【Y】第27回The Young Salon講演会を開催しました

【テーマ:激変する大学】

2月24日(土)、第27回The Young Salon講演会を開催し、25名の皆様に出席頂きました。講師には早稲田大学人間科学学術院の永岡慶三教授をお迎えし「激変する大学」をテーマに約2時間のお話を頂きました。私達は慶應義塾を卒業してから既に相当の年月が経過しており、大学が現在どのような状況にあるのか懐かしさも抱きながら耳を傾けました。永岡先生は教育工学を専門としており、携帯やインターネットなどのテクノロジーを利用した教育方法を駆使し、大教室でも有効な双方向性のある授業を行なっています。その根底にあるのは教育の場を単に従来のような「知識を得る場」から「知識を自律的に獲得する体質涵養の場」に持って行く事が重要とする考え方にあります。講演の概要は下記の通りです。

 技術的特異点(シンギュラリティ)と言う仮説がありますが、これは人工知能(AI)の発明が急激な変化を引き起こし、人間文明に計り知れない変化をもたらすというものです。将棋では人間がAIに敗北したとしても、囲碁で負けるにはあと10年もかかるだろうとの予測がたったの1年で実現してしまった事を考えると、2045年以降はAIが人間の能力を凌駕してしまうという考え方も現実味を帯びてきます。

高等教育方法の歴史を見ると、エリート⇒マス⇒ユニバーサル化へと変化しています。日本では高等教育への進学率はマスの段階で大成功を収めましたが、今やユニバーサルの段階へと進んでいます。その背景は、現在日本の大学の授業料は、国立:52万円、文系私立:75万円、理系私立:150万円と高額であるので、対策として①大規模化して授業料を下げるか(⇒結果として質の低下を招く恐れ)、②少数精鋭にして税制で補助(⇒大学に行かない人も負担する事になる)する方法が考えられますが、いずれにしても問題があります。

そこで、授業料を抑え且つ質を高める為の方策としてe―ラーニングが挙げられます。これはICT(Internet Communication Technology)を用いて行う能動的学習方法であり、「誰でも、いつでも、どこでも、何度でも」学ぶ事が出来ます。e―ラーニングを利用したe―スクールでは、学んだ知識を基に学生同士の討論の場を設けます。育児中の人も超多忙なスポーツ選手でもこの方法で学ぶ事ができます。早稲田大学では現在1,000人のe―スクール生がおり、実はスケートの羽生結弦選手も相撲の旭鷲山関もe―スクールで学んでいました。

更には、MOOC(Massive Open Online Courses)があり、ハーバードやMITでは10万人規模となり、2016年現在全世界で3,500万人以上が自宅での空き時間や、通勤・通学時間等を利用して受講しています。講座数も今や4,600を数え、これまでの処、授業料無料で運営されています。MOOCでは卒業証書は出ませんが、終了証書は出ていると思います。ウランバートルの高校生がMOOCだけの(遠隔)学習でMITに合格した例もあります。

またWestern Governer’s Universityのように、e―ラーニングのみで成立している大学もあります。ここでは学習時間を基礎とした単位制は取らず、コンピテンシー(試験やレポート等を通じた能力評価)のみで単位が与えられています。但しメンター(教育コーチ:指導者)の存在は必要であり、この養成が結構大変であると考えています。

現在の大学は20世紀に成立したテクノロジー基板上に構築されていますが、私は次世代教育システムを是非再考すべきであると考えています。今後の高等教育は大学から大教室を追放し、「e―ラーニング」と「ゼミ活動」に集中して行うべきです。知識やスキルは大学で教えて貰うのではなく、自ら醸成する体質が涵養であると考えています。  ラーニングピラミッドという学説があり、知識の定着率は:講義を聞く事⇒読む事⇒・・・⇒グループディスカッションの順に高まりますが、「人に教える事」で最大化する事が分かっています。子供に教える事を頭に描きながら、知識を吸収する事が大切です。

最近の私の研究テーマとしてセミナーマネジメントシステムの研究開発があります。スピーチする学生が自分で評価をし、お互いに評価し合い、自分にフィードバックし、振り返りながら自分を成長させて行くことを支援する方法です。

 社会環境は確実に変化してきています。教育システムを変えるのは、テクノロジーだけでなくそれを取り巻く制度、社会、文化の受容が必要なのです。

電話を発明したグラハムベルが、その使用について役所に願い出た時は、それまでの電信に比較して記録が残らない等々を理由に中々許可が下りませんでした。またQwertyという言葉がありますが、これはタイプキーの左上に配列された文字で「旧弊」を意味しています。当時タイプは機械式であった為、使用頻度の高いキーを並べるとハンマーが擦れて壊れてしまう事から考えられた配列ですが、今は電磁式であるのでその心配はないのに旧い配列が継承されている旧弊の例です。必要とあらば旧い仕来りは勇気を持って変える事が必要であると考えています。

講演会終了後、有志が講師を交え懇親会を行い、大いに盛り上がった1日となりました。

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世話役:前原憲一