【E】第129回Oh!Enkaの会を開催しました

1.日時   令和元年12月15日(日)10;00~12:00
2.会場   本多公民館・視聴覚室
3.出席者  会員(国分寺三田会、国分寺稲門会):47名、
・      非会員(会員家族・同伴者):4名
・      計51名
4.プログラム 講演会
・   演題 : 皇太子の先生になった人 小泉信三
・   講師 : 慶應義塾大学 福澤研究センター 准教授 都倉武之
・       (都倉准教授のプロフィールについては下記ご参照ください)

今日は塾歌斉唱のあとすぐに都倉准教授の講演会が始まりました。
平成から令和に変わった本年ならではの、時宜を得た誠に興味深い講義内容でした。

【講演要旨】
・福澤研究センターは福澤先生を通して近代日本を問うということが設立の趣旨である。慶應義塾が近代日本に対して問題を問いかけ続けているということを訴えていくことが使命である。福澤先生の思想を先生が生きてきた時代とそのあとの時代も含めて、どう解釈して教育に生かしてきたのか、生かし切れなかったところがあるのかを考えてきた。その延長の中で小泉信三先生がどういう教育をされたのか、福澤思想をどう解釈してきたのかも研究対象にしてきた。最近は1968-69年代の学生運動の調査、その中での慶應の位置づけの研究等にも手を広げている。

{はじめに}
・小泉信三(1888~1966)のイメージ
体育会の神様(「練習は不可能を可能にする」・小泉体育賞)としてよく知られている。経済学者であり、反マルクス主義の保守論客である。
戦時中塾長を務め、長男は戦死し「海軍主計大尉小泉信吉」を著し、学徒出陣もあった。戦後は皇室と深く関わり、東宮御教育参与を務め、皇太子のご成婚に尽力された。
戦時中に塾長だったことが小泉信三の評価を難しくしており、否定的評価を抱いている先生方もおり、一方では小泉の下で過ごした時代を誇りに思っている方もたくさんいた。アンチ小泉と小泉万歳の両極端に別れる中、小泉研究はタブーで、15年前は誰も手を付けなかった。研究すること自体を批判され、相当不快な思いもした。続々本が出る現在は隔世の感がある。歴史上の存在として議論され始めたということか。
・2008年11月の慶應義塾創立150年記念式典に天皇・皇后両陛下の行幸啓があった。90年、100年式典にも昭和天皇が行幸されている(75年式典は秩父宮)。
私学に天皇が行幸することは慶應の存在位置が変わったこと、また小泉信三の存在が大きい。その他小泉信三展、福澤諭吉展等にも天皇皇后、秋篠宮がお出でになっている。
・上皇が42歳の誕生日を前にした記者会見で、自分が影響を受けた人として小泉信三、安倍能成(学習院院長)、坪井忠二(東大理系、科学者としての天皇を育てた)を挙げている。
・平成の天皇の時代の評価は高い。国民に寄り添い(災害・事件・弱者)、戦争と向き合う姿勢が評価されている。昭和の時代は戦争あるいは天皇制というイデオロギー的な論争があったが、平成はそうしたイデオロギーから遠い存在になっていった。一方では「象徴天皇」論が深まらなかったという点は否めない。
・今年8月に田島道治の「拝謁記」が公表されたが、田島は主権者としての昭和天皇を象徴としての天皇に軌道修正していった。昭和天皇にとっての「象徴」は、消極的であることに意味があった。
小泉は「象徴」を積極的に解釈して意味を与えることを天皇に促した。その背景に福澤諭吉の思想が活かされた。
天皇は憲法に定めるとおり「世襲制」のものでありかつ「日本国民の総意に基づく」ものである。小泉は、難しい存在であることを天皇が自覚し責任を持つよう求めた。

{1.父小泉信吉と福澤諭吉}
①小泉信吉(のぶきち・1849~1894)は紀州藩出身で、慶應2年に福澤門下に入った。この頃中津、紀州、長岡が塾の三藩といわれ特に門下生が多かった。いずれも幕府に近い藩であり、明治になって政府から距離を置き、もの申す立場がここに芽生えていた。紀州出身者には重要な人物が多くいた。松山棟庵(福澤の主治医・慈恵医大の創立者の一人)、和田義郎(幼稚舎創立者)、鎌田栄吉(25年以上塾長を務めた)等。
・維新の混乱時も福澤と行動を共にし、英国留学を経て大蔵省、横浜正金銀行、日本銀行の要職を歴任した。
・明治20年福澤が呼び戻し塾長となり、大学部の設置に尽力した。その後間もなく福澤と衝突し、修復しないまま若くして亡くなった。
・福澤は信吉を高く評価しており、死後も塾の代表的人物として名を挙げている。「演説は小泉の発案、くれぐれも憶えておいてくれるように」「気品の泉源、智徳の模範」等の発言がある。また、死の翌日長文の弔辞を書き上げ小泉家に届けた。小泉家の子供たちはこれをもって父の姿に学ぶことを怠らなかった。
その中で「その心事剛毅にして寡欲、品行方正にして能く物を容れ、言行温和にして自から他を畏敬せしむる」「能く本塾の精神を代表して一般の模範たるべき人物は、君を措て他に甚だ多からず」と絶賛している。

②福澤における父の意味への着目
・小泉信三は、福澤にとって父親の存在は非常に大きく、父を慕いその名を辱めぬことを期していたことを発見した。これは小泉が皇室に求めた役割を考えることにつながる。
・福澤の父(百助)の生涯は封建制度・身分社会に束縛され満足な学問が出来なかった。その姿を見て儒教に批判的な人格が形成された。「門閥制度は親の敵で御座る」
・父の存在が大きいということを最初に小泉が言い出した。「モラルバックボーン」
・これを指摘した小泉も同じく父の存在の影響を強く受け、自分を律していた。

{2.慶應義塾における小泉信三}
①慶應義塾のサラブレッド
・小泉信三は明治21年三田に生まれた。
・父が早世したあと、小泉家は福澤邸に同居、後に福澤が新居も手配した(今も残っている)。
・妻とみは阿部泰蔵の娘であり、兄と小泉は大の親友であった。(阿部泰蔵は門下生でウェーランドの講義を聴いていた一人・明治生命の創設者)
・小泉は幼少時福澤と接していたが、たわいもないことだけ覚えていることを悔やんでいた(福澤は青い鳥)。
・福澤の死の翌年に普通部に入学した。
・小泉は塾の学風が気に入っており、特に教員や塾員に対しても、さん付けで呼んでいたことが、人をその肩書きによらず、その真実の徳と功とによって評価しようとする一種の気風を吹き込む効果があった、と言っている。

