【総】第16回 定期総会・講演会・懇親会

   渡邉会長 挨拶

渡邉会長 挨拶

第16回定期総会は、9月24日(日)午後3時よりJR国分寺駅のⅬホールに於いて、会員96名の出席を得て開催された。

渡邉会長の挨拶に続き、第1号議案(平成28年度活動報告)、第2号議案(平成28年度会計報告・監査報告)、第3号議案(平成29年度活動計画)、第4号議案(平成29年度収支計画)、第5号議案(役員等選任)及び第6号議案(会則の改定)の審議が行われ、満場一致で全議案が承認された。その後、新任役員<古賀副会長(46経)、井上(49政)、小林(49工)、清水(49薬)、兼谷(50文)各幹事>の紹介が行われ、

最後に来賓の慶応義塾大学塾員センター蠣崎部長の挨拶をもって、総会は無事閉会した。

 

講師 德川眞木氏

講師 德川眞木氏

引き続き講演会は104名が参加し開催された。講師は水戸德川家第15代当主令夫人德川眞木氏、演題は「水戸德川家を語る」。本年2月に創立50周年を迎えた自身が館長を務める公益財団法人德川ミュージアムのメセナ活動等について、第2代当主であった德川光圀公(水戸黄門)のエピソードを随所に織り交ぜながら熱演。聴衆は熱心に聴き入った。

 

 

 

 

講演会終了後、平林幹事長の指揮のもと「塾歌」を斉唱し、来賓を含め97名が参加する懇親会がスタート。宮西副会長による開会の辞、来賓の大石立川三田会会長及び清水国分寺稲門会会長による挨拶、星野副会長による乾杯と続き、しばらく会食・懇談した後、活発な活動を継続している、14分科会の各世話役によるユーモア溢れる活動状況報告、更に新入会員の紹介と続き、場内の雰囲気も最高潮に達した。最後に出席者全員で肩を組み「慶應賛歌」と「若き血」を斉唱、古賀副会長の挨拶で閉会となった。

 

 (写真撮影 斎藤信夫 S38政)

総会事務局
・総会担当  平林正明(47経) 沼野義樹(48経)
・懇親会担当 常谷敦彦(46経) 田川尚子(40経) 岩田友一(45工) 高橋伸一(45法)
・      池田敏夫(47商) 山田健(47経) 利根川康俊(51経) 野田敏明(52経)

【ラ】ラテンの会 パラグアイフェスティバル鑑賞会報告

10月8日(日)光が丘公園けやき広場 Paraguay Festivalに参加。

パラグアイという国をご存知でしょうか?南米大陸のほぼ真ん中に位置し、「南米のへそ」と言われます。国土面積は日本並、人口5百万人弱と少ないのですが、約7千人の日系移住者が住んでいます。パラグアイは1960年代、日本政府が最後の国策・集団移住地とした国です。

フェステバルでのお披露目は何といっても、アルパ(ハープ)が奏でる民族音楽とそれに合わせた舞踊です。「コーヒールンバ」という懐かしい曲をご存知の方も多いと思いますが、そのバックに流れる軽やかな音色がパラグアイハープです。また、艶やかな民族衣装をまとって踊る「パラグアイダンス」も華麗ですが、そのダンスに合わせて頭上に瓶をかざした舞いは、世界でもこの国特有のもの、必見に価します(見られるのはこの機会のみ)。当日は日系3世のお嬢さんが、頭上高々に5本の瓶をかざしてステップ軽やかに舞い、多くの観衆を魅了しました。

ラテンの会世話人 榎下

【ゴ】第52回国分寺三田会ゴルフ会

国分寺三田会第52回ゴルフ会が、10月としては異例の高温・好天の中、初参加の小田孝志さん(45年卒)を含む15人が参加し山梨県「サンメンバーズカントリークラブ」で開催されました。
優勝は岩下さん、準優勝は新ペリハンデに恵まれた小林(一)さん、3位は当クラブメンバーで「BG」にも輝いた吉村さんがそれぞれ獲得されました。
PLAY終了後は、当クラブ内で親睦会を兼ねた成績発表会が開催され、大変盛り上がり楽しい時間をすごすことが出来ました。

第52回国分寺三田会ゴルフ会

・ 開催日   10月10日 (火曜日)
・ 場 所   サンメンバーズカントリークラプ(上野原市)
・ 時 間   9:32より out・in 各2組
・ 競技方法  新ぺリア方式
・ 競技者   15名(1名 途中棄権)

 ゴルフ部会懇親会

・ 場 所  上野原カントリークラブ コンペルーム
・ 時 間  14:30~15:30
・ 参加者  14名(1名 所用により不参加)

第48回 歩こう会 里山ハイキングの記録

平成29年10月5日(木)第48回歩こう会を実施しました。今回は、去る5月に計画した第47回(悪天候のために中止)の再実施です。

総勢17名が立川駅のホームに集合し、JRで出発点の武蔵増戸駅に向かいます。駅前広場で、渡辺紀子(37文)のリードで入念な準備体操をしてから、晴れ渡った秋空の下、爽やかな外気の中を出発。一路、弁天山(海抜292m)目指して登攀を開始。頂上に到着して小休止。遠くには西武ドームやスカイツリー等々が見え、眺望を楽しみました。

