【E】第95回 0h! Enkaの会を開催しました。

1.日時:   平成28年12月18日(日)10:00~12:00
2.会場:   いずみホール・Bホール
3.出席者:  会員および同伴者48名、森川由美子先生(ピアノ)
・       佃 靖彦氏(講演)、高邑 勉氏(應援指導部OB)、應義会演奏隊(7名)
4.プログラム
・ 第1部  カレッジソング(①塾歌 ②オール慶應の歌 ③三色旗の下に ④慶應讃歌)
・ 第2部  講演  演題:『世紀を刻んだ歌「慶應義塾塾歌」はこうして生まれた』 講師:佃 靖彦氏
・ 第3部  應義會演奏隊メンバーによる演奏
・      (① 錨を上げて ②突撃のテーマ~ダッシュケイオウ ③我ぞ覇者 ④ロンドンデリーの歌)
・ 第4部  季節の愛唱歌(①狩人の合唱 ②旅愁 ③樅の木)
・ エール交歓 (若き血)

・第1部は趣向を変えて、高邑 勉氏の指揮と應義會演奏隊メンバーによる演奏でカレッジソングを歌いました。
高邑氏は“6月に披露いただいた素晴らしい指揮をもう一度”ということでお招きしました。今回は應援指導部の伝統である“くずしを入れた振り”、“左手を前にしてペンのかたちを作る左前ペンクロス”を披露いただきました。
力強い発声、素晴らしい指揮、力強い演奏で会場が一体となり、いつにも増して力強く歌うことができました。
・第2部は講演です。ワグネル・ソサィエティーOB高橋伸一会員の紹介で佃 靖彦氏をお招きしました。今日、我々が歌っている「塾歌」は、その旋律と歌詞の時代を感じさせない普遍性と荘重な響きは誰をも魅了します。佃 靖彦氏には、この素晴らしい「塾歌」がどのようにして生まれたのか、「塾歌」として制定されるまでに至った経緯と、四部合唱曲としての「塾歌」はその後、ワグネル・ソサィエティーの中ではどのような変遷があったのか、我々一般の塾員には知られざる史実をお話いただきました。塾歌は旧塾歌(金須嘉之進)⇒幻の塾歌(信時潔)⇒日本の誇り(信時潔)
⇒新塾歌、男声四部合唱は男声合唱正譜オリジナル版(信時潔)⇒編曲版(北村協一)⇒新編曲版(信時潔)⇒男声合唱正譜オリジナル版(信時潔)と変遷してきました。塾歌は信時潔が作曲した900曲の中で最も精魂込めた作品の一つだそうです。信時潔は国分寺に住み、このように素晴らし塾歌が国分寺で生まれたことは我々の誇りです。また、塾歌を歌い継いできたワグネル・ソサィエティの功績が大きいと思います。そしてこのような素晴らしい塾歌を歌える幸せを感じる次第です。
・第3部は應義會演奏隊7名による演奏です。皆さんは日ごろ慶應義塾のイベントで慶應義塾の応援歌、愛唱歌を演奏しています。軽妙な口調で応援歌のエピソードを交えながらの演奏です。とくに古関裕而が作曲した早稲田応援歌“紺碧の空”に対抗した応援歌を作ろうという機運の中で古関裕而に依頼して“我ぞ覇者”ができたというのは興味深い話です。会場の都合で太鼓を使えないのは残念でしたが、トランペット、サックス、トロンボーンが会場に鳴り響きました。
・第4部は森川先生の伴奏で季節の愛唱歌を歌いました。
・最後は平林正明会員の指揮による「若き血」斉唱です。高邑 勉氏に刺激されたのか、勝るとも劣らない力強い振りです。全員が肩を組み、応援歌を歌える幸せを味わいました。

