【蕎】第51回 蕎麦っけの会を開催しました!

「蕎麦っけの会」恒例の忘年会は、2017年12月23日(土・祝)夕刻に、いつもの国立「きょうや」を貸し切り開催しました。参加人数は25名で座席が満杯。

渡邉恵夫さん(国分寺三田会会長。S40年。工)による開会のご挨拶と乾杯のご発声でスタート。早々に、女将から「いつも御贔屓に預かり、誠にありがとうございます。」との御礼の言葉がありました。

料理のコンセプトは、勿論「お蕎麦」。蕎麦をベースに、様々な工夫を凝らした美味しい料理が続々と。皆さん、これらを新潟の銘酒「極上・吉乃川」や「久保田・千寿」でガンガンと流し込んでいきました。女将曰く「お酒のスタートから暫くのスピードは、本当に驚異的です!」

歓談の途中で、「六大学の生き字引」の東島昭二さん(S38。文)から、今秋いつの間にか優勝してしまった慶應野球部の裏話や「来春以降も大いに期待できます!」との話があり、一同、やんやんの拍手。続いて、今回初参加の竹野日出雄さん(S47。法)から「実は、国分寺三田会は出戻りでして・・・」のご挨拶がありました。宴たけなわの頃合いに、「蕎麦っけの会」慣例の喜寿の花束を米屋精一さん(S39。経)に贈呈しました。

中締めのご挨拶では、「いつもながらに本当に楽しい忘年会でした♪」とのお言葉が小笠原正文さん(S38。法)からありました。

こうして、今年一年を振り返りつつ、お腹もいっぱい、心もいっぱい、肝臓もいっぱい(?)の楽しい時間を過ごしました。なお、女将から、こっそりと「なんと、過去最高の〇升(とても書けません:野田)も呑んでいただきました。」とのご報告があったことを最後にお伝えします。

世話役 野田(S52。経)

【E】第107回Oh!Enkaの会を開催しました

1.日時  平成29年12月17日(日) 10:00~12:00
2.場所  本多公民館・視聴覚室
3.スケジュール
・ 第1部  カレッジソング(塾歌、オール慶應の歌、慶應讃歌)
・ 第2部  講演 「指揮者はつらいよ」 石寺隆義氏(塾員・昭和41年経済学部卒)
・ 第3部  皆で歌おう(琵琶湖周航の歌、よろこびの歌、諸人こぞりて)
・ エール交歓・若き血

今日は視聴覚室がいっぱいになる59名の参加を得て開催されました。
第1部はいつものように、森川先生の伴奏でカレッジソングで始まりました。発声練習の後「塾歌」「オール慶應の歌」「慶應讃歌」の3曲を歌いました。今日の講師で、アマチュアオーケストラの指揮者を長く務められた石寺氏に指揮を執っていただきました。