②スポーツの良き理解者
・庭球部の名選手であり、キャプテンも務めた。後に部長も務めた。当時官学が強かったが、私学として対抗し倒していった。明治の終わり頃には官学は淘汰された。
・スポーツが教育上どういう意味を持つかを深く考えた。学徒出陣の際に最後の早慶戦を実行した。
・「スポーツが与える三つの宝」~練習が不可能を可能にする体験・フェアプレーの精神・友
・小泉は「文武双全」という言葉を使っている(「文武両道」は儒教的)。
・スポーツの教育的意義を重視しており、教育としてのスポーツは人格形成に資すると考えていた。「かりに対校競技に熱中した体験を持たずに終わった学生生活は、学生生活というに値しない、という者があっても、それはさほどの言い過ぎとは思われない。たかが運動競技などというのは、出世主義の秀才あたりの言い草に過ぎない」(毎日新聞コラム)

③リベラルな経済学者
・福田徳三(政治学科・経済理論の先駆者)に学び、強い影響を受けた。
・教員となり、当時席巻していたマルクス主義に対抗して保守論陣を張った。戦後の左翼的風潮にも対抗した。「儒教に対する福澤、マルクス主義に対する小泉」

④困難な時代の塾長(1933~1947)
・日吉開設、藤原工大開校、三田の環境整備を行った。
・塾生の規律・気品に厳しく、自ら注意することもあった。
・戦中の塾長として、官学主体の論調の中、塾存続に苦悩、苦労した。
・学徒出陣、空襲を経験し、また子息を亡くし、自らも重傷を負うという苦難に満ちた時期であった。
・戦時下の言論界での福澤批判(特に徳富蘇峰の功利主義・個人主義・独立自尊の批判)の矢面に立ち、自ら反論した。
・私学存続の厳しい道のりの中、福澤創始の私立を守ることへの小泉信三固有の使命感を持っていた。
・戦後は戦争責任論については塾内で微妙な関係にあり、教壇に戻ることはなかった。

{3.東宮御教育参与としての小泉信三}
・戦争末期から終戦をまたいで戦後まで、政府には小泉待望論があった。
・特に戦後の待望論の背景には、民主主義の祖としての福澤諭吉、「帝室論」の存在、戦争中の態度(軍部・政府に阿らない)、戦中の不幸な体験、マルクス主義批判のリベラリストという要素がある。
・一方では塾内にも小泉否定論はあった。戦争責任やマルクス主義批判や皇室と関わりを持つことは政府迎合、御用学者と批判する向きもあった。
・東宮の教育責任者を要請された時、官職に就くことを固辞し、民間人として東宮御教育参与(昭和21年)、東宮御教育常時参与となった(昭和24年)。戦後間もない頃から内閣顧問、文部大臣、宮内庁長官を要請されたが一貫して断っている。(昭和23年宮内庁長官には田島道治が就任している)

①福澤の「帝室論」(明治15年刊行)を皇太子と小泉が音読し、意味について議論した。
・「政治社外」(天皇を政治と切り離すべきである)として、天皇は国民を見守る存在であり、民心の収攬、緩和力になるべきである。また、文化面では学術・技芸の奨励・擁護することが皇室のあるべき姿である。
帝室は「万年の春」である。政治は灼熱・極寒の世界であり、それを上から暖かく見守っている存在である。
・「尊王論」もテキストとして用いていたと思われる。
天皇はなぜ尊いのか。人は古くて珍しいもので、役に立たないものを大事にする。生きている人間(天皇)なら更にそうである、と論じている。万世一系、皇祖皇宗を論ぜず、神性を否定したドライな皇室の意義づけをした。
福澤は、皇室の政治利用・絶対化への強い警戒を持っていた。

②「ジョージ五世伝」の購読
・ジョージ五世(英国王在位1910-36)は「立憲君主」としてのリーダーシップを発揮した。
・首相の遠く及ばない「特殊の感覚と見識」、「道徳的警告者たる役目」を持っていた。
・ジョージ五世はバジョットの「英国憲政論」を学んだ。
君主の政府・大臣に対する3つの権利として、(1)諮問に対して意見を述べる権利(2)奨励する権利(3)警告する権利を挙げている。
昭和天皇も「英国憲政論」を学んだが、後日「独白録」において、これを3つ踏み外したと述べている。田中義一辞職、2.26事件、終戦である(天皇が自ら意思表示をした)。
・小泉は、「立憲君主は道徳的警告者たる役目を果たすことが出来るといえる。そのためには君主が無私聡明、道徳的に信用ある人格として尊信を受ける人でなければならぬこと勿論である」と説いた。

③皇室の「民主化」
・小泉は皇太子を当たり前の青年として扱った。慶應流に、人を尊重しつつ特別扱いをしないと言うことを示した。日常の振る舞い、マナーについても教えた。
・スポーツについてもしきたりや流儀を教えようと硬式テニスを勧めた。
・民間人とのご成婚に道筋を付け、報道協定等についても尽力した。
・小泉の慶應義塾での経験や気風が大いに影響している。
・小泉は皇太子にとって父親代わりであり、皇太子は小泉にとって息子代わりとしてのお互いの気持ちがあった。

④ロボットではない、考える「象徴」
・2008年御進講の際のノート(御進講覚書)が発見された。
・小泉は皇太子に自分で物事を考えよと言うことを強く言った。皇室の位置と責任の自覚を強く促し、日本の皇室がなぜ残ったのか、民心が皇室を離れなかったのはなぜなのか、今後どのようにあるべきかを考えることは義務であるとした。
・「君徳といふことについて御考へになっていたゞきたい」「君主の人格その識見は自ら国の政治によくも悪くも影響するのであり、殿下の御勉強とは修養とは日本の明日の国運を左右するものと御承知ありたし」ということを皇太子に説いた。
・小泉が与えた、生涯にわたる課題を踏まえ、「平成皇室」の象徴天皇があったと言える。小泉信三が作り上げた人格が与えた影響は大きい。

{おわりに}
・慶應義塾は人格を作っていくために教育を重視している学校であり、さらに福澤と小泉の背後にそれぞれの父の存在があって人格が形成されたことを小泉は意識していた。その二人の影響の下に平成という時代があり、またその小泉は、自分の父が自分自身のモラルの柱になったことを自覚したように、皇室の存在が国民にとってそのような(自分にとっての父のような)存在になることを期待したのではないか。

【講演要旨終わり】

・最後は全員が肩を組み平林正明会員指揮による「若き血」斉唱とエール交歓でお開きとなりました。
※なお、「帝室論」については国分寺三田会ホームページ・福澤諭吉コーナに小林隆夫会員による要約版が掲載されていますのでご参照ください。
また、NHKで放映されたビデオを塩井代表がお持ちです。ご希望の方はお申し出ください。

【都倉武之プロフィール】
慶應義塾福澤研究センター准教授
専門は近代日本政治史・政治思想史・メディア史。
1979年生まれ。
2007年慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程満期単位取得退学。武蔵野学院大学助手、専任講師を経て2007年慶應義塾福澤研究センター専任講師。2011年より現職。
『近代日本と福沢諭吉』(共著、慶應義塾大学出版会、2013年)、『福澤諭吉の思想と近代化構想』(共著、慶應義塾大学出版会、2008年)ほか。
2004年より小泉信三研究を開始し、『父小泉信三を語る』(共編、慶應義塾大学出版会、2008年)、『アルバム小泉信三』(共著、慶應義塾大学出版会、2009年)などがある。

