【Y】ヤングサロンの会で拓殖大学の公開シンポジウムに参加しました

【テーマ:BRICsは輝きを取り戻せるか】

12月3日(土)、拓殖大学国際フォーラム第2回公開シンポジウム『テーマ:BRICsは輝きを取り戻せるか~拍・露・印・中、その現状と展望』が開催され、ヤングサロンの会より7名の皆様に参加頂きました。開催地は国分寺から少し離れた拓殖大学文京キャンパス(文京区茗荷谷)、東京メトロ・丸の内線の茗荷谷駅から歩いて4~5分の距離です。

シンポジウムは前段でBRICs各国を専門とする4名の教授陣から、夫々の国の特性・現状・問題点等が紹介された後、後段に渡辺利夫学事顧問(前拓大総長)の司会でパネルディスカッションに入りました。BRICs諸国の将来を占う上でどの様な要因(下記)が鍵となるのか、どの様な成長が期待出来るのか、様々な視点から活発な意見が交わされました。久しぶりに高度に専門的な経済シンポジウムをわくわくしながら聴取した一日でした。

  1. 「経済の発展経路理論」
    英国の産業革命から始まった先進国の技術・資本が次々と後発国に伝播されBRICS諸国はその利益を享受し今後発展が期待されるとする理論。
  2. 「経済のパターン(サイズ)論」
    人口が少ない程、対外経済の接触の度合い(GDPに占める輸出入・直接投資の割合)が高くなるという理論。この理論に従えば大国であるBRICS諸国は接触度が低くなる筈であるが、現状で中国が高い位置にあるのは何故か。
  3. 「技術革新論」
    「技術革新」により生み出された技術はその後標準化され、後発の事業者が技術を使用し、商品が製造・販売されるが、利益の大部分は長期に亘り当初技術開発者に帰属し、後の製造業者の手元には余り残らないとする理論。この理論ではBRICs諸国は多くを期待出来ない。
  4. 「人口ボーナス論(中進国の罠論)」
    労働人口(15歳~65歳未満)の増加率が65歳以上の労働者の増加率を上回る時期は人口ボーナス期と考えられ、成長率が高まるので、後発国の発展に有利と考えられるが、他方で人材、職場、金融インフラ等の整いがなければボーナスが使えないとする理論。
  5. その他、そもそもBRICS諸国を一つの対象と考える事自体が適切かとする議論等。

【蕎】第47回「蕎麦っけの会」を開催しました。

第47回は、2016年12月24日(土)、国立の「きょうや」で恒例の忘年会を25名の参加にて開催しました。クリスマス・イブということから、世話役は「果たして、参加申込みがあるのだろうか?」と心配しましたが、何と、ご案内の連絡2日後には「満員御礼」の垂れ幕となりました。

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会は、一口蕎麦、先付、蕎麦粥(自家製カラスミ入り!)等々の凝った美味しい料理と越後の銘酒・吉乃川で楽しい時間が経過して行きました。途中、新会員の井上さん(昭49政)から「既に、各分科会の受付でデビュー済みですが、・・・」との元気いっぱいのご挨拶。

そして、今回の白眉は、「蕎麦っけの会」の美しき伝統「喜寿のお祝い」です。満永行博さん、渡辺紀子さん、東島昭二さん、吉岡則行さん、小笠原正文さん、そして大トリの菅谷國男さんの順に合計6名の方々に花束贈呈とご挨拶を頂戴し、大いに盛り上がりました(個人情報保護?のため年次は省略)。

最後は、平林さん(昭47経)による「今宵は、お祝いの意を込めて盛大に三本締め」で、夜も深々と更け行く国立の空に、国分寺三田会・蕎麦っけの会による大きな手拍子が響き渡りました。

【C】第4回La Madre Cooking(料理教室)を開催しました。

12月23日(金)光プラザで実施しました。参加者は今回も14名、新たに林奐さん、内野敬一さんが参加されました。お二人とも奥様から頑張ってくださいと激励されてきたそうです。

今回はクリスマスやお正月を迎えるにあたり、ホームパーティーで喜ばれる料理を伊藤先生に準備していただきました。①焼き豚②桜えびとねぎのお餅のピザ③クランベリーとくるみの酒粕おつまみ④デーツのベーコンのピンチョス⑤ミニシュークリームのクリスマスツリーの5点です。

まず、焼き豚ですが、豚ロースのかたまりを水としょうが・にんにく・長ネギに黒コショウをいれて、弱火でゆっくりと1時間茹で上げ(この間、何回かアクを取り出します)、その後フライパンの中でしょうゆ・みりん・酒・五香粉・砂糖・ゆで汁を入れて照りが出るまで煮て、最後にごま油を入れると出来上がり、柔らかい焼き豚の完成!

