2016年7月2日(土)に国分寺駅ビルLホールにおいて本年度主要行事であります「第9回国分寺三田会定期講演会」を開催いたしました。講師に医療法人社団慶成会会長の大塚宣夫先生(医学博士、青梅慶友病院・よみうりランド慶友病院創設者)をお迎えし、小笠原国分寺三田会会長の挨拶の後、「豊かな老後は自分でつくる(終活)」という演題で、約1時間半(質疑応答含む)の講演をしていただきました。会員以外の参加者は立川三田会、国立三田会、その他近隣三田会、KP会、国分寺稲門会、欅友会の皆様を始め、今回は特に国分寺・小金井・小平の一般市民の方々も多数参加され、出席者総数は約200名の会場が満席となり、たいへん盛況な講演会となりました。
引き続いて行われた懇親会には大塚先生を始めとして約90名の方が出席され、渡邉国分寺三田会副会長の挨拶、大石立川三田会会長の乾杯のご発声の後、会食・懇談に移りました。

講演概要
大塚先生は、1974年に訪問された姥捨て山のような老人病院の状況に衝撃を受けられたことがきっかけとなり、自分の親を安心して預けられる究極の終の棲家をめざして1980年に青梅慶友病院を、2005年にはよみうりランド慶友病院を設立され、これまでに患者数は10,000人を超え、8,000人以上の方の人生の最後に立ち会われました。今回はそのご経験を踏まえて、豊かな老後をつくるための貴重な知識、ヒントについてご講演をいただきました。

日本は65歳以上の人口が26.7%、75歳以上の人口が12.9%になり、超高齢社会を迎えている。核家族化に加えて家族も高齢化しており家族による介護力が低下していること、高度経済成長と次世代人口の維持を前提として作られている社会保障制度も脆弱化していることから、超高齢社会の重圧は極めて深刻である。
このような超高齢社会において老後を豊かに過ごすためには、①配偶者や子供の世話になることは難しく(親の面倒をみる動物はいない)、自分で老後を考え準備する、②老け込まず(年齢の0.8掛けが真の年齢と意識する)、依存心を捨て、身体の衰えに負けない精神力で自分を元気に保つ、③75歳を超えると臓器が耐用年数を迎え、自己修復力が低下し、認知症への不安が生じてくる等、心身ともに変わることを認識する必要がある。残念ながら認知症は現在の医学では治療ができない。認知症になってしまったらできないことを今やるべきである。
また、お金では幸せを買うことができないが、お金である程度老後の不便さ、不具合を回避することはできる。自分のお金を老後のために上手に使い、確保しておくことが必要である。
老後を迎えるにあたって三つのステージに分けて考え、対応することが重要である。前期(65歳~75歳)では、自分のことは自分で対処し、仕事を続ける等自立を心掛け、健康管理に留意する。一人暮らしのできる人は長生きができる。中期(75歳~85歳)ではあらゆる面での衰えが自他ともに感じられるようになり、認知症や介護の問題が身近になってくる。先行きが不透明だが、今やりたいことはすぐやるように心がける。後期(85歳~)は人生の最終楽章であり、医療の限界を知りジタバタしないことである。
それでも介護、医療が必要になる時が来る。まず、家族介護の難しさを認識すべきである。介護は優しい気持ちだけではうまくいかない。介護は技術・知識・コツ・仕組み・道具立てを必要とするプロの仕事なのである。また、このままだと崩壊が懸念される公的サービスの実態、ピンからキリまである高齢者施設の実態、そして受ける側にとっては苦痛や不安が伴う医療措置や延命を第一優先にせざるを得ない医療現場の実態等について知っておくことも重要である。
介護はプロに任せ、苦痛なく枯れるように穏やかに人生の幕を閉じる。これが家族への最良のプレゼントである。“終わり良ければすべて良し”である。

最後に、大塚先生から超高齢化社会への二つの提言をいただいた。

1. 高齢者の定義の見直し
高齢者の定義を65歳から75歳とし、それぞれが自分の力で生きる努力をする。そうすることで社会は活性化し、わが国の抱える難問の解決法も見えてくる。
2. ヨーロッパ式人生の終わり方
ヨーロッパの老人病院では寝たきりの患者が極めて少ない。動物の世界がそうであるように、自分の力で食べ物が飲みこめなくなったらそれ以上の手段はとらない。我が国もヨーロッパ式の人生の終え方を見習うべき時期に来ている。