第2部は立川三田会大石敏雄会長のご紹介で実現しました、昭和41年経済学部卒の石寺隆義氏の「指揮者はつらいよ」と題したミニ講演会です。
石寺氏は中学・高校時代から音楽家を志し、慶應義塾大学で1年間、慶應義塾ワグネル・ソサィエティー・オーケストラに所属、昭和41年に経済学部を卒業後、農林省入省、林野庁、食糧庁、本省各局等を歴任、平成8年に日本中央競馬会理事に就任。退任後は諸法人の役員を務めておられます。
その間40年にわたりアマチュアオーケストラ横須賀交響楽団の指揮者を務められました。
平成11年にイタリア政府から叙勲、平成25年春の叙勲で「瑞宝小綬賞」を受賞 しました。
著書に「ちょっと面白い話」等があります。
農林省時代にはハードな日ソ漁業交渉の担当官としてモスクワに駐在した他、ローマなど海外勤務が豊富です。モスクワ駐在時代には團伊玖磨氏からムソルグスキーの「展覧会の絵」の絵を探して欲しいと頼まれて探し求めたそうです。
今日は、石寺氏から指揮者や作曲家にまつわる非常に興味深い数々のエピソードを、ユーモアを交えて講演いただきました。幾つかを以下に紹介いたします。
①男として一生に一度は上がってみたい「台」は、番台と指揮台だそうです。
前者はともかく、指揮台は大勢のオーケストラ団員を指揮棒1本で自在に操るカリスマに思えますが、実際はそう簡単ではありません。
特にプロのオーケストラともなると団員も音楽への接し方に一家言持っていますから、必ずしも指揮者の言うことを無条件で聞いてくれるわけではありません。指揮者と団員の間には意見の相違があるので一定の緊張関係があります。
「ノダメカンタービレ」というTVドラマがありました。若い指揮者があるコンクールで課題曲を振りましたが、ホルン奏者と意見がぶつかり、険悪な関係となり火花を散らします。最後はお互いに納得してうまくいった、という話です。団員を納得させられる経験と器量があって初めてカリスマとして君臨できます。指揮者も時代により強烈なカリスマ性(フルトヴェングラーやカラヤン等)から、最近は随分民主主義的になりました(アバドやラトル等)。いずれにせよ聴衆が思っているほど楽ではないということです。
オーケストラにはそれぞれ特徴があり、音色も全く違うものになります。特にウィーンフィルは専任指揮者を置きません。ウィーン気質を保持するためあえて専任を置かず、客演指揮者を呼びます。カラヤンでさえウィーンフィルを指揮することは大変だったようです。同じブラームスの交響曲を聴いてもベルリンフィルとウィーンフィルでは全く違います。
②ハイドンの時代の指揮者の役割は、音楽を提供することでした。サロンで食事や会話の妨げに
ならないようなBGM風の優雅な曲が多いのです。これがベートーヴェン以降は劇場型に変わります。優雅な音楽から、フォルテ、迫力、不協和音など聴衆を飽きさせない曲が出てきます。交響曲第3番が典型的です。
専任指揮者として活躍を始めたのは、メンデルスゾーンです。ユダヤ人で実家が銀行家で裕福であったため、指揮に専念できたようです。この頃になると指揮者の役割の一つに、埋もれた名作の発掘・普及があります。メンデルスゾーンはバッハのマタイ受難曲を普及させました。また、新進気鋭の新しい作曲家の作品を取り入れることも重要な役割になります。
③メンデルスゾーンの音楽が繊細なのとは対照的に、新進のワグナーの音楽は音を長く伸ばし、重厚な音楽で、旋法にも画期的な工夫が見られます。ワグナーは革命好きで、ベートーヴェンの交響曲第9番を革命的として高く評価していました。私生活では、指揮者のビューローの妻コジマを愛人とし、トリスタンとイゾルデにその愛を表現しています。これは無調で現代音楽の走りといわれています。
④ブルックナーは田舎のおっさんという感じでオルガニストでもありました。交響曲第3番をワグナーに献呈し、ワグナーも気に入ってくれたので、ウィーンフィルで初演しましたが、団員がブルックナーの指揮を受け入れず、失敗に終わりました。最後に残った聴衆の中にマーラーがいました。マーラーは先見の明がありこの曲を評価していました。
一方マーラーは天才肌のコスモポリタンです。若い奥さん(パルマ)をもらいますが、彼女の社交的なところを気にいらず、閉じ込めてしまいます。パルマも落ち込みますがたまたま知り合ったイタリア人の建築家と不倫関係となります。マーラーは最初のうちは容認していましたが、次第に精神的に侵され、フロイトの診断を仰いだということです。マーラーの曲にはどこか通俗的な部分もあり親しみが持てます。
⑤フルトヴェングラーやカラヤンはマーラーの曲をやりません。マーラーがユダヤ人だったからということです。ナチは当時すでに人気の高かったフルトヴェングラーを宣伝に利用しようとします。ナチの陰謀でカラヤンをライバルとして招聘しました。フルトヴェングラーも次第にナチになびくようになりました。こうした関係から、戦後は不利な状況に置かれたこともあります。フルトヴェングラーの没後はカラヤン帝国となります。そのくらい指揮者の地位は危ういものです。
⑥音楽には絶対音楽と標題音楽があります。絶対音楽に思想は入りません。ブラームスがその好例です。一方標題音楽には思想や筋が入っており、こちらの好例はワグナーです。サガンの「ブラームスはお好き」に題材として取り上げられています。思想が入っていると筋を追ってしまいがちですが、それぞれの楽しみ方があるでしょう。