世話役代表:塩井勝也(S41法)
世話役:斎藤信雄(S38政)、金田 一(S42工)、高橋伸一(S45法)、久保田宏(S46工)、芳賀 崇(S47経)、平林正明(S47経)、山田 健(S47経)、池田敏夫(S47商)、井上 徹(S49政)

♪次回以降の予定
・1月19日(日) 午前10時~12時 本多公民館・視聴覚室 Songs
・2月23日(日)午前10時~12時 本多公民館・視聴覚室(予定)
・       コソボ室内交響楽団 指揮者 柳澤寿男
・       ピアノ 吉村美華子(柳澤寿男夫人)

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講師 都倉武之 准教授

 

【ゴ】第59回国分寺三田会ゴルフ会

国分寺三田会第59回ゴルフ会が、未明までの雨もあがり時々日差しがもれて暖かいゴルフ日和の中「昭和の森ゴルフコース」で、初出場の青木さんを迎え22名が参加して行なわれました。
優勝は2回目の出場の小川さん、準優勝は小島さん、3位は岩下さんがそれぞれ獲得されました。 BG賞は、樋口さんが「84」で獲得しました。新ペリアのハンデの綾で順位が上下し、にぎやかな成績発表となりました。
PLAY終了後は、席を変え西国分寺「庄や」で忘年会を兼ねた成績発表会が開催され、ゴルフ会不参加の吉村さんにも参加頂き、大変盛り上がり楽しい時間をすごすことが出来ました。

第59回国分寺三田会ゴルフ会

・ 開催日   令和元年12月10日 (火曜日)
・ 場 所   昭和の森ゴルフコース(東京都昭島市)
・ 時 間   7:48 out・inスタート 6組
・ 競技方法  新ぺリア方式
・ 競技者   22名

表彰式・懇親忘年会

・ 場 所  西国分寺 庄や
・ 時 間  18:00~
・ 参加者  18名(競技参加者5名不参加 懇親会のみ参加者1名)

【E】Oh!Enkaの会 年末コンサートを開催しました

1.日時   令和元年11月30日(日)14;00~16:30

2.会場   本多公民館・ホール

3.出席者  会員(国分寺三田会、国分寺稲門会):53名、
・      非会員(会員家族・同伴者):62名
・      計115名
・      ヴァイオリン:佐藤 祥子
・      ピアノ伴奏 :山田 玲子
・      テノール  :下村 雅人
・      ピアノ伴奏 :下村 敬子
・      (プロフィールは下記をご参照ください)

4.プログラム
・第1部   佐藤祥子さんのクラシック演奏(ピアノ伴奏 山田玲子さん)
・      ①ユーモレスク(ドヴォルザーク)
・      ②G線上のアリア(バッハ)
・      ③ロマンス ト長調(ベートーヴェン)
・      ④4つのロマンティックな小品(ドヴォルザーク)
・      ⑤ウィーン奇想曲(クライスラー)
・      ⑥ロンドンデリーの歌(クライスラー)
・      ⑦愛の喜び(クライスラー)
・      ⑧ホラ スタッカート(ディニーク)
・      ⑨序奏とタランテラ(サラサーテ)
・      アンコール
・      ・枯葉
・      ・ラヴェンダーの咲く庭で

・第2部   下村雅人さんのテノール独唱(ピアノ伴奏 下村敬子さん)
・      ①忘れな草 Non ti scordar di me(デ・クルティス)
・      ②牧場の夕暮れ(下村大和)
・      ③Stand Alone(久石譲)
・      ④誰も寝てはならぬ(プッチーニ)
・      ⑤泣かないお前 Tu, ca nun chiangne(デ・クルティス)
・      ⑥落葉松(小林秀雄)
・      アンコール
・      ・君に会えなくて寂しい Mi manncherai
・      ・電話(湯山昭)

今日はOh!Enkaの会恒例の年末コンサートでした。
塩井世話役代表の令和元年を振り返る挨拶の後コンサートが始まりました。

・第1部はヴァイオリニスト・佐藤祥子さんのクラシック演奏です。ヴァイオリンの名曲中の名曲を選りすぐっていただきました。会員の皆さんからのリクエストも入れていただきました。
ピアノ伴奏の山田玲子さんからそれぞれの曲の解説がありました。とても分かりやすい解説で勉強になりました。
「G線上のアリア」はヴァイオリンの第4弦(一番下)のみで弾かれますが、ふくよかな響きがたっぷりとあふれていました。
「4つのロマンティックな小品」は流麗・躍動・野性・哀愁とそれぞれ味わいのある民族色豊かな小品群です。
「ウィーン奇想曲」は山田さんの大のお気に入りの曲だそうです。世紀末の耽美的な世界を感じられる曲です。
「愛の喜び」、こんな時代もあったと、昔誰もが経験した(と思われる)喜びに満ちあふれたクライスラーの代表的な名曲です。
「ホラ・スタッカート」ではワンボウスタッカートという難しいテクニックを披露していただきました。村の大騒ぎが間近に聞こえるような楽しい曲です。
「序奏とタランテラ」はフラジオ奏法とか両手ピチカートなど超絶技巧を駆使した曲ですが、前半は滑らかな美しい旋律でした。
アンコールに応えて、山田さんのピアノソロで「枯葉」です。特に前半が大変に美しい編曲でとても「枯葉」とは思えない全く違った印象でした。ヴァイオリンのアンコールは「ラヴェンダーの咲く庭で」、いかにも映画音楽らしい情景描写が見事な曲でした。

・第2部は下村雅人さんのテノール独唱です。
こちらもテノールならではの聴き応えのある名曲を並べていただきました。
下村さんと伴奏する奥様との息はもちろんぴったりですが、絶妙な掛け合いトークもとても楽しく、会場をアットホームな雰囲気で満たしてくれました。
昭和・平成・令和と変わってきた時代を、身近な黒電話や洗濯機の題材で懐かしみました。会場の世代に合わせていただいたのでしょうか。とても盛り上がりました。
演奏では、冒頭ピアノ前奏に続き、会場後方から十八番のカンツォーネを歌いながら登場するという演出で一気にお客様を引きつけました。
続いて「牧場の夕暮れ」、九州の隠れた大作曲家(?)下村大和の日本歌曲です。実は下村さんのお父上でした。ほのぼのとして心安まる何か昔を懐かしめる名曲です。
次は「Stand Alone」、NHKドラマ“坂の上の雲”の主題歌で、青雲の志を力強く歌っていただきました。
「誰も寝てはならぬ」はオペラ“トゥーランドット”で最も有名なアリア。最後の“ヴィンチェロ、ヴィンチェロ”でよく知られています。とても○歳とは思えない若々しくブリリアントな熱唱でした。
続いて再びカンツォーネ「泣かないお前」、泣かないお前に泣かされる哀れな男の歌のようですが、陽気なイタリア人が歌い飛ばすととても嘆き節には聞こえません。
ここで一息、下村さんのご指導で「漕げよマイケル」を題材に会場の皆さんにも“ハレルヤ”の声を出してもらいました。中味はアンケート調査のようなもじりでした。
最後に「落葉松」、野上彰作詞小林秀雄作曲の名曲。下村さんの解説によると一般的には恋の歌とされているようですが、戦時中の焼夷弾を連想しているとの説もあるそうです。そのつもりで聴くと、なるほど、鎮魂歌のようにも聞こえました。
アンコールはピアニカを取り出し、イタリア人になりきってのカンツォーネと、これはご自身も歌うのは珍しいとおっしゃっていた湯山昭の「電話」というコミカルな日本歌曲でした。
今日のお天気のように爽やかで楽しい1部2部でした。
最後に下村さんの指揮で「故郷」を全員合唱で歌いお開きとなりました。