老後は誰にも訪れますが、多くの方が十分に準備をせず、ついつい先延ばしにしてしまいます。今回の大塚先生のお話はまさに目からうろこで、「終活」を考える上で重要なヒントをたくさんいただきました。人生を楽しみながら、老け込むことなく、自分で老後を考え準備しておくことの必要性を改めて感じました。

〈大塚宣夫先生プロフィール〉
1942年 岐阜県生まれ
1966年 慶應義塾大学医学部卒業
1968年~1979年まで (財)井の頭病院で精神科医として勤務
1980年 青梅慶友病院を開設し、院長に就任
1988年 同病院を医療法人社団慶成会に変更し、理事長に就任
2005年 よみうりランド慶友病院を開設
2010年 医療法人社団慶成会会長に就任
著書:「人生の最後は自分で決める」(ダイヤモンド社) 他
(文責 髙橋伸一)

講演会事務局 前原憲一(S45工)、藤枝とし子(S43文)、髙橋伸一(S45法)、
岩田友一(S45工)、古賀良三(S46経)、久保田宏(S46工)、
池田敏夫(S47商)、沼野義樹(S48経)

大塚先生1

講演すがた1

会場風景1

【講】国分寺三田会第9回定期講演会のご案内

会員各位

国分寺三田会会長 小笠原正文

日々に新緑の色を増すこの頃、会員の皆様にはお元気でお過ごしの事と存じます。
さて、下記により慶應義塾医学部卒、現在慶成会会長の大塚宣夫氏を講師にお迎えし、講演会を開催する事としましたので、ご多用中の事とは存じますが、是非ご出席賜りますようご案内申し上げます。
講師は30年余りに渡り、自ら作り上げた終末期を迎える老人病院の現場で1万人以上の高齢者に関わり、6,000人以上の方々の最後を看取って来ました。その経験を通じて長生きの過程で生じる様々な課題に直面し、老後に如何に備えれば良いのか、研究を続けて来られました。
今回のテーマは“豊かな老後は自分でつくる”です。掛替えのない一度だけの人生、貴重な老後をどの様に豊かにつくって行くのか、大塚先生にそのヒントをお聴きする事が出来ると思います。  会員の方を初め、ご家族、ご友人の方もお誘い合わせの上ご出席下さるようお願い申し上げます。尚、講演会後、懇親会を開催致しますので引き続きご参加頂ければ幸甚です。
(添付チラシご参照)

・                     記

  1. 演題:“豊かな老後は自分でつくる”
  2. 講師:大塚宣夫己氏(昭和41年慶應義塾大学医学部卒、医学博士)
  3. 日時:平成28年7月2日(土)
    開演15:00~16:30(受付14:30~)
  4. 場所:国分寺駅ビル8階Lホール
  5. 入場無料(講演会)
  6. 懇親会会費:5,000円(男性)、4,000円(女性)
    当日、懇親会会場にて申し受けます。
  7. 申込み期限:平成28年6月20日(月)

以上

<講演会事務局>前原憲一、斉藤信雄、田川尚子、塩井勝也、金田一、藤枝とし子、畠山秀、高橋伸一、古賀良三、久保田宏、池田敏夫、沼野義樹、

【講】国分寺三田会特別講演会を開催しました。

1.日時  2016年年 3月26日(土)14:15~16;30
2.会場  国分寺労政会館
3.演題  -戦後70年、封印されてきた真実を語るー “日本にもあった戦争神経症”
4.講師  目黒 克己氏(昭和34年慶應義塾大学医学部卒・医学博士、元国分寺三田会会長)
5.出席者 102名
・     (会員59名、近隣三田会8名、医学部塾員1名、近隣稲門会7名、欅友会23名、その他4名)