第3部は再び石寺氏の指揮でこの季節に相応しい歌を歌いました。「琵琶湖周航の歌」は京大ボート部の部歌で、誕生からちょうど今年で100年だということです。塩井代表からメルボルンオリンピックの国内予選で慶應が京大に競り勝ったエピソードなどを紹介していただきました。第1部で歌った「オール慶應の歌」はボートのオールと掛けているとの種明かしもありました。年末なので第九から「よろこびの歌」、クリスマスも近いので「諸人こぞりて」を歌いました。
最後は恒例の平林会員によるエール、肩を組んでの若き血で今年最後の例会をお開きにいたしました。

次回以降の予定:1月20日(土) 10時~12時 本多公民館(視聴覚室) SONGS
2月18日(日) 10時~12時 本多公民館(ホール)
高橋晴彦氏(バリトン歌手)リサイタル

世話役代表:塩井勝也(S41法)
世話役:斎藤信雄(S38政)、金田 一(S42工)、 高橋伸一(S45法)、 久保田宏(S46工)、
池田敏夫(S47商)、芳賀 崇(S47経)、 平林正明(S47経)、 山田 健(S47経)、
井上 徹(S49政)

【ゴ】第53回国分寺三田会ゴルフ会

国分寺三田会第53回ゴルフ会が、12月としては恵まれた天候の中で、初参加の内野さん(45年)・川口さん(47年)を含む22人が参加「昭和の森ゴルフコース」で開催されました。
優勝は吉村さん、準優勝は小林(一)さん、3位は鶴谷さんがそれぞれ獲得されました。ベスグロは岩下さんでした。
PLAY終了後は、席を「庄や」に移して忘年会も兼ねた成績発表会が、菅谷・小笠原元国分寺三田会会長のご参加も頂き開催され、大変盛り上がり楽しい時間をすごすことが出来ました。た。

第53回国分寺三田会ゴルフ会

・ 開催日   12月12日 (火曜日)
・ 場 所   昭和の森ゴルフコース(昭島市)
・ 時 間   9:35より out・in 各3組
・ 競技方法  新ぺリア方式
・ 競技者   22名

 表彰式・忘年会

・ 場 所  西国分寺 庄や
・ 時 間  19:00~
・ 参加者  23名(競技参加者1名 所用により不参加、忘年会のみ参加者2名)

【新】平成30年新年会のお知らせ

平成30年新年会を下記内容を予定しております。会場は前回と同じ宮地楽器ホール

(JR武蔵小金井駅南口駅前)で開催します。新年会に相応しい催し物や福引等を
企画しておりますので是非ともご参加いただきたく宜しくお願い致します。

・            記
1.日時:平成30年1月13日(土)18:45~20:45
・    受付開始 18:15 開場まで1Fロビーでお待ちいただきます。
2.場所:小金井宮地楽器小ホール(小金井市市民交流センター)
・    宮地楽器ホールの案内・アクセス(ここをクリック)    

3.アトラクション
・    ○テノール歌手 下村雅人氏 独唱、
・    ○福引抽選会、他

4.会費:男性5000円 女性4000千円

5.出欠連絡:12月25日(月)迄に案内状(往復葉書、メール案内)に対し返信願います。

・                                  以上

【蕎】第50回 蕎麦っけの会を開催しました!

記念すべき節目の第50回は、あらゆる蕎麦のガイドブックに「名店」として正々堂々掲載されている日本橋「室町砂場」(明治2年創業。天ざる・天もり発祥の店)にて、2階座敷(最近改装して清々しい雰囲気)を貸し切って午後1時から開催しました。参加人数は15名と「蕎麦っけの会」としては、いささか少人数でしたが一騎当千の強者が勢揃い。

まず「開会のご挨拶」は、永らく当会を主宰されてきました菅谷さん(S37経)から当会の歴史についてのお話、続いて現役時代に当店に頻繁に通われた金城さん(S35経)から「乾杯のご発声」でスタート。

腰の強さと・ほんのり甘い蕎麦の美味しさ、工夫を凝らした料理の数々、ぬる燗の旨さ、仲居さんの接遇の素晴らしさ等、「さすがに歴史ある名店」の雰囲気の中、楽しい懇談の時間を過ごしました。

「中締めのご挨拶」は、「50回記念に相応しい充実したお店と楽しい時間でした♪」とのお言葉を横瀬さん(S36法)から頂戴しました。

まだまだ、陽も明るい午後4時に解散ということから、強者達は三々五々、次の店へと「出陣」していきました。第51回は、12月に恒例の忘年会を国立「きょうや」にて開催予定です。