桜えびとねぎのお餅のピザは、半分に切った餅をフライパンの中でサラダ油を入れて焼き、その中に水を加えて、蒸し焼きし柔らかくなった餅を上から押さえつなげてピザの生地を作り、桜えび、ねぎ、削り節、ピザ用チーズを乗せて、チーズが溶けるまで焼きます。桜えびと削り節の風味がぷ~んと香り、洋風お好み焼きのような美味しいピザです。

クランベリーとくるみの酒粕おつまみは、酒粕とクリームチーズの中に細かく砕いたくるみとクランベリーを混ぜ合わせ、最中の皮の中に入れるだけでとても簡単かつ紅白で綺麗です。

デーツのベーコンのピンチョスも簡単。ベーコンと大葉の中にデーツを乗せて巻き込み、フライパンで焼くだけ。竹串を刺してお皿に乗せるとおしゃれなつまみが出来上がります。

ミニシュークリームのクリスマスツリー仕立てはチョコレートをオーブンで溶かし、カップケーキの上面に塗り、その上にゴーフルを乗せて土台を作り、その上にミニシュークリームを4段に乗せて、チョコレートを接着剤代わりに被せて、最後にチョコスプレーと粉糖を振りかけます。家族に見せると、おっ~と歓声が上がること確実です。(皆さん、大事そうに袋に入れて持ち帰りました)

そんなわけで2時間かけての料理教室でしたが、大変美味しく出来上がり、満足満足な料理教室でした。

世話役 古賀良三

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【E】第95回 0h! Enkaの会を開催しました。

1.日時:   平成28年12月18日(日)10:00~12:00
2.会場:   いずみホール・Bホール
3.出席者:  会員および同伴者48名、森川由美子先生(ピアノ)
・       佃 靖彦氏(講演)、高邑 勉氏(應援指導部OB)、應義会演奏隊(7名)
4.プログラム
・ 第1部  カレッジソング(①塾歌 ②オール慶應の歌 ③三色旗の下に ④慶應讃歌)
・ 第2部  講演  演題:『世紀を刻んだ歌「慶應義塾塾歌」はこうして生まれた』 講師:佃 靖彦氏
・ 第3部  應義會演奏隊メンバーによる演奏
・      (① 錨を上げて ②突撃のテーマ~ダッシュケイオウ ③我ぞ覇者 ④ロンドンデリーの歌)
・ 第4部  季節の愛唱歌(①狩人の合唱 ②旅愁 ③樅の木)
・ エール交歓 (若き血)

・第1部は趣向を変えて、高邑 勉氏の指揮と應義會演奏隊メンバーによる演奏でカレッジソングを歌いました。
高邑氏は“6月に披露いただいた素晴らしい指揮をもう一度”ということでお招きしました。今回は應援指導部の伝統である“くずしを入れた振り”、“左手を前にしてペンのかたちを作る左前ペンクロス”を披露いただきました。
力強い発声、素晴らしい指揮、力強い演奏で会場が一体となり、いつにも増して力強く歌うことができました。
・第2部は講演です。ワグネル・ソサィエティーOB高橋伸一会員の紹介で佃 靖彦氏をお招きしました。今日、我々が歌っている「塾歌」は、その旋律と歌詞の時代を感じさせない普遍性と荘重な響きは誰をも魅了します。佃 靖彦氏には、この素晴らしい「塾歌」がどのようにして生まれたのか、「塾歌」として制定されるまでに至った経緯と、四部合唱曲としての「塾歌」はその後、ワグネル・ソサィエティーの中ではどのような変遷があったのか、我々一般の塾員には知られざる史実をお話いただきました。塾歌は旧塾歌(金須嘉之進)⇒幻の塾歌(信時潔)⇒日本の誇り(信時潔)
⇒新塾歌、男声四部合唱は男声合唱正譜オリジナル版(信時潔)⇒編曲版(北村協一)⇒新編曲版(信時潔)⇒男声合唱正譜オリジナル版(信時潔)と変遷してきました。塾歌は信時潔が作曲した900曲の中で最も精魂込めた作品の一つだそうです。信時潔は国分寺に住み、このように素晴らし塾歌が国分寺で生まれたことは我々の誇りです。また、塾歌を歌い継いできたワグネル・ソサィエティの功績が大きいと思います。そしてこのような素晴らしい塾歌を歌える幸せを感じる次第です。
・第3部は應義會演奏隊7名による演奏です。皆さんは日ごろ慶應義塾のイベントで慶應義塾の応援歌、愛唱歌を演奏しています。軽妙な口調で応援歌のエピソードを交えながらの演奏です。とくに古関裕而が作曲した早稲田応援歌“紺碧の空”に対抗した応援歌を作ろうという機運の中で古関裕而に依頼して“我ぞ覇者”ができたというのは興味深い話です。会場の都合で太鼓を使えないのは残念でしたが、トランペット、サックス、トロンボーンが会場に鳴り響きました。
・第4部は森川先生の伴奏で季節の愛唱歌を歌いました。
・最後は平林正明会員の指揮による「若き血」斉唱です。高邑 勉氏に刺激されたのか、勝るとも劣らない力強い振りです。全員が肩を組み、応援歌を歌える幸せを味わいました。