・目黒先生と戦争神経症の出会いは、1962年、国立国府台(コウノダイ)病院神経科に勤務していた時に一人の戦争神経症患者を受け持ったことから始まったそうです。戦争神経症とは、通常は軍隊内で発生した神経症のことです。前線で発生したものと内地あるいは後方の兵站基地で発生したものを合わせて戦争神経症としています。今回は①日本軍の戦争神経症の実態、②日本の戦争神経症の研究に関わった人々、国府台陸軍病院とその業績、③終戦と戦争神経症、 ④封印された戦争神経症の20年後の予後調査、⑤諸外国の戦争神経症、⓺第二次大戦における米軍に発生した戦争神経症の予後調査について語っていただきました。
・欧米では戦争医学として戦争神経症の研究が進んでいますが、日本人の精神力を強調する軍は戦争神経症については、一般に知らせていませんでした。しかし、現実には第一次大戦の欧米の経験から「戦争神経症」の対応を重要視して国府台陸軍病院を拠点としていました。終戦時、軍は資料の焼却を命じましたが、病院長の故諏訪敬三郎氏はひそかに8千冊の病床日誌を倉庫に残しました。目黒先生はこれを見つけ、戦後20年の時点で104例を対象に郵送と面接で予後の実態調査を行いました。104例のうち25%が治っていないと答え、治ったという人も神経症的傾向が続いていました。面接した主な4症例は次の通りです。「(症例1)軍隊生活への不適応(古参兵による私的制裁を受けた)」、「(症例2)戦闘行動の非人間性に対する不安(何度も討伐に参加。燃えている家に、消せるはずもないのに手桶で水をかける老婆が母親に似ていた)」、「(症例3)「戦闘による消耗(連日強行軍。作戦中に卒倒)」、「(症例4)心因あり、うつ状態(討伐に参加、古参兵の私的制裁、激しい空襲と食料不足、武器を失い、ひどく叱責される。不眠、うつ状態)」。
・目黒先生は故諏訪敬三郎氏から「今後50年間、論文に記した以外は口にするな」とくぎを刺され、封印してきました。調査当時は研究内容に対する世の中の評価は冷たかったそうです。そして調査後50年経った2015年に朝日新聞の取材に応じました(2015年8月18日付け朝刊:封印された「戦争神経症」)。目黒先生は「①真実は一つ。ただ、時代により評価が変わる。いまでは戦争神経症が新聞に取り上げられるようになった。②戦争は勝った側、負けた側どちらにも心の傷が残る。戦争は悲惨。」と言う言葉で講演を締めくくりました。
・小笠原会長の開会挨拶、天野先輩の閉会挨拶にもありましたが、安保法制、憲法改正等国のかたちが議論される中で今回の講演は戦争の悲惨さについて考える絶好の機会になったと思います。特に天野先輩の戦中、戦後を通じての体験から戦争はこりごりだと言う話は説得力がありました。また目黒先生という戦争神経症の研究者が国分寺三田会の先輩にいらっしゃるということは我々の誇りです。目黒先生、貴重なお話をありがとうございました。
講演記録は追ってHP(会員専用頁)に掲載します。ご期待下さい。
・講演会事務局 前原憲一(S45工)、藤枝とし子(S43文)、高橋伸一(S45法)、岩田友一(S45工)
・       古賀良三(S46経)、久保田宏 (S46工)、池田敏夫(S47商)、沼野義樹(S48経)

・   目黒 克己氏プロフィール
1960年       慶應義塾大学医学部精神神経科教室入局
1960年〜1968年 国立国府台病院神経科・国立精神衛生研究所
1966年       『20年後予後調査から見た戦争神経症』の研究で医学博士
1967年〜1968年 米国ハーバード大学医学部精神科研究員
1970年〜1991年 厚生省勤務。生活衛生局長で退官。
1994年から恩賜財団済生会本部理事、  現在、医療法人高仁会顧問

 

講演風景IMG_9289

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【講】国分寺三田会特別講演会のご案内

戦後70年の節目で、今や様々な封印されてきた事実が明らかになってきております。
今回講演の内容は「戦争神経症」について、実際に調査・研究に携わった目黒氏に直接語って頂きますので、興味あるお話しが伺えるものと思います。
・                    記