なお、あまりに楽しい時間であったため、集合写真等を失念しました。この場をお借りして深くお詫び申しあげます。世話役 野田(S52経)

【歴】第81回歴史をひもとく会 スピーチ大会開催報告

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第81回歴史をひもとく会は11月19日(日)本多公民館において、44名の出席のもと開催されました。今回は初めての試みとして、歴史をひもとく会会員による「私と歴史」をテーマとするスピーチ大会とし、会員4名がそれぞれ独自の題材で講演されました。時間の関係から残念ながら用意された内容をすべてお話しできなかった方もおられましたが、各自周到な準備の下に、素晴らしい内容の講演となりました。このスピーチ大会は来年度以降も適時実施していきたいと考えております。

 

一番手は、49年政治卒の井上徹氏による「別子銅山と新居浜太鼓祭り」

ご自身の故郷愛媛県新居浜市に1690年から1973年の閉山まで283年の歴史を有した日本三大銅山の一つ別子銅山の日本の近代化への貢献、その裏の苦難の歴史、その繁栄をもたらした別子三翁と言われる三人の経営者の生き方、そして歴史的意義を風化させないための観光開発、世界遺産登録を目指している現在の状況を情熱を込めて語られました。もう一つのテーマ、阿波踊り、よさこいとともに四国三大祭りの一つである「新居浜太鼓祭り」については残念ながら時間の関係から割愛されました。

次は、38年政治卒の斎藤信雄氏による「古事記を訪ねて」

日本に正統な天皇国家を確立したいとして、天武天皇が稗田阿礼と太安万侶に編纂を命じた神話集「古事記」に語られている数々の神話について熱く語られました。主な内容は、イザナギとイザナミによる日本列島の誕生(天地創造)、太陽神天照大御神が天岩屋に身を隠したために高天原が闇となり悪しき神が溢れて災いが起きた。そのため神々が知恵を出し合い天照大御神を岩屋から引き出したという天岩屋神話、須佐之男命の八岐大蛇退治神話、出雲大社と諏訪大社創建のいわれ(国譲り神話)、古事記には南方系神話の影響が強いことなど。

 

三番目は、30年経済卒の丸山茂氏による「歴史散策―歴史から学ぶ―」

IMG_1038tifIMG_1038jpgかつて奈良に住まわれていた講師、奈良の史跡巡りで出会った美しいもの、未知との出会いについて語られました。蘇我入鹿の首が切られて宙に浮かんでいる様子が描かれている談山神社の縁起絵巻、浄瑠璃寺の極楽浄土と九体の如来像、日本一の美女吉祥天女像、いくつかの寺にある慈愛に満ちた十一面観音、東大寺二月堂のお水取り、東大寺南大門の運慶の金剛力士像、薬師寺の三重の塔と薬師如来。また、歴史上の「・・・たら、・・・れば」を考える楽しみについても語られ、秦の始皇帝、項羽と劉邦、関ヶ原の天下分け目の戦い、将軍秀忠の歴史的浮気、などを題材に「れば、たら」を考えることの面白さを、最後に歴史から学ぶとしてご自身の考えられる理想のリーダー像についても述べられました。

 

最後は、39年政治卒の小林隆夫氏による「米百俵と慶應義塾」

小泉元首相により有名となった長岡藩の「米百俵」の逸話、戊辰戦争で敗れ悲惨な経済状況にあった長岡藩の再興に強い意志と行動力で多大な貢献をした小林虎三郎と一歳違いの幼友達で親戚でもあった戊辰戦争で会津とともに散った河合継之助、そして河合継之助の親友であった三島億二郎のそれぞれの生き方、考え方について非常にわかりやすく丁寧に語られました。継之助亡き後、長岡の再興には人材の育成が第一と強く主張して実行した小林虎三郎、虎三郎のその考えに共鳴し、維新後の長岡を指導した三島億二郎、三島は福澤諭吉の思想に共鳴しており、交流もあったことから、長岡から多くの人材が慶應義塾に送られ、その後長岡の指導者となったほか慶應義塾の塾長や要職を歴任した者も多く輩出されていること、三島が明治5年に作った長岡洋学校における授業方法が輪読形式で、生徒間で意見交換し最後に先生が意見を述べるという現在のゼミ形式であり福澤諭吉の「半学半教」の考え方に近かったことなど、これまで知ることのなかった長岡藩と慶應義塾の緊密な関係は新鮮で驚くような話でした。