【蕎】第45回蕎麦っけの会

第45回「蕎麦っけの会」は、2016年3月26日(土)、国立の「きょうや」で24名の参加にて開催しました。今回は、目黒先生(昭和34医)の特別講演会「日本にもあった戦争神経症」とコラボし、その流れの中での開催でした。
3月末の春爛漫を予想し、「特別講演会→三々五々の国立の観桜→きょうや」を予定していました。しかし、誠に残念ながら、開催直前の数日間が冬に逆戻りしたかのような寒さとなり、桜は1~2分咲きに止まっていました。

特別講演会の司会・進行役の前原さん(昭和45工)からの、目黒先生への感謝と特別講演会が成功裡に終了したことへの御礼、そして乾杯の発声でスタート。
今回のメニューは、「蕎麦っけの会」に相応しく、「一口蕎麦の梅肉和え」から始まりました(過日、店主との下打ち合わせ時に「あの呑みっぷりから、『蕎麦の会』ではなく、『お酒の会』と思っていました。。。」との真顔での発言があったことから、メニューを大幅に変更してもらいました)。引き続き、蕎麦味噌等、いつもながらの美味しい料理とお酒に一同舌鼓を打ちました。

盛り上がったところで、4回振りに参加された野崎さん(昭和34文)から、お元気なお姿での近況ご報告。続いて、今回がなんと!初回参加(いつもキャンセル待ちでした←申し訳ありません(世話役より))の星野さん(昭和42経)から「初々しい」ご挨拶があり、参加者からは大きな拍手喝采が挙がりました。
更に、後半では店主と女将からの丁重な挨拶もあり、国分寺三田会「蕎麦っけの会」と国立「きょうや」との永きに亘る親密な関係を、しみじみと感じました。
最後に、参加者全員で肩を組んで「若き血」を歌い、特別講演会の充実感を胸に収めつつ、和気藹々とした時間の幕を閉じました。

【歴】講演「幕末の動乱から明治の騒乱へ」

第72回の講演会が、2016年3月12日本多公民館で、前・日野市市長の馬場弘融(ばばひろみち)氏を講師に迎えて開催されました。出席者は、46名と多くの方々が参加されました。
講演は、「新選組を下敷きに、東国史観で『維新』を語る」として、馬場氏ご自身の独特の視点から、大きく3つの項目で進められました。

一つ目は、前・日野市市長として「やはり先ず、新選組から」
最初に浪士組(将軍警護のために組織化)、新徴組(帰された浪士組=「お巡りさんの前身」)、新選組(明治政府にとって最右翼の敵役)について。
続いて、①日野(多摩)における甲州街道(徳川時代に出来た平坦な道)の「将軍の最後の逃げ道」としての役割と日野地域への恩恵、
②米どころ(昭和30年代まで東京一の米生産)としての豊かな経済基盤(かなりの存在の中間層)、
③「日野の渡し」への関わり
④天領(幕府のゆるやかな統治(税が安い))としての生活、
⑤西の備えとしての八王子千人同心(武田家等の遺臣)と天然理心流の発祥
⑥名主・佐藤彦五郎(土方歳三の義兄。新選組の応援団)の活躍(名主層のネットワーク)。
これらが総合的に醸成する徳川将軍家への「想い」(この地域では、少し前までは「公方様」と呼称)。こうした土壌があっての、
⑦新選組の土方歳三や沖田総司の誕生へと話が続きました。
また、「ひの新選組まつり」誕生の経緯と現在の盛況振り、馬場家(4代前の先祖・馬場兵助(浪士組→新徴組))と新選組の関わりについても言及

二つ目は、「多摩という地域から見た明治『維新』」として本論が展開されました。
最初に明治維新に大きなインパクトを与えた事柄として、老中・阿部正弘(生きていれば井伊直弼の出る幕なし)と薩摩藩主・島津斉彬(生きていれば「公武合体」が出来た)の早すぎる死、西郷隆盛の入水自殺未遂(彼が明治維新の形を作った)、池田屋事件(事件が起きなければ、長州藩士等によって京都は灰になっていた可能性があり、明治維新はどうなっていたか?)、慶應2年の徳川家茂と孝明天皇の突然の逝去。そして慶應3年の坂本龍馬(公武合体論者)の暗殺。「慶應2年~3年は、意図的に様々なことが仕組まれ」なければ、明治維新は別の様相を呈していた可能性
①②東国史観(新選組・幕府側の視点)については、多摩地域から考えると幕府領であり、「お殿様がいない」(北条氏以来250年)。つまり、名主等を中心とした農民自治が行われていた。
江戸時代は250年間の平和な時代、庶民文化の開花、見事な環境都市づくり、武士道の確立等。我々が教わった「江戸時代、庶民は虐げられていた」というのは少し違う。こうしたことからも、江戸時代の再評価が必要
明治政府は、日本の近代化の土台を作り、発展させた。しかし、多摩地区では「俺たちの町は、徳川時代はもっと良かった」(「ご維新」ではなく「瓦解」。日野の人は今でも言う)との明治政府に対する反発が、中農層を中心とする自由民権運動(板垣退助:「自由民権運動の東の拠点は多摩」)に繋がる。
③明治維新の性格は、「西郷の意思」と「岩倉の度胸」が決定。薩長の志士達による薩長史観は、「目的のためには手段を択ばず」という薩長志士(元老)の背中を見て育った大正・昭和の軍人達が皇国史観へと形を変え、同じように「目的のためには手段を択ばず」やったもの。1868年~1945年の77年間は戦争(対外戦争)ばかり。それ以前の250年間は平和、今も71年間平和。これらを比べる時、77年間の戦争の大きな原因は、明治維新の元勲のやり方が真似られ、その後の日本を誤らさせた。
④また、日本史における断絶も問題。明治以降と明治以前とでは「壁」のようなものが出来ていて、「違う日本」あるいは「良くない日本」という感じ
⑤戦前における韓国への対応(おそらく吉田松陰の思想が影響)については、反省の要
⑥「歴史教育の恐ろしさ」

締めくくりの三つ目は、「最近の読書から思うこと」。
蜷川新氏の著書「維新正観」、朝河貫一氏の著書「日本の禍機」や行動を引き合いに、「明治の日本には、もっと違った道があったはず(いわば王道が)。日露戦争の後は、王道のチャンスだった」。そして、塩野七生氏「ローマ人の物語」や綱淵謙錠氏の「乱」等の著書から、「これからの日本はどう進む?」との大変興味深い持論を展開されました。

講演会終了後に、国分寺駅前の「日本橋亭」(司会の星野氏曰く「本日のテーマのスタートとなった甲州街道の終着点「にほんばし」と同じ」)に席を変えて、馬場弘融氏も交えて懇親会を開催し、大いに盛り上がりました。 

 

【応】六大学野球慶早戦応援会を開催します

新緑の神宮球場で5月28日(土)に慶早戦が開催されます。学生席で応援歌を歌い、ホームランに酔いしれて応援してみませんか。慶早戦応援会を下記開催します。奮ってご参加下さい。

  1. 日時、集合場所:5月28日(土)午前10時JR中央線国分寺駅上りホーム最後部に集合。尚、直接球場に来所しての参加も可能です。
  2. 持参するもの:昼食、会費600円、尚、終了後国分寺で一服予定。
  3. 申込み期限 5月25日
  4. 申込み先 畠山 秀