【E】第85回Oh!Enkaの会を開催しました

1.日時  平成28年2月21日(日) 10:00~12:00
2.場所  本多公民館ホール
3.スケジュール
第1部  カレッジソング(塾歌、都の西北、三色旗の下に、慶應讃歌)
第2部  講談 忠臣蔵講釈師 若林鶴雲師匠(47商卒)
第3部  季節の歌(冬景色、とうだいもり、雪山讃歌、早春賦)
エール交歓・若き血

いつも通り森川先生のご指導でカレッジソングを数曲歌って例会は始まりました。
いつも稲門会の皆様も熱心な会員として参加いただいておりますので、都の西北もちりばめました。
さて、今回のメインゲストは昭和47年商学部卒の若林鶴雲師匠です。学生時代は弓道に打ち込んでいたようですが、卒業後サラリーマンの傍ら田辺一鶴師の講談大学に入学したことをきっかけに、本格的に打ち込んだそうです。定年退職後はボランティアとして福祉施設や敬老会などで講談を披露されています。お得意は「忠臣蔵」だそうですが、その他母校にまつわる様々な出来事を題材に講談に仕立てておられます。なお、本公演は増井信さん(47商)のご紹介で実現しました。

本日の演題は初めに「慶應義塾名応援歌誕生物語」と題する一席、休憩をはさんで忠臣蔵から「南部坂雪の別れ」の2題です。
新装なったホールの舞台、所作台の上に緋毛氈、釈台、金屏風をしつらえ、師匠は勿論和服姿で入場です。張り扇の音も勢いづいて最初の講談が始まりました。明治末期から大正頃の早慶戦では必ずしも慶應有利ではなく、早稲田の「都の西北」に圧倒されていました。早稲田に対抗できる応援歌を作ろうと慶應の学生が立ち上がり、やがて昭和2年堀内敬三氏によって応援歌中の応援歌「若き血」が誕生しました。その年から慶應が急に勝ちだしたということですから、応援歌の効果は絶大なのでしょう。この間の学生たちの奔走、増永丈夫(後の藤山一郎)の奮闘ぶりなど、目の前で見ているような語り口でした。その後「踊る太陽」や今ではめったに歌われない「慶應音頭」の出来るまで等、体中から愛校精神溢れる熱演でした。

次はお得意の忠臣蔵から「南部坂雪の別れ」です。大石内蔵助が吉良邸討ち入り直前に主浅野内匠頭ご令室瑤泉院に最後の別れの挨拶に向かいました。瑤泉院が「いつ討ち入るのか」と問いますが、内蔵助は次女が侍る中では口外出来ないことを知って嘘をつきます。仇討など考えていないという内蔵助の言葉に、落胆し激高した瑤泉院を後に雪の中を悄然と去る内蔵助でした。(後、瑤泉院は当日の短慮を悔いたという)
凛とした緊張感の中での内蔵助と瑤泉院の紙一重のやりとりが目前の活動写真のように迫ってくる迫力に身震いしたものです。特に四十七士すべての名を瑤泉院に伝えるくだりは、立て板に水のはるか上を言っていました。拍手するのも忘れ、皆さんポカーンとしておりました。
割れんばかりの拍手の中予定通り名講談が終了しました。
第3部は春を身近に感じるこの季節のふさわしい歌を歌い、恒例のエール交歓、若き血で例会をお開きにいたしました。

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