<講演要旨> 『世紀を刻んだ歌「慶應義塾塾歌」はこうして生まれた』
・佃 靖彦氏はワグネル・ソサイエティーOB。格調高い、芸術性豊かな慶應義塾塾歌がどのようにして生まれたかに興味を持ち、調査してきた。(文中の氏名は敬称略)
◆明治36年暮れに制定された「旧塾歌」(作詞は角田勤一郎、作曲は金須嘉之進)。
・日本に西洋音楽が導入された創世記の雰囲気が伝わってくる歌。他大学の校歌は外国の旋律を転用する風潮が見られたが、塾歌は自前。
◆「新塾歌」制定までの経緯
・しかし旧塾歌は時代とともにそぐわなくなってきた。明治40年「都の西北」の登場と慶早戦の連敗、大正14年に再開した慶早戦での連敗を受け、次第に新塾歌を求める声が出てきた。
・大正15年、塾歌を懸賞募集したが採用に至らなかった。昭和2年にも与謝野寛作詞、信時潔作曲で塾歌を作成したが、採用に至らず、「幻の塾歌」となった。そして昭和9年に、「幻の塾歌」の旋律をそのままに慶應義塾大学職員富田正文が作詞し、「日本の誇り」として福沢先生生誕100年の式典で演奏した。そしてしばらくは塾歌に準ずる扱い。
◆新塾歌の誕生
・作詞家富田正文、作曲家信時潔は小泉塾長の信頼が厚く、塾歌委員会は新塾歌作成を富田正文、信時潔に依頼した。この時の塾歌委員会の注文は①明朗 ②荘重 ③老幼 ④式典歌 ⑤応援歌 ⑥行進曲。そして昭和15年11月に完成、「ピアノ伴奏と旋律」「男声合唱正譜」の2つが塾歌として正式に認定され、昭和16年1月10日福沢先生誕生記念会で発表した。最初から「男声合唱正譜」が編曲されることは珍しく、信時潔が塾歌作曲に精魂込めていた様子がうかがえる。また、信時潔にとってワグネル・ソサィエティーという合唱団があることも励みになっていたとのこと。
◆ワグネル・ソサィエティーは塾歌「男声四部合唱」をどう歌い継いできたか
・昭和15年~昭和35年までは信時潔「男声合唱正譜」(昭和15年オリジナル版)。
・他のカレッジソング同様編曲を行い、昭和36年~37年は北村協一編曲版。
・昭和38年に塾歌を作曲した信時潔に編曲を依頼した。佃 靖彦氏によれば当時、ワグネル・ソティエティーの中では「男声合唱正譜」(昭和15年オリジナル版)は信時潔が編曲し、塾歌として認定されているという認識が徹底されていなかったとのこと。それでも信時潔は新編曲版制定に快く応じてくれた。昭和56年8月まで新編曲版として歌われてきた。
・昭和56年ワグネル・ソサィエティ―を指導していた木下保が「男声合唱正譜」(昭和15年オリジナル版)を見て、これぞ福澤魂プラス信時魂として、演奏した。それから「男声合唱正譜」(昭和15年オリジナル版)は信時音楽の最高峰の一つとして蘇り、今日まで歌い継がれている。