【佐藤祥子さんプロフィール】
4歳よりヴァイオリンを始める。大学では英語を専攻するが、オーケストラ部の活動の中で音楽の楽しみに目覚める。留学先のアメリカのグリンネルカレッジにて音楽副専攻。子育てが一段落したところ、受けた高槻音楽コンクールで入選。
現在、室内楽やオーケストラ(光が丘管弦楽団)で活動する一方、合唱も始める。
市原利彦、ケネス=ゴールドスミス、小川有紀子の各氏に師事。

【山田玲子さんプロフィール】
東京芸術大学作曲科卒業。東京成徳大学幼児教育科音楽講師勤務。子育ての為10年間で退職する。家族4人と音楽仲間が出演するファミリーコンサートを毎年主催している。来年6月14日に29回コンサートをこもれびホールで予定している。
又、唱歌や昔の流行歌を歌う会「歌の泉」を主催。
合唱歴40年。現在はア・カペラコーラス「LOCUS」に所属。ポルケタンゴのメンバー。趣味は水泳と家庭農園。

【下村雅人さんプロフィール】
国立音楽大学声楽科卒業。イタリア声楽コンコルソ入賞、飯塚新人音楽コンクール優秀賞、2009年6月に佐賀県音楽大賞受賞、モーツァルトの「魔笛」武士役でオペラ界にデビュー。以後、プッチーニの「ジャンニスキッキ」リヌッチョ、「ボエーム」ロドルフォ、またヴェルディ「椿姫」アルフレード、モーツァルト「魔笛」王子タミーノ等に出演、その後も数々のオペラに出演する。又、岩城宏之率いるオーケストラアンサンブル金沢とヘンデル「メサイア」で共演。そしてベートーヴェン「第九」をはじめ、モーツァルト作曲「レクイエム」、サンサーンス作曲「クリスマスオラトリオ」等、宗教曲のテノールソリストとしても幅広く活躍する。現在、新しいスタイルのオペラやコンサートの構成・演出・出演と幅広く活動する。2011年東日本大震災において、震災後逸早く音楽家へ発信し、「小平チャリティーコンサート」発起人となり毎年息の長い支援を続けている。義援金は日本赤十字社を通して被災地・毎日希望奨学金制度・岩手の学び希望基金・福島の子供たちを八ヶ岳へ招く「小平の会」へ寄付を送る。二期会会員。

【下村敬子さんプロフィール】
国立音楽大学教育音楽学科卒業。マリンバの伴奏者として芸術鑑賞教室やコンサートに多数出演。現在、下村敬子ピアノ教室を主宰。 “音楽のある生活”をテーマに地域に根差した音楽活動を展開、教室には幼児から高齢者の方まで幅広い年齢層の生徒さんが通う。連弾や歌遊びのレパートリーも広く、ユーモアに富んだ指導に定評がある。一方で声楽や合唱団の伴奏者として数多くの演奏会に出演。東日本大震災直後よりチャリティーコンサートを主催し、被災地支援を続けている。夫婦のコンサート“二人のつむぎ歌”を各地で開催。伴奏法を水谷真理子氏に師事。

世話役代表:塩井勝也(S41法)

世話役:斎藤信雄(S38政)、金田 一(S42工)、高橋伸一(S45法)、久保田宏(S46工)、芳賀 崇(S47経)、平林正明(S47経)、山田 健(S47経)、池田敏夫(S47商)、井上 徹(S49政)

♪次回以降の予定
・12月15日(日) 午前10時~12時、本多公民館視聴覚室:都倉武之准教授講演会 「皇太子の先生になった人―小泉信三」

【E】第128回Oh!Enkaの会を開催しました。

1.日時:11月16日(土)午前10時から12時。

2.会場:本多公民館 音楽室

3.ピアノ伴奏・歌唱指導:山田玲子先生

4.出席者:20名

・準備体操の後、発声練習を行いました。

発声練習では子音の歌い方、特にさ行(さ、し、す、せ、そ)の出し方を練習。

5.歌唱曲目

・赤とんぼ

よく知られている曲。音域が1オクターブ以上あり、綺麗に歌えると気持ちの良い曲。

・里の秋

発声練習で勉強した子音の出し方が生きてくる曲。「きの」、「栗の、煮てす」、

の子音()の歌い方を実践で学ぶ。

・野菊

文部省唱歌である「野菊」を懐かしく歌う。

・荒城の月

この歌にうたわれた城について先生から紹介があった。滝廉太郎に関係のある竹田市の岡城、富山市の富山城、仙台の青葉城などが紹介された。また歌詞の現代語訳も紹介され詩の理解が深まった。

・谷間のともしび

きれいな曲ではあるが、訳詞の文末の子音と文頭の子音が同じで、一つ一つの言葉をはっきりと歌わないと意味が通りにくいと、指導があった。例えば 「わがやのひー、まどにうつりしとき」は「我家の日―、窓の写りしとき」、「すがたー、たーにまに」は「姿―、谷間に」と意味が分かる様に歌う。

・紅葉(輪唱)

二手に分かれて輪唱を楽しんだ

・ともしび(ロシア民謡)

先程の「谷間のともしび」とくらべて、歌詞とメロディーがきれいに合っていて大変歌いやすい。

最後に、まるく輪になり「さよなら集い」を歌って閉会となりました。

 

【蕎】第58回蕎麦っけの会を開催しました

第58回「蕎麦っけの会」は、2019年10月19日(土)に小平「佳蕎庵」(日本各地の厳選した蕎麦の実から打った上質な蕎麦の店)を貸切りにて19名の参加で開催しました。今回は「地元回帰」をコンセプトにお店を選びました。推薦していただいた樋口稔さん、芳賀崇さんありがとうございました!。時間前に西武多摩湖線・青梅街道駅に集合。お店は青梅街道沿いにありますが、少し地味な店構えです。しかし、夜は予約なしでは入れない「小平ナンバー1」の名店です。