  1. 演題:“日本にもあった戦争神経症” -戦後70年、封印されてきた真実を語る-
  2. 講師:目黒克己氏(昭和34年慶応義塾大学医学部卒、医学博士)
  3. 日時:平成28年3月26日(土)    開演14:00~15:30(受付13:30~)
  4. 場所:国分寺労政会館4階 第4会議室
    (JR中央線国分寺駅南口より徒歩5分) 別添のチラシ参照
  5. 入場無料

【講】第8 回国分寺三田会特別講演会

(主催:国分寺三田会、協力:立川三田会・国立三田会、後援:国分寺市教育委員会)

2015年6月27日(土)に本年度の主要行事の一つであります「第8回国分寺三田会特別講演会」を国分寺駅ビルのLホールにて開催しました。講師に慶應連合三田会会長(北里大学名誉教授)の比企能樹先生をお迎えし、「端艇部と医学部の狭間から」という演題で講演をして頂きました。今回も立川三田会、国立三田会に加えて、その他近隣三田会、三四会、稲門会、国分寺稲門会の皆様を始め、国分寺・小金井・小平等の一般市民の方々も、多数出席されました。出席者総数は会場の収容人員にほぼ近い180名余でした。

尚、引き続いて行われました懇親会には比企会長以下、講演会出席者約100名が出席されました。渡邉副会長の挨拶に続き、比企会長から改めて「慶応義塾教育研究医療環境整備事業」についてのお話があり、目黒克己元会長のご発声で乾杯のあと、会食・懇談に移りました。

折角の機会ですので、懇談会上で募金箱を廻したところ、皆さんのご厚意で総額15万円の寄付が集まりました。全額を整備事業の一つであります「慶應義塾大学病院新病院棟建設事業募金」に寄付いたしました。皆さんのご協力に感謝致します。

【講演】
「端艇部と医学部の狭間から 恕して行う —未だロウアウトならず—」

慶応連合三田会会長 比企 能樹

<講演概要>
連合三田会会長の比企能樹さんの講演は、ロウアウトの説明から始まった。この意味は、ボートを漕ぐ(row)ときの精神を表わす言葉で、全力を尽くすことである。レースの最後の瞬間、フィニッシュまで漕ぎ尽くして果てようとするのがロウアウト精神とのこと。
比企さんとボートの関わりは体育会端艇部に選抜された時から始まる。厳しい練習に耐え、慶應のエイトは1956年8月のメルボルンオリンピック代表決定リーグに進む。各新聞は「慶大はだいぶ見劣りする」と評価していたが、決勝まで進出。京大とのレースでは僅か3/100秒差(その差30cm)で1位に。慶大クルーは日本代表としてオリンピック出場を果たす。オリンピックでは日本史上初の準決勝進出。しかし不運にも慶大チームが出場した日は、低気圧の影響でウェンドリー湖は波が高く軽量艇の慶大エイトは敗退。決勝進出ならず。翌日は晴れ上がり、水面は静かであった。もし天候が一日違っていたら・・・
その後、医師になった比企さんは内視鏡の分野に進む。
1958年米国でファイバースコープが開発され、負担の少ない内視鏡の道が開けた。1967年から内視鏡を使った治療が始まり今では胃癌が見つかっても、これまでの様に大きく切除しなくても良い場合も出てきた。病院によっては腹腔鏡を使った手術件数が開腹手術件数を上回っている程である。
最後に比企先生の医療教育のバックボーン・信条を話された。
それは「恕して「医」を行い、恕して生きる」。
(“恕する”とは「おのれの心の如くに人の心を思いやり」という福沢諭吉も重んじた言葉)


{尚、本講演会の講演録は次回会報(10月発行)に添付される予定です。}

【講】第7回国分寺三田会講演会

2014年6月28日、年度の主要行事である「第7回国分寺三田会講演会」を立川三田会、国立三田会の協力を得て国分寺駅ビルのLホールにて開催。講師には、渡辺利夫・拓殖大学総長をお迎えし、演題「日中、日韓の底流にあるもの」を講演して戴きました。今回は、近隣三田会、稲門会に加え、小金井・小平在住の新規塾員にも案内した結果、総計190名近くの方々が出席。時宜を得た演題に対し活発な質疑応答も行われ、盛況な講演会となりました。尚、当日の「講演会要旨」を別添にて取り纏めましたのでご一読下さい。