<佃 靖彦氏プロフィール>
・ ① 昭和16年10月1日 北海道小樽市生まれ。
・ ② 昭和39年慶應義塾大学経済学部卒業
・ ③ クラブ活動:ワグネル・ソサィエティ男声合唱団、所属ゼミ:町田ゼミ(金融経済)
・ ④ 趣味:陶芸(元世田谷陶芸協会会長)、現在は男声合唱団「アゲイン」に所属。

次回 : 1月21日(土) 10:00~12:00  会場:本多公民館視聴覚室  Songs
次々回: 2月18日(土) 14:00~16:30  会場:本多公民館ホール   サックス演奏

世話役代表:塩井勝也(S41法)、
世話役:金田 一(S42工)、高橋伸一(S45法)、久保田宏(S46工)、矢野拓郎(S46商)、
芳賀 崇(S47経)、平林正明(S47経)、山田健(S47経)、池田敏夫(S47商)、井上 徹(S49政)

 

 

【Y】The Young Salonの会第22回ご報告

【テーマ:これからの世界情勢と新現役世代】

今回のヤングサロンの会は、2016年11月29日(火)新現役ネット主催の『新現役フォーラムテーマ:<これからの世界情勢と新現役世代>』に参加する形で実施しました。開催時間が夜間で会場が千代田区の星陵会館とやや遠方でしたが、9名の皆様に参加頂きました。司会はフジテレビアナウンサーの佐々木恭子氏、講師は外交評論家の岡本行夫氏並びに三菱商事元会長の小島順彦氏が担当されました。講演の概要を下記の通りご報告します。

  1. 岡本行夫氏講演
    日本を取り巻く国際情勢と日本の安全保障について講演を頂いた。米国の国立公園イエローストーン・グランドティートンの広大な自然の姿が映し出され、1998年の火事で森林の3分の1が消失したとの紹介があった。米国では落雷等自然発火による山火事等には消火対応せず、自然消火後の回復を待つ由で、結果半年近く燃え続けたが、20年後には以前にも増して豊かな森林が復活したとの事である。宇宙計画ではチャレンジャー号の爆発事故にめげず、またアポロ13号の本船事故で宇宙飛行士が月面探査用の補助艇に緊急避難する危機を迎えた際も、最後まであらゆる可能性を追求し、遂にこの計画を成功に導いた。事故・失敗にひるまず、その後も更なる宇宙計画達成に邁進する米国人の姿に改めてその逞しさに感心すると語っておられた。続いてICBMの発射施設が映像で紹介され、発射指令室出口には大きなポスターに『今日だけは発射ボタンを押させないでくれ』と掲げられているとの事であった。攻撃をすれば必ず相手から報復されるとする認識、今日・自分に引き金を引かせないでくれという緊張感、ここに抑止の本質があると説いておられた。日本の安全保障についても、日本を攻撃すれば自らが滅びるというPerception(認識)そのものが抑止なのだと強調されていた。
  2. 小島順彦氏講演
    <トビタテ!留学JAPAN>の紹介があった。私達の孫世代がグローバル人材に育つ為には3つの「C」が必要である。
    ①Curiosity:世の変化に常に関心を持つ
    ②Challenge:その変化に果敢に挑戦する
    ③Communication*:挑戦に際しては他者を巻き込んで行く。
    *縦(世代)と横(組織・企業・国境)を越えてのコミュニケーション
    現在米国への国際留学生数は約97万人、その内中国からが1位で30万人、日本は6番目の2万人であると言う。1998年には日本からの留学生は5万人で1位であったが、現状は数も激減し、且つ質も低下している様である。原因として(1)親の過保護や(2)留学すると良い大学、良い会社に入れないのではないかという不安が考えられる。留学には相当費用がかかる事も確かである。中国や韓国で留学費用の半分以上を国が補助している事も両国の留学生数が多い要因であろう。この対策の為、現在多数の企業・団体から寄付を募り留学生を増やすべく取り組んでいる。この支援により現在、約1,000人の留学が実現しており、更に2020年までにはこの数を2,000人に増加させたい。今回のフォーラムに参加して頂いた皆様のお孫さんの中に多くの留学生対象がおられるかと思うが、皆様方、社会人の教育が大切であると思っている。可愛い孫には旅をさせ、グローバル人材育成の為、是非ご協力をお願いしたい。