「蕎麦っけの会」に相応しく、「そば味噌」等の前菜盛り合わせでスタート。お酒は近隣・東村山の「屋守(おくのかみ。ヤモリの表象)」でスタート。このお酒は、「お酒らしいお酒」として最近評価を上げている注目の酒。続いて、魚料理との相性抜群の宮城県石巻「日高見」、さらりとした端正な吞み口が絶品。その後も全国の銘酒が続々。お料理は、椀物、刺身、蒸物、焼物、煮物、揚物と続きました。全て美味ですが、中でも刺身(鮪、鯖)と海老天婦羅は出色でした。

そして、いよいよ真打登場の蕎麦。少し細目で、コシのある蕎麦に一同、大満足でした(蕎麦の実の産地を失念・・申し訳ありません)。菅谷国男さんの締めのお言葉にてお開きに。
美味しく楽しい時間を過ごしました♪

次回第59回「蕎麦っけの会」は、恒例の忘年会を12月21日に国立「きょうや」にて開催します。お陰様で既に満席となりました。

(世話役。野田(52年経))

 

【E】第127回Oh! Enkaの会を開催しました

1.日時   令和元年10月27日(日)10;00~12:00

2.会場   本多公民館・視聴覚室

3.出席者  会員(国分寺三田会、国分寺稲門会):42名、
・      非会員(会員家族・同伴者):3名
・      計45名
・      アイリッシュ・ハープ:田中 麻里
・      ヴィオラ・ダ・ガンバ:品川 聖
・      (プロフィールは下記をご参照ください)
・      ピアノ伴奏     :山田 玲子
・   *なお、今回はOh!Enkaの会と二水会の共催でした。

4.プログラム

・第1部   カレッジソング斉唱:①塾歌 ②オール慶應の歌 ③慶應讃歌
・第2部   アイリッシュ・ハープとヴィオラ・ダ・ガンバ DUO LIVE
・      ~ヨーロッパの古い音楽や民族音楽、そして日本の音楽~

  1. 庭の千草(アイルランド民謡)
  2. 埴生の宿(イングランド民謡)
  3. グリーンスリーブス(イングランド民謡)
  4. アイリッシュハープソロ
    ・フェアウェルトゥリバプール
    ・オカロラン(アイルランドの吟遊詩人)の曲から
    “小さな妖精大きな妖精” “キャッシェルへ旅行くカロラン”
    ・トゥーシスターズ
  5. ヴィオラ・ダ・ガンバソロ
    ・ミュゼット1,2(マラン・マレ)
    ・ギター(マラン・マレ)
    *ミュゼット:バグパイプに似た楽器の名前
  6. 知床旅情(森繁久彌)
  7. 荒城の月(瀧廉太郎)
  8. 赤とんぼ(山田耕作)
  9. かくも甘き嘆き(モンテベルディ)
  10. レセルカーダ(オルティス)
  11. アメイジング・グレイス(作曲者不詳)
    (アンコール) ロンドンデリーの歌

・第3部   皆で歌おう:①旅愁 ②故郷の廃屋 ③村祭り
・エール交歓 若き血(指揮:井上徹会員)

・第1部はいつもの通りカレッジソング斉唱です。「塾歌」「オール慶應の歌」「慶應讃歌」の3曲を山田玲子先生のピアノ伴奏で歌いました。
・第2部は珍しい楽器アイリッシュ・ハープとヴィオラ・ダ・ガンバのDUO LIVEと題したミニコンサートです。
最初の3曲と後半の6曲はDuoでした。メロディーと伴奏を交互に演奏していましたが、お互いを引き立てあう素晴らしく相性の良い組み合わせでした。2つの楽器が日本の曲によく合うことにも驚きました。お二人の息もぴったりで静かなアイルランドやイングランドの野原の情景や、日本の山里の情景が目に浮かぶようでした。
間にそれぞれの楽器のソロが入りました。アイリッシュ・ハープは我々が通常目にするグランドハープより小型ですが、アイルランドで12世紀頃から使われていたようです。愛らしく清らかで透明感ある音色の中にも、どこか哀愁を帯びたような温かい響きでした。ヴィオラ・ダ・ガンバは遠くペルシャに起源をもち、北アフリカからイベリア半島を通ってヨーロッパにもたらされたということです。16~18世紀に主に宮廷で愛好されていた楽器で、チェロに似ていますがコントラバスの系統だそうです。この楽器はバロック時代を彷彿とさせる落ち着いた音色で、高貴でしみじみとした感慨に打たれました。
最後に盛大な拍手に応えていただき、アンコールの演奏がありました。
まさに、宮廷のサロンか緑に囲まれた草原の中で過ごしているような安らぎのひと時でした。
アイリッシュ・ハープは田中麻里さん、ヴィオラ・ダ・ガンバは品川聖さんに演奏していただきました。合間にそれぞれの楽器の詳しいご説明や曲の解説もしていただきました。

・第3部は皆で歌おうです。すっかり秋めいてきた今日この頃にぴったりの3曲を山田玲子先生のピアノ伴奏で歌いました。
・最後は全員が肩を組み井上徹会員指揮による「若き血」斉唱です。声高らかにエールの交歓を行いお開きとなりました。
・本日は以下3人の新入会員の紹介がありました。
井口尚志さん(S50経)、岡村宏司さん(S52経)、根崎末理子さん(S54薬)

【田中(たなか)麻里(まり)さんプロフィール】
アイリッシュ・ハープを西村光世氏、金属弦ハープをStefan Battige、Javier Sainz各氏に師事。
’04~’09ドイツ在住、活動の傍ら、Historical Harp Society of Ireland(HHSI)主催のスクールに参加、ハープの伝統的奏法を学ぶ。ソロ演奏の他、アイルランド伝統音楽、北欧音楽、古楽、ポップス、クラシックなど多彩なアーティストと共演、各種イベントやNHK等に出演。
朝日カルチャーセンター等でレクチャーコンサートを行うなど意欲的に活動を展開、後進の指導にもあたる。HHSI会員。
アイリッシュ・ハープ及びアイルランドのパーカッション教室主宰。JEUGIAカルチャーセンターららぽーと立川立飛、レソノサウンド講師。

【品川(しながわ)聖(ひじり)さんプロフィール】
1999年桐朋学園大学古楽器科を卒業、同年ブリュッセル王立音楽院留学。
2003年ディプロマを取得し首席で卒業。ヴィーラント・クイケン氏他に師事。留学中の2001年信州でのソロ・デビュー以来、全国各地で演奏活動を展開。
主にヴィオラ・ダ・ガンバのソリストとして活躍。北アルプスの山小屋でもソロ・コンサートを継続、フィールドを歩く演奏家としても注目を集めている。
2016年松本と上高地で開催された第1回「山の日」記念全国大会にて、皇太子殿下の御前でソロ演奏を披露。これまでに4枚のソロCDをリリース。
東京古典楽器センター講師。日本ベルギー学会会員および日本ヴィオラ・ダ・ガンバ協会会員。

世話役代表:塩井勝也(S41法)
世話役:斎藤信雄(S38政)、金田 一(S42工)、高橋伸一(S45法)、久保田宏(S46工)、芳賀 崇(S47経)、平林正明(S47経)、山田 健(S47経)、池田敏夫(S47商)、井上 徹(S49政)