次に城山(海抜330m)に向かいます。途中、多少段差のきつい坂道もありましたが、間もなく頂上へ。軽食の後一路快調に下山して、全員が、定刻通り小網公園に到着しました。

順調にトラブルもなく、秋の里山ハイキングを満喫した一日でした。帰りには、立川に戻り、中華料理店で遅いランチを囲みながら、里山に登った達成感を語り合いました。

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【歴】第80回歴史をひもとく会講演会 報告

第80回講演会が9月2日(土)、本多公民館において44名の出席の下、開催されました。IMG_0553
講師は、塾法学部政治学科を昭和41年に卒業され、その後法政大学大学院で政治学博士号を取得、法政大学の教授を経て、現在同大学名誉教授である中江兆民研究の第一人者寺尾方孝氏。
土佐生まれのジャ-ナリスト、思想家、そしてジャン・ジャック・ルソーを日本に紹介し自由民権運動の理論的指導者となった中江兆民の人とその思想についてご講演頂いた。

<主な講演内容>

中江兆民(本名:篤助)は、1847年土佐国高知、山田町の貧しい足軽(その後下級警察吏)の家に生まれる。父の死により15才で家督を相続、同年吉田東洋が開いた藩校文武館に開校と同時に入学するも、直後に東洋は暗殺される。近思録、四書五経、十八史略、八家文などを素読、奥宮慥斉から陽明学を学び、細川潤次郎から蘭学を学ぶ。土佐でありながら尊皇攘夷思想とは無縁だった。

1865年土佐藩留学生として英学修行のため長崎派遣されるが実際には平井義十郎を師としてフランス学を学ぶ。長崎にて坂本竜馬と知り合い、その人柄に一目置く。

1867年後藤象二郎から25両の援助を得て(岩崎弥太郎には断られる)江戸遊学。村上英俊の門下生となったが、遊郭通いなどにより破門。フランス公使の通訳などをして生活。

1871年大久保利通に直談判して岩倉使節団に同行。サンフランシスコ到着後岩倉視察団とは別行動し、大陸横断の列車で1872年フランス到着、しばらくパリ、リオンに滞在。1873年パリに戻り、西園寺公望、光明寺三郎らと交わる。明治政府の留学生償還の方針に対し井上毅から留学延長の支援を受けるも1874年6月帰国。

1874年文部省勤務、翌年東京外国語学校長に就任するも漢文、漢詩の授業を軽視する当局の教育方針と対立、約1年で辞任。1875年5月元老院権少書記官、1877年1月元老院書記官辞任。

1874年10月東京麹町に仏学塾を開く。1878年頃、済美黌、二松学舎、紹成書院などで漢学の修練に励む。

1881年西園寺公望を社主として創刊された『東洋自由新聞』の主筆となり、ジャーナリストの道を歩み始めるも同紙はわずか34号で廃刊。1882年、末広徹腸、田口卯吉・馬場辰猪らとともに前年結成された自由党の機関紙『自由新聞』社説係に、しかし国会開設を目指して機運が盛り上がっていた時に党首板垣が洋行してしまうという板垣洋行問題に関連して馬場が解雇され、末広、田口も辞任、12月には兆民も辞任した。1888年大阪で東雲新聞を創刊し主筆として多くの論説を書いた。

ジャーナリストとして最も活躍した時期であった。

1887年三大事件建白運動(地租軽減・言論集会の自由・外交策の挽回)、大同団結運動を支援し、「後藤象二郎の意見封事」を代筆。12月26日保安条例公布により尾崎行雄、星亨、林有造、竹内綱(吉田茂実父)ら570名とともに皇居外三里退去処分となり大阪へ。1889年旧自由党再興に力を貸し、自由党再興派に与して1890年7月第1回衆議院議員選挙に大阪第4区から当選。1890年9月立憲自由党結成。しかし1891年2月政府予算案に反対し「査定案」でまとまっていた党の結束が、「土佐派」の裏切りにより崩れたのに腹を立て、「無血虫の陳列場」という論説を執筆し議員を辞職した。

著作としての最高傑作は、『三酔人経綸問答』(1887年)。「金斧と号する洋火酒(ヘネシーのコニャック)」を飲みながら三酔人が国家の経綸を談論する、理論派の洋学紳士・リアリストの豪傑の客・中庸の立場の南海先生3人の鼎談。また『一年有半・続一年有半』は食道癌の宣告を受けてから記した遺著(哲学書)で自身を哲学者と言っていた兆民唯一のベストセラーとなった。