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【勝】勝手にレディース第12弾企画開催報告

12月10日 三田のGSECセミナー室にてGSEC共同研究員宮田善之さんの講演会を開催しました。

「現代社会における新たな感染症の脅威」と題して主に今まで顧みられなかった熱帯稀少感染症について
・そのアウトブレークの要因と社会に及ぼす影響
・水際対策の重要性
・ワクチン製造の難しさ
・偽造医薬の問題
・蚊などのベクターの対策
・無症状キャリアーの問題 など多岐にわたるお話を伺いました。

後半には 宮田さんの友人として聴きに来ていた元厚労省健康局長矢島鉄也さんも加わりミニパネルディスカッションとなりました。

GSECセミナー室での講演の後は萬来舎でワンドリンク 幻の門近くの中華料理屋さんで懇親会と 活発な意見交換が続きました。 講演会には30名懇親会には22名が参加しました。

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【ゴ】第50回国分寺三田会ゴルフ会

国分寺三田会第50回ゴルフ会が、12月にしては絶好の天候に恵まれた中で、紅葉の美しい「昭和の森ゴルフコース」で開催されました。
優勝は第49回大会に続き連続して鶴谷さん、準優勝はベスグロ「78」の吉村さん、3位はまたも新ペリのハンデに恵まれた宮西さんがそれぞれ獲得されました。
PLAY終了後は、場所を西国分寺「庄や」に変え、大忘年会も兼ねた成績発表会が開催され、PLAY欠席の菅谷さん、野口さん、高杉さんも参加され、大変盛り上がり楽しい時間をすごすことが出来ました。

第50回国分寺三田会ゴルフコンペ

・ 開催日   12月6日 (火曜日)
・ 場 所   昭和の森ゴルフコース
・ 時 間   8:00 OUT3組,IN2組
・ 競技方法  新ぺリア方式
・ 参加者   19名(1名途中棄権)

表彰式・忘年会

・ 場 所  西国分寺 「庄や 西国分寺店」
・ 時 間  18:00~
・ 参加者  17 名

開会式後 クラブマスター室を背景に記念撮影
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【歩】第44回歩こう会の記録

11月16日(水)「第44回歩こう会」を実施しました。
御岳山(標高929メートル)から日の出山(標高902メートル)を巡る、ややハードなハイキングコースですが、参加者は計18名、最高齢84歳、次が81歳、平均年齢70ウン歳という顔ぶれです。
JR御岳山駅前から、バスとケーブルカーを乗り継ぎ、御岳山神社に参拝して行程の無事を祈ります。それから、日の出山を目指して、尾根伝いに上り下り。丁度正午に日の出山頂に到着。秋冷な寒気を含んだ山風が、汗ばんだ肌に心地よく感じます。山頂からの素晴らしい眺めを楽しみながらの昼食となりました。そこから、愈々つるつる温泉(標高378メートル)を目指しての下りです。
紅葉の山肌を眺めながら、ゆっくりと進みます。一昨日の降雨で滑りやすい箇所もあり、油断はできません。滑らぬように、転ばぬように・・・・・「アッ」・・。
午後3時に温泉に辿り着き、暖かい湯船に浸かって疲れを癒した後は冷たいビールで乾杯となりました。全行程1万8千歩。幸い好天に恵まれ、秋の日差しを浴びての楽しい一日でした。

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【E】95歳のヴァイオリン・コンサートと87歳の戦争前後の体験談

1.日時   平成28年11月 8日(火)13:30~16:30
2.会場   いずみホール・Bホール
3.出席者  65名(会員および同伴者47名、欅友会、国際協力関係他15名、ゲスト3名)
4.内容
13:30~14:35  ◎95歳のヴァイオリン・コンサート
・    ヴァイオリン:小島亮一さん、ピアノ伴奏:丸山令子さん(小島さんのお嬢様)
・    ①歌の翼にのせて(メンデルスゾーン)、②ジョスランの子守歌(ゴダール)、③タイスの瞑想局(マス
・    ネ)④昔の歌(ウィーン民謡)、⑤ロマンス(ツェラー)、⑥間奏曲(プロヴォスト)、⑦ロマンス(レ
・    ハール)⑧ヴェネチアのゴンドラの歌(シュトラウス二世)、⑨メリーウィドウ・ワルツ(レハール)
14:45~16:30  ◎87歳の戦争前後の体験談
・    「忘れえぬ15年―クーデター、戦争、そして占領」   天野 肇会員

