【歴】第94回 歴史をひもとく会 開催報告

江戸~明治、多摩・国分寺界隈の村々と人々

第94回例会(講演会)が、12月5日(土)国立のエソラホールにおいて出席者32名で開催されました。講師は歴史をひもとく会代表世話人の星野信夫さんです。本講演会は、当初7月に開催する予定でしたが、コロナ禍の影響で3月に予定していた塚原正典さんの講演が延期を重ね10月開催となったため、12月の開催となったものです。 今回も、公民館ではコロナ感染対策のため入場可能人数が限定されるため、10月の第93回に続いて、国立駅前のエソラホールで開催としました。同ホールは、比較的換気も可能で、収容人数がある程度見込める会場です。

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< 講師紹介 >

1944年、国分寺町(市)生まれ。
昭和42年経済部卒
現在は国分寺市観光協会会長。

 

< 講演内容 >

今回の講演の主題は、江戸から明治にかけての多摩・国分寺がどのように発展してきたのか、またどのような社会であったのか、それはどのような人々に支えられてきたのかということでした。歴史をひもとく会の今年度のテーマは「江戸」としていますので、星野さんには今までの講演続きという講演となりました。

講演は、まず多摩地区が、鎌倉時代から江戸時代にかけてのほとんどの時代が幕府の直轄地であったということから始まりました。途中、後北条氏の統括の時代があったとのことですが、それを除くと幕府の直轄地であったとのことです。話が12世紀の終りから19世紀の半ばの明治時代へと、約800年間のお話しとなりました。

話しの中心は江戸時代の多摩・国分寺界隈がどのように開発されて来たかということでした。講師の話にも熱がこもり、会場もそれに反応するように食い入るように聴講し、あっというまに1時間が経過し、換気・トイレ休憩となりました。休憩時には、会場の天窓も開放しやや冷たい空気がさっと会場をながれ、換気がされているという実感がありました。休憩後は、一気に幕末から明治にかけての流れの話になり、講演終了予定時刻(正午)を33秒超過したところで、講演予定内容のすべてのお話が終わりました。

講演にあたっては、時節柄、マスクをしたままでの講演をお願いしましたが、持ち前の声質・声量で会場に十分届き、時には得意の歌声も挟んでの講演でした。

講演資料として、A4で6ページにわたるレジュメが配られ、また適宜ホワイトボードを使っての説明に、聴講者が迷子になることもなく、講演についていくことが出来ました。講演終了とともに大きな拍手となりました。

 

[ 講演内容の概要 ]

講演は、7つの単元から構成されていました。

単元1は、多摩地区が、鎌倉時代から江戸時代にかけて、幕府の直轄地あったこと、そして徳川家薬の鷹狩の地であるとともに、江戸の街にとっての水・食料その他いろいろな物資の供給地であったことの説明でした。
単元2は、多摩地区に村々が開発に伴い出来てきたわけですが、開発時期により3つの時期にわけてその特徴が説明されました。その時期は、第1期は街道に沿って、第2期は玉川上水の利用、そして第3期は享保の改革による新田開発の奨励ということでした。
単元3では、江戸の街との交流や多摩の村々を支えた人々の話でした。その中には、近藤勇の流派でも知られる「天然理心流」の話も出てきました。
単元4は激動する幕末の多摩として、明治維新の直前から維新までの話、そして単元5は明治維新により新政府の動きがどう影響したというお話でした。
単元6は、多摩地区における「自由民権運動」の話、そして、最後の単元7では、国分寺地域の各村から、合併による大きな村への流れ、その中には国分寺村、小金井村の成立もありました。そして、「多摩」が神奈川県から東京府に移管された話で終わりました。

 ※ 当日会場で配布したレジュメは、会員専用頁(分科会)に掲載しています。

 

入場時に手の消毒と検温を実施しました

入場時に手の消毒と検温を実施しました

ホワイトボードを使っての講演

ホワイトボードを使っての講演

 

 

 

 

 

 

 

講演受講の様子 椅子と椅子の間隔を保持

講演受講の様子 椅子と椅子の間隔を保持

講演終了後、各自椅子をアルコール消毒

講演終了後、各自椅子をアルコール消毒