【歴】第81回歴史をひもとく会 スピーチ大会開催報告

IMG_1038tif講演会プログラム

第81回歴史をひもとく会は11月19日(日)本多公民館において、44名の出席のもと開催されました。今回は初めての試みとして、歴史をひもとく会会員による「私と歴史」をテーマとするスピーチ大会とし、会員4名がそれぞれ独自の題材で講演されました。時間の関係から残念ながら用意された内容をすべてお話しできなかった方もおられましたが、各自周到な準備の下に、素晴らしい内容の講演となりました。このスピーチ大会は来年度以降も適時実施していきたいと考えております。

 

一番手は、49年政治卒の井上徹氏による「別子銅山と新居浜太鼓祭り」

ご自身の故郷愛媛県新居浜市に1690年から1973年の閉山まで283年の歴史を有した日本三大銅山の一つ別子銅山の日本の近代化への貢献、その裏の苦難の歴史、その繁栄をもたらした別子三翁と言われる三人の経営者の生き方、そして歴史的意義を風化させないための観光開発、世界遺産登録を目指している現在の状況を情熱を込めて語られました。もう一つのテーマ、阿波踊り、よさこいとともに四国三大祭りの一つである「新居浜太鼓祭り」については残念ながら時間の関係から割愛されました。

次は、38年政治卒の斎藤信雄氏による「古事記を訪ねて」

日本に正統な天皇国家を確立したいとして、天武天皇が稗田阿礼と太安万侶に編纂を命じた神話集「古事記」に語られている数々の神話について熱く語られました。主な内容は、イザナギとイザナミによる日本列島の誕生(天地創造)、太陽神天照大御神が天岩屋に身を隠したために高天原が闇となり悪しき神が溢れて災いが起きた。そのため神々が知恵を出し合い天照大御神を岩屋から引き出したという天岩屋神話、須佐之男命の八岐大蛇退治神話、出雲大社と諏訪大社創建のいわれ(国譲り神話)、古事記には南方系神話の影響が強いことなど。

 

三番目は、30年経済卒の丸山茂氏による「歴史散策―歴史から学ぶ―」

IMG_1038tifIMG_1038jpgかつて奈良に住まわれていた講師、奈良の史跡巡りで出会った美しいもの、未知との出会いについて語られました。蘇我入鹿の首が切られて宙に浮かんでいる様子が描かれている談山神社の縁起絵巻、浄瑠璃寺の極楽浄土と九体の如来像、日本一の美女吉祥天女像、いくつかの寺にある慈愛に満ちた十一面観音、東大寺二月堂のお水取り、東大寺南大門の運慶の金剛力士像、薬師寺の三重の塔と薬師如来。また、歴史上の「・・・たら、・・・れば」を考える楽しみについても語られ、秦の始皇帝、項羽と劉邦、関ヶ原の天下分け目の戦い、将軍秀忠の歴史的浮気、などを題材に「れば、たら」を考えることの面白さを、最後に歴史から学ぶとしてご自身の考えられる理想のリーダー像についても述べられました。

 

最後は、39年政治卒の小林隆夫氏による「米百俵と慶應義塾」

小泉元首相により有名となった長岡藩の「米百俵」の逸話、戊辰戦争で敗れ悲惨な経済状況にあった長岡藩の再興に強い意志と行動力で多大な貢献をした小林虎三郎と一歳違いの幼友達で親戚でもあった戊辰戦争で会津とともに散った河合継之助、そして河合継之助の親友であった三島億二郎のそれぞれの生き方、考え方について非常にわかりやすく丁寧に語られました。継之助亡き後、長岡の再興には人材の育成が第一と強く主張して実行した小林虎三郎、虎三郎のその考えに共鳴し、維新後の長岡を指導した三島億二郎、三島は福澤諭吉の思想に共鳴しており、交流もあったことから、長岡から多くの人材が慶應義塾に送られ、その後長岡の指導者となったほか慶應義塾の塾長や要職を歴任した者も多く輩出されていること、三島が明治5年に作った長岡洋学校における授業方法が輪読形式で、生徒間で意見交換し最後に先生が意見を述べるという現在のゼミ形式であり福澤諭吉の「半学半教」の考え方に近かったことなど、これまで知ることのなかった長岡藩と慶應義塾の緊密な関係は新鮮で驚くような話でした。