IMG_0548 兆民は「東洋のルソー」「革命思想の鼓吹者」といわれているが、そのような理論を体系的に説いたことはない。彼は「自由」と「平等」を終始価値理念としていたが、積極的自由(自己実現の欲求)がなければ消極的自由(いわゆる制約のない自由)も意味がないという考え方をしており、何かを実現したいときに人間は自由を意識すると言っている。これはルソーの考え方である。また、ジョン・スチュアート・ミルの「自由論」を引用し、仲間同士で議論しながら互いに言論の自由を認め合うことが自由である。つまり寛容が大切であるとも言っている。
以 上

【E】第104回 Oh ! Enka の会・Songsを開きました。

日 時  平成29年9月16日(土)午前10時00分~12時00分
会 場  本多公民館・視聴覚室

今日はドタキャンもありましたが飛び入りもあり、出席者は36名。
先ずは森川由美子先生の恒例のヴォイストレーニングで開始しました。
1曲目は、スポーツの秋と愛媛国体が間近なことから国民体育大会歌「若い力」を声出しも兼ねて元気よく歌いました。
2曲目からは前回の続きでフォスターの後期の歌を4曲歌いました。
「ケンタッキーの我が家」
「金髪のジェニー」
「オールド・ブラック・ジョー」
「夢路より」

「ケンタッキーの我が家」はフォスターの円熟期の曲、以降の3曲は困窮時代に作られた曲です。
なお「ケンタッキーの我が家」と「オールド・ブラック・ジョー」は日本語と英語で歌いました。中学時代に覚えた英語の歌詞がなつかしく蘇りました。
他にアメリカ民謡でカンサス州の州歌となっている「峠の我が家」も歌い、最後に全員立って円陣を作り「今日の日はさようなら」を歌ってお開きにしました。
(司会・進行役は塩井が務めました。)
・                                              以上

【C】第7回 La Madre Cooking(料理教室)を実施しました。

8月25日(金)10時30分から14時まで光プラザ生活実習室で18名の参加者のもとに実施しました。今回も初参加として高橋 伸一さんが加わりましたが、普段より厨房に立つもレパトリーを増やしたいとのことです。

今回のテーマは暑い夏を乗り切る「そうめんに具をのせて栄養満点」をテーマに4品を作りました。

  1. もずくと夏野菜のかけそうめん
    千切りにしたきゅうりは塩もみし、トマトは湯むきのあと粗みじんします。そうめんは湯でたあと水の中でごしごしとぬめりを取り、氷水で締め水を切ったのち盛り付け、その上にもずくときゅうり、トマトを並べ麺つゆをかけて出来上がり。簡単な割に具が乗って美味しいです。
  2. 鶏手羽のスパイス焼き
    塩コショウをした手羽をフライパンで両面に焼き目がつくまで炒め、そこにガラムマサラ・カレー粉等香辛料にサラダオイルを混ぜ合わせたものを加えて中火でからめ、砂糖・白ワインビネガー及び塩コショウで味付けし、ベビーリーフを添えて出来上がり。こちらも手早く出来上がりました。
  3. 茄子のオイスター蒸し
    6つ割にした茄子にオイスターソース・ごま油・酒・しょうゆを加え蒸し焼きにし、千切りの青しそ葉としょうが、みょうがを乗せて完成!
  4. ミルクくずもち
    毎回デザートを作りますが、片栗粉、薄力粉、牛乳をよく混ぜ合わせ、電子レンジにかけます。その後、氷水の中で一口大にちぎり、水気を切って盛り付けそこに黄な粉と黒蜜をかければ出来上がり!

どの作品も簡単に作ることができましたが、ちょっとした工夫でいつもの倍に美味しく出来上がりました。参加者全員納得と満足の3時間半でした

世話役 古賀良三

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【E】第103回 Oh ! Enka の会・Songsを開きました。

日 時  平成29年8月19日(土)午前10時00分~12時00分
会 場  本多公民館・視聴覚室

今回は偶数月ですが、7月に100回記念会を開催したので、Songsの会を開きました。Songsの会としては過去最高の40名も参加し、大盛況でした。
先ず、森川由美子先生から、軽い体操と横隔膜を使ったヴォイストレーニングの指導を受け、歌に入りました。
今回は19世紀半ばのアメリカ合衆国を代表するスティーブン・フォスターの曲を歌う企画ですが、丁度今、第99回全国高校野球選手権大会が開かれているので、先ずは声出しにも適う「栄冠は君に輝く」(古関祐而作曲)を甲子園球場の熱戦振りを思い浮かべながら元気よく歌いました。全員の声の調子も上がってきたところで「おお スザンナ」、「草競馬」、「故郷の人々(スワニー川)」、「主人は冷たき土の下に」などフォスターの生涯の前期の曲を歌いました。
フォスターはアメリカのみならず世界中で歌われる曲を沢山作曲しましたが、経済的には恵まれず、37歳の若さで亡くなりました。
続けてフォスターの曲とよく間違われる「なつかしきヴァージニア」(ジェームス・ブランド作曲)を歌い、最後はドイツ民謡の「さよなら集い」を全員が円陣になって歌い、お開きとしました。
なお、次回9月16日(土)のSongsの会ではフォスター後期の曲を歌います。
(司会は塩井が務めました。)