【歴】第92回 歴史をひもとく会 開催報告

幕末大河ドラマと現代社会

ー『篤姫』を例にー

第92回講演会が1月11日(土)本多公民館において56名の出席の下、開催されました。講師はテレビでもお馴染みの東京学芸大学名誉教授 大石 学氏。NHK大河ドラマをはじめ数多くのテレビ番組の時代考証を担当されている大石氏に今回は「幕末大河ドラマと現代社会~『篤姫』を例に~」というテーマでご講演頂きました。大変分かりやすい語り口で、内容も切り口が新鮮で充実しており、大変好評を博したようで、終了時には会場は大きな拍手に包まれました。IMG_2518 (2)

<講師紹介>

1953年東京都生まれ、
東京学芸大学大学院修士課程修了、
筑波大学大学院博士課程単位取得、
東京学芸大学教授・副学長等を経て、
現在は東京学芸大学名誉教授、
独立行政法人日本芸術文化振興会監事、
ご専門は日本近世史

<主な講演内容>

まず、「新選組!」「篤姫」「龍馬伝」「八重の桜」「花燃ゆ」「西郷どん」という幕末から明治維新を描いた大河ドラマのそれぞれの狙いを解説、さらにそれらのドラマに共通するテーマは、「西高東低」と「英雄史観」の克服であり、「江戸の達成」としての明治維新、「官僚革命」と官軍の包容力・懐の深さ、「オールジャパン」そして「女性の活躍」にあったとのこと。

次に「新しい江戸のイメージ」と題して、大河ドラマの江戸は、従来のチャンバラ、勧善懲悪の時代劇ではなく、むしろ江戸という時代における現代劇である。江戸時代は約250年以上内外共に戦いのなかった平和な時代でありこれは世界的に見ても稀有の社会と言える。こうした中で特に江戸の治安の良さには当時来日していた多くの外国人たちが驚いており、数多くの文書に残されている。例を挙げれば「帯刀した者たちの間で流血事件が起きるということはめったになく、この国の人間の性来の善良さと礼儀正しさを存分に物語っている」(仏海軍士官E・スエソン)「槍の刃先、銃の銃口さえもが丁寧に鞘に包まれている」(プロシア外交官ルドルフ・リンダウ)「警察の機能は騒動とか犯罪を強力をもって防遏(ぼうあつ)するというよりは、これを未然に防止するように仕組まれている」(蘭海軍リッター・ホイセン・ファン・カッテンディーケ)幕府の役人は二刀を帯びているが、「長い刀は戦の際の武器で、親しい人間の家では体から離すのが礼儀である。短い刀は専ら自殺用の武器である。それ故友人の家を訪れた際にこれを身につけていても何等無礼ではない」(仏人C・モンブラン)「日本人の間では汚名を蒙り、屈辱を受けた場合には自殺するのがふつうのことであり、そのための道具を手許に用意しておくのが絶対に必要なことである」(蘭人イザーク.ティチング)

江戸時代は識字率も高く、庶民が高札に集まって読んでいた。役所も高札をひらがなで書くこともあったという。また、女性像も抑圧された女性像から自立的・社会的な女性像へと大きく変化しており、自ら離婚する女性、知行権を持つ武家女性、家相続をする庶民女性、駆け込みをする女性、心中・不倫などの事件を起こす女性、手習い(寺子屋)の女性師匠などが現れて来た。このことも多くの外国人が書物に残しており、「おそらく東洋で女性にこれほど多くの自由と社会的享楽が与えられている国はないだろう。(中略)女性の地位は東洋よりも、むしろ西洋で彼女たちが占めているところに近い」(英公使館書記官ローレンス・オリファント)「子供たちが男女を問わず、またすべての階層を通じて必ず初等学校に送られ、そこで読み書きを学び、また自国の歴史に関するいくらかの知識を与えられるといっている」(エルギン卿遣日使節録)「日本における女子の地位は、世界の大抵の国とは異なれり。女子は何の汚辱もなく、清き結婚生活を送り、女子は適当の年齢に達するまでは両親の膝下に愛育せらる。余は三四歳の数多の少女の余念もなく嬉戯しつゝあるを見たり」(英軍医デー・エフ・レンニー)「支那の貴女にありては、外人を見るや否や逃げ去るを以て礼となせども、日本にありては吾人(外人)と遇ひたればとて、聊かも恐怖の状を示さず、平然として常とかわる異なることなし。茶屋にては、女子は微笑を以て来り、吾人のまはりに集ひて衣服などを験し、時には握手することをさへ学べり」(英植物学者ロバート・フォルチューン)等の著述が残っているとのこと。