<講演要旨> 『世紀を刻んだ歌「慶應義塾塾歌」はこうして生まれた』
・佃 靖彦氏はワグネル・ソサイエティーOB。格調高い、芸術性豊かな慶應義塾塾歌がどのようにして生まれたかに興味を持ち、調査してきた。(文中の氏名は敬称略)
◆明治36年暮れに制定された「旧塾歌」(作詞は角田勤一郎、作曲は金須嘉之進)。
・日本に西洋音楽が導入された創世記の雰囲気が伝わってくる歌。他大学の校歌は外国の旋律を転用する風潮が見られたが、塾歌は自前。
◆「新塾歌」制定までの経緯
・しかし旧塾歌は時代とともにそぐわなくなってきた。明治40年「都の西北」の登場と慶早戦の連敗、大正14年に再開した慶早戦での連敗を受け、次第に新塾歌を求める声が出てきた。
・大正15年、塾歌を懸賞募集したが採用に至らなかった。昭和2年にも与謝野寛作詞、信時潔作曲で塾歌を作成したが、採用に至らず、「幻の塾歌」となった。そして昭和9年に、「幻の塾歌」の旋律をそのままに慶應義塾大学職員富田正文が作詞し、「日本の誇り」として福沢先生生誕100年の式典で演奏した。そしてしばらくは塾歌に準ずる扱い。
◆新塾歌の誕生
・作詞家富田正文、作曲家信時潔は小泉塾長の信頼が厚く、塾歌委員会は新塾歌作成を富田正文、信時潔に依頼した。この時の塾歌委員会の注文は①明朗 ②荘重 ③老幼 ④式典歌 ⑤応援歌 ⑥行進曲。そして昭和15年11月に完成、「ピアノ伴奏と旋律」「男声合唱正譜」の2つが塾歌として正式に認定され、昭和16年1月10日福沢先生誕生記念会で発表した。最初から「男声合唱正譜」が編曲されることは珍しく、信時潔が塾歌作曲に精魂込めていた様子がうかがえる。また、信時潔にとってワグネル・ソサィエティーという合唱団があることも励みになっていたとのこと。
◆ワグネル・ソサィエティーは塾歌「男声四部合唱」をどう歌い継いできたか
・昭和15年~昭和35年までは信時潔「男声合唱正譜」(昭和15年オリジナル版)。
・他のカレッジソング同様編曲を行い、昭和36年~37年は北村協一編曲版。
・昭和38年に塾歌を作曲した信時潔に編曲を依頼した。佃 靖彦氏によれば当時、ワグネル・ソティエティーの中では「男声合唱正譜」(昭和15年オリジナル版)は信時潔が編曲し、塾歌として認定されているという認識が徹底されていなかったとのこと。それでも信時潔は新編曲版制定に快く応じてくれた。昭和56年8月まで新編曲版として歌われてきた。
・昭和56年ワグネル・ソサィエティ―を指導していた木下保が「男声合唱正譜」(昭和15年オリジナル版)を見て、これぞ福澤魂プラス信時魂として、演奏した。それから「男声合唱正譜」(昭和15年オリジナル版)は信時音楽の最高峰の一つとして蘇り、今日まで歌い継がれている。

<佃 靖彦氏プロフィール>
・ ① 昭和16年10月1日 北海道小樽市生まれ。
・ ② 昭和39年慶應義塾大学経済学部卒業
・ ③ クラブ活動:ワグネル・ソサィエティ男声合唱団、所属ゼミ:町田ゼミ(金融経済)
・ ④ 趣味:陶芸(元世田谷陶芸協会会長)、現在は男声合唱団「アゲイン」に所属。

次回 : 1月21日(土) 10:00~12:00  会場:本多公民館視聴覚室  Songs
次々回: 2月18日(土) 14:00~16:30  会場:本多公民館ホール   サックス演奏

世話役代表:塩井勝也(S41法)、
世話役:金田 一(S42工)、高橋伸一(S45法)、久保田宏(S46工)、矢野拓郎(S46商)、
芳賀 崇(S47経)、平林正明(S47経)、山田健(S47経)、池田敏夫(S47商)、井上 徹(S49政)