♪次回以降の予定
・11月16日(土) 午前10時~12時、本多公民館音楽室:Songs
・11月30日(土) 年末コンサート 午後2時~4時30分
・      本多公民館ホール:下村雅人テノール、佐藤祥子ヴァイオリン
・12月15日(日) 午前10時~12時、本多公民館視聴覚室:都倉武之准教授講演会

【歴】第91回 歴史をひもとく会 開催報告

第3回 会員による歴史談義 

「歴史談義とお酒談義」

第91回の講演会は10月5日(土)、本多公民館にて、歴史をひもとく会会員のお二方の講話、及び菅谷國雄氏のご紹介による特別講師として、同級生の渡邊 護氏(蔵元;渡邊佐平商店会長、昭37経)をお迎えし、45名の参加者の下で行われました。

「会員による歴史談義」も三回目を迎え、今回は異例の2本立て。会員による講演に加えて、秋と共に日本酒の恋しい季節を迎え、蔵元の塾員によるお酒談義。しかも、講演会場で実際に日本酒の試飲も行うという国分寺三田会の分科会ならではのユニークな企画が実現しました。

 

まず、第1部は会員によるお話。トップバッターは久保田宏氏。

講演1「玉川上水の話」 久保田 宏 氏 (昭46・工) IMG_1713 - コピー - コピー

我が郷土の玉川上水はその歴史的評価も定まっており、多くの研究者によって語られています。延長43㎞、高低差僅かに92m、勾配23cm/100mを掘り進んだ難工事。さて、講師の講演はどの様なアプローチがなされるのかと興味津々の中に始まりました。
冒頭のテーマは「上水は如何に作られたか」。工区毎に、「取水口」→「河岸段丘越え」→「分水路」→「用水終端」に分け、高低差が表示された地図を併用して、ルートを確認しながら明快に解説。江戸迄の道程が明瞭に理解でき、流石は工学部出身者の話だと感心。
次に「上水開削の謎」へと話は続いて行きます。「ルートはどの様に見つけられたのか」「何故1年で開削できたのか」「何故、1年で作らねばならなかったのか」「何故、野火止用水は40日間で出来たのか」。講師は、これらの興味深い疑問に対し、その豊富な歴史の知識や深い洞察力で、まさに快刀乱麻の謎解きを行っていきます。
締めくくりは歴史のif。「もし玉川上水ができていなかったら」・・・当然水不足で、行水も打ち水もなく、粋な江戸文化も生まれていなかったであろうと結んでいます。
講師は与えられた40分ぴったりに講演を終え、会場から思わず拍手が上がり、聴衆は素晴らしい講演に「成程な」と納得しつつ、大いに楽しみました。

 

 

次に登壇されたのは斎藤信雄氏で、「日本酒のルーツ」に纏わる話です。 

講演2 「日本酒起源の考察」 斎藤 信雄 氏 (昭38・政)IMG_0098 (2)

冒頭、講師は、「私のお役目は、後にお話し頂く渡邊会長の講演への導入役です」と茶目っ気たっぷりに表明し、古事記の時代からの酒造りの歴史、日本酒のルーツについて研究成果の発表に入りました。
神代の時代から“神様はお酒が大好き”で、弥生時代に米を原料とした酒造りが始まり、やがて麹の酒が出現して日本酒の起源に繫がって行きます。律令時代に入って、技術も進み、国営の酒造りが本格化しますが、701年松尾大社を創建した秦族(秦の始皇帝の子孫と称される)に見られる大陸からの技術集団の渡来で酒造り、醸造技術は進化します。平安時代中期に入ると奈良・正暦寺を筆頭に大寺院での酒造りが本格化します。所謂「僧坊酒」の出現です。近代醸造法の基礎酒造技術が確立したと説明します。時代は進み、室町時代には幕府が酒造りを奨励し、徴税システムに組み込んでいきます。京都を中心に造り酒屋が急増し、土倉と呼ばれた金融業を兼営する特権階級に成長して行き、その後の酒を中心とした文化の発展が現代に繫がっていると説いています。
特に、日本酒の起源を祀る三大神社として「大和の大神神社」「出雲の佐香神社」「京都の松尾大社」を挙げていますが、講師の強みは、実際に現地に行って自らの目で確かめてきていることで、話の一つ一つに説得力があることです。前回、前々回と古事記についての講演をして戴いた講師の知識の確かさ、会員から“古事記の斎藤さん”と慕われる同氏の面目躍如たるものがあると感じ入りました。

 

第2部はいよいよ試飲会付きのお酒談義です。

講演3 「お酒談義」 渡邊 護 氏 (昭37・経)IMG_1737 - コピー

日本酒「陸の王者」醸造元 (株) 渡邊佐平商店 代表取締役 

講演は自作の資料に沿って、まず、福沢先生が日本酒党であったという話題から始まります。洋酒はあまり好まず、酒品の好い愛飲家であった由。続いて、日本酒の原材料別の製品表示、日本酒の特色や効能等々話は多岐に亙ります。講師の話術はそこかしこにウイットが潜み、当意即妙かつユーモラス、聞く者の気を逸らさぬ“名プレゼンテーター”です。歯切れのよい説明は正確で、口に含んだお酒が体に沁み込んでいく様に内容がよく判ります。飲み方や使われる酒器の話では、予め実物を持参しての実演付きです。解説が一段落して閑暇休題。そこで氏曰く「さあ、会場がシーンとなった処で試飲にしましょう」。

試飲会に供されたお酒の銘柄は以下の4種、それぞれ4合瓶×2本です。

・純米大吟醸 「清開」    ・きざけ 「日光誉」
・特別純米 「陸の王者」   ・樽まろ 「日光誉」

 会員は、それぞれの銘柄の味と香りを飲み比べて、その違いや味わい等をお互いに確かめながら大いに楽しんでいます。一通り試飲を楽しんだ後に続く話は、日本酒を中心とした食文化について。
日本食は、栄養素のバランスが良く、魚介類の摂取が多くかつ生食で効率の良い食べ方であり、日本人の健康寿命は世界一。また日本の食材は種類が多く1200種類、フランス料理の2.5倍、中国料理の1.5倍、また、調理器具の種類も世界一。適量飲酒は健康増進に効果抜群、等々日本酒に関わる興味の尽きない話が続きます。その知識は膨大で、醸造の権威者、蔵元としての威厳すら感じられます。
最後に、現在80曲程ある酒造り唄の中から、越後の杜氏と南部杜氏の唄う酒造り唄を2曲、ご本人の喉をご披露頂いた処で終演。“粋なエンターテナー”の側面も窺えました。会場は、まだまだ聞き足りないという雰囲気で、特に今回は講話に加えて日本酒の実物を味わい、皆幸せそうな表情で笑顔に溢れ、至福の時を大いに楽しみました。