また、大河ドラマにおいては江戸時代像そのものの見方も変化している。それは次の3つの点の変化である。①未開から文明へ(貨幣経済の進展、文字の普及など)、②豊臣秀吉の「惣無事(大名の私闘を禁じる)」政策に続く「Pax Tokugawana 徳川の平和」、③「封建制から early modernへ」=「近代」との断絶から連続へ。具体的には、江戸時代は、統一的国家体制が整備され、民間社会が成熟し、列島の均質化が大いに進んだ時代といえ、現代日本の政治的・社会的問題となっている東京一極集中や官僚指導、あるいは社会の均質化などの諸現象は、江戸時代以来の400年という長い時間の中で形成されてきたものと言えるとのこと。そして「国家―国民」という関係から見れば、日本史上初めて国家が対外関係において国民を管理する時代が到来したということであり、江戸幕府は、日本史上初めて列島規模で国民を管理した権力であったと言えるとのこと。まとめれば、江戸時代は、現代の私たちの国家・社会に連なるさまざまな要素の成立・発展の過程であり、従来の「近代と断絶的な江戸時代像」から「近代と連続的な江戸時代像」へ、今日グローバル化のもとで、変質・解体しつつある日本型社会・日本型システムの成立・発展期としてとらえられるということ。

 

後半は、大河ドラマ「篤姫」と「役割」「家族」論と題して、幕府の中枢にいた女性の視点から見た初めての大河ドラマである「篤姫」の場面やセリフをとりあげ、「篤姫」が「役割」「家族」という視点から現代社会に問題を提起する作品であったことを分かりやすく説明された。多くの参加者が改めて作品に感動し、「目から鱗」という感想を持った方も多かったと思われる。

江戸時代の「士農工商」という区分は、決して厳しい上下関係ではなく、むしろ横の関係で、武士、農民、職人、商人がそれぞれの役割を果たすことで社会が成り立っていた。

幼少の篤姫が母から武家と農民の違いは上下関係ではなく、その役割にあると教えられ、これが生涯を通じて篤姫の思考の根底にあったということ。また、天保の改革で財政を立て直した薩摩の家老調所広郷が、その厳しい政治に不満を抱く篤姫に「それが手前の役割にて」と覚悟のほどを伝える場面、安政の大獄を指揮した井伊直弼を天璋院(篤姫)が責めるのに対し、井伊が「私は役割を果たしたまで」と覚悟と強い信念を天璋院に伝える場面、皇女和宮が婚約を破棄して徳川家茂に嫁ぐ際、お付きの女官庭田嗣子に「こたびの婚儀、私がお受けいたしましたのは、御上から授かったお役目のため、日本国の太平を開かんとするためじゃ」「私はそのお役目を果たすべく江戸に行く」と語った場面、最終回での天璋院と勝海舟との会話で「ただ天璋院様と話していると、生きることに勇気が湧きまする。この世とは、虚しいこと、つまらぬことなどひとつとしてないのだと」「それはそうじゃ。誰もが天命、果たすべき何かを持ってこの世に生まれてくるのだからな・・・」「果たすべき何か・・・」「そうじゃ。天命じゃ」と語り合う場面。これらの役割(役目)論はそれぞれの人間が、それぞれの立場に基づく正義や役割を自覚することによって、運命に立ち向かう(あるいは受け入れる)姿を描いており、従来の時代劇の勧善懲悪という図式ではないということ。

また、次期将軍を巡る争いの中で、松平春嶽ではなく井伊直弼をとることにした家定が篤姫にいう「徳川将軍家を守りたいがためじゃ」「わしの家族をな」という場面、家茂と初めて心が通じたと思った天璋院が家茂に「私はひとり残されたのではなかったのですね・・・。あなたという新しい家族が出来たのですね」という場面。豊臣時代から江戸時代を通じて成立してきた「家」「家族」を単位とする生産・生活の習慣や文化(生活習慣、年中行事、人生儀礼)もこの時代に確立し、現代の私たちの生活に直接つながる要素として列島社会に定着していったということが言えるとのこと。

 以 上