・国分寺三田会天野 肇会員からお話があり、「小島亮一さんのヴァイオリン・コンサートと天野 肇会員の講演」を
Oh!Enkaの会主催で開催しました。
・小島亮一さんは天野さんの職場の先輩です。大正9年生まれ、戦中、東京商科大学のオーケストラに所属。終戦後、東京音楽学校(現・東京芸術大学)ヴァイオリン専科で学び、95歳の現在も老人ホーム等でfiddlerとして演奏活動を行っています。ご自身を「ヴァイオリンのチンドン屋」と紹介しで会場の爆笑を誘いました。ヴァイオリニストというよりもヴァイオリン弾き、辻楽師というような心持のようです。一曲奏でる度に、きちっと姿勢を正して曲の紹介をします。すべて暗譜で、ピアノを伴奏するお嬢様との息も合っています。お嬢様は昭和音楽大学と恵泉女学院大学兼任講師で、音楽一家です。ご自身が歌う場面もありましたが、驚くほど声に張りがあり、生命力の強さを感じさせられました。「歌は元気の源」ということを感じるコンサートでした。
・天野さんは昭和4年生まれ、定年退職後は国分寺市国際協会、欅友会でボランティアをされてきました。昭和11年に尋常小学校入学、昭和26年に慶應義塾大学卒業、そして就職しました。この15年間はクーデター、戦争、そして占領という激動の時代です。“激動の昭和”の生き証人として日本の出来事、世界の出来事と照らし合わせながらご自身の忘れ得ぬ思い出を語ってくださいました。論理的で理路整然としていてわかりやすい講演です。そして最後は天野さんご自身の戦争観です(例え負けても戦うべき戦争はあるか?、日本は核をもつ仮想敵国に勝てるか?、日本の安全保障は万全か?)。最近は戦争を知らない世代の人たちの間で安保法制等“国のかたち”が議論されておりますが、天野さんは戦争の悲惨さを体験しており、お話に説得力があります。戦争について改めて考えるきっかけとなりました。
・天野さんは国分寺三田会設立当初からの会員で今年の定期総会で米寿の表彰を受けられました。いつまでもお元気でご活躍することを祈念しています。

世話役代表:塩井勝也(S41法)
世話役 :金田一(S42工)、高橋伸一(S45法)、久保田宏(S46工)、矢野拓郎(S46商)、芳賀崇(S47経)、
・    平林正明(S47経)、山田 健(S47経)、池田敏夫(S47商)、井上 徹(S49政)

 

【歴】第75回「歴史をひもとく会」(横浜探訪)

2016年10月26日、晴天と言うよりも夏を思わせる気候の中、「歴史をひもとく会」は、「文明開化の残照 横浜の歴史を『碑』もとく」をコンセプトに、「横浜(日本)はじめて物語」として横浜を探訪しました。

今回は、講師の市川隼氏(鎌倉三田会。昭42年政、44年経)を含め、38名もの大人数の参加となりました。

「汽~笛一声新橋を♪」の桜木町・鉄道発祥記念碑からスタート。ガス事業会社の発祥地である「高島嘉右衛門ガス工場跡」⇒ヘボン等が設立した「指路教会」⇒福沢先生が蘭学から英語に転ずるきっかけとなった「吉田橋旧関門跡」⇒「アイスクリーム創業」の地⇒日本最初の「ガス灯記念碑」⇒写真の開祖「下岡蓮杖写真館跡」⇒旧横浜正金銀行跡⇒開港記念館(ジャック)⇒神奈川県庁(キング)⇒横浜税関(クイーン)⇒開港資料館(旧英国総領事館)⇒和親条約調印の地碑⇒⇒「救急発祥の地」⇒最古のガス管⇒ホテル発祥の地⇒横浜天主堂跡。

書物では知っていても、目の前で見ると感慨が深まり、一つひとつ納得。そして、横浜と言えば「中華街」。約8,500歩の行程となりました。

ランチでは、乾いた喉を、麦で造った「冷水(?)」と、もち米で造った少し温かい中国の「お湯(?)」で潤し、美味しい中華料理に舌鼓を打ちながら、参加者との楽しい歓談で盛り上がり、皆さん大満足でした。

帰路は、山下公園から横浜駅東口までシーバス(船)の旅となりました。横浜港からは、今日、踏破した景色が一望できるとともに趣が異なり、また格別のものでした。

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