以 上

【ゴ】第58回国分寺三田会ゴルフ会

心配した雨も上がり秋晴れに恵まれて、国分寺三田会第58回ゴルフ会が「サンメンバーズカントリークラブ」で、初参加の小川さん、堤さんを含め14名の参加で開催されました。優勝は鶴谷さん、準優勝は初参加の堤さん、3位は樋口さんでした。BG賞は、優勝の鶴谷さんがトータル「84」の断トツで獲得しました。プレー終了後は、ゴルフ場のコンペルームでの懇親会の中、成績発表会が開催され、NP・順位・ハンデキャップの発表に驚きや歓声で大いに盛り上がり、楽しい時間を過ごすことが出来ました。

第58回国分寺三田会ゴルフ会

・ 開催日   令和元年10月8日 (火曜日)
・ 場 所   サンメンバーズカントリークラブ(上野原市)
・ 時 間   9:11 OUTスタート 4組
・ 競技方法  新ぺリア方式
・ 競技者   14名

表彰式・懇親忘年会

・ 場 所  サンメンバーズカントリークラブ
・ 時 間  プレイ終了後
・ 参加者  14名(競技参加者全員)

 

開会式に続きキャディーマスター室前で(参加者全員)

開会式に続きキャディーマスター室前で(参加者全員)

【E】第126回Oh!Enka の会を開催しました。

1.日時  令和元年9月22日(日) 14:00~16:45
2.会場  リオンホール・Aホール
3.出席者 会員(国分寺三田会、国分寺稲門会):54名、
・     非会員(国分寺三田会・会員家族・同伴者・出演者の関係者):21名  計75名。
・     小島 亮一さん、丸山 令子さん
4.プログラム
・第1部  カレッジソング斉唱(ピアノ伴奏:上原安江会員)  ①塾歌、②慶應讃歌
・第2部 「Oh ! Enkaの会」会員有志による独唱  (ピアノ伴奏:上原安江会員)
・    ①星野信夫会員(高原列車は行く)      ②塩井勝也会員(帰れソレントへ)
・    ③清水 元 会員(芽生えそして)       ④菅谷國雄会員(津軽のふるさと)
・    ⑤吉松峰夫会員(長崎の鐘)         ⑥染谷嘉男会員(サンタ・ルチア)
・    ⑦天野 肇 会員(昴)            ⑧池田敏夫会員(陽はまた昇る)
・    ⑨井上 徹 会員(千の風になって)      ⑩平林正明会員(群青)
・    ⑪髙橋伸一会員(Tu, ca nun chiagne !  君を求めて)
・第3部 「国分寺三田会」会員有志10名( K・K・メンネルコール所属)による男声合唱
・    (ピアノ伴奏:上原安江会員)
・    ①青い山脈  ②銀色の道
・第4部 丸山 茂 会員の米寿のお祝い      (ピアノ伴奏:上原安江会員)
・    ①丸山 茂 会員のオカリナ演奏  ①エーデルワイス
・    ②丸山 茂 会員の想い出の歌を皆で歌おう ①箱根八里  ②故郷
・第5部 小島亮一さん「100歳記念ヴァイオリンコンサート」 (ピアノ伴奏:丸山令子さん)
・    ①アヴェ・マリア(P マスカーニ)      ②朝(R シュトラウス)
・    ③ウィーンわが夢の街(R ジーツウィンジーツスキー)④お気を悪くなさらないで(C ツエラー)
・    ⑤シトロンの花咲くところ(J シュトラウス) ⑥偉大なるシュトラウスさま(R シュトルツ)
・    ⑦タイスの瞑想曲(J マスネ―)        ⑧小さな浜辺(M テオドラキス)
・    ⑨ロマンス(F レハール)          ⑩舞踏会の妖精たち(F レハール)
・エール交歓 若き血(指揮 井上 徹 会員)

・第1部は上原安江会員のピアノ伴奏でいつもの通りカレッジソング斉唱です。
・第2部は「Oh ! Enkaの会」会員有志11名による独唱です。3年前にハワイアンバンド“アンサンブル・ブルーベリーズ”(リーダー:辻 宏一 会員)の「生オケ」演奏で会員有志が歌いました。「あの独唱をもう一度」という声があり、上原安江会員にピアノ伴奏を引き受けていただきました。上原安江会員のピアノはプロ級です。ピアノとの音合わせは大変ですが、5回の事前練習すべてに対応いただき、夫々の歌い手に合わせて弾いてくれました。前回は多少のアルコールも入り、バンド演奏で会場もざわついていましたが、今回のホールは静かで、緊張感が漂っています。S26年卒業の天野肇会員からS26年生まれの井上徹会員まで歳の差22歳ですが、年齢は関係ありません。歌い手の声が元気にホールに響きました。歌うことは健康の源です。熱心に聴いていただいた会場の皆様、歌い手が気持ちよく歌えるように心を込めてピアノを弾いていただいた上原安江会員に感謝です。
・第3部はK・K・メンネルコール男声合唱団に所属している会員有志10名による男声合唱です。団員45名中13名が国分寺三田会会員です。今年4月の定期演奏会(会場:ルネ小平)には国分寺三田会から大勢の方に来場いただきました。国分寺三田会会員の皆様には日ごろから支援いただいており、感謝の気持ちを込めて「青い山脈」「銀色の道」を歌いました。指揮は吉崎俊一会員です。合唱のためだけに駆け付けてくれた団員もいました。K・K・メンネルコール男声合唱団次回定期演奏会は会場が確保できれば令和2年11月にルネ小平で予定しています。
・第4部は丸山茂会員の米寿のお祝いです。丸山茂会員は手品、オカリナといった多彩な趣味をお持ちです。
上原安江会員のピアノ伴奏でオカリナ演奏:エーデルワイスを披露いただきました。そして皆で丸山茂会員の思い出の歌「箱根八里」「故郷」を歌って差し上げました。最後に上原安江会員からお祝いのお菓子を差し上げました。丸山茂会員のお礼の挨拶「これからもOh!Enka の会で大好きな歌を歌い、美しい音色に触れ、向上心を忘れずに心豊かな日々を送りたい」といった言葉が印象的です。
・今回の企画は5回にわたる有志独唱練習でのピアノ伴奏、本日の一気通貫でのピアノ伴奏など上原安江会員のおかげで実現しました。ささやかながら感謝の気持ちを込めて塩井勝也世話役代表から花束を差し上げました。
・第5部は小島亮一さん「100歳記念ヴァイオリンコンサート」です。ピアノ伴奏はお嬢様の丸山令子さんです。小島亮一さんは天野肇会員の職場の先輩で平成28年11月に「95歳のヴァイオリン・コンサート」、平成30年12月に「白寿のヴァイオリンコンサート」に続き、Oh ! Enka の会でお招きするのは3回目です。小島さんはあと2か月で満99歳です。自己紹介の中でヴァイオリンとの出会い、軍隊での苦労話、インド駐在での経験などユーモアたっぷりに話されました。戦前は男子がヴァイオリンを弾く風潮がなく、ようやく20歳で始めたそうです。戦中、東京商科大学(現一橋大学)のオーケストラ部でヴァイオリン始め、戦後、武蔵野音楽学校で福井先生と出会い、東京音楽学校(現東京芸術大学)ヴァイオリン専科で学び、定年後は六本木のウイーン酒場「ドナウ」で演奏、現在も老人ホーム等でfiddlerとして演奏活動を行っているそうです。ご本人は95歳を過ぎてから指の力が衰えてきたと言っていますが、3年前と比べても衰えは感じません。「継続は力なり」ということでしょうか。理路整然と丁寧に判りやすく話し、相変わらず頭の衰えは感じません。演奏は一曲奏でる度に、きちっと姿勢を正して曲の紹介をします。すべて暗譜です。時折ピアノ伴奏をするお嬢様がサポートする場面もありましたが、意気があっており、ほほえましい光景です。ご自身が歌う場面もありましたが、驚くほど声に張りがあます。小島さんは若く、エネルギッシュで、頭もシャープ、情熱を持ち続けている生涯現役のヴァイオリニストです。出席者も元気をもらいました。100歳になられるお祝いの花束を天野肇会員から差し上げました。尚、上記福井先生の甥の福井直矩さんは、偶々50年以上前から天野会員と親交があり、その紹介で3年前から小島さんとも知り合って、この日もそのヴァイオリンを聴きに参会されました。
・最後は新幹事長の井上徹会員の指揮で全員が肩を組み、若き血を歌ってお開きとなりました。

<次回の予定>
・日時:10月27日(日) 10:00~12:00  会場:本多公民館・視聴覚室・
・   「アイリッシュ・ハープとヴィオラ・ダ・ガンバ DUO LIVE」
・   ~ヨーロッパの古い音楽や民族音楽、そして日本の音楽~

<プロフィール>
◆小島 亮一さん
大正9年生まれ。東京商科大学(一橋大学)オーケストラにて、20歳よりヴァイオリンを始める。東京商科大学卒業後、商社トーメンに入社。召集され戦地へ。終戦後、東京音楽学校(現芸大)ヴァイオリン選科に学ぶ。トーメン・インド支店に長年勤務。 定年後、fiddlerとして六本木のウイーン酒場「ドナウ」でホイリゲ風の演奏を行う。現在はfiddlerとして老人ホーム等で演奏活動。
◆丸山 令子さん
・桐朋学園大学音楽学部研究科卒業。民族音楽学専攻。 現在、昭和音楽大学講師。
◆K・K・メンネルコール(小平界隈男声合唱団)
・1993年に結成。団員数は40名を超え、現役のテノール歌手である下村雅人氏(二期会会員)の指揮・発声指導
と松行美左子氏のピアノ伴奏・指導のもとに、クラシックから日本歌曲、ミュージカル、黒人霊歌、ポピュラーまで幅広く合唱を楽しんでいる。主な活動としては、定期演奏会に加えて、多摩地域の男声合唱団による「西武沿線男声合唱団交歓演奏会」、「東日本大震災復興支援こだいらチャリティコンサート」、「春と秋
の小平市合唱祭」への出演、何か所かの施設でのボランティア演奏を行っている。 国分寺三田会からは13
名が団員として活動している。

世話役代表:塩井勝也(S41法)
世話役:斎藤信雄(S38政)、金田 一(S42工)、高橋伸一(S45法)、久保田宏(S46工)、芳賀 崇(S47経)
・   平林正明(S47経)、山田 健(S47経)、池田敏夫(S47商)、井上 徹(S49政)

【総】第18回定期総会・講談会・懇親会を開催しました

渡邉会長挨拶

渡邉会長挨拶

第18回定期総会は、9月16日(月・祝)午前11時よりJR国分寺駅北口のcocobunjiリオンホールに於いて、会員94名(来賓塾員センター小島部長、近隣三田会・稲門会9名)の出席を得て開催された。 渡邉会長の挨拶に続き、第1号議案(2018年度活動報告)、第2号議案(2018年度会計報告・監査報告)、第3号議案(2019年度活動計画)、第4号議案(2019年度収支計画)、第5号議案(役員等選任)の審議が行われ、満場一致で全議案が承認された。その後、新任役員<平林副会長(47経)、井上幹事長(49政)、池田副幹事長(47商)、兼谷会計(50文)、石川幹事(43商)、上原幹事(54薬)>の紹介が行われ、続いて来賓の慶応義塾大学塾員センター小島部長の挨拶をいただいた。その後、今年米寿を迎えられた丸山会員(30経)、中島会員(30法)にお祝いの花束を差し上げた。両会員からこれからまだまだ力強く前向きに生きる姿勢にあふれたご発言があり、会員一同の心に染み入った。最後に新入会員(2018年度16名、9月1日以降7名)の紹介があって総会は無事閉会した。 開会にあたり、この5月に逝去された宮本聡会員(44法)を偲び黙祷を行った。

講談 若林鶴雲師匠

講談 若林鶴雲師匠

引き続き101名が参加し講談会が行われた。講談師若林鶴雲師匠(47商)による「慶應讃歌誕生物語(平岡養一の生涯)」。ユーモアも交えた平岡養一の生涯、慶應讃歌誕生の秘話等が格調高い語りで行われた。会場内はしんと静まりかえったり、爆笑の渦で沸いたりして大いに盛り上がった。同時にアメリカと日本をまたに縦横に活躍した偉大な大先輩の生涯を知る機会でもあった。盛大なアンコールに応え「1964東京オリンピック物語」を語っていただいた。こちらは参加94カ国を淀みなく読み下す超高速スピードに思わず会場から大きな拍手が沸き起こり、大盛況のうちに幕を閉じた。

講演会終了後、30分ほどの会場整備の時間を設けた。平林新副会長の指揮のもと「塾歌」を斉唱し、来賓を含め98名が参加する懇親会が開宴した。岩田副会長による開会の言葉、来賓の内藤立川三田会会長及び清水国分寺稲門会会長による挨拶、平林副会長による乾杯と続き、続いて数日前経産省・内閣府副大臣になられた松本洋平会員(H8経)から挨拶があった。しばらく会食・懇談した後、活発な活動を継続している14分科会の各世話役による活動状況報告と熱意ある勧誘、更に新入会員の自己紹介(5名)を行った。場内の盛り上がりも最高潮に達し若干予定時間をオーバーしたものの、最後に出席者全員で肩を組み井上新幹事長指揮の下「慶應賛歌」と「若き血」を斉唱、エールを交換して星野副会長の閉会の言葉、全員での集合写真の撮影でお開きとなった。

今回は初めて昼前からの開催ということで、どういう進行になるか不安な点もあったが、いつも通りの会員全員の団結・結束でスムースに無事終了することができた。

集合写真

集合写真

 

 

(写真撮影 斎藤信雄 S38政)

総会・講談会・懇親会事務局
・平林正明(47経)、岩田友一(45工)、高橋伸一(45法)、山田健(47経)、
・池田敏夫(47商)、芳賀崇(47経)、 沼野義樹(48経)、井上徹(49政)、
・小林一夫(49工)、清水靖子(49薬)、兼谷裕子(50文)、利根川康俊(51経)、
・野田敏明(52経)